1-11『この朝を日常と呼べる』
第一章
第十一話
『この朝を日常と呼べる』
瞼の向こうに、うっすらと光を感じる……ような気がする。
ああ、起きたんだなって、他人事みたいに思いながら、もぞもぞと動いた。
半覚醒状態の、ぼんやり、ふんわりした心地良さに身を委ねて、静かに息を吐く。
つい最近、今と同じような感覚に包まれてたような、随分違うような。
ほわほわ、ゆらゆらした感覚を漂う私に、ドアをノックする音と、そのドアが開く音が聞こえてきた。
それでもこの柔らかな時間を終わらせるのが惜しくて、眠りこけてるフリを続ける。
チリーンと、高いベルの音が聞こえた。
「ご起床の時間で御座います」
それに続いて、老齢の少し乾いた声が聞こえる。
ああ、この声はルーディアさんだ。
続いてもう一度ベルの音が聞こえて、私は漸く、目を開けることにした。
「……おはよう、御座います……」
寝乱れた髪を掻き上げながら、上半身を持ち上げる。
何度か瞬きを繰り返してはっきりした視界に、いつも通り綺麗に白髪を結い上げて、しゃっきりと背筋を伸ばして立つルーディアさんの姿が映った。
「おはよう御座います、アデリシア様。今日もよいお目覚めで御座いますね」
淡々とした口調は、なんだか教育係の先生みたいな印象を受ける。
実際、私の知ってる世界とは違うここでの礼儀作法も教えてくれてるし、その教え方が随分手慣れてるから、そういうお仕事もしてきたんだろう。
「はは、お陰様で」
自分でもよく判らない返事をしながら、ベッドから足を降ろした。
素足が床に付く丁度いい場所に、すぐ足を入れられる形でスリッパが用意されてる。
私が昨日自分で脱いだのとは場所も違うし、スリッパそのものも違うから、ルーディアさんが用意してくれたんだろう。
というか、ルーディアさんの労働時間って、どうなってるんだ?
「まずはお着替えで御座います」
「あ、はい」
余計なことを考えてるうちに、ルーディアさんがさくさく先を進めてくれる。
言われるがままに、寝室の隣にある着替え部屋に足を向けた。
この世界に来て三度目の朝、流石にそろそろ慣れてきたような、いつまで経っても慣れないような、不思議な感覚だ。
いやだってさ、今日着る服を誰かに用意して貰うっていうのも、着替え専用の部屋があるっていうのも、自分の常識じゃ考えられない。
私が元々居た世界でも、ひょっとしたら何処かではこういうことが常識だったかもしれないけど、少なくとも体験はしてないんじゃないかな。
「本日はこちらにお着替えを」
余計なことを考えてた私に、ルーディアさんが一着の服を差し出してくれた。
昨日着てたやつよりもっと露出を抑えた、魔女とか魔術師とかが着てるゆったりしたローブみたいな雰囲気の服だ。
極力人に触れる危険性を減らす為に、出来るだけ露出を少なくするって話が、ここにもちゃんと届いてるらしい。
まあ、ここに届いてなかったら問題があるか。
用意された服に着替えて、ヒイラギさんに貰った手袋を着ける。
うん、これで付いてるフードを被れば、ほぼ完璧に露出がなくなるな。
これで、意図せず『祝福』や『呪い』を消してしまうことはほとんどなくなるだろう。
『祝福』や『呪い』の力そのもので生き続けてる人もいる、と聞いてしまった以上、できれば私の力は使わずにおきたい。
そりゃ、その力を頼りに生きてる人にすれば私の存在は迷惑千万だろうけど、意図せず触れた相手がいきなり死ぬとか、私だって普通にトラウマものだっての。
お互いの為に、私はできるだけ力を使わずにいたほうがいい。
多少暑苦しい格好になるのは仕方ないってことで。
「朝食の準備が整って御座います」
「ありがとう御座います」
着替え終わった絶妙のタイミングで、ルーディアさんからそう声が掛かる。
なんにつけてもタイミングが絶妙過ぎるんだよなあ。
こういうのも女官の力量の一つだっていうなら、ルーディアさんは相当上のレベルだと思う。
人に仕えられた記憶なんてなくても、これだけノンストレスな時間を過ごさせてもらえば誰だってそう感じるってものだ。
用意された朝食を美味しく頂いて、リビングのほうに入れば、そこにはリクたち三人が待っていた。
「おはよう?」
反射的に挨拶をしながら、言葉尻が上がってしまうのを止められない。
だって昨日、『明日からは護衛は一人ずつだよ』って言ってなかったっけ?
「ああ、おはよう」
「おはよーさん」
「おっはよ~!」
リク、カリス、ヒールが、それぞれ笑顔で応えてくれる。
「今日はリクが護衛担当なんだけどね、これから陛下に呼ばれてるから、全員集合してるのよ」
「大事な話だからな、俺らも揃わねえといけねえんだよ」
成る程、公式な場には全員集合ってことね。
「忙しなくて済まないが、お前の進退に関わることだ」
「え? ああ、大丈夫。予定なんて何もないし」
僅かに表情を曇らせたリクに、私はひらひらと手を振った。
心配してくれるのは嬉しいけど、今の私にはなんの予定もないっていうのは紛れもない真実。
要するに、暇なんだよ。
「それに、『私の進退に関わること』なんでしょ? それはちゃんと聞かないと」
私が何故ここに喚ばれたかは聞いたけど、じゃあ具体的に何をすればいいのかは聞いてない。
きっとその話をしてくれるんだろうから、ちゃんと聞かないとね。
「そうか」
少しだけほっとしたような、だけど少しだけ困ったような、複雑な顔をするリクが、なんだか不思議だった。
見上げたまま小さく首を傾げると、リクは緩く首を振る。
「いや、済まない。いい度胸をしているな、と思っただけだ」
「……誉めてる?」
「ああ」
ふ、と口元を緩めたリクの言葉の真意が判らなくて、逆側に首を傾げれば、笑顔のまま頷かれた。
……誉めてくれてる、らしい。
「リク、『いい度胸』とかそれ、女の子に誉め言葉として使うものじゃないからね?」
「お前ほんっと、骨の髄から武人っつか、強けりゃ正義だよな……」
ヒールとカリスは私の戸惑いがなんとなく判ったらしい、ちょっと呆れた顔をしてる。
「男だろうが女だろうが、度胸がいいのは美徳だと思うが?」
「うっわこいつ、真顔で言い切ったぞ?」
「ヒールもいい度胸をしていると思うが」
「そりゃそうだろうし私はちょっと嬉しいけど、でもそれ普通の女の子は誉められてるとは思えないからね?」
「そうなのか?」
三人の遣り取りはなんだかコミカルで、それ以上に仲の良さそうな雰囲気が微笑ましい。
ふふ、と笑みを浮かべた直後。
「そりゃお前はいい度胸とか、男前とか、いい鉄拳持ってやがるとか、そういうのが誉め言葉になるだろうけどよ」
「うるっさいわね! その鉄拳何度も食らってんのあんたじゃないの!」
「何度も食らってっから判るんだよ!!」
ああ、また始まった。
仲良く喧嘩しなって、記憶にはないけどなんか知ってる言葉が浮かぶアレが。
この二人って、ほんとに仲いいな。
「済まない」
「へ?」
にこにこしながら二人を見守ってたら、不意にリクが謝ってきた。
「お前を貶そうとしたわけでは、本当にないんだ」
「は? ああ、大丈夫だよ。気にしてないし、貶されたなんて思ってないから」
この人、本当に真面目だなあ。
つくづくそう思いながら、リクを見上げる。
「それに私、女の子ってわけでもないし」
はは、と小さく笑って肩を竦めたら、リクは物凄く複雑な顔をした。
いやだって、私の身体って男でも女でもないわけで。
身体がどっちつかずってことは、心もどっちつかず……なんだよな、きっと。
改めて考えると、私ってほんと、怪しいなあ。
「……アディは、どちらがいいんだ?」
「へ?」
思ってもみなかった問いを投げ掛けられて、私は目を瞬かせた。
やんやん言い合ってるカリスとヒールの声が、遠くに聞こえる。
「どっちって……」
男と女、どっちがいい? と訊かれて、即答できる人ってどのくらいいるんだろう?
身体がどっちかに決まっていれば、答えに窮することもなかったのかもしれない。
身体と心、性別が乖離した人にしても、身体への違和感から心の性別を強く意識したかもしれない。
だけど私の身体は両性で、そこからしてどっちつかず。
「よく……判らない……」
思ったままの言葉が、つい、口をついて出た。
「ああ、済まない。責めているつもりはないんだ」
ふと温かい手が頬に触れる直前で止まって、自分が知らず、俯いていたことに気付く。
「力を持つ者、特に騎士ともなれば、性別など些末な話。そういったことを気にしているわけではないんだ」
……優しい声で言ってくれるのはいいんだけど、なんかちょっと、ずれてるような?
なんて答えていいか判らない私の頬に、触れるか触れないかのところで止まった手の温度が、じんわりと染みてくる。
できるだけ人に触れないようにするってのを、リクも守ってくれてるらしい。
「ただ至極単純に、どちらで扱われるのがしっくりくるか……と訊きたかったんだが、これも駄目だな」
ふ、と微笑んで、そっと手を離した。
ほんの少し動けば触れそうだと思っていた熱が、あっけなく遠ざかる。
「済まない、今は、忘れてくれ」
眉尻の下がる、なんだか情けなくも感じる笑みを浮かべたリクが、今までで一番人間っぽい気がした。
いや、今までこの人を人間と思ってなかったわけじゃないんだけど……ううん、なんて表現したらいいんだろう?
「あ……うん」
ぼんやりした疑問に答えを出せないまま、私の口はただ肯定の言葉を吐き出した。
ふと、やんやん言い合ってるカリスとヒールの声が、耳に届く。
音量は、さっきから何も変わってない。
ただちょっとだけ……リクと話していた間だけ、その声が聞こえなくなってただけ。
「やれやれ、そろそろ止めるか」
「あ、うん。そうだね」
言葉通り、やれやれと肩を竦めたリクに促され、頷く。
仲良く楽しそうに言い合ってる……本人たちにそう言ったら怒るんだけど……二人を止めるのは、ちょっと忍びないな、と思うこともあるんだよね。
それでも、陛下との謁見に呼ばれてるんだし、このまま続けさせておくわけにもいかない。
「二人とも、友好を深める時間はそろそろ終わりにしないか?」
「「はあ!?」」
敢えて神経を逆撫でする言葉を選んだリクを、カリスとヒールは同じ言葉を発しながら鋭く睨み付ける。
こっちに振り返るタイミングまで、ばっちり同じなんだから、笑うに笑えない。
いや、笑いたいんだよ?
でもここで笑ったら、二人の怒りの矛先が私に向く。
二人との付き合いも、リクと比べれば圧倒的に短い私じゃあ、その怒りを巧く捌くこともできない。
笑っちゃいけない、と思うと、沸点が低くなるもので。
危うく噴き出しかけて、ぐるりと二人に背を向けた。
声も息も漏れないように、両手で口を塞ぐ。
肩が震えてしまわないように、腹の底に力を入れた。
「アディ! あんた何笑ってんの!?」
あ、ばれた。
勢いがあるヒールの叫びに、更に笑いが込み上げる。
ああ、やばい。
もっと笑ったりしたら、もっと怒られる。
判ってたけど、なんか、ほんと、沸点低くなっちゃってて。
どうしても、笑いを引っ込めることができなかった。
続




