2-17『彼の人の言葉を借りて』
第二章
第十七話
『彼の人の言葉を借りて』
「……これは驚いた」
ごちゃごちゃに混乱したままの言葉を吐き出した私に、彼女は少しだけ驚いたような声で続ける。
「成る程、これは面白い」
何が面白いって言うんだ。
彼女の言葉にカチンときて、私は睨み付けるような目を向けた。
睨むような、というよりも完全に睨み付ける私の目を、それでも彼女は薄い笑みを浮かべて受けて止める。
「成る程、成る程。実に興味深いね」
似たような言葉を繰り返しながら、彼女は腕を組んで斜め上を見上げた。
なんだか、妙な……けれど酷く強い違和感を覚えて、私は落ち着こうと息を吐き出す。
落ち着く為の深呼吸。
深呼吸は吸って吐いて、じゃなく、先に吐き出してから吸うのが正解らしい。
うん、なんだこのわけの判らない豆知識。
自分に突っ込んで、少し余裕が戻ってきたと思う。
急に現れた『私』を知っていそうな人の言葉に掻き乱された心が、少しだけ落ち着いたような気がした。
「……貴方、さっきまでの人と、違いますよね?」
少しだけ落ち着いた私の口は、するりとそんな言葉を吐き出す。
自分で言ってから、その内容に目を瞬かせたくなった。
なんだよ、『さっきまでと違う』って。
そうは思ったけど、妙にしっくりとくる言葉だとも思う。
だって、さっきまで木の幹から生えていたあの人とは、あまりにも違い過ぎた。
見た目はそっくりそのまま同じだけど、表情も声も言葉も、さっきまで見ていた彼女とはまるで違う。
「違うと言えば違うし、同じだと言えば同じなんだけれどね」
口の端に笑みを浮かべながら、彼女は言った。
わけが判らない。
「僕が何ものであるのか。それは今、この時、そんなに大事なことじゃない」
薄い唇をにい、と貼り付けたような笑みの形にして、彼女はそんなことを言った。
っていうか『僕』って言った?
ファービリアさんと見付けた彼女は、自分のことを『我』って言ってたと思うけど。
やっぱり同じなのは見た目だけで、中身が違うっていうことか?
「今大事なのは、君が僕の問い掛けにどう答えてくれるか。それだけだ」
「は……?」
そ、そんなわけがあるか。
だって私には『私』を構成するはずのほとんどがない。
そんな私の前に現れた、『私』を知ってるらしい人が何ものであるのかが、大事じゃないなんて。
一方的な物言いに、混乱を通り越してまた怒りが湧いてくる。
「君に訊きたい」
私が何を言うよりも先に、彼女は続けた。
「先を望めない命は、どうすべきだったか?」
「は……?」
問い掛けられて、私は同じ言葉を、同じ音程で繰り返すことしかできない。
湧き上がったはずの怒りも、行き場を失くして何処かにすっ飛んだ気がする。
「君は見ただろう? 先のない種族を。そんな彼らが縋ったものを。そしてその結末を」
まともな言葉さえ紡ぐことのできない私に、彼女は笑みを浮かべたまま、大きく両手を広げた。
何一つ身体を隠すもののない状態でそんなことをしても、不思議と彼女から『性』を感じることはなかった。
というか、さっきから彼女から性別っていうイメージが全然伝わってこない。
見た目は女性だと判るしそう思うんだけど、雰囲気っていうかなんていうか……よく判らないけど、この人が纏う空気そのものに、性別を感じなかった。
便宜上、見た目で『彼女』と表現してるだけ。
それはまるで、私自身みたいだ。
「君はどうすべきだったと思う?」
問い掛けを重ねられて、はっとする。
ぼんやりしてる場合でもない。
だけど、なんて答えればいいのか、全然判らなかった。
「どうすべき……?」
彼女が言っているのは、蟲人さんたちのことで間違いないだろう。
ファービリアさんから聞いた話が全て真実だったとして、彼らには種として長い先を望めるだけの何もなかった。
今、この瞬間は食い繋げたとしても。
それは、百年先の安息を約束されたものじゃない。
まるで綱渡りのような日々を送る彼らが、どうすべきだったのか。
そんなの、私に判るわけがない。
自分たちを受け入れてくれなかった他種族を食い物にして生き延びた彼らが間違いだったのか。
じゃあ、どうやって生き延びれば良かった?
彼らを受け入れなかった世界が悪いのか。
特出したなんの能力もない、ただ異形である彼らを拒絶した、囲いのある小さなこの世界が本当に悪いのか?
そこに二つ以上の命があるのなら、諍いが起こらないことなんてあるわけがないのに。
全てが平等である世界なんて、実現し得るはずがないのに。
どうすれば、良かったんだよ。
「……っ!」
知らず、喉の奥から息を吐く音が響いた。
背景はさっきからずっと文字だか数字だか判らないものが乱舞するこの場所だけど、音を発するのは私と彼女だけ。
片方が黙ると、もう片方が出す音が、やけに耳に響く。
私が出した呼吸音に、彼女は微笑みながら首を傾げた。
答えを促されてる。
そう判るけど……自分自身のことすらも判らない私に、何が言える?
こんな質問をされたのがもしもファービリアさんだったなら、きっともう答えてるだろう。
……いや、なら。
それなら、彼女が答えそうな言葉を借りても、いいんじゃないか?
だって私が聞いたファービリアさんの言葉は、少なくとも私自身を納得させるだけの強さがあった。
その言葉、それそのものを私がなぞっても、同じだけの説得力はないだろう。
だって彼女には、その言葉を使うだけの確固たる後ろ盾が……積み重ねた経験と努力があったから。
だけど私には、何もない。
この歳まで……ってまあ、幾つなのか本当のところは自分でもよく判らないけど、とにかくこの見た目になるまで積み重ねてきたはずの経験も、努力も、何も憶えてない。
だけど、ファービリアさんが紡いだ言葉に感銘を受けるだけの何かはある。
なら、想像だったとしても、ファービリアさんが言いそうな言葉を借りてもいいんじゃないだろうか。
いや、もう、それしかない気がする。
「……」
大きく、深呼吸をした。
肺の中の全てを吐き出してから、思い切り吸い込む。
うん、少しだけ落ち着いた。
そして考える。
ファービリアさんだったら、なんて言うか。
終わりがいつになるのか正確なところは判らないけど、少なくとも他の種族よりは短命であろう『蟲人』という種族が、どうすべきだったのか。
そんなことを訊かれたファービリアさんは、どう答えるだろう。
もしも彼らが生き延びていたら、自分がその民の住む土地をも束ねる立場だった、ファービリアさんだったら。
……ああ、きっと。
彼女なら、胸を張って言うだろう。
「……矜持に従えば、それでいいと思います」
私の口から零れた声は、想像の中のファービリアさんとは似ても似つかない、おどおどと掠れ震えたものだった。
ファービリアさんなら、胸を張って、堂々と、朗々と語っただろう。
「へえ?」
だけど、一度出た言葉は、二度と元に戻らない。
吐き出してしまった言葉は例えそれを取り消す言葉を重ねたとしても、何も言わなかった瞬間に戻ることはない。
詳しく話して、と先を促すような、興味深そうに笑みを浮かべる彼女の言葉に、私は腹を括って顔を上げる。
私はファービリアさんみたいにはなれない。
だから、自分の言葉を紡ぐしかない。
「種として生き延びることをこの世界の大多数が選んだなら、他の方法があったでしょう。蟲人は妖精族と違って、他の種族と血を混ぜることもできました」
『蟲人の血のみであれば、幾らでも繋ぎようがあったであろうよ。幸いと他の種族と交わることが可能であったのだ、合意非合意問わず、残す術は一つではなかろう』
想像の中で胸を張るファービリアさんの声を聞きながら、自分の言葉に置き換えていく。
脳内ファービリアさん、美しいです。
勝手に想像してるだけなのに絶世の美貌って、凄くないか?
って、そんなこと考えてる場合じゃない。
「だけど彼らが選んだのは隷属でも寄生でも平等でもなく、限りの見えた搾取。純血を貴び、それ以外の道を閉ざしたのは蟲人たち本人だ」
『伏しても血を残そうと思えば残せたであろうよ。無理にでも種を外に出すことも、強く時の領主や王に種の保存と劣勢を訴えることも可能であったであろうよ。じゃが、そうせなんだのは蟲人たちの総意に他なるまい』
そうだ。
他にも手はあった。
倫理的に問題があったとしても、『迷い込んで来た人を守護蟲の生贄にする』ことを是とする倫理観に比べれば、精々どっこいの手段が。
迷い込んで来た人が男なら、その種を蟲人に取り入れて。
女性なら、その腹に蟲人の種を腹に入れて外に出す。
それができないのなら、己の不憫さをもっと強く時の領主や王に訴え出る。
一度で伝わらない悲壮でも、代を繋いで連綿と続く訴えがあれば……もしもファービリアさんの代まで続くだけの声があれば、きっと何かは変わってた。
純血であることを第一と考えなければ、他の方法は幾つもあった。
だけど、彼らはそれを選ばなかった。
選ばないで、『他に方法があるか』と言ったんだ。
「純血をこの世界に残すこと、それが蟲人にとっての全てであると言うなら」
『他の種よりも己が優れておると、この血は純血で残すべきであるとその胸の何処かで思うておるのなら』
「なら、その矜持を抱いて、足掻いて足掻いて、真っすぐに立って」
『それが種の誇りであるのなら、躊躇わず、俯かず、ただ真っすぐに進み』
「足掻いた先の終わりを、受け入れればいい」
『滅べば良い。誇り高き種の終わりを、この世界は受け入れようぞ』
ああ、そうだ。
他に道はないなんて悲壮な顔を見せたあの村長さんだけど、そんなわけがない。
種を、蟲人の血を残すっていうだけなら、他に幾つも手段があったはずだ。
だけど、彼らは他の道を選ばなかった。
それは彼らが持つ矜持の為に。
他の道を選ぶことのできないほど強い矜持がその胸にあったというなら、それに従った彼らを間違っているなんて、誰が言える?
種の根絶。
そんなもの、人の形をしていないものを含めれば、世界中で数え切れないほどあることだろう。
一つの種が絶滅しても、他の種が世界を回す。
世界は変わらず、回り続ける。
私たちが生きるこの世界を回すのに、私たちは必要ない。
「彼らは何も間違ってない。蟲人さんたちの中でも、これは正解じゃないって言った人がいたかもしれない。でも、それは全体を動かすに足りなかった」
『蟲人の中の誰かは他の道をと言うたやもしれぬ。じゃが、それは種の総意とはならなんだ』
「誰も間違えなかった。ただ、彼らは自分たちの意志で滅んだだけだ」
どうすれば生き残れたか。
そんなことを論じるのは、滅びた種族を前に無意味なことだ。
じゃあどうすれば良かったのか。
それに答える言葉があるとすれば。
「どんな気持ちで最後の一人が息絶えたとしても、彼らが選んだことは間違いじゃない」
リクやクレアさんが守護蟲を殺してしまったあの世界で、蟲人たちがどんな最期になるのか、私には判らない。
少なくともファービリアさんが知っている正規の『世界史』では、あの小さな村は守護蟲の暴走で幕を下ろした。
最後の蟲人があの大きな顎で砕かれた時、何を思っていたのかは判らない。
だけど一つだけ言えることがある。
それは貴方たちが選んだ未来で、そしてその結末は間違いだったなんて誰も言えないことだって。
だって、生き延びることがただ一つの正解だったとしたら。
もっと早く、貴方たちは別の道を選んでいたはずだろうって。
ただ、それだけは言える。
続




