19、第三章エピローグ『星に願いを』
――そのときが近い。
何をしても変わらなかった。
聖騎士が『未来を見る』特性で見た夢と、何も変わらなかった。
「ヴィル……」
シャールカ・ブレスニークは今、東方にあるブレスニーク家の屋敷にいた。
大きな四階立ての屋敷は、帝都と違い庭園も広く造ってある。
だが、それが見渡せる南向きのバルコニーにではなく、屋敷の通路側の窓から外を見上げていた。そちらは北西、つまり真竜諸島共和国がある方角だからだった。
大陸東部にあるその屋敷は、すでに太陽が落ちかけ、夕闇と宵闇が混ざり合っている。
通路に灯された光が、彼女の長く美しい銀髪に反射して煌めいた。
どうして好きになってしまったのだろう。
彼女は目を閉じて思い出す。
最初は興味本位だった。
ヴィレームに会ってみたいと言い出したのは、シャールカからだった。
父親も、皇帝が入れ込んでいるという側室の息子を、自分の目で見ておくのも悪くないと思ったらしい。
戦争が始まる前だったので、まだ皇帝一家と東方ブレスニーク家の仲も悪くはなかった。
それに、人見知りだった彼女が初めて会ってみたいと言い出したから、父親も娘可愛さに叶えてしまった。
ヴレヴォという町で見たのは、庶民の子供に紛れて遊ぶ、彼女と同じ年頃の少年だった。
黒い髪に黒い目の彼は、年上の幼馴染みたちと楽しそうに遊んでいた。
そして、いつも一人の女の子の手を引っ張って歩いていた。
いいなぁと、シャールカは憧れた。
彼女にも兄たちはいるが、それぞれに貴族としての教育を受け忙しく、どこか縁遠い存在だった。
しかし、その黒髪の少年は、家族よりも甲斐甲斐しく、金髪の女の子の世話を焼いていた。
だから最初に望んだのは、少女の立場だった。
次に彼が大事にしているもの全てに憧れた。
そして最後は彼に恋い焦がれた。
「会いたい……」
窓に触れ、ため息のように零す言葉は決して届かない。
剣を頑張った。
魔法は訳あって使えなかった。
今は使えるようになった。
もう一度、北西の空を見上げる。東側にあるブレスニークは、すでに夕暮れから宵闇を迎え始めていた。
遠い端の空に、星が流れた気がした。
気のせいだったかもしれない。
「こんなところにいたのかい、ルカ」
声を掛けられて、ゆっくりと振り向く。
「……エリク皇子」
真竜湾攻略戦に向けて右軍が忙しくなり始めたときに、監視の目をくぐり抜けて訪れた男だ。
エリク・ヌラ・メノア。つまり皇太子位を剥奪され、継承権を失った第一皇子だ。
「ヴィルを案じてたのかな?」
爽やかな、気遣うような笑みだ。だが、シャールカは気づく。その瞳の奥に暗い炎を宿していることに。
「……戦場にいる民全てを案じています」
「お優しいことだ。そちらの心配も良いけど、そろそろ、首を縦に振って欲しいけどね」
肩を竦める姿に、シャールカは再び北西の空を見上げる。
また、星が流れた気がした。
「あの戦争が終われば、私は立つ。聖騎士を名乗って」
エリクが真剣な顔でシャールカの横顔を見つめた。
しかし、彼女は心の中で憐憫の情を抱いた。
可哀想な人だ。そんなことに何も意味はないのに。
「だから、キミの重荷を私に分け与えて欲しい」
シャールカの肩に手を置き、こちらを向かせようとした。
だが、振り向く様子はない。
「殿下」
「なんだい?」
「聖騎士の名はブレスニークでは重いようですが、それはまやかしの重さです」
「……何が言いたいんだい?」
「それは、称号を背負い、重さを感じているのではないのです。ただ、膝を屈しているだけ」
シャールカの辛辣な言葉に、エリクが目を見開いた。
それから目を細め、彼女の横顔を睨む。
「……き、キミは」
「私は信じます。ヴィレーム殿下が……ヴィルが魔王になることはないと。強き者が悪を知り、なお悪を為すことはないと」
横目で怒りに震えるエリクを一瞥し、再び北西の空へと視線を戻す。
また、世界の端で、光が流れた。
だから彼女はその星に祈りを捧げる。
どうか、ヴィルが何事もなく帰ってくるように、と。
宝石鉱山から出てきた失意の勇者たち。
三人ともが疲れた表情であった。
「セラ殿たちはどうなったのじゃろうか……」
大陸と真竜諸島に広がる海を見る。
戦場はかなり遠く、今から駆けつけることなどできないうえに、勇者たちには海上を進む手段はない。
「リリアナ?」
アーシャが怪訝な顔で勇者の顔を見上げる。彼女が水平線の向こうを無表情で見つめていたからだ。
「リリアナ殿?」
老冒険者もまた、少し困惑した顔でリリアナの顔を覗き込んでいた。
リリアナは小さく頭を横に振る。
「何でもないよ」
「しかし」
「一度、レナーテ様のところに帰ろうよ、メンシークさん。たぶん港は占領されてる」
「やはり、負けたかの……?」
「わからない。だけど……しばらく海沿いに歩けば、どうせわかるから」
外套を羽織り直し、勇者はフードも深く被る。
そのまま足早に歩き出した彼女の背中を見て、アーシャとメンシークは困惑した顔で目を合わせた。
「リリアナ殿、待ってくだされ」
「メンシークさん」
追いかけようとした老冒険者に、勇者の声がかかる。
「ヴィート・シュタクは酷いやつだよ。罪のない子供も殺す」
「うむ、それは確かにそうじゃが」
「でも、ヴィート・シュタクを生んだのは、きっと北西三カ国連合だ」
それは間違いない。
メンシークは何も否定できなかった。
「しかしのぅ、リリアナ殿。かといって、真竜国の人間をこのまま殺されるわけにもいかん。ヤツは容赦などない」
「そうだね。そうだよね」
「リリアナ殿?」
「じゃあ、私はどうすれば良いのかな、メンシークさん」
「それは……勇者としてじゃな」
言葉に詰まりながらも、メンシークは何とか言葉を絞り出した。
その彼に対し、リリアナは背中越しに一瞥して、
「メンシークさんまで、それを言う?」
と問い掛ける。
「……そうじゃな。すまぬ。王族という立場を捨て共和国に移行させた。そして儂は国を捨て、気楽な冒険者になってしもうた」
「でもね、メンシークさん」
「うむ……」
「私は勇者のままなんだよ」
「……そう、じゃな」
返せる言葉は何もない。
勇者という神から与えられる称号は、死なない限りは消えることはない。そう言い伝えられている。
アーシャが小走りで走り寄る。
「リリアナ」
「何かな」
「私は、リリアナ好き」
「……ありがと」
「だから、無理しない。できないことはしなくて良い。それはきっと、リリアナの心に棘を残すだけだから」
アーシャ・ユルが何の話を言っているかは、メンシークにもわかった。
彼も、あのテオドアという帝国士官を裏切らせた件は、違和感を覚えていた。
およそリリアナらしくない行動だった。
ただ、この勇者は変に我慢強い。自分が正しくないと思っている行動すら、やってしまうことがある。
それは、この戦争全般に言えた。
本来、勇者とは人類の守りだ。
ヒト、ドワーフ、エルフ、その他希少人種の生存を脅かす強大な存在と戦うために、神から与えられる称号のはずだった。
しかし真竜国は、『称号を得たならばレナーテの元に向かい証明してもらう』というシステムを利用し、この国に縛り付けていた。
その心の軋みを、彼女は決して語らない。
言えば家族や、真竜国の人々、それにレナーテを悲しませると思っているからだ。
「……とりあえず、レナーテ神殿に向かうよ」
勇者は歩き出す。
その背中はあまりにも小さく、二十にも満たぬ、ただの女にしか見えなかった。
メンシークには何も言えない。
そんな彼女がしばらく進んだ後、遠い空を見上げた。それは真竜国の首都がある方向だった。
「……何か変だ」
海の方を凝視し始めた。
「リリアナ、どうしたの?」
「魔素? これは魔素……高濃度の魔素が、海の上から集められて、真竜諸島のどこかに向けて送られ続けてる。ずっと」
「魔素? リリアナ、魔素を感じられるの?」
「わかんない……最近、感じるようになったみたい……」
「そう。高濃度の魔素……?」
アーシャが小首を傾げる。
それで何が起こるというわけでもない。
高濃度の魔素を集めても、常人が全てを体内に取り入れることは不可能だ。
それこそ称号持ちのような、膨大な魔力を溜め込むことが可能な存在でもなければ、高濃度の魔素があろうと意味はない。
「嫌な予感がする……。ちょっと急ぐから、アーシャちゃんとメンシークさん、レナーテ様の神殿で合流しよ!」
勇者リリアナが一人で走り出す。
彼女は今から、とてつもないことが起きる予感がして、山道を飛ぶように駆け出すのだった。
■■■
オレは十字架を担いで、真竜国の山道を歩いていた。
また一人で敵地の中だが、今回もヴラトニアと同じく正式な作戦だ。
竜騎士どもをぶっ殺し、空中での魔素波での飛行を終え、真竜国の首都が見える場所まで辿り着いた。
太陽は傾き、西の空に一つ目の月が昇り始めていた。
「ここか」
十字架を抱えて前へと進む。
潜入工作員により予め調べられた、見渡しの良い崖の上だ。
「これが真竜国の首都と、レナーテの神殿か」
冷たい風が吹きすさぶ。
眼前に広がるのは、雄大な光景だ。
三方を山に囲まれ、南に道が延びる都市があり、その歴史を伝えるかのように、多くの古い建物が並んでいる。
その北側の山の中には、巨大な神殿があった。
「あれがクソトカゲの住んでいる場所か」
心が躍る。
ああ、やっとだ。やっとここまで辿り着いた。
ヴレヴォの町が襲われて、すでに十年を経た。
十一年目の春が近い。
崖の先で、オレは十字架を地面に刺す。
そして背面にある輪っかを握って引っ張った。
前面が開き、人間大の黒い十字架の中身が露わになる。
「ぐ……ごぉ……ぎぃ」
そこには手足のない男が内部に埋め込まれていた。
「おい、しっかりしろよ、ヤン・ヴァルツァー」
魔弓の射手という称号を持った人間だ。
こいつはもう自分で考えることなど、ほとんどできない。
オレの命令した通りに動き、膨大な魔力を溜め込み吐き出す便利な人形になった。
こうなるまでは苦労した。試行錯誤の繰り返しだ。
幾度も拷問と実験と聖女の治癒を繰り返し、ようやく精神を破壊できた。
おかげで今はだらしなく涎を垂らし、目から光が失われている。
さて、今から最後の役目を果たしてもらわないといけない。これでコイツが死のうとも構わない。
突き刺さった十字架には、魔素吸排出口がついている。これはユル氏族の黄金のゴーレムから取り外して、ヴラシチミルが改良したものだ。
「さあ、やろうか」
EAの前面を開く。胴が開いて兜が後ろへと倒れた。
首に掛かっていた小さな十字架のアクセサリを、ヤンへとかける。
それは、今回の触媒となる、オレのISバルヴレヴォの隕鉄装甲から削り出した物だ。
大きな黒い十字架の背中側には、一つの魔法をなす刻印があった。
これは強奪したときのレクターの内部に刻まれていた、召喚の魔法刻印と同種のものだ。ヴラシチミルが解析した結果から作られている。
上半身をEAから出したまま、オレは十字架の内部に素手で触れた。
「クククッ」
自然と喉が鳴る。
ようやく届くぞ、レナーテ。
コンラート、弱いヤツを殺したくないと言ったな。
お前は間違えているぞ。
称号持ちなんていう、最初から強い奴らを揃えた三カ国連合側。そして、そんな強者などいない帝国側。
どちらが強くて弱かったのか。最初に殺された方がどちらか、知っているだろう?
だから相手が何だろうと、この報復は正義だ。
そして反逆者を処断するのは、国を守るオレたちの義務だ。
コンラート、今は真竜国で好きなだけ夢想をほざくが良い。
お前が選んだ場所は今から、オレたちによって……いや、オレによって蹂躙される。
「かけまくも恐れ多きヘレア・ヒンメルの御前に、畏れ恐れも申し上げる」
オレは魔力を十字架へと流しながら、魔法の詠唱を始める。
「我は天、大空の果てにおわす御神に、永く広がる恵みに感謝を奉り」
ああ、ようやくだ。
ようやく最後の始まりだ。
魔力が流れ、十字架の背面の魔法刻印が光り始める。
周囲の魔素が集まり、ヤン・ヴァルツァーの体に吸収されていった。
「我は今、直き正しき天の女神のまにまに、尊き御方を奉り」
あのとき、目の前で幼馴染みたちが殺された。
イゴルがリベェナを火炎の魔法から庇おうとして、二人とも焼け死んだ。煤しか残らなかった。
「八つの界に巡りし地の球より、降りし訪れ、二の道」
オティーリエが立ち竦んだけど、両手を伸ばして、オレの逃がされた方向に行かすまいと泣きながら失禁しながら、でも駄目って言って、そして竜騎士の操る竜に食われたんだ。
燃える町でアレンカが落ちていた剣を奪って、襲いかかったけど返り討ちにされて、押し倒されて、助けようとしたブラニスラフは冒険者に両断され、アレンカは相手に噛みついて、逆上した相手に首を折られて死んだ。
やがてヴレヴォの町は焼かれ、住人たちは殺されていった。
奪還後まで生きていた人間はいなかった。
「いざ、それは呼び起こされし、空の架け橋。天の大地の欠片」
ヤンにかけた小さな十字架に罅が入る。それは空から降りし隕鉄という触媒だ。
大きな十字架には、レナーテがレクターに託した召喚の魔法と同種のものが刻まれている。
この二つが揃い、魔力を称号持ちが補うことで、ようやくこの復讐の魔法は完成する。
視界に収めた真竜国の首都と聖龍の神殿。
それを目標に、オレは失われかけた技法を発動させた。
「さあ、来たりませ、疑似召喚」
最後に、乾いた唇で、超大規模破壊魔法の名を唱える。
『メテオ・ストライク』
メテオで締め。やっぱり何か落としとかないと。




