第十二球「記憶の夏」
三浦なつみはみんなから好かれる明るい女子高生。
お父さんの代理で頼まれたソフトボールの試合の助っ人で今まで知らなかった「スローピッチ」というルールに触れ、衝撃を受ける。
高く投じられるボールに翻弄されるも、しっかりと試合で結果を出せたことに満足ができていた。
夏の暑い午後、炎天下のグラウンド。バックネットの先にゆらめく陽炎が見える。
グラウンドに立っているとじりじりと首元に刺さるような太陽の光。
蒸した熱がユニフォームの中から伝わって首元へとこみ上げてくる。
声を失ったかのように唖然としている三塁側ベンチの上の観客席。反対に俄然、声を張り上げて大声援が響き渡る一塁側観客席。
しかも、声援は一塁側だけではなかった。応援の熱が伝染したかのようにバックネットの観客も一塁側の応援に合わせて拍手と歓声が上がっていた。
その声と音は応援される側には強力な後押しとなるが、応援されていない側には集中力の妨げになる。もう、そんな時間が十分以上続いていた。
最終回の守り、三点あった差は相手の粘り強い攻撃に遭い一点差にまで追い上げられていた。
アウトカウントはあと1つ。一塁にいるランナーがホームに帰れば同点になる。点差の上ではリードはしていても、心の余裕が徐々に無くなり、焦りが心臓の鼓動を早くさせているかのようだった。
点差が縮まる度に追い上げる攻撃側の応援席の応援のボルテージは上がり、学校名が書かれたマフラータオルを振り回す最近流行の応援が始まった。それも応援席だけでなくバックネットの観客にまで伝染していった。
ベンチから監督が守備のタイムを取った。試合が中断する。下を向いて一息ついた後、今まで立っていた守備位置を離れ、マウンド近くに集まる。他の選手も顔からは汗が流れ、帽子のつばは汗で滲んでいた。
そんな輪の中に監督の言葉を伝えにきた伝令がベンチから走ってきた。前の回に守備固めの選手と交代した上級生の選手だ。
『一呼吸入れろ。一点差、ランナーは一塁。各々が練習で覚えたことを行え』
監督らしい言葉だった。だが、それはチームのメンバー全員が分かっている。どう動けばいいか体で覚えるくらい練習をしてきた。だからここに立てている。この決勝のダイヤモンドに。
勝てば県大会優勝。全国大会への切符が手に入る。しかし、全国での優勝を掲げてきたチームにとっては県大会は通過地点に過ぎない。はしゃいでもいられなかった。
それが名門と呼ばれた私の所属する学校のプライドでもあり義務でもあった。しかし、今は連打を受け追い上げられ、浮き足立ってしまっていた。
実力ではこちらが明らかに上であった。二枚看板のエースを擁し、大技小技も決められる打線は抜け目が無く、日々の練習で鍛えられた機動力と守備力も兼ね揃え、県大会が始まる前の評価でも私の学校が優勝候補とされていた。
選手層も厚い。部員は全学年で100名を越え、監督も実力のみを見定めて、学年も関係なくチャンスを均等に与えてくれた。もちろん1試合も公式戦に出れずに卒業する選手もいた。
だからこそ、ここで終われない。
しかし、勢いが付くといつも以上の力が出ることがある。それは自身でもわかっている。だからこそ、怖いことも知っていた。
伝令がマウンドを離れ、私らも守備位置に戻っていった。
「内野! 分かってるけど、ゲッツーで決めるよ! 外野はセカンドに必ず戻して! 三塁には行かせないよ!」
戻り際に私の隣でサードを守るキャプテンが大きな声をかける。キャプテンの名前は村田奈津美。名前の漢字は違えど同じ名前だったので私の方が妙な親近感を持っていた。
私よりも学年が二つ上の三年生で、みんなのまとめ役でもあるキャプテン。有言実行をモットーとしていて、自分の言葉に責任を持っている人だった。
『ハイ!』
私もセカンド・ファーストのチームメイトも声を上げる。外野からも声が上がった。
「貴方も、落ち着いていけば、大丈夫だから、ネッ」
私がショートの守備位置に戻る時にキャプテンがちょっと茶目っ気あるような声で私に声を掛けてくれた。普段、真面目なキャプテンが滅多に出さないような言葉だったのでビックリすると同時に思わず笑みが出てしまった。
慌てて口元をグラブで覆う。それを見て笑顔でサードの守備位置にキャプテンはつういた。
試合が再開され相手チームの次の打者が左のバッターボックスに入った。打線は下位打線になっていたが、今日の試合でもノーアウトランナー無しから左方向への叩きつけるバッティングをして、キャプテンがバウンドに上手く合わせてボールを捕球して一塁に送球するも間に合わないような内野安打を打っていた。
とにかく足には気をつけないといけない。この場面ではチャンスを広げるセーフティ気味のバントも十分ありえるし定石の戦法だ。
一塁側に転がせばファーストかピッチャーがボールを捕球に前進するので、ショートの私が二塁ベースに付かないといけない。三塁側ならばサードのキャプテンが前進するのでショートの私が三塁ベースに付かないといけない。
一つのプレーであってもいくつかのケースが発生する。それを瞬時に判断して行動しないといけない。
ソフトボールに限らず、野球というスポーツを突き詰めると攻撃をする側は『アウトにならずにホームへいかに帰還するか』ということを考えなければいけない。
いくらヒットを打ったとしてもホームに帰れなければ得点にはならない。
逆にホームへ帰る為にいかにどんな方法を使うか? どんな策を出してくるのか? そしてどうその策を見切って打ち破るか・・・それを感じ取れるようになると実際に試合をしていても観戦をしていてもより楽しくなると思う。
・・・何でこの場面でそんなこと思ってるんだろ。心の余裕が少しできてきたのかな?
ピッチャーが第一球を投じた。ランナーがいるのでクイック気味にボールを投げ込む。一塁ランナーが動いた、盗塁? バッターの方を見るとバントの構え。三塁線を狙っている、自分も生きようとするセーフティバントだ。球場内がドッとどよめく。
「なつみ! 三塁!」
キャプテンが声を張り上げて猛然と前進してチャージを掛ける。すぐに捕球して二塁での封殺が狙いだ。私はすかさず三塁のカバーに向かう。と、バッターのバットの構えが妙なことに気づく。バットを止めるのでなく前に押し出すように構えている、あらかじめチャージしてくることを見越し、頭の上を越えるようなプッシュバントだ。
バットにボールが当たる。鈍い金属音が響く。ボールが前ではなく斜め上に上がった。
「小フライ! サード!!」
キャッチャーが声を出す。ふわっと上がった打球。しかし、このミスショットのようなバントが絶妙の位置に飛んでいく。
「届け!!」
グラブを頭上に伸ばして、キャプテンがボールを掴もうとする。しかし、僅かの差でボールに届かない。そのままのけぞるような姿で後ろ向きに倒れていく。私の目にはスローモーションのように映っていた。
ボールがゆっくりと三塁線のフェアゾーンに落ちた。
刹那、光が視界を全て奪っていく。全てが光に呑まれ、景色も音も消えていく・・・。
どれくらい経ったか。視界から光が薄れていく。見慣れた部屋の天井が目に入った。
「また・・・か」
何度もこの夢を見た。一時期はこの夢を見たくなくて眠れなくなるくらいだった。気づけば両目から涙が流れている。
消えない記憶と言うべきものか。
「・・・もう」
目じりの下の涙を指で拭い、小さくため息をついて体を起こした。
「支度をしないと・・・」
ベットから立とうとした時、両肩とふくらはぎに痛みが少し走る。昨日の試合の筋肉痛が少し残っているのか。今まではそんなこと無かったのに、体がなまっていた証拠だろうか。以前はそんなことが無かったのに…。
「少し、運動しないとな・・・」
身支度を整えて制服に着替えてダイニングのある1階に降りる。既に母親が朝食を用意していた。珍しく父も食事をとっていた。
「父さん、今日はゆっくりできるの?」
家は自営で花屋をやっている。父は朝から市場に買い付けに行くことが多く、私が朝食をとる時間には家にいないことが多かった。
「ああ、今日は大丈夫だよ。昨日はお疲れさん」
ダイニングの椅子に座った私に父さんが片手にコーヒーを持ったまま話しかけてきた。
「久しぶりの試合だったけど、鯨子もいたし、町内会の皆さんと楽しくやれたよ」
「そうか、それならいいんだ。今度、みんなで辻さんとこ行ってお礼がてらご飯食べに行こうか」
「うん。鯨子にも話しておく」
「そうか・・・ならいいんだ」
少し間が空いてから父がそう呟いていた。目は私ではなくテレビの方を向いていた。テレビでは地元のローカルニュースが流れていて、高校野球の春の県大会の試合結果を流している。
(まだ、父さんも気にしてるのかな…)
それ以上は私も聞かなかった。食事を終えて学校に行く準備を改めて確認して家を出た。
「ナッちゃん、おはようさん」
家から最寄駅に向かう途中、鯨子に会った。鯨子の家は私が駅に行く途中にある。
「昨日はありがとう。久しぶりに動いたもんだからちょっと筋肉痛がね・・・エヘヘ」
「時々、体動かさないとダメだって。私と違ってナッちゃんは体をなまらせちゃ勿体無いわよ」
「まぁ、そうだけど・・・今はどうもね・・・」
「うちの部活に居候してるようなものだけど、いつでも運動部に入ってもいいって顧問の先生も言ってたよ」
私は変な時期に転入したこともあって、今は鯨子の所属している料理部に居候している。実際に運動部から誘いがあったこともあった。でも、自分の気が乗らなかった。どこかやる気が出なかった。
そんなことを話つつ家の近くから電車に乗り、学校の近くの駅で降りてそこから山のような丘の上にある学校にバスに乗って向かった。
(いつ乗ってもこの学生でいっぱいのバスは慣れないなぁ…)
前は駅から学校が近かったから余計に通学に距離のあることに慣れていなかった。混んでいるバスの中ではなかなか座れることが少ない。今日も立ち乗りだったが、隣に乗っていた鯨子は立ったまま寝ていた。
(慣れればこれくらいできるのかな…)
駅から15分くらいバスに揺られてからやっと学校に着いた。生徒しか乗っていないバスはさながらスクールバスのようだ。着く頃には少し疲れてしまうくらいだ。
校舎に入る前に運動部のグラウンドの脇を通るのだが、校舎脇の花壇の辺りが騒がしかった。人だかりができていた。
「ありゃ? 校舎のガラスでも割れたか?」
鯨子が興味津々で様子を伺っている。しかし、ガラスが割れたようでは無いようだ。鯨子に続いてなつみも近づいてみると人垣の先でジャージを着ている生徒と花壇の前で女生徒が言い合いをしているようだった。
(花壇の柵が壊れてる? その脇にボールが・・・あれはイエローボール?)
女生徒の足元を見ると花壇を仕切っている高さ15センチくらいのプラスチック製の柵がいくつか割れて壊れていた。そしてその足元には何個かのイエローボールと呼ばれる革のソフトボールが転がっていた。
(ということはソフト部の人が柵を壊したってこと?)
「あ、あの子、クラスの梨沙じゃない?」
鯨子が花壇の前で立ってる生徒を指差した。梨沙とは同じクラスの七野梨沙のことで、目が隠れるくらいに前髪が長いのが特徴で確か美化委員をやっているおとなしい子って印象がある。
そんなに目立つタイプでは無いんだけど、何があった?
(続く)
久しぶりの更新です。
ここから、新展開になっていきます。
個性的な登場人物も続々出てきますのでお楽しみに!