「さあ早く書きたまえ」
「お嬢様。主人様がご帰宅なされました」
「ありがとう。今すぐ向かうわ」
メイドの情報は正確で、本当に1時間程で帰ってきたようだ
「では、手筈通りにお願いしますわ。奏斗」
「……分かった。加蓮」
この1時間の間に決めた事柄の一つ。名前で呼び合うこと
さすがに彼氏彼女の関係で、呼び方が名前でないのはマズいということで決まった。違和感があるのは間違い無いが……仕方ない
「……にしても大きな家だな」
「そうですか?ここ以外に住んだことがないので、わかりませんわ」
父親の部屋に向かって歩き始めて1分。1分も歩かないといけない所に部屋がある程の大きさ……他の部屋の使い道とか凄く気になったりもする
「着きましたわ。ここです」
他の部屋の扉に比べても、明らかに一線を画す程、ゴージャスな扉。こんなに主張の激しい扉は初めて見た
「準備はいいですか?」
「……ちょっと一息つかせて」
コンコン
「おじゃましますわ」
「おい!一息つかせてって!」
そんな言葉も虚しく、扉を開けたお姫……加蓮。容赦なく開けるなら何故わざわざ聞いたんだ……
「お父様。連れて参りましたわ」
「……」
主張の激しい扉と打って変わって、寡黙そうな男性が、ソファーに腰掛けていた
「は、初めまして!私、加蓮とお付き合いさせてもらってます!比呂 奏斗と言います!」
自分でも理解出来るほど、堅苦しい挨拶になってしまった。そして何より加蓮とお付き合い……その言葉の違和感が凄い……
「……座りなさい」
机越しにある向かいのソファに座るように指示される。俺と加蓮は言われるがまま、ソファに腰掛けた
「……いくら必要だ?」
「はい?」
いきなりのことで質問の意図を掴めず、思わず聞き返してしまった
「どれだけお金を渡せば、娘と別れてくれるか聞いているんだが?」
……お金で解決しようとしてるのか……高校生男子相手に……金持ちの感覚は分からない……
加蓮は少し不安そうな表情を浮かべていた。お金になびいてしまうと不安になったのだろう
「お金なんて受け取れません。そもそもいくら積まれようと、別れるつもりは微塵もありませんから」
俺がそう言うと、加蓮はホッとした様子だった
「そうか……それが君の意思なのだな?」
「もちろん。私がここにきたのは、加蓮を他の男に渡したくないから、お見合いの話を取りやめにしてもらおうと直談判しにきたんです」
我ながら最初のテンパりは嘘のように落ち着いている。少なくとも、偽の恋人だとは思われていない……はずだ
「加蓮のお見合いの話を取りやめにして頂けませんか?……お願いします」
深々と頭を下げた。これだけで事が解決するなんて思ってはいないが、やはりこうやって一度、頭を下げてお願いすることは大事ーー
「いいだろう。お見合いの話は断っておこう」
……事が解決してしまった
「ほ、本当によろしいんですの⁉︎」
加蓮もまさかこうも簡単に取りやめにしてもらえるとは思っていなかったのだろう。少し驚いた様子だった
「ああ構わんよ」
これだけ話の分かる人ならわざわざ俺を紹介する必要性もなかったような……
「奏斗くん。娘をよろしく頼むよ」
「は、はい!」
残念ながらよろしくは出来ないんだけど……一応この場を何事もなく押し切る為に返事を返しておいた
加蓮はホッと一息。意外と早く話がついた。これなら帰ってゲームする時間もーー
「じゃあ、婚姻届はもうもらってきてあるから書いていきなさい」
「……はい?」
と、目の前に婚姻届が置かれた
「お、お父様⁉︎いくらなんでも気が早すぎます!」
「ん?早くなんかないさ。どちらかといえば遅いほうだ」
「お、お父さん。ま、まだ加蓮とは付き合い始めて時間も経ってませんし、そもそももう1人女性がいないと結婚は成立しないですから……」
「さっきも言ったが、早くなんかない。それに、もう1人の女性ならもうそこに名前が書いてあるだろう?」
婚姻届をよく見ると、新婦側に2つの欄があるのだが、1つはもう埋まっていた
「若菜……日伊乃?」
「……っ!ひ、日伊乃⁉︎な、なんで彼女がっ!」
加蓮の驚きっぷりからして、加蓮は面識がある人間みたいだ
「彼女が構わないと言ったんだ。だからもう1人の新婦にさせてもらった」
「……日伊乃さんって?」
「……私の幼馴染み……1つ年上の女性ですわ。しばらく会ってませんでしたが……こんな話を了承するような人じゃないはず……」
顔も知らない男と結婚するだなんて、普通……いや、誰でも嫌なはずだ。それを了承した……何か事情があるのかもしれない……
「判子も私の帰りを待っている間に奏斗くんの家から頂いてきてある」
「いつの間に……」
いや、そもそもお母さんも知らない人にハンコを渡すなよ……
「さあ早く書きたまえ」
「いやでも……」
「書かないなら別れてもらう。お見合いもなかったことにはしないが、それでいいのか?」
「うぐっ……」
……一瞬でもチョロいと思った俺がバカだった。計算高い人間だった
「……書かなくてもいいですわ」
と、耳元に小声で加蓮が話しかけてきた
「私の考えが浅はかすぎましたわ。書いたら私なんかと結婚する羽目になってしまいますわ」
とても弱く……そして震える声で話す加蓮。書かなくてもいいという言葉。これは本心なのだろう。ただ、お見合いの人と結婚したくない……これも本心なのだろう
「……大丈夫。心配すんな」
「……え?」
なら……少しでも……
「……分かりました。加蓮と結婚させて頂きます」
マシな選択肢を提供出来るまで……俺も協力するから




