2、あの時のこと
「そんな楽しそうなご計画がありましたの?」
ハナが食いつくように目を輝かせてザハリアーシュへと顔を近づける。
「ああ。魔素の希薄化現象は知っているな?」
少し呆れたように大きな手で押し返した。
「はい、存じております。千年前、帝国の前身である中央メノア王国が作られたときぐらいから、徐々に世界中の魔素が薄くなっていると」
「それは我らが始祖アダルハイトの計画だ。世界中の魔素を薄くすることで、魔素の支配から逃れる」
そうだな? と確認の意味を込めて視線を送り返してきた。オレも小さく頷いて肯定する。
「魔素の支配?」
ハナだけが人差し指を顎に当て、小首を傾げていた。
「皇帝陛下のご遺書に残されていた。右軍のヴラシチミル・ペトルー研究主任からも同じ話を聞いている」
この国の皇帝や貴族の当主などは、一年ごとに遺書を更新し、信頼できる人間に預けていることが多い。突然に死んだときに備え、混乱を避けるためだ。
「あら、あのお二人は仲が良かったのですね?」
「EAを作ったのはペトルー。それを強力に推したのは陛下だ」
「魔素の支配というのは結局、何なのでしょう? 空気中に漂う目に見えない物質であり、体内に取り込まれ魔力となる。それぐらいはわかるのですが、支配とおっしゃられますと?」
「お前も聞いたことはあるだろう? 失われた魔法を」
「失われた魔法というと、敵探知や鑑定が代表的ですわね。シュタク大佐が迎えられた愛人が研究しているとかいう?」
ハナがチラリとからかうようにこちらを見るが、その内容は事実無根だ。ハナもわかっていて言ってるんだろうから、返事はしない。
「それらは、魔素を媒介とし、敵の位置を把握したり、物や人物の情報を見ることができたそうだ」
オレが黙っていると、ザハリアーシュが説明を続ける。
コイツ、こんなに喋れたんだな。驚きだよ。やっと皇太子としての自覚が出て来たのか?
「それぐらいは知っておりますわ、ザハリアーシュお兄様。私もたまに敵探知が欲しいと思いましたもの」
「それでな、あー、こっからはヴィル頼む」
大柄なザハリアーシュが困ったように眉間に皺を寄せている。
脳に筋肉疲労でも溜まったか。
オレはやれやれと思いながらも、
「ハナ、では敵探知の『敵』とはなんだ?」
と義妹に問い掛けた。
「敵? 敵は敵でしょう? 敵意を向けてくるもの、もしくは敵意を向ける対象のことですわ」
「それをどうやって判断していた?」
「えーっと、魔素? でしょうか?」
「そうだ。つまりこの世界の魔素とは、情報を持っている。魔力として人間の体に潜り込み、その情報を抜き取ってな」
オレの言葉に、ハナが一度大きく目を見開いた後、今度は細める。
「……ああ、そういうことですわね。わかりましたわ、ヴィレームお兄様。一粒一粒にそんな能力があるのではなく、全体が情報を管理しているということですわね。まるで世界中の全ての魔素が一つの生き物であるかのように」
少し感心した。この話だけでそこまで察するなんて。
腹黒ではあるがその分、頭の回転が早くて助かる。ザハリアーシュは理解するのに数日かかったからな。
「しかしお兄様、それのどこが悪いのです? 大きな力を使えるのです。そしてよくもわからぬ魔素とやらに情報を把握されていたとして、気にしなければどうということはないではありませんか?」
「答えはわかってるんだろう? お前の自己満足のために使う口はない」
「もう、意地悪ですわ、ヴィレームお兄様」
頬を膨らませて憤る姿に、どうにも誰かを幻視する。バカが。
オレが自嘲していると、ハナは少し考える真似をした後、
「魔素は自ら移動し、濃度を操ることができる。それによって運命を操る、ですわね?」
と得意げに持論の確認を問い掛けてきた。
■■■
称号『聖女』を持つエディッタは、いくつもの魔法陣を同時展開しながら、眉間に皺を寄せていた。
「魔素が持つ情報網から、特定の物体の情報を検索して盗み取る、とは簡単に言うけれど……」
彼女の私室の机の上には、一つの小さな籠がある。その中には小さな蛇が串刺しになっていた。
「オラーフ殿、失礼する」
ノックと共にドアが開かれ、茶色い短髪の女性が入室してくる。
「ん? ああ、エーステレン。どうしたの?」
「少しレクターの調子について相談が……ん、その駄竜はまだ生きてるのか?」
エーステレンと呼ばれた中性的な容姿の女性は、心底嫌そうな顔で籠の中で磔になっている蛇を指さす。
「ああ、レナーテの子供? もうヴィートがサクッとやったわ。研究する価値はなかったし」
「そうか。なら良い。しかし、まだ聞いてなかったが、どうやって気づいたんだ?」
「何となく? 研究者のカン?」
「……そういうものなのか?」
訝しげに眉間に皺を寄せたエーステレンに対し、オラーフは悪戯げに笑う。
「半分は冗談だけど、あのクソ神殿のことだから、絶対になんかあるって思ってたわけ。で、近くの山を調べてたら、隠し神殿を見つけてそこにいたわけ。ひょっとしたら何かの称号持ちだったのかも知れないわね、この子竜。もしかしたら、レナーテ様の生まれ変わりかも!?」
聖女が手を前に組んで祈る格好をし、馬鹿にするようにおどける。
「へえ……さすが駄竜だ」
剣呑な笑みを子竜に向けるが、その相手はすでに死んでいる。
「そういや感想は聞いてなかったわ。どうだった? レナーテの暴挙について」
「……殺意が沸いたな。あのクソトカゲさえいなければ、多くの竜が犠牲にならず、数多の民が犠牲にならず、帝国の臣民も無駄に死ぬことはなかった」
吐き捨てるエーステレンを、エディッタが笑う。
「それで帝国に転んだわけ?」
「帝国のやり口を好んだわけではないがな、オラーフ殿。しかしシュタク大佐もこのように復讐してやりたい気持ちだったのだろうな……」
「アイツの心の中まではわかんないわよ。狂ってるからね。でも、賢者ほどじゃないわ」
「セラか……アイツはもう戻らないのだな?」
痛ましい顔を浮かべ、エーステレンは自分の体を抱きしめるように腕を組んだ。
「そうねえ。なにせ、わざわざ自分から飲まれて、片方の目ん球にほぼ全魔力をぶち込んでくり抜いて、わずかな魔力でシールドを張りつつ偽装して死に怯え限界まで魔力を使い切ったところに、竜やら巫女やらの死体が入ってきて、揺られ揺られて数時間。正気でいられたら、すごいわよ」
カラカラと笑う姿に、エリシュカは眉間に皺を寄せる。
そうしてようやく生き残れたのだろう、というのが帝国の研究者たちの推測だった。だが、目を失った賢者の姿を見るに、おそらく正解なのだろうと彼女は思う。
それに、シュタク大佐に従うセラフィーナの姿が、今までになく幸せそうなのだ。止めることもないだろう、と竜騎士は考えていた。
「結果として洗脳にはなったが、アイツを落ち着かせてくれたことには感謝する、オラーフ殿」
「大変だったんだから。アイツを殺すって言うヴィートを止めるのは」
「しかし、まだ信じられないな、あの話は」
それ以上、セラフィーナに関して語ることはなく、エリシュカは話題を変えた。
「ヴラシチミルの言ってた話? たぶんね。合ってる」
「……そんなバカな、と言いたいところだが」
チラリと小さなトカゲの死体を一瞥する。
エディッタは魔法陣を消し、グルグルと肩を回して解す。
「私も聞いたわ。魔王出現の神託を。ミレナちゃんも聞いてるんだから、間違いない。リリアナ・アーデルハイトが魔王と化したと」
「……しかし魔王か。魔素の王……まさか、あの戦争自体が仕組まれていたとはな」
興味なさそうに笑うエディッタだが、エリシュカ・ファン・エーステレンとしては、信じたくない気持ちでいっぱいだ。
メノア大陸北西にあるブラハシュアとヴラトニアの二カ国は、数年に渡る冷害で耕作地が荒れた。
民は食べる物を失い始め、その打開策として幼いセラフィーナが提案したのが、北西三カ国連合による帝国侵略だ。
「考えてみたらおかしな話なのよね。ブラハシュアとヴラトニアは冷害に遭ったけど、帝国はそんなことはなかった。だから、二カ国は肥沃な耕作地を持つ帝国を攻めるというセラフィーナの提案を、良しとした」
「セラフィーナが操られてたというわけではないのだろう?」
「たぶん、ないわね。あの千二百年を生きるエルフが違うって言うんだから、魔素にそんなことはできない。少なくとも、セラフィーナがその残滓に気づかないというのは、考えにくい……けど、アイツ、抜けてるしなぁ……」
聖女が小馬鹿にしたように演技めいた動作で肩を竦める。エリシュカも苦笑いを浮かべるが、すぐに真顔に戻った。
「あの冷害が、世界中を覆う『魔素』という物質の意思によって引き起こされた、なんて誰も信じないぞ」
しかしそれが、エリシュカ・ファン・エーステレンが帝国への転向を決意したきっかけでもあった。
■■■
帝都の郊外にある霊廟への納棺が終わり、オレたちは長い黙祷を捧げていた。
小さな城ぐらいはある丘をくり抜いて作られた場所だ。その入り口もちょっとした屋敷より大きい。
黙祷を終えたたとき、皇太子として先頭にいたザハリアーシュが、踵を返して両腕を広げた。
その視線の先には、オレたちを始め、多くの貴族や軍人たちが揃っていた。
「諸君、皇帝陛下は今、長い眠りへと入られた。しかし我々の為すことは変わらない。帝国を運営し続けることだ。それが無念の内に身罷られたユーリウス陛下のご遺志を継ぐことになる。これからも諸君らの力を借りる」
低く大きな声は、周囲によく通る。これだけ取れば、エリクよりよっぽど王者らしい素質を持っている気がした。
何はともあれ、ザハリアーシュやハナ、そしてオレという三人の子供を中心に、帝国を運営していくしかない。
「そして、ここにいる弟ヴィレームと妹ハナの両名と共に、これからも陛下の愛した帝国を発展させ続けることを誓おう」
帝国の皇太子は最後に力強く自分の胸を叩いて、臣下や民に宣言したのだった。
ザハリアーシュの演説が終わった後、オレは霊廟の近くにある貴人用の墓地を訪れていた。
そこには母さんの墓がある。少しでも近くが良いだろうと手配した場所だ。
そして皇族ではない母さんは、とっくに納棺されていた。一年も経ってるのだから当たり前である。だからここを訪れるのも、すでに十回を超えていた。
しかし、訪れる墓だけが増えていくな。これがオレの進む道なんだろうか。
できる限り、みなに生きていて欲しいと思うのは我が儘だろうか。
磨き上げられた墓石の前に立つ。
毎日、ひっきりなしに部下だった軍人が訪れているのだろう。花が絶やされたことはなく、石が汚されたことはない。
もう少しだけ、オレが思慮深かったなら。
もう少しだけ、オレの力が強かったなら。
そういう後悔は、ここで何度もしてきた。
魔素の話を聞いて思ったことがある。
聖女エディッタによれば、オレは魔素過敏症という病気を患っているそうだ。
それは薄い魔素なら問題なく取り込んで魔力とするが、濃い魔素だと毒になる。場合によっては簡単に死ぬ病なのだそうだ。
魔素希薄化を進ませ続けた父さんと母さんの考えは、今ならわかる。
魔素の支配からの脱却には、他の目的も隠されていた。オレにとっての害となる魔素を、この世から排除するためだったのだろう。
いつか親になれば、その気持ちがわかるのだろうか。
しかし、シャールカとの婚約関係はすでに解消された。そんなオレがこの先、自分の子供を抱きしめることがあるのだろうか。もう具体的な想像が思いつかない。
それに、伴侶を拒否し続けても押しつけてくるような、ありがたい存在はもういない。
「……ごめんな」
あのときのことを思い出す。
泣き叫びながら襲いかかってきた白銀のレクター。
力を失い、もう良いかと思って立ち尽くしたオレ。
大規模魔法を撃つために魔力のほとんどを失った母さんと、EAすら装着していなかった父さん。
二人に守られ、刃はギリギリオレの眉間を切っただけで止まった。
両目の間に、今もうっすらと傷が残っている。
エディッタが完全に治せなかったぐらい、妙な傷だそうだ。
「ああ……」
帝国の目的、千年の計画。
魔素過敏症という、魔素が濃くなれば死ぬという病。
それにあのときの光景と後悔。胸の奥で煮える黒い汚泥。
魔素を操り、それを増殖させる存在。魔素の王としての『魔王』。
ならば進むしかない。
「魔王リリアナを殺すしかない。そうだろ? ヴィート・シュタク」
独り言を呟いて、オレは踵を返し歩き出した。
しばらく現状整理と世界設定の説明が続きます。
申し訳ありません。
明日はリリアナ側から。
帝国千年の計画の方もまだ続きます。




