決めたわ!
少し時間を遡る。
森林バーストで身体をボロボロにされた後、アル・ティエンヌ・シャンに治療を施されたアン・ローゼンバーグは村の北に位置する領主別邸に運び込まれた。
それから二日ばかりたったあたりである。
朝、けれど彼女が眠るベッドが置いてある部屋は木戸が閉じられていて朝の光りが入らない。木製のドアが開き、少し明るくなった部屋に入ってきたのはアリエルである。彼女は眠るアンを起こさないように足音を忍ばせてゆっくりと歩き、入ってきた扉の反対側に位置する木戸を押し開ける。
ようやく朝の光りが部屋に差し込み、ベッドで眠るアンの頬に指し掛かる。
目蓋が微かに動いた。そして恐る恐ると言った感じで目が開き、やがて勢いよく半身が起こされた。
頬に手をやり、銀狼にかじられた筈の肩にも指を這わせ、そして足にも。
木戸を固定しているアリエルにも気付くとアンは声をあげた。
「あいつは何処? 」
「アンお嬢様、気が付かれたのですね?! 」
ベッドに小走りに近寄り、アンの手を握るアリエルである。
「アリエル……あなたも助かったのね。でも言ったはずよ? お嬢様何て言っては駄目。私の事はアンと呼びなさいと……って違うわ! アリエル、私を助け上げたあの男はどうしたの?! 」
「騎士のアル・ティエンヌ・シャン様ですね。あのお方なら森のはずれの放置されていた炭焼き小屋にいるはずですよ? 」
アンはアリエルの言葉を途中までしか聞いていなかった。下着姿の彼女であったが、やおらベッドの側に置かれていた肌着に袖を通すと下に置いてあったブーツに足を突っ込む。
「アン様?! 」
「行くわ! アリエルは馬を出して! 」
言い出したら聞かないこの幼馴染の事はよく知っているアリエルではあったが、つい二日前まで身体中に傷を負っていたのである。
「無茶です! そんなに急に動かれては、お身体にさわります! 誰か?! 」
「アリエル、ならあなたが付いてくればいいじゃない」
部屋の壁に掛けてあった伯爵家の紋章が入ったサーコートを羽織り、既に帯剣まで終えている。
「よし! 」
数分後には、もう馬上の人であった。
彼女が任されている「カッスルの丘の村」は小さな村ではあるが、領主の別邸から深淵の森近くまでは、およそ村を縦断する。馬上のアンを見た村人たちが歓声をあげる中、彼女も軽く手をあげながら、横に来たアリエルに問いただした。
「みんな無事だったようね? 」
「ええ、何人かやられた者はいますが、あれだけのバーストにしては被害者が恐ろしく少ないと、皆言ってますよ」
「ふーん…… 」
「アン、のおかげだって」
アンの形の良い眉が一瞬ではねあがる。
「気に入らないわ! 」
そのまま馬速をあげると、森のはずれ近くまで一気に駆け抜け、炭焼き小屋を視界に入れるなり馬から飛び降りる。降りた馬を繋ぐことすらしない。
幸い、目当ての人物は小屋の外に出ていた。斧を両手に薪割りをしていたらしい。
「よお、もういいのか? 」
アクセントに違和感はあるが、確かにこの男だ。いや、改めてよく見ると、年齢的に見て自分といくつも違わない感じではないか。背の高さは自分よりもあるだろう。この辺ではあまり見ない黒髪、白い皮鎧なのか金属なのか判断に苦しむスーツ。そして額には宝石のようなものが嵌め込まれている……のか?
心の中が、もやもやする。自分は、この男に助けられたのか? あのどうしようもなかった状況を、こいつが何とかしてしまったのだろうか。名前は何だったか、そう
「アル・ティエンヌ・シャン、私と勝負しなさい! 」
何故か、はっきりと覚えている。名乗り合った、こいつの名前を。
「なーに、かっかしてんだ、お前? 」
思わず切りかかりそうになる、がこらえた、いけない。その一方、心の中の何処かで何をしているんだ私は? と思う自分もいる。
やがて二人は距離をとり、およそ4メートルほど離れて向かい合う。アンは既に抜刀している。森林バーストの時は持っていけなかった自分用のフランベルジュ。
「剣か…… 」
言うなり黒髪の少年が、一体何処から取り出したのか、見た事もない短めの反りのある片刃の剣を手にする。
「変わった武器ね」
「これか? 一応、お前に合わせたつもりだったんだが。……こいつは騎士剣だな。帝国騎士なら誰でも持ってる首狩り用の剣だ」
最後まで言わせず切りかかった。
「はっ! 」
小気味よい声をあげ、大上段・やや斜め上から、そして横薙ぎと3連続で打ち込むが、全て軽やかにいなされた。
「ちっ! 」
強い、やはりこの男は本当に強いのだ。何故か微笑んでしまう。
「アン……お嬢様」
胸の前で両手を握りしめて成り行きを見守っていたアリエルだったが、そのアンの表情の変化を感じ取り、アリエルはつぶやいた。
何十合と打ち合った事か。どれだけ素早く強く打ち込んでも、この相手には敵わない。しかも全て片手でいなされていた。何度目かの鍔迫り合いの後、アンは後方に大きく飛んだ。
「最後よ! 」
そして封印していた魔力を解放させると、フランベルジュに纏わせる。
「火炎系特化とかD⁻でやる事じゃないんだが……」
アル・ティエンヌ・シャンが何事かつぶやくと、片手に持っていた反りのある剣を消しさった。
(剣を手放した?! )
想定外の相手の対応に、このまま攻撃を続行するかを一瞬、逡巡したアンではあったが、今までの攻撃が全く効かなかった事を思い出し、表情を改める。
全力でいく。
「おおおおおおお! 」
フランベルジュが纏う炎が一際大きくなり、振り出された剣先から無数の火の玉が飛び、それと同時に切りかかりもする。
一方、帝国騎士アルの側。
強振動検知
熱放射確認
クリスタルからの報告に、アルは脳内で即断する。
「可燃物の原子を不活性化させる。手の平に集めてくれ」
了解
自身に撃ち込まれた火の玉を全て掌底で迎撃して消し去り、迫りくる剣先を、両手の平で包み込むように抑え込むと鍔までスライドさせる。
実際のところ、彼の有機義体はこれくらいの炎であれば、どうと言う事も無いのだが、技には技で答えるべきだろう。
既に顔と顔が触れ合うばかりの距離である。
「もう、終わりか? 」
自身の必殺剣をあっさりと無効化され、アン・ローゼンバーグが瞳を何度も閉じたり開いたりしている。
「強くなりたければ、俺が磨いてやるぞ? 」
そう耳元でささやかれ、アンは思わず剣を取り落した。
やがて二人は離れる。
「決めたわ! 」
一体何を決めたのか? アル・ティエンヌ・シャンが判断に苦しむ表情を見せる中、アンはくるりと踵を返すと、自身の乗ってきた馬に向かって走り去る。
「何だ、あいつは? 」
見る間に、馬に乗って走り去っていく。
アリエルが、どうしたものかとアンとアルの両方に視線を走らせ、一礼してあとを追う。
それからほぼ毎日、アン・ローゼンバーグは炭焼き小屋に顔を出すようになるのであった。