6.
『えっと、あの、どなた様ですか?』
私の目の前に座っている男の人は目をキラキラさせている。
遡ること、数分前。
私は遥さんと朝食を済ませてから、事務所に戻り、机とソファを少し動かし、昨日出た質問を確認していた。
全ての準備が終わったのは、吉田さんと約束している30分前。
遥さんの元で少し一息つこうと考え、階段の前のドアに手をかけた時、足音が聞こえてきた。
階段を登ってくる2つの足音。
私は吉田さんが余裕を持ってきてくれたのだと思い、ドアを開けた。
ところが、目の前に現れたのは吉田さんではなかった。
そこには知らない男の人が目をキラキラさせて立っていて、その後ろから、遥さんがひょこっと顔を出し、苦笑いを浮かべていた。
私は予想していた人物と違ったことにより、反応が遅れ、男の人の前で10秒ほど固まってしまった。
遥さんがそんな私に気づいて、「悠陽ちゃん?悠陽ちゃん!」と、声をかけてくれたことにより、私は目の前の男の人を事務所に招き入れた。
そして、今に至る。
吉田さんが座る予定だったソファに知らない男の人が何も言わず、ただ目だけをキラキラさせながら座っている。
一体誰なのか、自分へ何度問いかけても答えは見つからない。
実は人見知りな私は意を決して声をかけた。
『えっと、あの、どなた様ですか?』
男の人は少しだけ肩をはね上げた。
汗をかいている?
額に汗が滲んでいる。
もしかしてここが暑いのだろうか。
いや、でも、今は10月。
さすがに暑いことはないだろう。
だったら、あと考えられることは、体調が悪いということぐらいしかないだろう。
『あの、もしかして、体調が優れないんですか?』
私が気を利かせて言えば、男の人は首を横にブンブン降る。
思わず隣に座っている遥さんに助けを求める。
「えっと、じゃあ、とりあえず落ち着きましょうか?
深呼吸して、はい、スー、ハー。
で、次に自己紹介していただいてもいいですか?」
遥さんのおかげで男の人は落ち着きを取り戻したようだ。
だが、いまだに目はキラキラさせている。
「あ、えっと、あのっ…
お、俺の名前は、不知火 輝っす。」
不知火…聞いたことのない苗字だ。
どうやら私が忘れているわけではないらしい。
少しほっとした。
「不知火さん、今日はどうしてここに?
この場所、あまり知られていないと思うんですけど…」
遥さんの言葉は少し重たかった。
そのせいで、再度、不知火さんの額に汗が滲む。
「あ、いや、えと、その、み、冥賀さんに教えてもらって…。」
冥賀さん?
私の知っている冥賀さんという人は、一人しかいない。
まさかのそのまさか?
『あの、冥賀さんって、冥賀 雅紀のことですか?』
私が冥賀さんという人物の確認を行うと、不知火さんはさらに目を輝かせ、首を縦にブンブンと動かした。
どうやら、間違っていないらしい。
輝いている目はすなわち、尊敬の眼差しというものだろう。
私の知っている冥賀 雅紀は決してそんな人ではない。
彼は一体何を見誤ってしまったのだろう。
私は少し可哀想な目で不知火さんを見てしまった。
「不知火さんは冥賀さんと知り合いなんですか?」
「冥賀さん」というキーワードが出ただけで、彼は目を輝かせている。
「はい!
俺、冥賀さんに1か月前ぐらいに助けてもらったんす。
その時から、冥賀さんには良くしてもらってるんす!」
あ、皆さんお忘れかも知れませんが冥賀さんはあれでも一応、警察官です。
『何か、事件に巻き込まれたんですか?』
私は注意深く聞いた。
「いや、そうじゃないんす。
俺、無駄に正義感が強いところがあって、あの時は学校の帰りですっかり遅くなって夜道を歩いていたんす。
そしたら、公園で集団にカツアゲされてるおじさんがいて、俺、いても立ってもいられなくて、迷わず飛び込んだんす。
けど、集団ってこともあって口じゃ引き下がってくれなくて、向こうもいよいよ手を出してきそうな勢いで、俺も覚悟決めて、身構えたんす。
そしたら、冥賀さんがいきなり現れて、「俺、警察官なんだけど?」って言って、そいつらを撒いてくれたんす!
いやー、あの時の冥賀さんはまじリスペクトっす!
かっこよかったっす!」
私はつい、口をポカーンと開けたまま固まってしまった。
いや、冥賀さんの警察官としての一面にも驚いた。
だが、それよりも、あのたどたどしかった不知火さんはどこへやら。
theマシンガントーク…。
隣に目をやると、さすがの遥さんも少しびっくりしているらしかった。
「あ、あの、どうかしたんすか?」
「え、あぁ、いやいや。
とても良く喋る方だなぁって思って。」
首を傾げる不知火さんに、サラッと毒を吐く遥さん。
「え、あぁ!
すみませんっ!
俺、よく喋りすぎて友達からも怒られるんすよ。
ほんと、すみません。」
慌てて頭を下げた不知火さんを制止してから本題に入った。
『それで、ここに来た理由は?』
「あ、それはっすね…、」
またもや目を輝かせた不知火さんの言葉を止めたのは、ドアのノック音だった。
私はハッとして時計を見ると、丁度9時を示していた。
私は慌ててドアを開け、今度は予想していた人物であったことに胸をなで下ろした。
「おはようございます。」
『おはようございます。』
私は吉田さんに一礼し、ソファへ座るよう促した。
が、今は不知火さんが座っていたことを思い出した。
「えっと、この方は?」
吉田さんは少し戸惑っている。
ちなみに、不知火さんはもっと戸惑っている。
…遥さんっ!
遥さんを無言で見つめると、遥さんは少し微笑んで立ち上がり、上手に今の状況をまとめてくれた。
吉田さんが来てから5分。
今の私たちの状況は、二人掛けのソファが向かい合って置いてあるため、私と吉田さんが隣同士で座り、吉田さんの向かいに遥さん、その隣に不知火さんが座っている。
私は、遥さんに助けを求めたことが間違っていた、と後悔した気持ちを認めてしまった。