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5/10

その5

その瞬間。

彼が回す曲も含めて、辺りの音がすべて耳からシャットアウトされていた。

ただ彼の言葉と、ワタシの言葉以外は。

「龍クン。」

「マジかよ…マキ、マジかよ。」

「久しぶりだね。」

「マジかー、マキィ!」

そう言うと、彼はブースから飛び出してワタシの背中を両手で包み込み、ギュッと抱きしめてきた。

「何だよ!マキ、何だよー!」

あの頃には、いちどだってそんなこと、されなかった。

大人になったし、ロック界隈では感情をさらけ出すのは、ごく自然なこと。成長と環境。

ワタシ以外は。

突然のことに、ワタシはとっさに身を縮こませる。彼はそれを拒絶と受け取ったらしく、慌てて後ろに下がった。

「あっ、悪りぃ悪りぃ。ごめんな。」

「ううん、いいの。大丈夫だよ。」

実際は大丈夫どころじゃない。

ワタシは息も絶え絶え、まるでステージの上から超満員のフロアに向かって叫びたいような気分。

心臓はブラストビートだ。

夢じゃない。絶対、夢じゃない。

運命。これが、運命だったのかも。

「マキ、会えて嬉しいよ。ずっと会いたかったんだよ。」

「龍クン、ワタシも。会いたかったよ。」

考えるより早く、素直な言葉が口を突いて出た。

そんな自分が、何年かぶりに好き。

「あっ、ごめん。待ってな。」

そう言うと彼はブースに戻って、手早く選曲を入れ替え始めた。

ちょっと我に返ったワタシは、慌てて周りを見渡す。龍クンのところに連れてきてくれた彼女は姿を消していた。きっと何かを察したんだろうな。

ホントに女神さまだよ。後で、お礼を言わなきゃ。

セットを終えると彼はワタシの前に戻って耳打ちした。

「次の曲、マキに送るよ。」

そう言って再びブースに戻った彼が曲をつなぐ。

そのメロディが流れた瞬間、鼻がつんとなってワタシは必死に崩れ落ちそうになる自分を抑えた。

“気まぐれなオイラから回り 追いかけるのはごめんだぜ”

ザ・ハートの「ピエロ」。

ワタシと彼が、いちばん好きだった曲。

ちゃんと覚えていたんだ。

ちゃんと持ってきてるんだ。

二人にしか分からない選曲に合わせ、ワタシは忘れもしない歌詞を小さな声で口ずさみ続けた。


ワタシはいずみに相談した。

この状況、どうしたらいいんだろう、って。

いずみは困った顔をしたけど、こう答えた。

決定的な思い出を作ったら、って。

でも、「決定的な思い出」って何だろう。

そんなの、ワタシたち二人にはザ・ハートのライヴ以外に思いつかない。

卒業までのこの時期で、ハートのライヴスケジュールは発表されていなかった。八方ふさがり。

「まあ、仕方ないよ。お互いの休みが合う時に、また行けばいいし。」

彼はそう言ってくれたけど、それは何の保証もない約束。

彼はワタシへの思いを変えないだろう。続く自信がないのはワタシの方。

いま彼のことがこんなに大好きなのに、道が違ってもその気持ちを保てる自信がない。

そんな自分が、心底キライだった。

うじうじした気持ちで音楽雑誌をパラパラめくっていた。

何度も見返したスケジュール欄。

ハート。ハート。

今さら、ハートなんて…。

「…あれ、載ってる。」

ライヴ、あるんだ。

日付は、卒業式のすぐ後。

そうか、ある。あるんだ。

ワタシは踊り出したい気分で、すぐに彼の家に電話を入れる。携帯もない時代。

お互いの親に干渉されて気まずい思いも何度かしたけど、今日は一発で彼が出てくれた。

「龍クン!ハートのライヴ、あるよ!」

「マジで?いつ?」

「卒業式の、2日後!」

「ホントかよ!それなら、行けるな!」

「うん!チケット、ウチが買っておくね!」

「頼む!良かった~、最後に夢がかなったな!」

プツッ。プーッ、プーッ、プーッ。

これが運命だ。これで全てが逆転する。

何がどう変わるのかは分からないけど、とにかく変わるんだ。

そんな浮ついた気分のまま、ワタシは改めてスケジュールを確認する。

場所は…会場、ずいぶん大きいな。

チケット代は…思ったより高くない?

何か、変だ。

そう思ったワタシは、改めてスケジュールの全体を見直してみた。

そして、とんでもない間違いに気がついた。

ハートだ。

ザ・ハートじゃない。

確か、外国の人でハートっていたはずだ。

そっちの、ハートなんだ。

ガックリとしたワタシは、電話機の前で床にへたり込んだ。

やっちゃった。

龍クン、ガッカリするだろうな。

あんなに楽しみにしてたのに。

何て言うかな。怒らないかな。ワタシのこと、嫌いにならないかな。

そう思ったワタシは、握りしめた受話器を急に下ろす。

こわい。

彼に何て、言えばいいか。

どうやって謝ればいいか。

ひと言目の言葉が、どうしても思いつかない。

考えると涙があふれて、息ができない。

誰もいない自宅の廊下で、ワタシは電話の前に座ったまま、いつまでも泣き続けていた。


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