その9
「マキ、家に来てくれるか?俺も嫁さんも喜んで招待するよ。子供たちにも会わせたいんだ。俺のとっても大事な人だって。」
「行くよ、行く行く。行くに決まってるじゃない。」
ワタシは大きく声を張り上げた。最後に残ったエネルギーをすべて使って。
「ビックリしたよ!ビックリしたけど、今まででいちばん嬉しいニュース。まさか龍クンといずみがね~。でも、お似合いだと思う。ワタシとなんかより、ずっとお似合いだよ。」
「いや、それは…。マキ、ありがとうな。」
「いずみにも会いたい!話したいこと、いっぱいあるもん。ワタシだって謝りたいし。絶対に行くから、そう言っといて。」
「もちろん。嫁さん、泣いて喜ぶよ。打ち上げに出るつもりだったけど、俺も帰ろう。早く帰って、嫁さんに伝えなきゃ。」
彼はそう言って背筋を正した。
晴れやかな顔をしていた。長年の重荷をすっかり下ろした顔。
ワタシも負けじと、同じような表情を作って見せた。
ちゃんとできていたかどうかは自信がない。
「そろそろ行くね。」
「ああ。マキ、悪いな遅くまで引き留めて。」
「ううん、会えて嬉しかったよ。」
「俺も!ホント夢みたいだ。ちょっと待って、連絡先…。」
そう言って、彼は名刺をくれた。DJの名刺と仕事の名刺。
独立して会社の社長になってる彼。
都心の近くに一軒家を立てて、いい奥さんと可愛い子供に囲まれて幸せに暮らしている彼。
ワタシは、その現実からできるだけ目を背ける。
「それじゃ、行くね。」
「ああ、マキ。またな。」
彼はそう言ってから、“どうしていいか分からない”、といった素振りを見せた。
ワタシは何も言わず、彼の背中に手を回した。
「龍クン、会えて良かった。それから、ごめんね。本当にごめんね。」
彼も力強く、ワタシを抱きしめる。
「マキ。“ごめん”なんて必要ない。会えて良かったよ。」
ワタシたちはそうやって、しばらく時間を共有していた。
他ならともかく、ライヴハウスならよくある光景。誰も何も気にしない。友情と信頼が交差する場所。
でも、ワタシも、たぶん彼も、違うことを考えていたはず。
こうやって抱き合うのが、今が初めてじゃなかったら。
あの時、もっと早くこうすることができたら。
きっと、今とは違った人生を歩んでいただろう。
少なくとも、ワタシにとっては。
「龍クン、またね。」
そう言って、ワタシは彼をそっと押しやった。
彼は優しく、また何かをつぶやいていたけど、その声はもうワタシには聞こえなかった。
ワタシは振り返らずに、ライヴハウスを後にした。