12、会戦初日の終わり
ちょっと長めです
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冒険者集団と共に進む馬車の中で、シャールカ・ブレスニークは昔を思い出していた。
彼女は一番古い記憶の中でも、公爵家の令嬢だった。だというのに、自分の実母という存在を知らなかった。
父の正妻であった兄たちの母は知っていても、自分の母との記憶がない。周りも正妻の子という扱いをしていたので、気にもしていなかった。
ただ、その正妻とは会話がないので、母というものを知ることはなかった。
そんなルカが、自分の叔母だという女性を紹介されたのは、五歳のときだ。
「たまに顔を見せてあげなさい」
父であるクサヴェル・ブレスニークが面倒そうに言い、その部屋に置き去りにされたのを覚えている。
「は、初めまして、マーリア叔母様」
まだ幼かった頃のシャールカは、かなりの人見知りであり、いきなり知らない親戚と二人きりにされては戸惑うだけであった。
「いらっしゃい、シャールカ。久しぶりね」
儚げな笑顔を浮かべた金髪の女性だ。当時は二十歳前半ぐらいだった。彼女は窓際の揺り椅子に座り、緊張した面持ちの幼子に笑いかけた。
どこかで会ったことがあるだろうか、と幼いシャールカは必死に首を傾げる。するとマーリアはゆっくりとした足取りで近寄り、彼女の前に跪く。
「ま、マーリア叔母様……?」
何を話して良いかわからないシャールカを、マーリアは愛おしそうに抱きしめた。
「あ、あの……」
その暖かい温もりは初めての感触だった。優しい香りが幼子を落ち着かせ、その鼓動が彼女の眠気を誘う。
しかし、目を閉じたシャールカの耳元で、マーリアが不思議な言葉を呟く。
「本当に久しぶり……私の愛しい子……シャールカ」
幼い令嬢は何となく気づいた。この人は誰かと自分を勘違いしているのではないか。
だから訂正しようと思った。
だというのに、マーリアの抱擁がとても暖かく心地よくて、何も言えなかった。
シャールカ・ブレスニークは己の母を知らなかった。
この叔母の胸の温もりが、そういうものに近いのだろうと彼女は思った。
それが、彼女と五歳のときの思い出の一つだった。
「ヤロミーラ? いるかい?」
EAを隠している倉庫から宿屋に戻ってきたオトマル・アーデルハイトは、ブレスニークにいた頃から世話をしてくれていた未亡人を探す。
「どうしたんですか? オトマルさん」
部屋の奥から、侍女のような姿をした砂色の髪の女性が姿を現す。どこにでもいそうな女性とも言える、特徴のない容姿の人間だった。
「良かった……。えっと、あの人の姿が向こうの家にも見えなかったんだけど、知らないかな?」
「マーリア様ですか? いえ、存じ上げませんが……。クリフさんが連れていったのでは?」
「クリフ君が?」
「ええ。今日の朝、オトマルさんが出かけれた後、訪ねてこられて、違う場所に連れて行くから、後で連絡すると」
「そ、そうか。ごめん、そういうことらしいんだ、リリアナ」
ばつが悪そうなオトマルは背後にいた娘に声をかける。
彼女は革の鎧を着て剣を腰に差し、金髪を三つ編みにして後ろに垂らしていた。その顔は訝しげな目をしている。
ヤロミーラと呼ばれた未亡人は、そんな視線を向けるリリアナを見て少し戸惑った。
「あ、あら、オトマルさん、そちらは確か」
「ああ、娘のリリアナだ。会うのは初めてだったよね?」
「いえ、遠くからは見かけたことぐらいは……。初めまして、リリアナさん」
少し慌てた様子で頭を下げるヤロミーラに対し、
「ごめんなさい、少し急ぐから」
とリリアナは踵を返した。
素っ気ない彼女の態度に驚いたオトマルはが、やや憤慨した態度で、
「リリアナ? そ、その態度は」
とたしなめようとする。それなのにどこか娘を恐れている節が見受けられた。
「ごめんお父さん、そういうことじゃないから。あとヤロミーラさん?」
「は、はい」
「ああ、今日はお化粧が違うのね。年上に見える」
「え? ええ、そうですか?」
未亡人は顔を抑えてリリアナから隠そうとするが、彼女は念を押すように、
「マーリアさんの行き場所は知らないのね?」
と尋ね直し、睨むような視線を向けた。
「は、はい。クリフさんが」
だが相手は少し怯えたような表情を浮かべるだけだった。
「わかった。そういうことにしておく」
「え? えっと……?」
「じゃあね、お父さん」
彼女は短く別れを告げて駆け出す。
その姿が見えなくなって、オトマルはホッと安堵のため息を零した。
「あの……何が?」
不安げな顔のヤロミーラが、隣にいたオトマルを見上げる。
「い、いや、ブレスニークの令嬢がクリフ君に従ってる理由を知りたがって」
「実の母が関わることですものね……」
「違うんだ。不思議と興味は示さなかったんだ、あの子は。だけど、ブレスニークの令嬢がそのせいで従ってるって聞いて解放しようと向かったんだけど……」
彼はレクターの前で問い詰められたときのことを思い出す。
なのに、オトマルが知っている場所に向かったとき、そこにマーリア・ブレスニークはいなかった。だから、世話をしてくれていたヤロミーラの元へと来たのだ。
「えっと?」
困惑した表情に変わった彼女の肩へ、オトマルは優しく手を回す。
「だ、大丈夫。何でもないよ。さあ、荷造りの準備をしよう」
「は、はい。でも、アエリアでちゃんと暮らせるんでしょうか?」
「クリフ君が保証してくれてるのだし、大丈夫だよ」
「そうですね……でもオトマルさんも走ってきたみたいですし、お茶でも貰ってきます」
「ありがとう、助かるよ」
「ではちょっと下に行ってきますね」
部屋の奥に向かったオトマルを置いて、ヤロミーラは部屋の外に出た。
廊下を歩きながら、彼女は小さく安堵のため息を吐く。
――バレたかもしれないけど、とりあえずは大丈夫そうね。オトマルはそろそろ危ないか。
そのEA開発者は、全く気づいていなかった。
以前から世話をしてくれていたこのヤロミーラが、シャールカの侍女であるレギナ・バジナであることに。
そして彼女が、シャールカに従う存在ではなく、独自の目的で動いていることなど、露ほども知ることはなかったのだった。
メナリー連合軍の最後部に近い集団に、クリフの仲間である斥候のリッジが戻ってくる。冒険者用EAシーカーの兜を上げて見えた顔は、焦りが見えていた。
「リーダー、先陣の第三神官騎士団は押し戻されたようだ。中盤でえらく混乱してやがる」
「押し戻された?」
「ああ。帝国の本陣に向けて進んでるところにEAが現れて、三百ばかりを犠牲に撤退してきたそうだ」
「ホントかよ。相手の数はわかったか?」
「聞いてきた。二十体ばかしだそうだ」
その言葉を聞いて、クリフも兜を跳ね上げて顔を剥き出しにする。
「はぁ? なんだそりゃ? そこまで性能差があるってのかよ!? たった一年でそこまで性能が上がるわけねえだろ? 真竜国のときだって、オレたち特級冒険者の相手じゃなかったぜ?」
「知らねえよ……神官騎士団の連中がそう言ってたんだぜ?」
「おいおいおい、どこが楽勝だよ……」
「言ってたのアンタだろ、リーダー……。何でも赤いEAがいたそうだ。剣聖と同じ技を使うそうだぜ?」
「剣聖がEAを……ビーノヴァーとかいうヤツか。そこまで力量差があるのかよ……神官騎士団だってザコじゃねえぞ……」
戸惑いの表情を隠せず、クリフは考え込み始める。
まだ始まったばかりとはいえ、たった二十機程度に三百を失うのは予想外だった。彼の弟は前剣聖だった男だ。その称号の実力はよく知っている。
「確かに少し舐めていたようだな。剣聖ならあり得る。だが敵にいる強えのはその剣聖とヴィート・シュタクだけだろ? なら数の優位が勝利に結びつくのは変わらねえはずだ」
「だけど、聞いた話じゃ、ヴィート・シュタクとその剣聖は聖龍レナーテをやったそうじゃねえか」
「二人でってわけじゃねえだろ。それにオレたちはレナーテに縁遠いからな。どんだけ強かったかもわからん」
「で、どうすんだよ? このままゆっくり最後尾を進んでいて良いのか?」
「そうだな……」
グルリと仲間を見渡す。
スキッチという巨漢は死んだが、エルフのライニ、斥候のリッジ、魔法士のリチャード、そして神官のニコラというメンバーがいた。
その背後には百人近くのアエリア聖国遊撃騎士団が、EA『シーカー』を装着して控えていた。
つまりメナリー側のEA約四百のうち、百機以上がこの場にある。数こそ少ないが、最大戦力の一つで間違いなかった。
「計算上の話で言えば向こうの方のEAが百機多い。その百機分と残り千五百のEAのない奴らを、こちらが残り四千三百の兵で埋めれば良いんだから、勝機は十分にある」
自信ありげに言うクリフの言葉を聞いて、斥候のリッジが不満げな顔を浮かべる。
「単純な数の話ならそうだけどよ。メノア帝国だぜ? 二十機ばかりで神官騎士団の三百をやってのけたんだ。やべえ気がする」
「逆に言えばリッジ。アイツらは全数の千五百を持ってしても、その剣聖ビーノヴァーとかいうのを仕留めておかなきゃいけなかったんだ」
「アイツらはやらんだろ、クリフ」
「まあな。だが、古来から称号持ちを仕留めるのは、いつも数の優勢だ。強大な力を持ってても、疲労はするし魔力も枯渇する」
クリフは肩越しに斜め後ろの荷車を見る。そこに乗っている銀髪の令嬢は、外の風景を
無表情で眺めているだけだった。
――旗印を出すわけにはいかねえが、もし噂のヴィート・シュタクが出て来たなら、考えなきゃいけねえな。
「なあリッジ。仕掛けの方は?」
「ドラクボゥール河の上流の水を一部だけ堰き止めてるヤツか?」
「ああ」
「この二週間の間でかなり貯まったはずだぜ。最悪のときは河を渡った後に合図を送れば大丈夫なはずだ」
二週間前の宣戦布告を受けた後、彼らが仕掛けた古臭い罠だった。
大河の上流の一部を堰き止め、いざとなれば一気に放流する。放たれた膨大な水量が、河を渡る敵を押し流す寸法だ。
そのためには河を渡りやすい浅瀬を逃げる必要がある上、撤退時もかなり敵を近づけなければならない。下手をしなくても、味方がいくらか巻き込まれるだろう。
「こっちも、どの瞬間に放つかが難しいな。だが、戦はタイミングってアエリア聖国の昔の賢者もおっしゃってたそうだぜ」
肩を竦めるクリフを見て、リッジも呆れたように苦笑した。
「ともかく合図は任せるぜ、リーダー」
「ああ。たまには騎士団長らしく働いて見せるさ」
「酒を奢るのが仕事だと思ってたぞ」
「その金を引っ張ってくるのが仕事だ。間違えんな」
二人はEAのまま肩を組み合って笑い合う。
彼らは長年連れ合った仲間同士だ。そこにある信頼関係は強固なものだ。少なくともクリフはそう信じている。
戦争は始まったばかりだが、今の彼に不安はない。
何としても進まねばならない未来もある。
「さ、もう少し急ぐか。帝国を一度も見ないで終わるわけにもいかねえからな」
アエリア聖国遊撃騎士団長であり特級冒険者でもある大剣豪クリフ・オウンティネン。
彼にはやらねばならないことがある。
だから戦場を目指して進む。
そこにどのような戦いが待ち受けているか、彼らはまだ知らない。
皇女ハナ・リ・メノアは本陣である大きな天幕の中で、背もたれの高い椅子に背筋を伸ばして座っていた。わざわざ近衛と侍女が探してきたものだった。
彼女の表情は楽しそうに微笑んでおり、視線の先には慌ただしく動く右軍の将兵たちがいる。
天幕の中央で伝令の兵士たちに指示を出した壮年のブラジェイ中将は、皇女と目が合いわずかに眉をひそめた。
彼の近くに置かれた机には地図が置かれており、未だ幕僚たちが意見を交わし合っている。
「中将」
ハナの呼びかけに、現在の最高司令官は踵を返して彼女の元に近づき敬礼をした。
「何か御用でしょうか、殿下」
「大変恐縮なのですが中将閣下、今のご指示はどういったものでしたか?」
「先陣を抑えられて押し返され、大きく横に広がった敵の戦列に、打撃を与えた後の指示です」
「わかりましたわ。ちなみに中将閣下、どのような内容でしたの?」
ポンと楽しげに胸の前で手を叩いたハナが、ニコニコと笑みを浮かべたまま再び問う。
「詳しいご説明がご必要でしょうか?」
「いえ、もし間違ってたらご指摘下されば結構です」
「は?」
「押し返された千五百のうち千二百は、そのまま交代。ただし後ろから来てる他の部隊とぶつかるので、そこが大きな兵のたまり場になる。おそらく混乱していることでしょう。そこに遠距離から砲撃を仕掛けた。ここまでは?」
「……おっしゃる通りの行動です」
「まあ、良かったですわ! それで混乱した敵軍はその場で留まる人間たちと、さらに後ろに撤退する部隊に分かれる。ここで中将たちの選択は、留まった敵を徹底的に殲滅する。そうですわね?」
「幕僚の意見を合わせた結果は、そうです」
表情一つ変えずに返答するブラジェイに、ハナは椅子から立ち上がって胸に右手を当てた。
「ちょっと自信がなかったのでホッとしました。殲滅する手段は、EAでの白兵戦。敵のEAはどちらかといえば後方に集中しております。先陣のアエリア聖国第三神官騎士団と思しき集団は精強といえど、ただの人間たち。選択肢としては、とても良いと私も思います。右軍の幕僚が優秀なことが、私はとても嬉しいですわ」
美しい皇女が花開くような笑みをブラジェイに向ける。
彼は軍歴が長く、以前はアネシュカ・アダミークに付き従っていた叩き上げの兵士だった。そこから指揮の優秀さを買われ、将校に上がってきた男だった。
そんな彼だからこそ、幕僚たちが上げてきた作戦の失敗点には気づいている。
ゆえに聞こえないように小さな舌打ちをした。今は亡き右軍大将が、彼女を腹黒と称した理由がわかった気がしていた。
ハナはそれに気づいてか、口元を手で隠し、ブラジェイの顔を見上げて意地悪げに笑う。
「ですが、もしアダミーク閣下が生きていらっしゃったなら、このような方策は取らない、と申し上げますわ」
皇女の放った言葉に、天幕内が静まる。
全員が動きを止め、戸惑っているような表情を浮かべている。
「……それはどのような意味でしょうか?」
「あら、中将はご理解されていると思っておりましたわ」
見透かしたような発言に、ブラジェイは大きな拳を強く握りしめた。
彼が黙っていると、その後ろから幕僚に選ばれた男が歩み出て、ハナの前に跪く。三十代半ばの生真面目そうな短髪の軍人だった。
「恐れながらハナ殿下。そのようなお言葉は、おやめいただけますでしょうか?」
「あら? なぜでしょうか?」
「軍に明るくはいらっしゃらない殿下のお言葉とはいえ、士気に関わります」
「まあ、それは大変失礼いたしましたわ。えっと、その階級章は中佐殿でしたか。私、本当に戦に詳しくなくて……見当違いのことを申し上げてしまったようですわ」
ハナは両手を胸の前で組んで幕僚の元に腰を落とし、潤んだ瞳で下から覗き込む。
秘したる花と呼ばれる皇女の顔を間近で見て、幕僚はわずかに顔を赤くして見惚れてしまった。彼女をこの距離で見ることなど、近衛部隊でも不可能だ。
「い、いえ、殿下こちらこそ……」
「ですが、間違っているものを指摘するのも皇族の務めですわ」
中佐の言葉を遮って、ハナが悪戯が成功した子供のように笑う。
「は? え?」
呆気に取られた彼を尻目に、皇女は立ち上がってスカートの埃を払いながら、
「だって、間違ってるんですもの。ご説明をする必要がありますか? ブラジェイ中将閣下?」
と隣にいた中将を見ずに問い掛ける。
「いえ、ございません殿下」
「あら良かったですわ。あら中佐殿、早くお立ちになって?」
未だ言葉が出ない幕僚に言葉をかける姿は、先ほどまで見せていた世間知らずの皇族ではなかった。
幕僚は膝をついたまま、軍の司令官を見上げる。すると彼は、
「これでは、明日の敵が強くなるだけなのだ、中佐」
と重い声で呟いた。
「え? あの」
「今回の敵の最後尾には、真竜国で我々相手に逃げ切った特級冒険者が控えている。その上でまだ姿を見せていない称号持ちまでいる。さらに言うなら、メナリー軍の旗の一つであるブレスニークの令嬢もだ」
「し、しかしここで敵を少しでも多く殲滅しておかねば! 数の上では我々は不利なのです!」
反論する勢いに任せて立ち上がった幕僚の右肩に、中佐の大きな手が置かれる。
「アダミーク閣下なら取らぬ、とハナ殿下がおっしゃったのは、そういう意味だ。我々は、安全策を取った。少しでも戦死を減らすためにだ。ゆえに相手の数を減らすことに重きを置いた奇襲だ。それらの戦術は決して間違いではない。諸君らは幕僚として仕事をしたと私は判断する」
「で、では」
「我々がアエリア第三神官騎士団を殲滅したとしたら、残りは危機感を覚える。人は危機感を覚えれば団結するものだ。そして、人間が一丸となるには旗が必要となる。称号持ちやブレスニークの令嬢などという旗印が。そうして一丸となった集団は、数が多いときよりも強い。我々帝国軍が、かつてそうであったように」
「し、しかし我々はより安全に、最初に多くの敵を殲滅する手段として最適かと」
「私もそう思う。敵を千五百も潰す機会など、そうそうない。だが、逆に言えば、千五百しか潰せんのだ」
「……ご存じなら、おっしゃっていただければ」
「すまんな。だが君たちが提案してくれた策が、一番安全により多くの敵を潰すことができるのも間違いない」
中将の言葉に中佐が項垂れる。
そこへハナが近づいて、
「ご理解いただけたようで何よりですわ」
と嬉しげに笑いかけた。
彼女に見えないように舌打ちをした中将だったが、ゆっくりと振り向くと、
「殿下のご慧眼、恐れ入りました」
と無表情で誉める。
「いえ、アダミーク閣下なら、多少の危険を取っても確実に頭から滅ぼそうとするだろうなと思っただけですわ」
「しかし、失礼ながらハナ殿下がここまでご指摘されるとは、思っておりませんでした」
「あら、私、アダミーク閣下に腹黒と呼ばれるほどには、知恵が回るつもりでしたのよ?」
珍しくハナが照れたような笑みを浮かべていた。彼女にとっても、アダミークという名は多少特別らしい。
もちろん右軍にとっては、その女将軍の名前は崇拝にも近い念を抱く対象だ。
用意周到かつ大胆な策で敵を滅ぼしていく。その上で自らも戦場働きをし、多くの敵をその手で葬ってきた武人でもあった。亡くなった今では一部の人間が軍神として祭り上げようとするほどだ。
かつての北西三カ国連合の最初の侵攻では、最後まで生き残り、皇帝を逃がすことに成功した。
そんな人物を失った代償は大きかった。装備や人員こそ揃ったが頭がいない、というのがブラジェイ中将自身の認識だった。
「ですがハナ殿下。戦術としては間違っておりませんし、戦略としても間違っておりません」
だが、それでも彼は言わねばならない事実がある。
「あら? どういう意味でしょうか?」
不思議そうに小首を傾げる彼女に対し、ブラジェイが初めてニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「我々には、あの男がおりますからな」
「あの男」
「もちろん、彼ですよ。そう、ヴィート・シュタク大佐です」
ブラジェイが幕僚たちが上げた不完全な策を採用した理由。
それはひとえに、仮面の男が支持したからであった。
「に、逃げろ、逃げろぉ!」
金色に光る斧を持ったドワーフが、悲鳴に近い声を上げている。
彼は馬を走らせ、その存在から逃げようとしていた。
「わ、我がタラリス軍が! な、何がどうなった!?」
併走していた馬に乗ったヒトもまた、焦りの表情を浮かべている。
「は、はい! 逃げ帰ってきたアエリアの神官騎士団に向かい、帝国のEAが砲撃を開始、彼らを包囲し、白兵戦を仕掛けました」
「そこまでは知っておる! その後だ!」
ドワーフの将軍が副官に怒鳴り散らす。
「我が北タラリス義勇軍は、そ、その、神官騎士団を囮にして撤退をしようとしました。そ、そこに」
「アイツが現れたのか!? 一人でか?」
「そ、そうです!」
「シーカーは!? シーカーを当てろ! EAにはEAだ!」
金色の斧を持ったドワーフの男が声を上げる。彼は馬で走りながら、チラリと背後を見た。
そこでは冒険者用EA『シーカー』が戦列を組み、左腕から魔力砲撃を一斉に放っている。
目標は一体の帝国製EAだった。黒い影からしみ出たような色合いの、細身の鎧である。
「な、なじぇ効かん!?」
シーカーたちは二十機ほどいる。
その全てが、黒いEAに向けて魔力の塊をぶつけていた。
だが、その全てが装甲に当たる瞬間に、霧のようにかき消えていった。魔素に還るときの緑の発光現象すらない。
代わりにEAの表面に這った赤い線が不気味に光っていた。
「なぜ、なぜじゃ、なぜアヤツには効かん!?」
「わかりません! 将軍、今は逃げましょう!」
「わ、我らの五百の軍勢が、い、EAもあったというのに!」
タラリスのドワーフは前を向いて、手綱を叩いて馬を精一杯走らせる。
背後で大きな爆発音が鳴った。
「や、やったか?」
タラリス義勇軍の将は、馬上から背中越しに背後を見る。
そこには、上半身を溶かされたようなシーカーたちが残っており、黒いEAはそれらの間を何事もなくゆっくりと歩いて通り抜けた。
「ば、バカな!? これが帝国の兵器、EAじゃというのか!」
「将軍を守れ! シーカー! 何をしている!?」
副官が叫ぶと、一機のシーカーが背後から黒いEAに飛びかかる。
しかし、相手は振り向きざまにその首を掴み上げると、一瞬で兜ごと握り潰した。
「あ、悪魔じゃ、伝説の悪魔じゃ!」
「閣下、前にまだ残りのシーカーがおります!」
彼らの視線の先には、三十機のシーカーが扇状になって二列で並んでいた。後方に待機させていた人間たちの者だった。戦闘の音を聞いて駆けつけたようだ。
ドワーフと副官は懸命に馬を走らせた。そして何とか味方のEAの背後へと回る。
「く、来るぞ、構えろ!」
前列の十五機が膝をついて左腕を伸ばす。後列は立ったまま砲撃口を黒い影へと向けた。
速度を上げて追っていた黒いEAは、彼らを見て足を止める。
それから左手を伸ばし、人差し指でチョイチョイと小馬鹿にした動作で敵を招く。
「う、撃てええええ!」
タラリスの将軍の声で、三十機のシーカーが一斉に魔力砲撃を放つ。光る塊が空中を高速で飛び、黒いEAへと次々と当たった。
「だから、なぜ消えるんじゃ!?」
しかし、魔力砲撃は装甲に触れた瞬間、全て霧か霞みのように消え去った。
代わりに鎧の表面の赤い線が脈動するかのように光る。
「せ、接近戦じゃ! 剣でやれ!」
その命令を聞いて、シーカーたちが剣を抜いて走り出す。
「バカが」
そんな短い嘲りが聞こえた。
次の瞬間に、黒いEAが左腕を振う。
その先からまるで長い曲剣のような光が放たれ、シーカーたちの上半身を吹き飛ばした。
襲いかかろうとしていた二十機近くが全て破壊され、残りの機体も恐れおののいて後ずさりをする。
「な、なんじゃ、何なんじゃ、お主はあ!?」
驚愕と恐怖に染まった表情のドワーフが、大声で問い掛ける。
だが答えはない。
次の瞬間、彼らの目には黒いEAの姿がブレたように見えた。
「消えた? ちがっ」
言葉が終わるよりも早く、黒いEAが体勢を低くしたまま滑り込むように近づいていた。 そのまま爪を揃えて右腕を伸ばす。一体のシーカーが胸を貫かれた。
慌てた一体が剣を振り上げたが、至近距離で放った左手の魔力砲撃で頭を吹き飛ばされていた。
「ひぃ!?」
ドワーフの将軍が腰を抜かす。
残りのシーカーたちが黒いEAに剣を向けた。副官も、破れかぶれで剣を抜いて立ち向かおうとした。
だが、その鎧が軽く腕を振ると、魔力の波のような攻撃が再び放たれる。残りの全ての首が吹き飛ばされていた。
「な、なんじゃ、何なんじゃお主は!?」
死が形をなして眼前に存在している。
義勇軍の将軍はすでに失禁していた。
それを見た男は、呆れたような口調で、
「ディアブロ」
とだけ返答する。
そして、タラリス義勇軍のドワーフの上半身を消し飛ばした。
こうして、北部タラリス王国からの軍勢は、ほぼ壊滅したのだった。
「お兄様……」
夜の帳が降りた本陣の中、用意された分厚い天幕の中にいたハナは、珍しく顔を引きつらせていた。
なお、近衛や侍女たちは天幕の外で控えている。一人になった彼女の手には、一枚の報告書があった。そこには一日目の出来事が書かれている。
内容は次のような簡潔なものだった。
アエリア聖国第三神官騎士団は、ほぼ壊滅した。団長ブレンダン・アスキスは捕虜とした。
撤退を始めた各国からの義勇軍の一つである北部タラリス王国軍。
それと遭遇したヴィート・シュタク大佐は、単機で強襲。百機近くのEAを全て破壊した。
帝国右軍の作戦は、ハナが指摘した通り大きな欠点があった。
だが、彼女の兄はその作戦を支持した。
「ただ単に、その方が多くの敵を自分の手で殺せるから……ですわね……」
さすがのハナ・リ・メノアとしても、その動きに戦慄を抱かずにはいられなかった。
「おそらく次の会戦で、敵は一丸となって戦力を建て直してくるはず。バラバラだった今日の五千よりも、明日の三千の方が手強い。だけど、それもシュタク大佐の考え通り」
彼女は、兄の動機をそう結論づけた。それが一番、しっくり来たからだ。
思えばブレスニーク聖騎士王家のときもそうだった。シャールカを使いまとめさせ、一撃で叩く。真竜湾での竜騎士掃討も同じような傾向だった。
「まったくもう! それでは面白くありませんわ!」
淑女らしからぬ声を上げ、ハナは用意されたベッドへ仰向けに倒れ込む。
美しい金髪がシーツの上に乱れて広がった。
「陛下……」
ハナ・リ・メノアは元々、ユーリウス帝の弟夫婦の娘だ。だが早世した彼らに代わって皇室に引き取り、自由にさせてくれた。皇女としての政略結婚すら求められなかった。
ゆえに恩義もあり、親といえばユーリウスの方だと彼女も思っている。
だから、彼女なりに仇討ちの意味も理解している。
「そうだ、明日は私も戦場に参りましょう、どうせシャールカも出てくるでしょうし」
それでもハナは自らの楽しみを優先する。
彼女は寝転んだまま瞼を閉じ、楽しそうな顔を浮かべるのだった。
ブレンダン率いる神官騎士団殲滅戦は省略しました……
「明日は休んで月曜日からまた投稿」と投降時に書いてたんですが、予定が狂って火曜更新になりそうです。
理由は、できあがった内容に私が納得いかなかったからです。本当に申し訳ありません。




