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創り人の箱庭  作者: サボ
第二章
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2-9『火花、その散り始め』

第二章

第九話

『火花、その散り始め』



 巨大なムカデ……ファービリアさん曰く、カイゼルとかいうどっかの人名みたいなそれは、外見上は確かにムカデだった。

 だけど、スケールが私の知ってるムカデと全然違う。

 胴体の太さは人の比じゃなくて、樹齢何百年と言われる巨木を思わせるサイズだ。

 全長は今の状態じゃ全然判らないけど、崖の底から鎌首をもたげてるこの状況でも、頭は遥かに見上げるところにある。

 ガチガチと鳴る顎は成人男性を数人余裕で捉えられそうだし、無数にひしめく足の一本を取っても私一人より余裕で大きいと思う。

 ギチ、ギチギチギチ、と音をたてる足や節々が、正直言って物凄く気持ち悪い。

 いや、虫だって動物だって魔物だって、一生懸命生きてるってことくらい、理屈では判ってるよ?

 判ってるけど、生理的に気持ち悪いと思うこの感情が悪だとはとても言えない。

 それが好きだと言う人を否定するつもりはないけど、ごめんなさい、私は無理ですって言う。

「判らぬなあ」

 そんないかついムカデを目の前にしてるっていうのに、ファービリアさんは何処かのんびりと聞こえる口調で続けた。

「実に判らぬ。アレを呼び寄せる為に血が必要なら、何故なにゆえ生贄の血を使わぬ?」

 ちらりと村長である老爺を見るファービリアさんの目には、相手を問い質そうとするような強い力が宿っているようには見えなかった。

 目の前にやたらとでかいムカデが居ることを考えなければ、穏やかに、相手からの言葉を待ってるようにも見えただろう。

 だけど今、この時は。

 私たちにとっては、前も後ろも敵でしかないこの状況でのその目は。

 どう表現すべきなのか、私には判らない。

「呼び寄せる為の血は己がものを。それがせめてもの贖罪であるとでも思うたか」

 村長や蟲人たちの返答を待たずに、ファービリアさんは言葉を重ねる。

「守護蟲を呼ぶまでは無傷とすることが、せめて共に血を流すことが贖いになるとでも、そう思うたか?」

 ああ、そうか。

 さっき、あの男の人が撒いたのは、蟲人たちの血か。

 彼が走って行ったときに感じた鉄錆の匂いは、撒き散らした血の匂いだったんだ。

「……こうする以外に、どのような道がある……!?」

 絞り出すように、老爺の声が響く。

 それは鋭いけど決して大きな声じゃないのに、何故かこの昼と夜の狭間に酷く響き渡った。

「力もない! 見目もない! 土地もない!!」

 乾いた声で叫びながら、村長はずっと被っていたフードを勢いよく外す。

 その下から現れたのは、右の半分以上がごつごつと節くれた甲皮こうひのようなもので覆われた、人とは思えない顔だった。

 禿げあがった頭まで、顔の半分が完全に昆虫の皮膚のようで、しかもそれは幾つもにひび割れしたかのようだった。

 そうして変形している右にある目は、白目も黒目も瞳孔さえもなくて、ただ薄闇にどす黒い赤の光を宿しているだけ。

 人と同じ皮膚の左半分の顔は、年齢からくるのであろう皴で覆われていて、確かに彼の言う『見目もない』という言葉に頷きたくなるものだった。

 世の中には、こういう見た目を好む人も居るのかもしれない。

 だけど、圧倒的多数の人たちは、嫌悪感か驚愕か……どちらにしても、友好的な感情を抱くのは難しいと思う外見だった。

 かくいう私も、ただただ驚くばかりで、即座に飲み込むことができない。

 姿全体が人とは違う獣人族と何が違うと訊かれれば、それに返す言葉は見当たらないけど、とにかく何かが違うとしか言えなかった。

「そんな我らに! 他にどのような生き方があったと言うか!! 誰が好き好んで他者の血を流したいと思うか!!」

 喉がすり潰れているかのような、血の滲んだような叫び声だった。

 力のあるものが生まれることがほとんどなくて。

 それなのに見た目は普通の人とは程遠い形で生まれて。

 例え他の種族と愛し合うことが出来たとしても、命を繋ぎ栄えることはできなくて。

 世界の広さと比べればとても狭い、とても小さな場所にしか安息の地を見出せないものが。

 他を食い物にする以外に、どんな生き方ができただろう。

 それでも他の種族の血だけを無為に流すことを厭うた彼らに、どんな非があったというのか。

「誤るな。余が申しておるのは、誰の血を以て惨劇を起こすかではないわ」

 にい、と整った形の唇を笑みにして、ファービリアさんは言う。

 何が言いたいんだ、と思った私の視界が、急に変わった。

「っ……!?」

 轟音をたて、巨大ムカデが私たちの居た場所を抉る。

 それを見てから、自分がリクに庇われて跳んでいたんだと気付いた。

 全然避けるつもりのない人を、いとも簡単に抱えて跳ぶって、地味に凄い技術だと思う。

「自分より前には、決して出ないように」

「う、うん……」

 すぐさま体勢を立て直して、リクは私を背に庇う。

 私はといえば、その言葉にただ頷くしかできなかった。

 視線は大ムカデのほうに向けてるんだけど、もうもうと立ち上る砂煙のせいで、ほとんど何も見えない。

 ここに辿り着くまでだって魔素堕ちに襲われたわけだけど、この肌に感じる危機感はそれの比じゃなかった。

 背筋を駆け抜けていくおぞ気が、全身に広がって震えに変わる。

「アディ」

 低くて静かな声で呼ばれて、私はリクを見上げた。

 でも彼は正面を向いていて、私のほうを見ていない。

「大丈夫だ。君は自分が必ず護る」

 真っすぐな視線を向けられたわけじゃない。

 笑みの一つも向けられたわけでもない。

 だけど、リクの真摯な声は、私を安心させてくれるのに充分だった。

「うん……信じてるよ」

 彼は『英雄』の『祝福』を持つ、陛下の近衛騎士だ。

 その実力は折り紙付きで、今は全力で私を護ることが彼の役目。

 ファービリアさんの言葉を信じるなら……いや、違うな。

 彼女の言葉がなくても、私はリクが必ず護ってくれると信じられた。

 ファービリアさんが教えてくれたのは、『どうしてリクが与えられた命を全うすることに存在意義そのものを懸けるか』っていう理由だけだ。

 それを知る前から、私は彼を信頼していた。

「信じて任せてくれ」

 ただの一度も私を見ようとしない眼差しが、あの砂煙の向こうの敵を見据えていることくらい、私にも判る。

 ほんの少しでもこっちを見て、小さくでも笑みを浮かべてくれれば、護られる側はもっと安心できるのかもしれない。

 でも、敵から目を離すのは、自分で隙を作るっていうこと。

 リクはきっと、護衛対象を安心させることよりも隙を作らないことを選んだんじゃない。

 隙を作らずに、可能な限り護衛対象を安心させようとしてくれてるんだと……できることの両方を取ったんだと思う。

 そう思ったら、震えがぴたりと止まった。

 大丈夫。

 何があっても、彼が護ってくれる。

 ああ、でも。

 どうか、誰も傷付きませんように。

 私を背に庇ってくれるリクも、砂埃の向こう側できっとファービリアさんの前に立ってるであろうクレアさんも。

 誰の傷も、私は見たくない。

「クレア、リク」

 静かなファービリアさんの声が、砂煙の向こう側から聞こえた。

「抗え。其れは同意もなく贄とされた者に許された、当然の権利である」

 砂煙が薄くなってきた視界の先に、いつも通り、胸を張ったファービリアさんの姿が見える。

 そう言われて、はたと気付いた。

 今、私たちを襲ってるこの大ムカデは、蟲人たちが守護蟲と呼んで大切にしてきた、『この村を護るもの』だ。

 それを倒したら。

 倒してしまったら。

 蟲人たちは、何を拠り所にして生きていくというのか。

 気付いてしまったけど。

 だけど。

 でも。

 抗えと、彼の人が言うのなら。

 この小さな蟲人たちの村とは比べ物にならない、膨大な領地とそこに住む民、全てを背負ってそれでも胸を張る彼女が、そうすることが正しいと断言するのなら。

 きっと、その決断は正しい。

「御意」

「はい」

 蟲人のなんたるかを知らない、クレアさんとリクの声が、耳の奥に木霊する。

 そして自分の奥底にある意識も、それを是とした。

 この場の誰よりも全てを知るファービリアさんが、抗うことこそ正しいと言うのなら。

 例えこの場所が、大樹の作り出した偽りの異界であろうとも、守護蟲を失った彼ら蟲人がどうなるかなんて考えるのは、私たちの役目じゃないんだ。

 もし私たちの中に、それを考える役目を持つ人が居るのだとしたら。

 それは、ファービリアさんなんだろう。

 民に養われる貴族たちが、その代わりに持つ義務も権利も知り尽くした彼女以外に、きっと誰もその責を背負えない。

「行け!」

 怖気づくのに似た私の感情を、ファービリアさんの声が切り裂く。

 反応できない私を置き去りにして、リクとクレアさんが動いた。

「っ!」

 短い呼吸音が聞こえたと思ったら、目の前にあったはずのリクの姿がもうない。

 あっという間もなく、彼は大ムカデに斬り掛かっていた。

 自分の身長よりも大きな大剣を、彼は軽々と片手で薙ぎ払う。

 ガズン! と派手な音を立てて、大剣は大ムカデの表皮に弾かれた。

 続けて同じ場所に斬り付けたクレアさんの剣も、同じように弾かれる。

「守護蟲様に、刃は届かぬよ」

 しわがれ声が、風に乗って届いた。

 それでも、その声にはリクやクレアさんを止めるだけの力はない。

「せっ!」

「はっ!!」

 鋭い声と共に、銀色が閃く。

 まだ立ち上ってる砂煙の中で、彼らの剣が宿す輝きは、目に痛いくらいだ。

 だけど、その刃も大ムカデを傷付けるには至らない。

 ズズ、と重い音をたてて、大ムカデが鎌首をもたげた。

 今でもまだ崖の下に身体の大半を置いてるであろう大ムカデがそうしてしまうと、その顔は私たちの遥か頭上にいってしまう。

 どんな相手であれ、首は急所の一つ。

 敵を倒そうとするときに狙う一つが、随分遠い。

 それでも、リクやクレアさんは無の表情を変えなかった。

 手を貸せるだけの力を持ってるはずのファービリアさんは、細い腰に手を当てたまま動こうとしない。

 刃の通るように見えない固く巨大な大ムカデを相手に、それでも剣で……いや、この二人であれば剣だけで充分だとでも言っているようだった。

 ファービリアさんが作り出してくれた精霊魔法の明かりの中で、乾いた砂煙と硬質な大ムカデが圧倒的な存在感を主張する。

 その前に立つ二人の人影は、それらと比べればなんてちっぽけなんだろうと、そう感じた。

 だけど。

 でも。

 鍛え上げられた逞しい背中と、女性らしい細い背中を、頼りないとは感じなかった。



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