その7
彼は、こっちを見て何かを考えていた。
ワタシはその視線に耐え切れず、また下を向く。
言わなきゃいけない。
謝らなきゃ。
あの時、どうしてそんなことをしたのか。
でも。
言葉が続かない。
何て言えばいいのか。
だって。
ワタシにだって分からないんだ。
フロアではハコ打ち(打ち上げ)が始まったみたい。ザワザワする声に交じって、時おり笑い声が響いてくる。
今のワタシにはとてつもなく遠い場所。
逃げる勇気もない。
進む勇気もない。
どうすれば、いいんだろう。
「ごめんな。」
彼がポツリと発した言葉の意味を、ワタシはすぐに理解できなかった。
時間がかかっても理解できなかった。
フロアでドッと爆笑が上がった。
「…なんで、龍クンが謝るの。」
「えっ?」
ワタシは彼を真っすぐ見つめる。
こんなセリフを、もらうつもりじゃなかった。
責められた方がまだマシ。
「龍クン。ワタシがあの時、龍クンに何をしたか覚えてる?」
彼はポケットに手を突っ込んだまま、遠くを見つめる表情をした。
あの時、ワタシがいつも気になっていた龍クンの顔。
「覚えてるよ。忘れるはずがないよ。」
「ワタシ、ウソをついた。ハートのライヴがあるなんて、いい加減なこと言って。」
本当はウソじゃなくて、ワタシの勘違い。でも、そんなこと問題じゃない。
間違いを正す勇気もなかったから、こんなにオバサンになるまで苦しむことになったんだ。
龍クンは、その犠牲者。
謝りこそしても、謝られる理由なんて…。
「あの電話の後、マキの態度が変わったろ。何かよそよそしいし、電話もしてこなくなったし。」
「…。」
「ハートのライヴなんて無いって、すぐに調べて分かった。いったい何があったのか、ずっと考えてたよ。俺、何か悪いことしたのかなって。」
「えっ。」
「ずっと考え続けた。そして、分かったんだ。マキが怒ったのは、俺が何もしなかったからだって。」
「だって、龍クン…。」
「俺、ずっとマキに甘えててさ。付き合ってくれ、とも言わなかったし。拒否されるのが恐くて、何にもできなかった。高校生だぜ。普通ならもう少し、何とかなるもんだろ。恐かったんだ、マキに“ワタシたち、そんなんじゃない”って言われるのが。」
「違う、龍クン。違う…。」
「俺がずっとそんなだから、マキが我慢できなくなったんだって。女の子に恥をかかせちゃいけないよな、今なら分かるよ。だから、マキは俺と距離を置いた。ハートのことは今でもよく分からないけど、たぶんマキの最後通告だったんだろうって。いい加減、踏ん切りつけろって。」
違う、違う。そんなんじゃない!
「それでも、俺はダメだった。ビシッと告白すりゃいいのに、マキに嫌われたと勝手に思い込んで。それで、恐くて連絡もできなくなったよ。情けねえよな、俺。」
勘違い。彼もワタシも。
勘違いで、ここまで来ちゃった。
なんてつまらないすれ違いなんだろう。
なんて悲しいすれ違いなんだろう。
「だから、今夜マキに会えて、本当に良かったよ。何十年ぶりかで言えた。マキ、本当にごめんな。」
「龍クン、ワタシの方こそごめん。ホント、ゴメンね。」
ワタシはそう言ったきり言葉が続かなかった。これ以上しゃべったら、泣いちゃう。
彼の勘違いを訂正したい。
ワタシが悪かったことを理解させたい。
この空白を、少しずつ埋めたい。
でも、今はいいんだ。
こうやって、また出会えた。
今から始めればいいんだ。
ゆっくり築いていけばいいんだ。
時間はいっぱいあるもん。
そして、いつかは…。
「それにさ。」
龍クンはまた遠くを見つめる。
「感謝してるんだ。俺も、嫁さんも。」