禁止な!
「カッスルの丘の村」の南に位置する深淵の森は巨大で、数多の魔獣や魔物やその他の動物たちが色濃く繁殖している。村の者が何人かで狩猟に入る事もあったが、大抵は1日~2日で帰れる程度の距離までしか踏み込むことは無かった。
鬱蒼と茂る樹木が光を遮り、視界も悪く凶暴な生き物が多いとなれば無理も無いだろう。
言わば未開拓地であるこの深淵の森を進む3人は、事情を知らない者が見たとすれば奇異に映ったかもしれない。何故なら、3人の内2人は小柄な少女であり、身を隠すのに有利であろうと思える以外は、この森に似つかわしくなかったから。
アンは無言で弓を引き絞る。狩りで求められるのは先制攻撃であり、故に遠くから撃てる弓は森では必須となる。彼女のその白い細腕が、くの字に後方に引かれ、その見つめる先には何かいるようには見えない。
だが、やがて放たれた矢が茂みに飛び込むと同時に、獣の悲鳴が短く響く。
「当たったわ! 」
言うが早いか、短刀を片手に駆けだした。弓は左肩後ろにいつの間にか吊られている。アリエルが、後方から付き従っている。
(なるほどね…… )
アル・ティエンヌ・シャンは思うところがあり、この数日は深淵の森で3人で狩りに興じていた。アンやアリエルとかなり話した事で、この世界の状況はだいぶ理解できるようになった。アンの父親であるサスロー伯爵が領主を務めるここはアラゴン王国の一部であり、それも王国から海峡を隔てた土地にある事。
ここでは低位のナノマシンキャリアが多くいて、それでいてアンにしろアリエルにしろ、ろくに使い方を理解していない事。どころかナノマシンと言う言葉すらなく、彼女に言わせればそれは精霊と言うらしい。
曰く「精霊の力を借りて魔力を行使する」のだとか。
(やはりそうか…… )
やや後方から二人を観察していたアルであったが、周囲への監視は怠っていない。それでいて、彼の視線の先にはアリエルがいる。
「二人とも、そろそろ帰るぞ」
仕留めたそこそこの大きさの鹿を解体しだした二人に声を掛けると、二人も元気よく返事を返すのだった。
やがて帰り着いた炭焼き小屋で、落ち着いた頃を見計らってアルは二人に言い放った。
「アリエルはアンの治療をする事を禁止な」
狩りに同行して気付いた事、それはアリエルがそれとなく傷を負ったアンを癒している事だった。だが、この前のバースト時の慌てようからして、大怪我を癒す事は出来ないのだろう。それはともかく、
「アンは気付いていたのか? 」
「そうなの、アリエル? 」
どうやら今まで、アリエルが側にいると落ち着く程度にしか自覚が無かったらしい。こいつはよくよく天然なのか、いやアルが見るところ、アンは天性のナノマシンキャリアではある。生身でナノマシンを発動するには身体との相性が必要なのだが、こいつはそれを苦にしていない。加えて、相手を叩きのめす事にかけては天性のカンを持っている。いったい何処をどのように攻撃すればいいのかの判断を瞬時に行う事が出来、躊躇う事をしない。
まあ、それ故、傷を負う事も多いのだろうが。
「ど、どうして……? 」
アリエルが金髪を揺らしながら、必死に抗弁しようとしている。
「判らないか? お前が治癒するからアンがますます無茶をする。それにアリエルは多分、ひどい傷は治せないんだろ? もしそれを続けたら、いつかアンはまた大怪我をするぞ? 」
「ア、アンは治癒をしなくても、……大怪我すると思います」
アリエルはアンの事を、よく判っているな。もちろん、その事も考えている。
「アン、精霊を正しく使えれば、お前は自分で自分を治す事が出来る」
もはやアルも精霊と言う事にためらいはない。郷に入れば郷に従えと言うではないか。
「アリエルが治してたらお前はそれを覚えないだろうからな。それとアリエル! 」
「は、はい! 」
「お前には逆に、攻撃方法を教えてやる」
そう言って、アルは口元に笑みを浮かべた。実は彼はアリエルを評価しているのだ。クリスタルのスキャンでは、ナノマシンの品質指標はアリエルの方がアンよりもやや上のD+。思うに、アンも当初はその程度、あったのかもしれない。だがアンの場合は攻撃に特化し過ぎて、恐らくナノマシンの数を知らずに減らしてしまったのではないかとみている。
「わ、わた私はその……、戦うとかは…… 」
「お前の能力でアンを守るんだ。とにかく覚えろ、いいな? 」
いろいろと考えた結果、いやどう考えても当分は宇宙に戻れそうもない。何故か下がっている品質指標も上げないといけないし、生きていく上での基盤も必要になってくる。
「まあ、手段は無い事も無いんだが…… 」
アルはそうつぶやくと、夢想する。例えば、手っ取り早くこの二人を喰ってしまうのはどうだろう。それ以外のナノマシンキャリアも出会った瞬間、喰い潰し、上げれるだけ品質指標を上げる。
「ねえなあ…… 」
どう考えても却下だ。そもそもここでどれだけの品質指標をもつ敵がいるのかまだ不明であるし、それにこの星の立ち位置もよく判らない。アルが知らないだけで、実は帝国の植民星でした、だとしたら目も当てられない。
「アル様?! 」
それに最近は、この目の前の薄赤い髪の少女に自分が惹かれているのもある。
この退く事を知らない山猫のような生き物はなんだろう。それでいて肌は白く、細い腕をしているアンバランス。思わず捕まえてしまいたい衝動に、ふと駆られる。
実は帝国騎士アルは、有機サイボーグとして生殖機能は残しているものの、性的興味は抑えるように設定していた。ナノマシンに身体をそう調整させているのには訳があって、元々帝国辺境の開拓騎士として宇宙にいる事が多く、戦場に召集される以外は小惑星帯で採掘業務に携わる事もしばしば。何より寿命が長いので敢えて急いで家族を持つ必要もなかった。
だが品質指標Cに落ちた今は、普通に年齢を重ねる筈であった。年齢調節やテロメア復活による細胞再活性化には、少なくとも品質指標をAまで上げなければならない。
「アル様?! アンはアル様のお嫁になりたいです! 」
うーむ、こいつは本気で言っているのだろうか。天然だけに如何ともしがたい。それに今は、他にやる事がある。
「アン、まずは自分を高めろ。やり方は教えただろ? 」
精霊を意識して、指の先から胸、足の先から胸、額から胸、それを下腹部に降ろした後、全身へ戻す。それの繰り返しで精霊は活性化する。今のアンの状態は、恐らく全ての精霊の2割程度しかまともに働いていない。その数では体内での共同作業が不完全になる。だから治癒機能も働かないのだろう。
「アリエルもな? 」
アル・ティエンヌ・シャンには行くところがある。しばらく放ったらかしにしてしまったが、アンの父親であるサスロー伯爵に呼ばれているのだ。現状を考えると、行かないという選択肢はない。
「俺は伯爵に会って来るよ」
伯爵に、提案する事もある。何故か記憶の中に、この星の簡単なサテライトスキャン記録が残っていた。
それには資源分布も記されている。
「じゃあな、ちゃんとやってろよ? 」
そう言うと、アル・ティエンヌ・シャンは炭焼き小屋を後にするのだった。