そろそろいろいろ始めないといけないのだが
ぼちぼち、いきます。
あれから何日かたっていた。アル・ティエンヌ・シャンは森近くの炭焼き小屋に居を定めると、毎日深淵の森に足を運んでいる。
「Dか…… 」
ナノマシンキャリア反応を確認しながら、刈り取ったのは巨大な灰色熊であった。それは魔獣の中でも強い部類のウォーベアであったのだが、彼にとっては、どうと言う事はない。
「どうだ……? 」
倒された魔獣を観察する。それはやがて黒い靄のようなものに覆われると、1個の赤い石になる。
「ようやくか」
彼が手に取った赤い石をナノ卵と呼ぶ。少なくともアルの知識の中では、そうだ。簡潔に卵と呼ぶ事もある。
この現象を解説すると、宿主を失ったナノマシンが自己防衛本能を発揮し、仮死状態で結晶化するのだ。その際、宿主だった肉体が結晶化の際のエネルギーとなる。結晶化は、ある程度の品質指標のナノマシンである必要があるので、全部が結晶化する訳ではないのだが、中には失敗して死体を崩したまま、彷徨う事もあるそうだが……
「今日はこれくらいにしよう」
数日で、いろいろ判った事がある。まず自分の肉体が若返っている事、それはつまり、恐らく自分の意志でここに来たのだという事。何故なら、品質指標C状態になる事を予想して、年齢操作が出来なくなること前提で、そのような処置を施したのだろうと、思えるからだった。
身長180センチの体躯が、今では170センチに満たない。恐らく、17~18歳くらいではないか?
拠点にしている炭焼き小屋まで戻り、腰を落ち着ける。ふと思い出したのは、あの後の事だ。
ぼろぼろのアンを腕に抱き、しばらく歩くと前から一人の少女が姿を現した。綺麗な金色のストレートの髪をして、服装は黒と白のワンピースを着ている。年齢はアンという少女と同じくらいだろうか?
「アンさま……! 」
反応確認
クリスタルがスキャンした結果、この娘もアンと同じくナノマシンキャリアのようだ。しかも品質指標は、やや上のD+。
「アンお嬢様、しっかりしてください! 」
アルの腕の中にある意識のないアンを覗き込むように、何事かわめいている。
先程のアンとの会話では気付かなかったのだが、これは帝国辺境語か? 今更ながらにデータ収集の必要性を感じた。
「治癒に入っている、問題ない。明日にも意識は戻るだろう。全治には、もう少しかかるが…… 」
話す途中で、何を言ってるんだと、いわんばかりの強い視線を向けられ、彼は言葉を止めた。どうやら信じてもらえないようだ。
そもそもナノマシンの基本は体調管理である。長じて群体をつくり、別用途への進化も行いはするものの、常に一定数の個体が身体の修復に使われるのが普通。このアンという少女もD⁻とはいえキャリアであるなら修復作業に入っていてもおかしくはない、のだが……
だが先程、傷を通してナノマシン同士を同期させた限りでは全く、そんな様子は無かった。まあ今は、彼
が送り込んだ治療用ナノマシンに先導されて、恐らく彼女のナノマシンも治癒に参加している筈なのだが。
「よく判らんな…… 」
ふと見ると、金髪の少女の腕にも傷がみえる。たいした傷ではないのだが、それがちょうどいいかもしれない。
「見ろ! 」
アンを片手で肩に抱きかかえ、空いた右手で少女の腕の傷の辺りを掴む。
「痛い、何を?! 」
アルの強い力に少女は思わず、抗おうとするが敵わない。
「傷を治した…… 」
離された腕にあった筈の傷が、わずかに筋が見えるほどに治っていた。
「あっ…… 」
金髪の少女は自分の腕をみて茫然とし、それから慌てたようにアルの顔をうかがい見る。
「ご、ごめんなさい! 治癒士の方でしたか。それでは本当に、本当にお嬢様に治癒を授けていただいたのですね?! 」
いろいろと言いたい事や聞きたい事はあるが、今はそれでもいいだろう。
「この娘を、何処に運べばいい? 」
ようやく話が前に進みそうだ。何より、カロリー消費で腹も減っている。背中のバックパックの中身も確認したい。二人連れだって、歩き始めたのも束の間、程なく土煙を上げる一団が近付いてくるのに気づく。
「あれは……? 」
現れたのは十数名の騎馬の一団であった。
「おお! 」
思わず声をあげてしまったのはアルである。知識として知ってはいたのだが、実は馬を見るのはこれが初めて。
「止まれ! 」
集団の先頭に位置していた身なりのいい男が声をあげると、一行は立ち止まる。
「ご領主さま! 」
「アリエルか、無事であったか。むっ? 」
サスロー伯爵の視線が、アンとアルに向く。
「貴様、見ない顔だが私に礼を取らぬとは、余所者か? 何者だ? 」
「帝国騎士、アル・ティエンヌ・シャンと言う」
「サスロー伯爵である。帝国だと、何処のだ?! 」
アルの片手が真っすぐ上を指す。無礼極まりない事、この上ない。伯爵の後ろに控える兵士達が一斉に抜刀する。
「待て! 」
サスロー伯爵は、気負いたつ兵士達をなだめると、なめるような視線をアルに向け、やがて額のクリスタルで目を止めた。
「貴様……、面白いな。気に入った、領地内での滞在を許す! 後日、私の屋敷に来るがよい! 」
そう言うなり、片手を上げると、配下の兵士達を指揮して駆け去っていく。
傍らではアリエルが茫然としている。
それは、伯爵がアンを一顧だにしなかった事への悲しみであったが、その時のアルには判らなかった。
と、言う事があったのだが、今の彼の興味は別にある。先程手に入れた赤い卵を掴み、意識を集中して結晶の仮死化を解く。もとより、宿主を失った故に結晶化していたのだ。ならば新しい宿主の存在を教えてやれば、仮死は解ける。
typeX同期確認
「またか、まあ系列は同じだから問題は無いのだが」
彼のZZの試作品に近いtypeといえば判りやすいか。それが何故、ここにいるのか理解できないが糧にはなる。少しずつ体内のナノマシンを増やし、上位の群体を形成できるレベルにあげないと、上の品質指標にいくことはできない。
「むっ? また来たのか 」
特徴的な足音もそうだが、何より彼女にはまだ、アルのナノマシンが埋め込まれているので接近してくれば、すぐに気づく。
「アル、いる?! 」
勢いよく扉を開け、顔を出したのはアン・ローゼンバーグであった。どうやら、もうすっかり身体の調子はいいらしい。入って来るなり、テーブルに投げ出したのは綺麗に処理された鹿肉である。
「お前 」
「何よ? 好きでしょ? 」
アルにお前などと呼ばれても、意に介さない。まあ、助かるのは助かるのだが。
ふと、アンの背後を見ると、アリエルが申し訳なさそうに、頭を下げている。
「これで今夜のシチューをつくるわ! 一緒に食べるわよね?! 」
ちなみに、つくるのは主にアリエルであるのだが……。こいつは一体何を考えているのか、毎日のようにここに来る。聞くところによると、この村の領主をまかされているらしいのだが、とてもそうは思えない。
だが、助かるのも事実で、みかけによらずアンの知識は豊富であり、頭の回転が速い事も手伝って、この世界のデータ収集にかなり役立っている。
結局、二人は今日も話し込むのであった。
週末は会社行事