ばーん
ばーん
サスロー伯爵は46歳。180センチの長身にがっしりとした体つき、そして彼を印象付けるのは口にたくわえた青白い髭であった。年齢より老けて見えるそれから、王国内では『青髭サスロー』とも呼ばれている。
その呼び名は彼の武名と無関係ではない。王国の槍『青髭』とも呼ばれ、今まで数々の武勲も立ててきた。
サスロー伯爵は伯爵領を取り仕切る家宰のグランツと共に、領地の今期の収穫について吟味している。
「カッスルの丘の村」で収穫祭が執り行われたように領地内の全ての村でも収穫があったのだ。
サスロー伯爵領は、北辺と西は海に面し、東は山脈、南は未開の深淵の森と接する。おおよそ逆三角形の形をしている。
「まあ、何にせよ、森林バーストの影響が最小限で、ようございましたな」
家宰のグランツが領内の地図を眺めながらそう言うと、サスロー伯爵もうなずく。
「それよ、駆け付けてみれば100を超える子鬼共や角猪の死骸があってな。一緒にこれもあったわ」
伯爵が、地図を広げた大理石のテーブルの上に転がしたのは茶色の魔石が4つに黄色い魔石がひとつ。
アルに言わせれば卵と呼ぶそれを見て、グランツは肩をすくめる。
「なるほど、少なくとも中規模以上のバーストだったようですな。アンお嬢様も大怪我をなされたとか」
「もう、回復しておるわ……」
その返事を聞いて、グランツはにんまりと笑う。
「何だ、その笑みは」
「いえいえ、ちゃんと確認されているのだなと」
「ふん……」
サスロー伯爵が末の娘に冷たく当たるのは、つとに有名であったが、グランツの見立ては少し違う。先代からローゼンバーグ家に仕える彼は、伯爵の真意は別にあるとみていた。
「ともかく、この度の森林バーストでは、アンお嬢様が活躍されたのは事実なのですから、お褒めの言葉を掛けてやっては、いかがですかな? 」
伯爵はすぐには応じない。やがて、絞り出すように言葉を吐く。
「……あれは、子鬼の娘だからな」
16年前、伯爵の妻であるエルミーネが森林バーストに巻き込まれ、子鬼に浚われた事があった。子鬼達は増えるのに人間の女を使うのだ。後日エルミーネは救出されたものの、程なく彼女が身籠っている事が判明する。子鬼の子供を身籠ったとして周囲の人間は堕ろさせようとしたのだが、エルミーネは狂ったように拒否した。
結局、産まれた子供は人間の女の子だったのだが、エルミーネは出産時の出血多量で死んでしまった。
「僭越ながら申し上げますが、子鬼が孕ませた時は必ず子鬼が産まれます。人間の子であった以上、アンお嬢様は旦那様の娘であると……」
伯爵は、グランツに皆まで言わせなかった。
「判っておる、判っておるのだ! 最近のあやつは、ますますエルミーネに似てきておる。だがな…… 」
性格は似ても似つかない。エルミーネがおだやかな性格だったのに対して、アンは『激情』と言ってもよかった。何か気に入らない事があると感情を暴発させ、使用人に当たる事もしばしば、12歳ごろになると二人の兄でさえ、アンを抑える事は出来なくなる。何人か付けた家庭教師も、すぐにぼろぼろにされて追い返される始末。
「グランツよ、わしはな。アンが激発する度に、エルミーネにののしられているような気になるのだ。何故、私を守ってくれなかったの?! とな」
先代から仕えるグランツにしても、初めて聞いた主人の心の声であった。
「心中、お察ししますぞ。ただ、下の村に行かれてからは、癇癪を起される事も無くなったと聞いております。アン様も、もう16歳。そろそろ嫁入りも考えなくては…… 」
そう言いかけたグランツだったが、視線を伯爵に向けると、正気か? という彼の表情に出会い、思わず言葉を止めてしまう。
いけない、ここは何か別の話題を考えなくては。
「そう言えば、帝国騎士を名乗る輩に領地滞在を許可したとか聞きましたが」
サスロー伯爵にしても、その話題は渡りに船であった。
「それよ、わしがバーストの現場に駆け付けた時には、アンは奴の腕に抱かれて瀕死の状態であったわ」
「それはつまり? 」
伯爵は、先程テーブルの上に転がした魔石に手をやり、グランツに目を向ける。
「つまり、そやつがバーストを片付けたとも思えるな」
確定ではない。村人の報告では、アンがかなり倒したとも聞く。
「しかもな、奴が言うには、空から降りてきた帝国騎士だとぬかしおった。それと、」
「それと? 」
「額にクリスタルがあった」
しばしの沈黙が部屋に訪れる。サスローはグランツの反応を待っているのだ。それに気づき、言うべきか否か迷っていた言葉を、グランツは吐き出した。
「クリスタル・テラーの伝説ですな」
そこまで二人が話した時、どたどたと慌てたような足音が階下から響いてくる。やがてそれは階段を上がり、二人が話している執務室の扉が勢いよく開かれた。
「お父様?! 」
一体何事が起ったのか、息せき切って部屋に現れたのはアン・ベルフィット・ローゼンバーグであった。
しかも満面に笑みを称え、上機嫌である。サスローにして、いままでこれほど機嫌のいい娘の姿を見た記憶は皆無であった。
「お父様! 」
「ど、どうしたアン。何かあったのか? 」
「はい! お父様、私はアル様の元にお嫁にいきたいのです! 」
今、こいつは何を言った?
「お前は一体何を言っているのだ? 」
アンの肩まである薄赤いくせっ毛が跳ねている。彼女が肩で息をしているせいかもしれない。淡い碧色の瞳も上下している。
「お父様、アンは決めました! 帝国騎士アル・ティエンヌ・シャン様のもとに行きたいのです! 」
特徴あるフルネームを聞いて初めて、サスローの脳内に理解が及ぶ。あの、額にクリスタルを持つ黒髪の少年を思い浮かべ、だが何を言うべきか言葉に詰まる。
「ア、アンよ。伯爵家の婚姻ともなれば、わしが話すのが筋であろう。今しばし待てぬか? 」
「嫌です! 」
開いた口がふさがらないとはこの事か。今更ではあるが、この娘には常識が通じぬ。それは判っている、判っているのだが、しかし
「相手の気持ちはどうなのだ? んっ? お前ばかりお嫁に行きたくとも、相手がうんと言わねば結婚はできぬぞ? 」
それを聞いて、ようやくアンの表情が変わる。右に左に視線を彷徨わせ、やがて
「それは、そうですね! さすがお父様! 」
ばーん
そう言うなり、音を立てて扉を閉めると彼女は去っていく。どたどたと階段を降りる音が聞こえ、やがて静かになった。
サスロー伯爵と家宰のグランツは、ただただ顔を見合わせるばかりであった。