1-5『南の公爵様』
第一章
第五話
『南の公爵様』
それにしても、いつまで打ち合ってんの、この二人?
「そろそろ止め時ですかね」
「ですねー」
ウェルバニーさんが呟いた言葉に、カリスが頷く。
「これ以上白熱したら、騒ぎになるかもですしねえ」
ヒールもうんうんと頷く通り、見るからに二人の打ち合いはより速く、より強くなってきていた。
戦いなんてもののド素人である私が見ても判るくらいに。
人間、何かに夢中になると周りが見えなくなるもんだし、集中力も上がるもんだと思うけど、それはこういうときも同じなんだろう。
「それでは、どちらが行きます?」
「お任せするっす」
ウェルバニーさんに問われたカリスは、間髪入れずに小さく両手を上げながら首を振った。
「他に人がいねえならやりますけど、ウェルバニーさんがいるなら全面的にお任せっすよ」
「ふふ、そうですか」
首を振るカリスに、ウェルバニーさんは小さく微笑む。
そして、打ち合ってる二人に向き直った。
緩く吹いた風が、金色の鬣をさらさらと揺らす。
綺麗だと、そう思った。
獅子の獣人……っていうか、獣人自体をほとんど見たことがない私だけど、彼らに嫌悪感は全くない。
赤銅の狼であるサンシュも、綺麗だとか、かっこいいだとか思うことはあっても、それ以外に感じることはない。
ただ純粋に、綺麗だ。
「っ!」
小さな息を吐いて、ウェルバニーさんが飛ぶ。
いや、もう、飛ぶとしか言いようがなかった。
さっきまで確かにそこにいたのに、瞬きのあとはもういない。
ちょっとしたところには隠れられないくらいの大柄なウェルバニーさんが、目の前から消えた。
その行く先は、激しく打ち合ってる二人の間。
「そこまでに御座います、お二人とも」
低い、低い、静かな声が、静寂に響き渡る。
ウェルバニーさんの右手はリクの大剣を、左手はサンシュの爪を止めていた。
「あぁ!? ……っと」
血走った目をウェルバニーさんに向けたサンシュだったけど、すぐに正気を取り戻し、静かに息を吐いた。
「……」
リクは深く息を吐いて、大剣を引く。
あの打ち合いの中に割って入って、その上二人を止めるなんて、よっぽどの実力がないと無理だと思う。
それを、ウェルバニーさんはやってのけた。
さっきの会話を考えれば、きっとカリスも出来るんだろう。
リクとサンシュの二人は特別だと思ったけど、ここはそういう特別が集まるところなんだろうか。
……そりゃそうか、ここはこの世界の中心なんだから。
「お見事」
ぱちぱちと拍手をするカリスに、ウェルバニーさんは小さく礼をする。
「いい運動になりました?」
「は! ちっとばかし物足りねえが、あんまりやるとうるせえのが来ちまう」
小首を傾げるヒールに、サンシュはにかっと笑った。
いやー、清々しい。
清々しい戦闘狂だ。
リクは無言のまま、背負った鞘に大剣を収めてる。
それにしても、リクの大剣って本当に大きいな。
背負った鞘の先は地面すれすれで、そこに収めた状態の柄の先がリクの頭とほとんど同じくらい。
自分の身長とほとんど変わらない大きさの剣を、あんなに軽々と扱って、サンシュの猛攻を捌いてたんだ。
私だったら、あの大剣を持ち上げることもできないだろうなあ。
「お疲れ様、リク」
「ああ」
近付いて声を掛ければ、低い声が静かに返ってくる。
あれだけ派手に動き回ってたのに、彼の傍には熱がない。
ただ静かで穏やかで、優しい温度がある。
この温度も、『英雄』が持つものなんだろうか。
……いや、違うな。
これはリクの温度だ。
彼が持つ、彼の温度だ。
何も知らない私だけど。
何も知らない私だから、そう思う。
*
散歩の途中で『軽い運動』を見学してから、私たちはまたのんびりと歩き出した。
頭上で囀る小鳥の声。
進む靴底に伝わってくる、柔らかい地面と草の感触。
肌を撫でる風。
全部、知ってる。
憶えてないけど、知ってる。
この妙な感覚を、どんな言葉にすれば伝わるんだろう。
まあ、伝える必要もあんまりないのかもしれないけど。
「あ」
ぼんやりと歩き続けてたら、ヒールの呟きが聞こえた。
反射でヒールを見て、その視線を追う。
私たちから少し離れたところに、小さな東屋があった。
そこに、二人の人影が見える。
その内の一人が私たちに気付いたらしく、ひらひらと手を振って、それからひょいひょいと手招いた。
あの人は、見覚えがある。
「行こ? 面白い話が聞けるかは判らないけど、のんびりはできるよ」
にっこり笑うヒールの表情からは、私のことを気遣ってくれてるのがよく判った。
「うん」
わけの判らない状況に置かれてる私に、自然な優しさをくれるヒールの言葉に、頷く以外の選択肢はない。
何も判らない、世界さえ違う場所でも、呼吸ができて踏みしめて歩ける場所がある。
今の自分でも常識と思えることがちゃんとここにあるのなら、あとは憶えていることを増やすだけ。
私にできることなんて、きっとそれくらいしかない。
それくらいのことを、積み重ねていくしかない。
そう思いながら東屋に足を向ければ、にこにこ笑顔で手招いてくれている人の傍で、従者っぽい少年が軽く礼をした。
にこにこ笑顔の人は、あの大樹の上で私を迎えてくれた、間延びした喋り方をする人だ。
「お散歩中かあい? いい天気だもんねえ」
ああやっぱり、独特な喋り方だなあ。
「ちょっとお喋りでもしていかないかあい?」
にこにこ、にこにこ。
人畜無害を絵に描いたような笑顔は、見てるとこっちも自然と笑みが浮かぶ。
「お邪魔します」
そう言って東屋に足を踏み入れれば、少年が一礼して脇に用意されてた小さなテーブルみたいなものに向かう。
私は勧められるまま、笑顔のお兄さんの向かいに座った。
リクたち三人は、そんな私の後ろに立つ。
……い、居心地悪い……。
陛下やヒイラギさんに会った時も、リクは陛下の後ろで立ったままだった。
多分、身分がどうこうって話なんだろうけど、とにかく居心地が悪い。
「あの、この三人も……できればそっちの彼も、座って貰うっていうのはまずいですか?」
私の発言に、後ろの三人がぎょっとしてる空気が判る。
目の前のお兄さんも、それから多分お茶を用意してくれてる少年も、驚いた顔を私に向けた。
「いいねえ、みんなで仲良くお喋りしようかあ」
他の誰が何を言うより先に、目の前のお兄さんがぽん、と手を打つ。
「ほらほら、三人とも座って。シューもねえ」
「はいはーい、わっかりましたよ~」
思ったよりも軽い口調で、少年が笑う。
後ろの三人は少し躊躇ったみたいだけど、お兄さんの言葉に逆らうことはなく、みんな座ってくれた。
いや、だってさあ。
これだけ人が居るのに、座ってるの私と目の前のお兄さんだけとか、居心地悪くない?
自分が根っからの貴族だったら、そんなこと普通なのかもしれないけど、私はそうじゃないし。
「改めて自己紹介するねえ。僕はクイニーク・ハモン。南の公爵領主で竜人族だよ~」
三人が座ったのを確認してから、お兄さんは優しく微笑んだ。
白くて長い髪に、赤い瞳。
アルビノを思わせる色素の薄さと、細い身体付き。
クイニークさんと名乗ったこの人は、陛下と同じ竜人族だってことだけど、雰囲気は随分違う。
ただ、瞳孔が縦長だってことは同じだった。
「そっちはシューレット・ラッセント。ラッセント男爵家の次男でねえ、僕の筆頭近衛なんだよ~」
にこにこ、にこにこ。
害の全くない笑顔に、こっちもただただ笑みを浮かべるしかない。
あー、この人と話してると、なんていうか、ほのぼの通り越してぼのんぼのんする。
「あ、私はアデリシアという名前を貰いました」
これが本当の名前じゃないことは、あの場に居た全員が知ってることだけど。
「うんうん、陛下に名前を貰ってたもんねえ」
前にも思ったけど、陛下に名前を貰うっていうのは、珍しいことじゃないのかな?
「じゃあ、アディと呼んでもいいかなあ?」
「ええ、勿論」
愛称で呼んでもいいかと訊かれて、私は反射的に頷いていた。
この人に愛称で呼ばれることに、不快感なんてない。
さて、どんな話をしようかな……と、あれ?
この匂い、紅茶じゃない。
シューレット君と紹介された彼が用意してくれてるものの香りは、この世界でよく用意される紅茶のそれじゃなかった。
紅茶とは違う、香ばしい香り。
その香りを、私はやっぱり知っている。
「コーヒーだ。苦みが強ければ、こっちの砂糖とミルクを加えて調整してくれ」
シューレット君は全員の前にコーヒーを出したあと、ちょっと躊躇う様子を見せてから、クイニークさんの隣に座った。
「うちの領地だとねえ、紅茶よりコーヒーのほうがよく飲まれているんだあ」
にこにこ笑いながら、クイニークさんはブラックのまま、コーヒーを飲む。
なんか、砂糖もミルクもたっぷり入れそうなイメージだけど、そんなことないんだなあ。
他の人はどうだろう、と思ってちらっと周りを見回してみたんだけど、誰もコーヒーに手を付けない。
みんなコーヒー駄目なのかな? と思ってすぐ、私が手を付けてないからだと思い至った。
このお茶会で一番身分が高いのが、公爵のクイニークさんで、主賓が私。
他の四人は、本来席に座ることもなかった従者だ。
いまいち実感はないけど、この身分制度ってのは結構強固なものなんだろう。
「頂きますね」
ひと言断ってから、コーヒーカップに手を付けた。
コーヒーのことは知っていても、自分が美味しく飲めるかどうかは判らない。
取り敢えずひと口、飲んでみて……って。
「にがっ!」
ブラックのまま口にしたコーヒーは、私が想像していたよりずっと苦かった。
思わずそう口に出してしまうくらいに。
「あははは~! 貸してごらん?」
言われるがまま、ソーサーに戻したカップを彼のほうに押しやった。
クイニークさんは私のコーヒーを手元に引き寄せて、砂糖を一杯、ミルクをひと回し加えてくれた。
「はい、どうぞ~」
「ありがとう御座います」
素直に礼を告げて、もう一度コーヒーをひと口飲んでみた。
苦みはまだあるけど、甘みとまろやかさが加わって、美味しいと感じられるようになってる。
「美味しい」
「それは良かったあ。他にも色んな飲み方があるからあ、美味しく飲める方法を探してみてねえ。僕も手伝ってあげるからねえ」
「ありがとう御座います、クイニークさん」
うん、これなら美味しく飲める。
周りの人たちも、私が美味しく飲んでるのを見て、それぞれコーヒーに手を付け始めた。
リクはブラックのまま、カリスはミルクだけを入れて、ヒールとシューレット君は砂糖とミルクをたっぷり入れてコーヒーを口にする。
自分のスタイルがちゃんとあるってことは、みんな、飲み慣れてないわけじゃないんだなあ。
「アディはあ、自分が稀人だって話は聞いたのかなあ?」
ぼんやりっていうか、のんびりしてたところに、急にクイニークさんから直球の質問がきて、ちょっと慌てる。
「え、えっと、はい。陛下とヒイラギさんに教わりました」
そういえば、確かヒイラギさんとの会話の中で、クイニークさんの名前が出てきた気がする。
「何をすればいいのかまでは、まだよく判ってないんですけど……」
そう、私は今のところ、自分が何をどうすればいいのか判っていない。
「ヒイラギさんがあ、説明してくれているんだろう? それなら心配ないさあ」
「あの人が一気に話さないほうがいいって思ったんなら、そのほうがいいんだろ」
私が少し不安……というか、戸惑ってることに気付いたんだろう。
クイニークさんとシューレット君はフォローしてくれてるみたいだ。
それにしても、ヒイラギさんの評価ってかなり高いんだなあ。
「ま、今はその辺のことは置いといて、ゆっくりして大丈夫だと思うよ」
偉い人の近衛って割りには軽い調子で言って、シューレット君は微笑んだ。
続




