4、聖母
ザハリアーシュの執務室は、父さんの執務室の一つ下にあり、かつてはエリクが使っていたものだ。
調度品の趣味だけは良かったのか、落ち着いた色合いの木材を磨き上げた机やソファーが並んでいる。
今、そこで向かい合って茶を飲んでいるのは、オレとザハリアーシュとハナという三人だ。
おそらく、この間の霊廟行きの馬車の話の続きをしたいのだろう。ザハリアーシュがオレたち二人を呼んだ形である。
しかし前回と違い今回は、兄二人が一つのソファーに並び、反対側にハナ一人という配置だ。話を途中で終わらせたオレたちを問い詰める気なのだろう。
「まずメナリーの話を始める前に、お兄様方、まだお答えいただいていないことががありますわ。魔素は意思を持ち、しかもある程度自由に動けるのでしょう? という質問です」
ハナが頬を膨らませて、いかにも怒っていますよという表情を作る。ガキ臭い。バカが。
とはいうものの、降って湧いた真実に、興味が尽きないのだろう。
チラリと隣のザハリアーシュを見るが、困ったような顔でポリポリと鼻の頭をかいていた。
仕方ない。オレが説明してやるか。皇太子はこういうのが向いてないからな。
「オレたちのように、一粒の魔素単体で思考能力があるわけではない」
「世界中に散らばる魔素が、単純な信号をやり取りしあうことで、全体として自己保存と自己増殖に特化した動きを行うということでしょうか?」
「それを意思とか意識と呼ぶのかと言われると、おそらく違う。動物や魔物に近い思考方向だろう」
「そうなると蜘蛛が近いでしょうか……」
「自分で考えろ。あと魔素はある程度は自力で自由に動ける。動く速度はかなり遅いがな」
「やっぱり! それに魔素が濃ければ魔物が集まる。事実、真竜諸島共和国は魔素が濃かったゆえに、竜が集まり聖龍が居座ったのですわね」
「そういうことだろう。魔物は食物の他に、濃い魔素に惹かれる性質がある。体内により多くの魔力を蓄えるためという話だがな」
「魔素が濃くなれば、生態系や環境を破壊するほどに魔物が集まることがある。そう、例えば水を飲む生き物が莫大に増えれば、木を食らう魔物が増えれば、その結果によってしわ寄せを食う地域もある、というわけですわね」
「今回、冷害が起こされたのは、ブラハシュアとヴラトニアだった。しかし気づいたときにはもう遅い」
「そこに称号持ちが現れたなら? ということですわね、ヴィレームお兄様」
「そうだな。帝国を侵略する気持ちも湧くだろう。許されることではないがな。頭を垂れて帝国に頼めば良かったのだ、アイツらは」
二王国の首脳部が食料の都合を帝国に要望すれば、大国としての器がある我が国は、援助をしてやっただろう。
「魔素が自己増殖するがために、未来を演算して作り出した! つまり世界中の魔素同士が繋がって、大いなる意思を持つ群体なのですね!?」
「楽しそうで何よりだ。そういう理解で良いだろう」
「魔素は全てを予測し、自己増殖を目的として、自らの移動により運命を操る! この世界はぜーんぶ全部が、魔素の意思によって折り込み済みの世界なのですわ!」
楽しくて耐えきれないとばかりに、大きな動作で目を輝かせながら話を続ける。
隣のザハリアーシュは、すごく面倒臭そうな顔している。オレも同じような顔をしている自信がある。
そんなオレたちの表情に気づいてか気づかずか、ハナ・リ・メノアはなおも続ける。
「まさにこの世は、誰かのための理想郷!」
ハナが神世の時代の言葉を持ち出した。
ディストピア。遥か昔に存在したとされる、幾多の称号持ちにより管理されていた理想郷だ。そこに争いはなく、皆が幸せで暮らしていたという。
「そして魔素は世界中を覆う、大きな魔物のような存在であり、我々を管理し運命を操って増殖するわけですわね! それを絶滅させようというのが、帝国千年計画の目的! 」
得体の知れないものに作られた悲劇など、もううんざりだ。それが帝国の始祖アダルハイトの言葉だそうだ。現に始祖の計画通り、世界は悪魔の石により魔素の支配を脱しつつある。
しかしどうもハナには、理解したことを得意げに説明しようとする癖があるようだ。
返答してやるのもバカバカしくて、テーブルの上からカップをつまみ上げて黒豆茶を口に含む。
そこにノックが鳴った。
「入れ」
ザハリアーシュが低い声で許可を出すと、色んな種類の甘菓子を載せたワゴンが入ってくる。
漂ってくる匂いに鼻がやられそうだ。
「私が手配いたしましたの。ザハリアーシュお兄様がお好きと聞いて」
そりゃ知らんかった。甘い物が好きなのか。オレは甘すぎるのは苦手なんだが。
「お、おいバカ、やめろ!」
「どうしてですの?」
「皇太子としての威厳が崩れるだろう!?」
その必死な形相に妹がぷっと笑いを吹き出した。
「な、なぜ笑う? ハナよ」
戸惑いの込められた質問を聞いても、ハナは何とか大声を上げないように腹を押さえて笑い続けるだけだった。
「ザハリアーシュ兄上」
「なんだヴィル」
「もう手遅れだ。諦めろ」
オレの言葉に兄は愕然とした顔を浮かべ、ハナは堪えきれなくなって大声で笑い声を上げ始めたのだった。
何はともあれ我々帝国の皇子皇女三人は、陛下が進めていた千年の計画を引き継ぐことに同意した。
つまり世界中を覆う魔素という物質を、このまま希薄化させていくという結論に達したのだった。
■■■
「あぁ、虐げられたい……」
ヴィート・シュタクを遠目で見ていたラウティオラが、うっとりとした顔で呟いた。
「いきなり何を言ってるんだお前は……」
寝ている聖黒竜からEAを外していたエリシュカが、手を止めて眉間に寄った皺を解す。
彼女たちがいるのは、帝都にある右軍基地内の格納庫だ。二十ユルほど反対の壁際には、ヴィート・シュタク大佐がいる。
先ほど戻って来たばかりの彼は、自身のEAを装備し、兜と胴の前面部分を開いたままで調整を始めたところだった。
枯れ木のような細身のエルフのヴラシチミルと、何やら会話を交わしつつ、右手の指先を動かしており、そのすぐ近くで剣聖ミレナが腕を組んで見守っている。
「だって、エリシュカ」
ラウティオラもまた、足と腰だけに装甲をつけている。
服装もEAを装着するための短いキュロットとシャツを着ているだけだ。目元にはいつもの黒い包帯があり、乱れた長い青髪が体にまとわりついている。
「だっても何もあるか。気持ち悪がられるぞ、お前」
「それは困るわね。……あ、でもそういう視線も意外といいかも?」
目立ち過ぎる格好でありながら、人差し指を唇に当てて、こてんと小首を傾げる。
「何でも良いから、さっさとボウレに着替えて、格納庫の外のゴミを片付けてこい。お前がやったんだぞ」
エリシュカが指さした先には格納庫の大きな扉が開いており、その向こうには巨大な人型の魔物が細切れになって転がっていた。その周囲はもちろん血まみれであり、軍人たちも嫌そうな顔で避けて通っている。
「嫌ね。ちょっと小突いただけであんなになるなんて。一割も魔力出してないのに」
「お前のバカ魔力を『アンブロシュ』で一割も出せば、あれぐらいにはなる。さっさと行け」
「えー、整備班のボウレって、汗臭いのよね。これがシュタク大佐の匂いなら、基地中を片付けてくるのに」
そう言いながらも、脚甲が前後に二つに割れ、ラウティオラが飛び降りる。腰周りの装甲も外れ放り投げた。アンブロシュと呼ばれた部分鎧が装着者を失い、バラバラに倒れる。格納庫に大きな音が響いた。
慌てて支えようとしていたエリシュカの方に注目が集まる。ヴィート・シュタクは呆れたような顔で一瞥し、ミレナは厳しい目つきで睨んでいた。
「し、失礼しました」
エリシュカは周囲に軽く頭を下げ、ラウティオラが脱ぎ捨てた鎧を、壁の専用収納具に入れ始める。
当のラウティオラと言えば、目元に巻いた包帯の余りで長い青髪を一つにまとめ、格納庫の隅にあった、傷だらけのボウレに向け跳ねるように歩いている。
「……なんか理不尽だ」
精神崩壊寸前から洗脳され、賢者はある意味では救われた。
しかし、以前なら賢者である自分がと、いつも気を張っていた彼女が、今はシュタク大佐の命令には喜々として従っている。その姿を見ると、複雑に思う。
彼女が考え事をしていると、聖黒竜が短く不満げな唸り声を上げた。
「すまない、早く外そう」
巨大な竜からEAを外していく。
その作業をしながら、エリシュカはまた竜騎士として竜の世話ができることには、喜びを覚えていた。
「私も大して変わらんか」
エリシュカ・ファン・エーステレンも彼女なりに理由がある。
完全に帝国の思想に同意したわけではないが、裏切り者と罵られてもやる価値はあると決めていた。
それでも日々を忙しく過ごし、夜はセラやエディッタなどと酒を酌み交して寝る日々に、少しだけ潤いを感じていたのだった。
「……これは何のつもりです、特級冒険者クリフ・オウンティネン」
冒険者風の革鎧を着たシャールカが、剣を構えて目の前の男に問い掛ける。
周囲には五体の冒険者用EA『シーカー』が取り囲んでいた。その中の一体は、シャールカの侍女であるレギナの腕を捕まえ、宙に吊り上げていた。
「アンタにゃそのままメナリーに入られちゃ困るんだよね、お嬢様」
「どういう意味ですか」
「シャールカ・ブレスニーク姫は命からがらブレスニーク邸を抜け出し、特級冒険者クリフによって助けられた。その上でメナリーの評議会に助けを求めた。そういう筋書きが必要になっちまってな」
「……別にそのぐらいの嘘なら、私が口添えをして差し上げます」
周りのEAを警戒しつつ会話を交わす。
いくらシャールカとはいえ、五体のEA相手に生身では勝つ見込みは薄い。その上で相手は人質を取っている。
「いんや、その後も重要だ。アンタにゃオレたちアエリア聖国の傀儡になって欲しいのさ」
「……アエリア大陸中央の覇者とも言えるアエリア聖国が、メノア大陸に興味が湧いたのですか?」
「ま、色々あるのさ。ペラペラ喋るわけにゃいかねえ。そんでどうする? こっちの侍女は実家を離れたお嬢さんにまで付いてきた忠臣ってヤツだ。見捨てるほどには冷たくあるまい? その美貌ほどにはな」
クリフがニヤリと得意げに笑う。
しばらくそのまま睨み合う元令嬢と特級冒険者だったが、口を開いたのはシャールカからだった。
「貴方も私を娶ろうというつもりですか」
「まさか。オレにゃ国に愛する女がいるからな。傀儡になって言うことを聞いてくれさえすれば、アンタにもこっちの侍女さんにも危害は加えねえよ?」
余裕ぶった顔つきを探るように睨むシャールカだったが、緊張を解くように小さなため息を吐いた。それからゆっくりとした動作で剣を収める。
「……わかりました。それで何をすればよろしいのですか、具体的には」
「オレたちの大義名分になってくれりゃ良いのさ。指示は逐一出していく。侍女さんも離れた場所に住まわせることにはなるが、危害は加えねえさ」
「理解はしました」
いつもの無表情に戻り、瞼を閉じて小さく頷く。
そこにクリフが肩を竦め、
「あっと、侍女を切り捨てて裏切ろうとするなよ。こっちはもう一つ、メナリーで人質を抑えてるからな」
と笑いかけた。
「人質?」
怪訝な様子で片目を開くシャールカに対し、特級冒険者クリフは器用に片目を瞑って茶目っ気たっぷりに微笑む。
「アンタの叔母ということになっている人物。つまり……」
相手の言葉を聞いて、シャールカの顔が青ざめていった。
「まさか、誰にそれを……オトマルですか!?」
その表情を見ながら、クリフは勿体ぶるように一つ呼吸を置き、
「勇者リリアナの産みの親である『聖母』マーリア・ブレスニークだ」
と片頬を吊り上げるのだった。
「あら、雨?」
都市メナリーにある小さな住宅の一室で、一人の女性が窓の外を見上げる。
雨とは言うものの、外は雲一つない快晴だ。
年頃は四十歳近くで、大きな目元には皺が刻まれてある。梳いてある長い金髪は輝く川の水のようだ。体は少し痩せているが、体の動きはしっかりとしていた。
彼女は楽しそうに揺り椅子に腰掛けると、手に持っていた編み物の続きを始める。
「ルカはもう一歳ねえ……何か新しいのを編んであげようかしら」
しかし毛糸で織られたそれは、およそ形をなしていない。ただのぼろ布にしか見えなかった。
彼女はそれに編み棒を何度も通していくが、そもそも、編み棒には毛糸がついていない。
完成するわけのない編み物。鼻歌を歌いながら、それをいつまでも編み続ける。
そんな僅かな時間の間に、空はわずかに雲が通り過ぎて、明るい日差しの元に輝く雨が降り始めた。先ほど、彼女が言ったとおりに。
「さて、そろそろ完成かしら」
嬉しそうに笑いながら、マーリアは手に持った毛糸のぼろ布を掲げるのだった。
没セリフ
ハナ「びっくりするほどディストピア!」
前半が何度読んでも気に食わないけど更新優先で。後で書き換えるかもしれません。
明日は多分更新お休みです。




