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創り人の箱庭  作者: サボ
第二章
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2-16『知らぬ過去より今のぬくもりを』

第二章

第十六話

『知らぬ過去より今のぬくもりを』



 大樹の化身なのだと言ったのは、ファービリアさんだ。

 この白黒の女性がそう名乗ったわけじゃない。

 ひょっとしたら私なんてお呼びじゃなくて、こうして目の前に立っても何もできないかもしれない。

 そう思っていたのは、実際に彼女の正面に立って、そのガラス玉みたいな目を正面から見るまでだった。

 白と黒だけで描かれた絵画のような彼女の目は、輪郭以外になんの色もない。

 立体的に鉛筆で描かれた絵のほうが、まだ人間味があるような気さえする。

 その目を正面から見つめて、何故か確信した。

 これは、間違いなく大樹の化身だと。

 稀人が触れてこそ意味のある、大樹の核だと。

 どうしてそう思ったのかなんて、巧く説明することはできない。

 きっとファービリアさんも、どうしてそう確信したのかなんて説明できないだろう。

 ただ自分の感覚がそう言ってるんだって、自分の中で誰かが『これだ』と囁いてるんだって、そんな程度のことしか言えない。

 じっと見つめる先の彼女の目には何処までも何もなくて、こうして向き合ってみても本当に私を映しているのかどうかすら怪しいと思う。

 だけど、目を逸らすことができない。

 無意識に一歩、足が先に進んだ。

 腐敗臭が少し強くなる。

 もう一歩、進む。

 繋いでいたファービリアさんの手が離れた。

 絶対に離さないと言外に告げられていたそれを自分から離しても、不安は感じなかった。

 近付くと、腐敗臭がまた少し強くなる。

 ああ。

 この饐えた匂いは、白黒の彼女からしているんだ。

 まるで血でできた大粒のブドウが腐ったみたいな、不快で甘い匂い。

 本能が拒絶する匂いなのに、それでも先に進みたくなるこの衝動はなんなんだろう。

 判らない。

 私は何も言うこともできないまま、ただ白黒の彼女に歩み寄った。

 白黒の彼女も、無言のまま真っすぐに私の目を見つめている。

 手を伸ばせば届く距離まで近付いて、私は足を止めた。

「……」

 何も言えないまま、私は白い目を見つめる。

 彼女の目は私の丁度真正面。

 何も映さないその白は、虚ろそのものだ。

「……」

 すぐ近くまで歩み寄って、それでも何もできずにいた私を見据えたまま、彼女は僅かに身じろぎした。

 そして、細い手を静かに伸ばしてくる。

 ゆっくりと持ち上がる白い腕を視界の端に映しながら、それでも私は彼女から目を逸らすことができない。

 瞬きさえしていたかどうか、正直言って自信がなかった。

 そんな私の頬に、輪郭だけが黒い手が触れる。


 イイイイイン───!


 その手が頬に触れた瞬間、高い耳鳴りがした。

 はっとして瞬いて。

 そして気付く。

 瞬き一つの間に、彼女は何処かに消えていた。

 いや、消えたのは彼女だけじゃない。

 白黒の大木も、確かに踏みしめていた大地も、周りに生い茂っていたはずの草木も消えた。

 消えたのは周りの全てじゃなくて、私自身なのかもしれない。

 降り注いでいたはずの陽光も、すぐ後ろで私を見守ってくれていたファービリアさんすらも消えた、黒い世界。

 この作り物みたいな森に出る前に歩いた、あの漆黒に塗り潰された空間によく似ている。

 だけど、たった一つだけ、あの場所と違うことがあった。

「ここ、は……」

 私は此処を知っていると思う、この既視感だ。

 光のひと筋も見えない、漆黒で塗り潰された場所だと感じるのは、ファービリアさんと二人で歩いたあの場所と同じなのに。

 それなのに、此処は違うと……さっき見たあの場所とは違うと、そう思う。

 骨の内側から侵食されるような冷たさを湛えた、黒い、黒い空間。

 そんな場所を一度ぐるりと辺りを見回してから、ゆっくりと足を踏み出した。

 この世界に来てから、一人きりになった記憶はほとんどない。

 眠るとき以外はほぼずっと誰かが傍に居ることが当たり前だった。

 いつも誰かが傍に居て、世話を焼いてくれたり、些細な危険からも遠ざけようとしてくれてた。

 そんな風に甘やかされた私が、こんなわけの判らない場所で一人にされたら……ついさっきまで手を繋いでくれていたファービリアさんの影さえ見えない状況に陥ったら、もっと取り乱すもんじゃないだろうか。

 まるで他人事みたいにそんなことを思いながら、そろそろと歩みを進める。

 確かにファービリアさんもリクもクレアさんも居ないことは、心細いと思う。

 だけど、この場所が怖いとは思わない。

 その不思議なアンバランスさを心の奥底で押し殺して、静かに進む。

 不安に足を竦ませてここで立ち止まったところで。

 強く目を閉じて、頭を抱えて蹲ったところで。

 きっと、何も変わりはしない。

 何も見ないように目を閉じて、怖いと泣いて縮こまっていたら、誰かが来てくれるかもしれないけど。

 この世界でトップクラスの強さを誇る彼らのうちの誰かが、懸命に私を助けようとしてくれるかもしれないけど。

 必死の顔で手を伸ばしてくれる三人を想像して、拳を握り締めた。

 ダメだよ。

 それを待つだけじゃ、きっとダメだ。

 だって私、『彼らが必死で手を伸ばしてくれるだけの価値がある』人間じゃない。

 今の私には、異世界から来たっていうことだけしか、稀人に相応しい資格がない。

 ただそれだけと言うには過ぎた前提条件だと我ながら思うけど、それは私の意志でどうにかしたことじゃないんだ。

 そりゃ記憶がないから、ひょっとしたら世界の壁を超えようと自分でなんとかしたって可能性がゼロじゃないけど。

 どんな努力をすれば世界の壁を超えられるのかも、なんでそんなことを思ったのかも想像さえできない身としては、その辺はノーカウントだ。

 なら、せめて。

 せめて、『稀人で在るという責任』を自覚したい。

 そうしたら、もしかしたら。

 私だってこの世界に居ていい存在なんだって、そう思えるかもしれないじゃないか。

 過去のない私はいつまでも、何処までも所在がなくて、余所者でしかない。

 稀人と呼ばれて、根っからの貴人にさえ護られて。

 流されるまま優しい膜にぬくぬくと甘えるだけじゃ、きっとダメだ。

 自らの種の限界を知るあの蟲人の村長だって、歯を食いしばって立ち上がったのに。

 本来はそれ以上の責があるはずの私が、ただ甘えて縮こまって助けを待つだけでいいわけがない。

 強くならなきゃ。

 敵を薙ぎ払うことができないなら、心を強くしていかなきゃ。

 だから今は、歯を食いしばって、先に進む。

 今の私にできることなんて、それしかないから。

 そうして進んでいると、景色に小さな変化が起こった。

 始めは視界の端に、ちらりと微かに。

 見間違いかと思って更に先に進めば、今度は明確に目に映ったものがある。

 それは白く浮かぶ文字のような、記号のような、曖昧なもの。

 下から浮き上がって上に流れて消えていくそれを目で追って、でも追い切れなくて。

 なんだったんだと思う間もなく、今度は上から似たようなものが降って来る。

 手の届かない先で、浮かんでは消え、消えては浮かび、落ちて消え、消えては落ちる白いもの。

 何かを訴えかけているのか、それとも何処かに導こうとしてるのかすら判らない、だけど確かに其処に浮かぶ文字を解読しようとする努力は、すぐに諦めた。

 この不思議な景色も、何故か知ってるような気がしたから。

 私はそれをただの背景と決めて、先に進み続ける。

 この先に、私の行くべき場所があるんだと、何故かそう感じるから。

 黒い背景に、白い文字だか数字だかよく判らないものが乱舞する、そんな現実とは思えない場所を、それでも知っているという既視感を拭えもせずに歩く。

 足が向く先を前として、ただ歩く。

 ああ、でも、やっぱり。

 この妙な景色を、私は知っている。

「やあ」

 どれだけ歩いた頃だろう、不意にはっきりと、誰かの声が聞こえた。

 反射的に立ち止まって、辺りを見回す。

 黒い背景に白い文字、そればかりだと思ったのに。

「え……」

 正面に視線を戻したら、そこに人が居た。

 見回している間は確かに居なかった。

 なのに、急に現れたその人は、あの大樹の化身そのものだった。

「やあ」

 にっこりと笑ってもう一度そう言った彼女の顔形は、確かにさっき見た彼女だ。

 だけど、今目の前に居る彼女は、大木の幹に埋まっていない。

 すらりとした肢体を惜しげもなく裸体で晒し、細い腕を腰に当てて立つ彼女の顔には、にい、と表現したくなるような笑みが浮かんでいる。

 白黒であることは変わりないけど、表情があるだけで急に人間味が増えて見えた。

 それに、声も随分はっきりと聞こえる。

 木から生えていた時に聞いたものと同じような、でも何処か違うような、そんな曖昧に感じるのは、その鮮明さによるものだろう。

「お帰り」

 何も言えずにいた私に、彼女は耳慣れない言葉を、ぽん、と放って寄越した。

「え……?」

 その言葉をこんなところで聞くことになるとも、彼女に言われることになるとも、想像もつかない言葉。

 『お帰り』。

 それは、帰って来るべき人を迎える、優しい言葉だ。

「おやおや、此処が何処だか判らないようだねえ?」

 くつくつと喉の奥で笑いながら、彼女は目を細めた。

 相変わらず白黒の目にはなんの色もないのに、さっきまでとはまるで違う、生きた人の気配を感じる。

 やっぱり表情っていうのは大事なんだな……って、そんなことをしみじみ感じてる場合じゃない。

「あ、貴方は……」

 随分久し振りに出したような気がする声は、自分でも驚くくらい掠れてた。

 喉が妙に乾いてる。

 意識して唾液をごくりと飲んでから、一度咳払いをしてみた。

「貴方は、私を知ってるんですか?」

 もう一度出した声は、さっきよりはマシだと思う。

 そんな私を、彼女は目を細めて見つめた。

「ああ、勿論。よく知っているよ」

 そう言って、さも楽しそうな笑みを浮かべる彼女に、何と言えばいいのか判らない。

 彼女は、私でさえ知らない『私』のことを、よく知っていると言った。

 まさか、この世界に来る前のことも知ってるのか?

 いや、でも彼女は大樹の化身だ。

 そうであえば、『稀人をよく知っている』っていう意味かもしれない。

 ああ、でも。

 この際、どっちでもいいか。

「あ、あの、なら、教えて貰えませんか?」

 失くした私の記憶を知っているのでも。

 稀人を良く知っているのでも。

 どちらでもいい。

 私には、そのどちらもないから。

「私が何ものであるのか、教えて貰えませんか?」

 重ねた言葉に、彼女は小さく首を傾げた。

「そんなものが必要かい?」

 悪意も他意もない、ただただ本当に不思議に思っているであろう表情と口調で、彼女はそんなことを言った。

 いやいやいや、必要だろ?

 自分が何処の誰で何をして生きてきたかとか、望まれてる役目の詳細とか、普通は必要だろ?

 だって私、『大樹の核に触れてこい』とは言われたけど、『なんでそれだけでいいのか』とか、『なんで稀人にそんな力があるのか』とか、全然知らないんだよ?

 この世界の誰も稀人の詳細なんて知らなくて、でも石板がそう告げたんだって妄信してるけど、生憎と私には彼らと同じ感覚がない。

 『黎明の石板様が仰ったんですか、じゃあそういうことなんですね』とか言えるほどの何も、私は知らないんだ。

 そんな状態でこの世界に居て、私が本当に居場所を見付けられると思うか?

 ……いや、そんなことは目の前の彼女にとっては知ったことじゃないだろうし、そもそも此処で『お帰り』という言葉を発したってことは、そんなことどうでもいいと思ってるのかもしれない。

 だけどさ。

 でもさ。

 私……やっぱり、ちゃんとした居場所が欲しいよ。

 此処に居てもいいんだっていう、揺らがない自信が欲しいよ。

 強くなるんだと決めたけど、きっとどれだけ強くなったところで、此処が『異世界』であるのなら、私の根は何処にも根付かない。

 此処が異界であるのなら、私は異物だ。

「私は……!」

 知らず、大きな声が出た。

 何を言いたいのか、頭の中がぐちゃぐちゃで、巧く整理ができない。

「私は! こんな場所が『帰る所』だなんて知らない!!」

 異物がこの世界で胸を張って生きる為に……優しいみんなと同じ場所に立つ為に、『自分が何ものであるのか』という自覚は必要不可欠だろう?

 そう、私はあそこに居たい。

 黒い背景に白い文字だか数字だかが浮かんで消えていくだけのこんな場所じゃなくて、陽の当たる優しくて穏やかなあの場所に帰りたい。

 こんな冷たい場所で、『お帰り』なんて迎えられるのが相応しい存在が本当の私だと言うのなら。

 その根拠を。

 あの優しい人たちを。

 あの温かい手を。

 振り払ってでもこの場に戻るべき業を、私に教えて欲しい。

「私は! こんな場所に!! 『ただいま』なんて言いたくない!!!」

 帰りたい。

 帰りたいんだ、私は。

 『稀人なんだから強く成ろう』とか、『一人でも先に進まなきゃ』だとか、そんなのは無理矢理捻り出した言い訳だ。

 あの優しくて温かい場所に居てもいいんだって、自分を納得させる為の言い訳だ。

 私は。

 私は、ただ。

 ただ、あの人たちと居たい。

 『稀人』であるからこその場所であるのなら、『稀人』で在ろうと思うくらい、あの場所は甘美だ。

 ああ、いや、違う。

 一つだけ、違うことがある。

 私が『稀人』でなかったとしても、態度を変えるつもりはないって言ってくれた人が居た。

 私は。

 そこに、帰りたい……!



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