2-8『贄とか言われても』
第二章
第八話
『贄とか言われても』
楽しそうに笑っていたファービリアさんが、不意に声を途切れさせて、ちらりと視線を斜め上に向けた。
なんだろう? と思って見てれば、口元に笑みを浮かべてただ頷くだけだ。
えっと……ひょっとして、精霊と交流なさってる?
「人が来るようじゃ」
どうやら私の予測は当たってたらしく、ファービリアさんはそう言って木箱から立ち上がった。
自分で人の気配を察したなら、『来るようじゃ』なんて言い方はしないだろう。
「そなたが身籠っておると言うておいた故、まず間違いなく贄の祭壇にでも連れて行こうというお誘いじゃろうな」
物凄く楽しそうに、物凄く楽しくなさそうなことを言ってくれる……え?
「あ、あの、私が妊娠してるとか言ってたのも、生贄とかに関係あるんですか?」
そういえばなんでそんな嘘を? と思うようなことがあったんだった。
状況が急展開過ぎて訊くのを忘れてたけど、私が妊娠してるとかいう嘘、必要だったのか全然判らない。
「子を孕むことができる女というものも、何よりも先を望める子も、贄としての価値が高いものよ。子を孕んだ母となれば、その両方を兼ねておる」
『次代を産むことができるものが女』であるという定義が先だったのか、それとも後だったのかは判らない。
でも、あらゆる種族で『女』だとか『雌』だとかと定義されたものは、須らく子を産む機能を身体に備えている。
先天性、又は後天性の要因でそれが機能不全であることはあったとしても、決して男や雄にそれが備わることはない。
自分ではない存在を胎内で育むその神秘は……そしてそこから生まれた未来ある子は、確かに滋養の塊だろう。
ましてや子を腹に宿した母となれば、神秘そのものだと私も思う。
自分とは別の意識を持ったものを腹の中で普通に育てられる事実を、神秘と呼ぶ以外に言葉が見当たらない。
つまりファービリアさんは、『外から入ってきた別の種族』という条件に加えて、『滋養のある生贄である』という条件をちらつかせたんだ。
それはきっと、『より間違いなく生贄として選定される為』だろう。
私たちが同じ蟲人でない以上、まず間違いなく守護蟲の餌として扱われるであろうところに、更に保険を掛けたってところだろうか。
この村に入る前に、リクやクレアさんに『これから全力の戦闘に入っても問題ないか』って訊いたあの時から、彼女の頭の中じゃ台本が整ってたんだろう。
「案ずるな、余が付いておる」
細い腰に手を当てて、自信満々に言い切るファービリアさんから、圧倒的な安心感が溢れ出てる気がした。
「はい……」
他にどんな言葉も出せなくて、ただ頷く。
「己が稀人であると気負う必要も、非力であると嘆く必要もない。余はそなたを気に入っておる。そして余にはそなたを護るだけの力がある。故に護る。ただそれだけよ」
う、うわあ……凄い男前……!!
男でも女でも、この姿に見惚れない人なんて居るんだろうか?
両方の性を持ってる私がそう思うんだから、きっとみんな見惚れるよ。
「あ、ありがとう、御座います」
なんて返せばいいのか判らなくて、間の抜けた返事しかできない。
自分で出した答えながら、これはないだろうと頭を抱えたくなる。
そんな思いが表情に出てたんだろう、ファービリアさんは実に楽しそうに、ころころと笑った。
「そなたは実によい反応をする」
笑いながらそう言って貰えてるってことは、まあ、少なくともさっきの反応で間違ってるわけじゃないらしい。
よく判んないけど。
きっと、高貴な人にしか判らない分野の話なんだろう。
きっとそうだ。
そんなよく判らないことを自分に言い聞かせるみたいに心の中で呟いてたら、私の耳にも足音が届いた。
これは間の抜けた会話をしてる場合じゃない、と思いながら身体をドアのほうに向けたら、ファービリアさんが私の前に割って入ってくれる。
細い背中を見ながら、なんとなく、リクの大きな背中を思い出した。
大きさは全然違うのに、何があっても護ろうとしてくれてる気持ちは同じくらい感じる。
本当は、リクはともかく、ファービリアさんにそんなことを思わせちゃいけないような気もするけど。
それでも、これが『稀人』なんだと、自分に言い聞かせる。
稀人にしか、この世界を救うことができないんだから。
*
倉庫に私たちを迎えに来たのは、そこに連れてきてくれた女性だけじゃなかった。
村長だと思われる老人と、リクたちを連れて行った男性の他、十人くらいの村人が連れ立ってやって来た。
といっても、みんな同じような外套で、同じようにフードを目深く被ってるもんだから、喋ってくれるまで私には全然判らなかったけど。
そして彼らは、リクとクレアさんも連れて来た。
二人は私たちが無事な姿を見て、あからさまにほっとした顔をしたけど、お互いに声を掛ける暇もなく倉庫から連れ出されることになった。
というか、多分ファービリアさんがその気になれば、幾らでも仲間との会話くらいできただろう。
あの人以上に『場』を支配できる人は、ここに居ない。
でも、ファービリアさんはそうしなかった。
『ここから出て貰おう』と言った村長の言葉に、ただ『うむ』と頷いて従う彼女を見て、村人たちが微かに騒めいたのが妙に印象的だ。
そりゃまあ、普通は『自分たちがこれからどうなるのか』って訊きそうなもんだよなあ。
私はファービリアさんにこの村のことを聞いてたから、先の展開にも想像がつくけど、休ませて貰ってるはずなのにこれだけ大勢の人が迎えに来るとか、何も知らなかったら意味不明だもんねえ。
そんなこんなでぞろぞろ連れて来られた先は、村の外れ……だと思う。
砂漠と村の境目が随分と曖昧だから、ひょっとしたらもう村から出てるのかもしれない。
少なくとも、辺りに建物は影も見えなかった。
ただ、砂漠にこういう場所があるのが不思議なんだけど、崖の上みたいになってるような気がする。
陽が沈みかけてるのか、辺りが薄暗くなってて、よく見えないなあ。
……陽が、沈みかけてる?
その違和感に気付いたのは、情けないことに目的地に着いてからだった。
だって日が傾くのも沈むのも、そしてまた昇ってくるのも、ごく自然で当たり前のことだ。
だから、忘れていた。
この閉じられた世界では、陽が沈むことはないんだって。
きょときょとと辺りを見回してみても、ただ薄暗い景色が広がってるだけで、どうしてそうなったかは判らない。
「成る程。守護蟲に餌を与えるのは日暮れの時間と決まっておるのじゃな」
まるで私が疑問に思ったタイミングを見計らってたかのように、ファービリアさんがそう言った。
周りの村人たちが騒めく。
何を喋ってるのかは聞こえないけど、酷く戸惑ってる空気は伝わってきた。
なんとも居心地の悪い雰囲気の中、ファービリアさんは変わらず自信たっぷりに微笑んだままだ。
リクとクレアさんも、変わらず無表情のまま。
戸惑ってるのは私だけで、それもまた居心地の悪さに拍車をかける。
「……全て知っておって、その態度か?」
老人の嗄れ声が、低くファービリアさんに問い掛けた。
いや、問い掛けっていうか、凄みを効かせた脅しみたいな響きだ。
「左様」
それでも、答えるファービリアさんはいつも通り。
細い腰に手を当てて、堂々と、薄く笑みを浮かべた余裕気な顔で老人を見てる。
この老人だって蟲人を束ねるリーダーなんだろうけど、正直に言って、器の差が大き過ぎた。
村長がどれだけ脅しをかけようと、きっとファービリアさんは欠片ほども動じない。
「そなたら、蟲人であろう? 蟲人の村に迷い込んだ余所者がどういう末路を辿るか、余は充分に知っておる」
蟲人という言葉を聞いたリクとクレアさんは、ちらりとファービリアさんを見た。
きっと二人とも聞いたことがない種族なんだろう、それでもファービリアさんから説明がなさそうだと見るや、すぐに何事もなかったかのように正面に視線を戻す。
そんな視線の遣り取りは、瞬きの間に起こって終わった。
「そうすることで民を護ることができると、そなたは思うたのであろう? そうするべきであると決めたのであろう? ならば致せ。餌が何を知っておっても、躊躇う必要はなかろうに」
蟲人たちが、今までどれだけの生贄を守護蟲に与えてきたかは判らない。
だけど、きっと過去には居なかっただろう。
自分がこれからどうなるか判っていて、こんなに偉そうにしてる人なんて。
「……」
老人は、何かに耐えるように、身体を固くした。
ぶかぶかのローブ越しでも判るくらい、小さく震えたのは、きっとそういうことだと思う。
そして、溜め息のように、深呼吸のように細く息を吐き出してから、後ろに居る人に軽く振り返った。
後ろに控えてた人が小さく頷いて、するすると進み出る。
近付いてきたその人を牽制するように、剣に手をかけた二人の護衛を、ファービリアさんは軽く手を上げるだけで止めた。
リクもクレアさんも大人しくその指示に従って、剣から手を離す。
そんな私たちの横を、進み出たその人が通り過ぎていく。
「……済まない……」
通り過ぎざま、その人が小さな小さな声で、そう言った。
聞いたことがあるその声は、多分、リクたちを連れて行った男の人のものだ。
私は反射的に大きく振り返ってしまったけど、他の三人はちらりと視線を向けるだけ。
そんな私たちの視線の先で、崖の先端くらいまで進んだ彼は、ローブの下から何かを取り出してるようだ。
そして、手に持ったそれを、崖の向こうに向けて大きく振った。
彼が取り出したのは水筒みたいなものだったらしく、黒い液体が宙を舞う。
薄暗くなってる状態だから真っ黒に見えたんだけど、あれ、なんだろう?
「……!」
彼が振りまいた液体が崖の下に落ちていくのを、ただぼんやりと見つめていたら、リクが息を飲む音が聞こえてきた。
それを認識したのが先だったか後だったか、目の前が大きな背中で塞がれる。
リクが私を庇うように前に出てくれたんだと気付きはしたんだけど、なんで急にそんなことになるのかが判らなかった。
そりゃ、これから守護蟲とかいうものの餌になろうとしてるんだってことは聞いてるけど、こうしてる今も実際に危険が目の前にないせいで、どうにも実感が湧かない。
でも、よく見ればリクはあの大剣を抜いてるし、視線をずらせばクレアさんがファービリアさんの盾になる位置で剣の柄に手を掛けてた。
戸惑ってる私の横を、さっき崖の下に何かを振りまいたあの男の人が、大急ぎで駆け戻って行いく。
通り過ぎざまに巻き起こる小さな風の流れに、鉄錆みたいな匂いが混じっていた。
これは……血の匂い……?
アアアァアアアアァアアア!!
「!?」
唐突に、耳をつんざく悲鳴のような音が響き渡る。
この場の誰のものでもない……人の出す声とは思えないそれは、崖の向こうから聞こえてきた。
キィアアアアァアアァアアア!!
耳障りな甲高い音が更に響いて、崖の向こうから黒い影が現れた。
「な、に……?」
それは明らか異形。
それは明らかな異物。
それは明らかな敵意を持った、人とは違う何か。
私の掠れた声は、異形の放つ悲鳴のような鳴き声が掻き消した。
そして、固いもの同士が妙に滑らかにこすれ合う、ギチギチという異音も聞こえる。
「ほう、カイゼルか? これはまた、育ったものよ」
耳障りな音がひび響き渡るこの場を浄化するかのような、柔らかなファービリアさんの声。
いつも通り、笑みを含んだ、自信に満ちた声だ。
その声を聞くだけで、何故かほっとする。
「成る程、守護蟲と呼ぶに相応しい圧巻ではあろうな」
囁くように、謡うようにそう言ったファービリアさんは、静かに右手を持ち上げた。
その動きはまるで舞いのように柔らかくて静かで、ただ手を持ち上げて軽く振っただけなのに見惚れてしまいそうになる。
そうして宙を舞った細い指先から、淡い光が幾つも生まれて周りに散っていった。
散ったそれらは自ら輝く光球になり、幾つも、幾つも、辺りに漂う。
即席の外灯みたいになった光球に照らされて、崖の向こうに現れた異形の姿がくっきりと私の目に映るようになった。
それは、巨大な……途方もなく巨大な、ムカデだった。
全身を深い紫色に染めた、有り得ないほどの巨体を晒しているけど、その形は間違いなく、ムカデのそれだった。
続




