9、落ち着かない休暇
シュテファンの墓へとやってきた。
オレたちより一足先に帝都へと送られた彼は、帝都に近い花と豊かな緑で溢れた小高い丘に眠っていた。
数百以上の軍人たちがここにはいるそうだ。
そよ風が吹く。
アイマスクの向こうに見える、墓碑に刻まれた文字を見つめる。
勇敢なるシュテファン・ヴィドラ、ここに眠る。
オレは胸に手を当て目を閉じた。
仇は取れたと思う。剣聖を始末する前に倒した長い金髪の女が、おそらくシュテファンを殺した女だったはずだ。
瞼を開け、オレは墓碑の間を歩いていった。
「……シュタク少佐、でしょうか」
ふいに声をかけられ、オレは振り返る。
そこには、シュテファンの妻と息子がいた。
「……ヴィドラ婦人。この度は」
頭を下げようとしたが、ヴィドラ婦人に手で制止される。
「いえ、覚悟していたことですから」
シュテファンの妻は彼より一回り年下の、気弱そうな顔つきの女性だ。十歳にも満たない息子は、彼女の後ろに隠れ、こちらを恐る恐る窺っていた。
「ほら、ドミニク、お父さんのお仲間よ。覚えてる?」
「……知ってる……シュタク少佐」
「すみません、この子、少し人見知りで」
婦人が困ったような笑みで息子の頭を撫でる。
「構いませんよ」
ドミニク少年に近づき、膝をついた。
「久しぶりだな、ドミニク。元気にしてたか?」
「うん……」
「そうか。学校には通ってるか?」
「うん」
「楽しいか?」
「……楽しい」
「良かったな。お父さんみたいに立派に育てよ」
彼の頭を撫でてから立ち上がる。
ヴィドラ婦人たちに背中を向け、
「それでは失礼します」
とだけ告げ、立ち去った。
彼女たちの表情はもう見えない。
少しだけ強い風が吹いて、近くの墓に供えられていた花が撒き散らされた。
墓地から離れ、乗り合い馬車に乗る。
これは帝都と、少し離れた共同墓地の間を往復する定期便だ。経費は全て軍が出している。
他に乗客は一人だけ。帽子を深く被った金髪の上級官僚っぽい服を着た男だ。
その相乗り客がこちらへと移動してきて、オレと向かい合う。
「やあシュタク少佐、久しぶりだな」
向かいに座るその彼が帽子のつばを上げた。帝国一の美男子と名高い顔が笑みを浮かべている。
「エリク殿下……護衛もつけずに」
その男の名は、エリク・イェデン・メノア。この国の皇太子である。歳はオレより八つ上の二十八だ。
「まあどこかに隠れているよ。御者もそうだしね」
少し驚いた。
自分が腹違いの兄や怪しい御者に気づかなかった、ということにだ。墓参りに来たせいか、ぼーっとしていたらしい。情けない。
「君はいつもの墓参りかい?」
「今日は前回の作戦で亡くした戦友のですよ」
「そうか。こちらは軍人用の墓地だったね」
こちらを気遣うような寂しげな笑みだった。
この男は、父から優しすぎるという評価を貰っている。事実、紳士的かつ柔和な性格をしているとオレも思う。
「ヴィル、前回は大活躍だったみたいだね?」
突然、兄の顔になってオレに笑いながら問いかける。
「そうなりますね」
オレも弟の表情として肩を竦めて、演技めいた息を零した。
「シュタク少佐の評判は空に昇る龍どころか、高止まりだ」
「私としては兄上の測量も、素晴らしいと思っているんですがね」
宰相の補佐を務めているだけあって、仕事の幅が広い。今取りかかっている仕事は、帝国内の正確な地図を作ることらしい。
まあ、正確な地図なんて最重要機密だし、エリクも国内を見回ることができて一挙両得だろう。
「飛行船とEAのおかげで楽をさせてもらったよ。魔物の多い土地なんて大変だからね。空からEA着せて降下して計らせて、また巻き上げての繰り返しだ」
「降下訓練としては最適ですね。落ちる方は大変そうですが」
「最近は、思った場所に測量係を叩き落とせるようになったけどね」
「ハハッ、叩き落とされる訓練にもなりそうだ」
軽い冗談にオレも笑いを浮かべる。
この優男が官僚のケツを蹴り上げて飛行船から叩き落としてる姿なら、見てて楽しいかもしれない。
「君のところのダリボル船長ほどの腕が、うちの船長にあればもっと上手く行くのに」
「部下に対しての過分の賛辞、確かにお伝えいたしましょう、兄上。ですが、話したい内容はそれではないのでしょう?」
「うん、もちろんだよ」
柔和な性格だが、帝国宰相補佐という地位を担っているだけあって、ただ甘い人物というわけでもない。
「次は、西部で話題になっている、反帝国を掲げた盗賊団の討伐があるんだ」
「盗賊団? ああ、反政府組織というやつですか」
「そうそう。まあ規模は知れたものだけどね。どうも運良く逃げ切った亡国の貴族たちが助力しているのではないかって噂さ」
エリクが足を組み、こちらに微笑みかけている。
反乱軍とか犯行組織というのは、占領した土地ではよく聞く話だ。
だが、古くから帝国の土地である西部で、というのは珍しい。
彼の表情に先ほどとの違いはないが、言いたいことはわかっていた。
「なるほど。わかりましたよ。今回は大人しくしとけ、ということですね」
多少は腹立たしいが、滅んだ国の貴族の一人や二人なんて、今更どうでも良い。
あの聖龍レナーテというクソトカゲと真竜国の首脳部に、オレは早く思い知らせてやりたいんだ。
「ありがとう、すまないね、ヴィル。僕の指揮の下、ザハリアーシュにやらせる」
二皇子合同の作戦で、少しでも皇族の存在を浮かび上がらせたいんだろう。まあ、オレも目立ちすぎてる自覚もある。
危険性も見られない作戦だし、大丈夫だろう。
「いえ、構いませんよ。オレも婚約したことだし、少しはゆっくりします」
こうとでも言っておけば、エリクも納得するだろう。
「助かるよ……」
彼はニコニコと笑っていたのだが、姿勢を崩し組んだ足の上で頬杖をつき、
「どうもそこに、君から逃げ切った竜騎士や賢者たちが合流しているようだけどね」
と、爆弾を落として双眸を光らせた。
参ったな。
落ち着かない。
今はヴレヴォに戻り、自宅として借り上げている屋敷に滞在している。
それほど大きくない貸屋なので、使用人などもいない。
そもそも、ここに戻って来れることは珍しい。留守中に昔馴染みの宿屋の親父に掃除して貰っている程度だ。
黒い光沢が美しい革張りのソファーに座り、頭を抱える。
アイマスクと銀色のカツラをまだ付けていることに気づき、外して放り投げた。
リリアナはまだあいつらといると聞いた。
前回の戦いのとき、諜報部の一人に追わせていたが、その後にリリアナは奴らと合流したと聞いている。
その後の消息はわからない。強奪作戦は終了ということになっているため、作戦を外れたオレにはそれ以上の情報が入ってこない。
だが、一緒にいる可能性が高いだろうな。
……参った。本当に参った。
エリクはああ見えて知謀には長けている方だし、戦略戦術もそれなりにやる。
ザハリアーシュは脳ミソまで筋肉で出来ているようなアホだが、EAを使ったときの攻撃力はかなり高い。
そして二皇族が参加する作戦で、相手は亡国の生き残りたち。
かなりの数の兵士が投入され、EAも大規模展開されるだろう。
ついでに言えば、オレは作戦に介入することができない。
……リリアナ。
どうすればいい。
はぁと大きなため息が漏れる。
そこへ、ガチャリとノブの音が聞こえ、ドアが開いた。
「まだいたのか、久しぶりだな息子よ」
「母さん?」
入って来たのは、久しぶりに会う家族だ。
艶のある長い黒髪に血色の軍服、大きく盛り上がった胸元には多数の勲章が並んでいた。
白く美しい顔の左半分は、革製のハーフマスクで覆ってある。その下には賢者につけられた火傷が残っているはずだ。
アネシュカ・アダミーク。
帝国右軍大将にして、皇帝の妻の一人。平民出身でありながら、EA開発前より大きな勲功を得ていた女傑だ。
武技の腕前に加えて、知識も深い。何でも魔女の一族の出だそうだ。
「ん? どうした? 抱きついてこないのか?」
両手を広げて待ち構えている母を見て、ついため息が零れる。
「もう二十歳だと何回も言っただろ?」
その言葉に腹を立てたのか、ツカツカと歩いてきて、オレの頭を殴った。
「なんだ母親に向かってその口の利き方は」
「いってええ……」
我が母の鉄拳は本当に痛い。
「久しぶりに会ったというのに、その態度は。父さんにもそんな態度だったんじゃないだろうな?」
「ホントにいてええ……いや、普通だったはずだ……」
「なら良い」
ストンとオレの横に腰を落とし、先ほど殴った頭を撫で始めた。他に誰もおらんとはいえ、どうにも気恥ずかしい。
「何を悩んでいたんだ?」
優しい声音で尋ねてくる。
「いや……ちょっとね。知り合いが厄介ごとに巻き込まれそうで」
「女か?」
「……チガウ」
性別は女だが、リリアナのことは言えない。
母さんは右軍大将だ。リリアナのことも知っているが、軍務に私情は挟まない。それでも内心では悩むはずだ。だから言うわけにいかない。
「女か」
頭を撫でる力が強くなる。というか痛い。
「ったくお前は!」
「いやいや、そんな色っぽい関係でもなんでもない!」
「そうであるにしても、違うにしても婚約者まで出来たんだ。いい加減に落ち着け!」
「落ち着いているだろ!?」
「またやらかした男がよく言う!」
「マスクをつけてるときだけだろうが」
オレの頭をがっちり抱え込み、締め上げ始める。
「いだだだ! 許して母さん、お母様!」
「許さん。心配ばかりかけおって!」
頭を離してはくれたが、最後にパシンと軽く叩かれた。
「だけど、やらなきゃいけないことだ」
あー、本当に頭が痛い。昔から馬鹿力なんだよなぁ……。
「わかってる。だが、私の分まで取るな」
「そりゃ悪かったよ。でも大将にまで出張ってもらうのもな」
「まあいい、その話は。それより食事はしたか?」
「あ、もうこんな時間か」
窓の外を見れば、日が落ち始めていた。
「まだしてないようだな」
「どっか食べに行く?」
「私は目立つからな。うちで食べる。そのための料理人も連れてきた」
得意げに言って、母さんが親指で部屋の入り口を示す。
そこには我が婚約者シャールカ・ブレスニークが、無表情で姿勢良く控えていたのだった。
……気づかなかったわ……。
「美味かった。ごちそうさま」
ゆったりとした私服に着替え、口元を拭きながら謝辞を言う。
「いえ、恐縮です」
シャールカが座ったまま頭を下げる。
料理をするために、彼女は長い銀髪を軽く首の後ろでまとめ、町娘のような格好に着替えていた。もちろん生地は上等な物だろうが。
「シャールカにこんな特技があったとは、意外だったな」
オレはワイングラスに口をつけながら、感想を述べた。
「恐縮です」
軍のトップ、大貴族の孫、そして皇帝の庶子が、小さなテーブルを囲み食事を終えたところだった。
変な組み合わせだな、客観的に見ると。
母さんが机の上で頬杖をつき、何故かオレに視線を向けながら、
「良い嫁になるな、シャールカ」
と婚約者を褒めそやす。
「いや、貴族の娘にこの料理技術はいらんだろ?」
「何を言う。美味い食事が作れるに越したことはない」
きっぱりと言う母さんだが、この人だって戦争前は皇帝である父に振る舞う程度の腕前を持っていたのだ。
まあ、その母さんが褒めるんだから、本当に美味いんだろうな。
「いつ何時、どのような身分になるかもわかりませんから」
すまし顔でシャールカがしれっと言うが、そんなことないだろうよ……。
「私は良い嫁を選んだと思うんだが、どう思う?」
「嫁じゃない、婚約者だ」
「似たようなものだろうに」
「貴族と平民じゃ違うんです」
「こう見えても皇帝の妻を自認してるんだがな」
「そうでした……」
国の最高権力者である父さんが、私生活でも妻と呼ぶとはうちの母だけだ。それぐらい二人は仲が良い。正室の視線が母さんを射殺さんばかりになるほどに。
「しかしヴィル、シャールカのどこが気にくわないんだ? 顔も悪くない。頭も良い。剣術も魔法も使える。EAにだって理解があるし、昔から知らない仲でもない。その上だ」
母がズバッとシャールカの胸元に手を伸ばし、服の上から乳房を揉みしだいた。
「おっぱいだって、私ほどではないがデカいぞ? ほれ」
得意げな顔で、オレの方を見ながら手を動かし続けている。
「何やってんだ……シャールカが固まってるだろう?」
すまし顔のままにも見えるが、瞳孔の動きまで完全にストップして、彫像の様に固まっていた。
「ふむ、若いな……張りがある」
なぜか悔しそうに手を離した。
「おーい、シャールカ? 帰ってこい。ルカ-?」
声をかけても、固まったままだった。
「もっかい触るか、今度はお前が」
「触るかアホか」
母の奇行に、思わず頭を抱えてしまう。
「はっ!? 申し訳ありません」
珍しく大きな声出したよコイツが。今度はちゃんと無表情に戻ってるが、顔が赤い。
まあ、生娘があんなに盛大に胸揉まれたら、普通は驚くか……。
しかし、どうするか。
リリアナがまだアイツらといるなら確実に巻き込まれるよな……。
ワインを口に含みながら、ぼーっと母とシャールカのやりとりを眺める。
「ヴィルも休みになったし、シャールカ、お前もそこまで忙しくないんだろう?」
「今は特別顧問もそこまでは。東方に帰る予定もありません」
男前な母と、無表情なシャールカの会話が遠くに聞こえる。
何かリリアナを賢者たちから引き離す手はあるか。
色々考えるが、どうも現実味のある手が思いつかない。
……最大の問題は、オレがその戦場の近くにすら行けないことだ。
大義名分がない。今もきっとエリクの手下が見張っているだろうし、オレもエリクに表立って逆らうつもりはない。
変に波風を立てれば、真竜諸島本土の攻略戦出撃に支障が出るかもしれない。
最前線に立てないのは避けたい。オレはあいつらを皆殺しにしたいんだ。
「しばらくヴィルと一緒にいるが良い。この家に住んでも良いぞ」
「いえ、さすがにそれは……」
「なら旅行にでも行くか? 最近は庶民の間で婚約旅行というのが流行っているらしいぞ」
「EAのおかげで街道も安全になりましたから、貴族の真似事をする平民も多いようですね」
ふむ……何か手は……。
「そうか」
「どうしたヴィル?」
「シャールカ」
オレは一つのアイディアを思いついた。
これなら怪しまれずに近くまで行けるし、なおかつお忍びということで、ヴィート・シュタクでもなくヴィレーム・ヌラ・メノアでもなく、ヴィルという顔で行くことができる。
「どうかいたしましたか、ヴィル様」
「オレと」
「貴方様と?」
珍しく小首を傾げるシャールカに対し、オレは力強く、
「婚約旅行とやらに行こうか」
と提案をしたのだった。
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