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鎧の魔王のファンタジア  作者: 長月充悟
微笑むキミへのプロローグ
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12、Beautiful World





 天空に緑色光が巨大な布のようにはためく。

 帝国東方ブレスニークのさらに東端、交易都市メナリーの勢力圏と隣接した地域に、その村はあった。

 彼らは今、空中に浮かぶ一人の女性を見上げていた。

 長い白髪を風に靡かせ、手には自身の身長ほどの錫杖を持っている。


『魔素が満ち、人に力は授けられる。戸惑うことでしょう。彷徨うことでしょう。ですが、これが本来の世界の姿なのです』


 淡々と感情なく、彼女は言葉を授けていく。

 人々は天を仰ぎ、呆けたような表情を浮かべていた。


「女神ヘレア・ヒンメル様……」

『メノア帝国は悪魔という存在を隠し、自らが優位に立つために魔素を減らし始めました。その結果、古代の世界のような豊かさを失ったのです』


 人々の上に、緑色の光が降ってきた。


『さあ、あなた方の得た称号は、あなた自身が本来持っているはずの力なのです。これが、本来の姿、本来の現実。この力で帝国を打倒しなさい。そしてヴィート・シュタクを倒しなさい。そうすれば加護もまた強さを取り戻すでしょう』


 女神と称えられた存在の姿が徐々に薄くなっていき、背後が透けて見える。やがて完全に見えなくなっていった。

 幻想的な光景の元、大陸東方の人間たちには、力が授けられていく。

 望まずとも。







 極光発生から三日後、状況はさらに悪化していた。


「あれがヴィート・シュタっごふぅ!」


 剣を抜こうとした男が吹き飛んでいった。

 街道を塞ぐように現れた冒険者に、リリアナが石を投げつけて排除したからだ。


「い、いいのか?」

「いい。これで何人目だと思ってる? 今日だけで八組二十人。少しも前に進まない」


 素っ気なく言ってリリアナが御者台から降りる。

 周囲の魔素の動きを探りながら、彼女は腰から長剣を抜いて腰を落とした。

 仲間をやられ、困惑している冒険者風の男女二名に向け、風のような速さで彼女は攻撃を仕掛けた。


「は、はやべへっ!?」

「何の称号なの!? これべふっ!?」


 あっという間に三人が気絶し、リリアナは片手で足を掴んで街道の外に放り投げていく。何事もなかったかのように手の埃を叩いて落とし、ゆっくりと戻ってきた。

 そんな彼女を見てヴィルは引きつった笑いを浮かべるしかできなかった。








「ヴィル様はまだ見つからないのですか!?」


 ミレナが格納庫の壁を叩いた。

 彼女たちがいるのは、帝国東側の町に停泊した飛行船ルドグヴィンスト改の中だ。

 シャールカも自身のEAにもたれかかり、腕を組んで瞑目していた。


「ハナ殿下は何を考えていらっしゃるのだ! 我々はずっと称号モドキの相手をして、ヴィル様の捜索は許さないなど!」


 若き剣聖の怒りに、周囲の整備員たちが怯える。

 彼女たちはここ数日、ずっと東側から帝国の町に入ってくる人間たちの対処に追われている。しかも時間を追うごとに侵入者の数が増えていた。


「ビーノヴァー少佐、物に当たり散らしても仕方ないでしょう?」

「貴方は何をそんなに冷静な顔をしてるの? 隊長が心配ではないの!?」


 烈火のようい怒るミレナに対し、シャールカもまた涼やかな目元を冷たく尖らせた。


「心配に決まっています」

「私はシュタク隊の副隊長よ! なのに作戦内容は極秘!? ふざけてるの!?」

「右軍への指示は、東から押し寄せる称号もどきの排除。シュタク大佐の捜索すら許可されていない状況で、声だけ荒げても仕方ありません」

「なら、私は帝都に戻り直接ハナ殿下を問い詰めてくるわ」


 通常なら少佐が約束なしで皇女に面会などできない。だが彼女は剣聖であり帝国ではヴィート・シュタクに続く切り札だ。無理を通そうとすれば通るだろう。


「やめなさい少佐。ただでさえ賊は日を追うごとに増えているのです。貴方を欠くわけにはいきません」

「何を冷静な振りをしてるの? もし大佐に何かあったとき、貴方はそれで自分を許せるの?」

「……自身のできることをするだけです。それに大佐が東側のメナリーに残られているなら、ここが一番、大佐に近い」

「近い!? どこにいるかもわからないのに!?」


 赤と銀の女性士官二人が、至近距離で睨み合う。

 そこに白衣の研究者が近寄り、手で二人に距離を取らせる。


「はいそこまで。貴方たちが暴れると飛行船が壊れる。冷静にね」

「エディッタさん! でも!」

「ミレナちゃん、『だって』も『でも』もなしよ」


 聖女に言われ、剣聖は不満げにだが口を閉じる。


「シャールカ、貴方も良い?」

「私は最初から冷静です、オラーフ研究員」


 聖騎士の方は目を細め、白衣のハーフエルフを少し睨みつけた。


「どこがよ? まあともかく、何はともあれ、私たちは右軍所属なんだし、シュタク大佐がいない以上は皇女の指示に従うのは当たり前のこと。アイツが帰ってきたとき、アンタらが懲罰房入りしてましたじゃ、呆れられるわよ?」


 その言葉を聞き、ミレナは鼻息荒く肩を怒らせて格納庫から船内の方へと立ち去っていった。

 残ったシャールカは、それを見送るエディッタに向け、


「何を知っているのですか? 貴方は」


 と声をかけた。


「何って? 何も? ただの研究員に何を期待してるの?」


 とぼけた様子で肩を竦める彼女に対し、銀髪の元令嬢は背中を向けてEAの元に戻る。


「私を飛行船に残しているのは、剣聖の暴走を防ぐためですか」

「まあ、そうでしょうね。彼女が本気になれば止められるのはアンタぐらいしかいないし。それぐらい称号……いいえ、神与称号持ちは厄介だということ」

「私が捕縛されたときは、逆に剣聖殿が監視役でしたね」


 彼女がメナリー南西部戦線で捕虜となった後、拘束具をつけた彼女を見張っていたのは他ならぬミレナだった。その気になれば、EAを用いられても逃げることができる。


「しかし、称号の大安売りね」

「最初に確認された簡易称号は剣士・狩人・商人・神官・義賊。本日は戦士と槍士が見つかったそうです」

「鑑定士なんてのもいるそうよ。羨ましい限りね」

「どちらにしても、殲滅するだけです」


 彼女たちはミレナとは逆に、飛行船の外へと歩き出す。その様子にホッとしたのか、整備員たちが自分たちの仕事に戻り始めた。

 外に出れば、太陽は西へと落ちかけている。そのせいで空に浮かぶ緑の輝きが鮮明に見えていた。


「今までの被害は?」

「……元ブレスニーク領の村が四つ。犠牲者は百二十五人」

「それらが奴らの経験値(・・・)とやらになったわけだ」

「悪夢を見ているようです」

「女神曰く、これが本来の現実なのだそうよ」


 喉を鳴らして笑うエディッタに、シャールカは冷ややかな視線で睨みつけた。

 彼女たちメノア帝国右軍は、戦闘の度に幾人かを捕縛し研究を行っている。情報を得るために拷問紛いのことも行ってきた。

 その結果、帝国の臣民を殺すことにより、称号の強さが増すことがわかっている。便宜上、『簡易称号』と呼ばれる女神の支配下の人間たちは、その殺人数を経験値と呼んでいた。


「……女神は何を考えているのでしょうか」


 独り言のような問いだった。

 エディッタは背中を格納庫の壁に預け、


「そりゃあもちろん、魔素の繁栄でしょ」


 と、からかうように答える。


「このような有様で何ができるというのです?」

「近いうちに世間は狂騒に駆られる。最終的には女神が魔素による管理を始めるわね。もちろん自分たちに都合の良いように。そうして魔素を増やす」


 やれやれと呆れたように肩を竦めるエディッタに、シャールカが肩越しの視線を向けた。


「聞きましたか、オラーフ研究員」

「何を?」

「先ほど捕縛した人間は、体内の魔力量が常人の平均の六倍あったそうですよ」

「ははん。なるほど。帝国民を六人殺したか」

「いいえ、本人の記憶によれば四人だそうです。つまり」


 腕を組み直し、白衣の聖女が考え込む姿勢を取る。


「増えたか、体組織の一部を魔力化したか、ということね。いずれ行き着く先は」


 言葉を切り、意味ありげに笑うエディッタ・オラーフ。

 だがシャールカは首を横に振った。


「人類総レギオン化はあり得ません」

「どうしてそう思うの?」

「それでは魔素が増えないからです。魔素は生体の中で一度魔力と化さなければ、増えません。そうでなければこの星から生命など消え去っています」

「まあそうよね。ではどんなことを狙っていると思う?」

「おそらくメノア大陸の人間で済ませるでしょう。そして帝国を乗っ取ることにより人類を支配し、魔素の理想郷を作る」

「メノアのレギオン化。世界最大の国を乗っ取るのが最も簡単な方法ってわけね」


 足を止めた彼女たちは、東の空に浮かぶ極光の膜を見上げた。


「今、私たちにできるのは、ともかく女神の勢力をここに押し止めること」

「健気ねえ」

「……大佐を信じています」


 シャールカはどこか心配げに、胸元に手を当てて遠くへと思いを馳せるのだった。







 帝城アダルハイトの皇室居住区に、皇女の自室がある。


「今日はもう寝ますわ」


 自室で薄手の寝間着に着替えたハナ・リ・メノアは、侍女たちに退出を促した。普段は侵入者を警戒し室内に残る彼女たちも、皇女の指示に従い頭を下げて無言で出て行く。

 一人になったハナは、大きなベッドに背中から倒れ込む。彼女の美しい金髪がシーツの上に広がった。


『ハナ』


 目を閉じたばかりのところで呼びかけられ、ハナは不機嫌そうに体を起こす。


「何か御用でしょうか? 女神マァヤ・マーク様?」


 部屋の真ん中に、床すれすれを浮いて移動する女性が現れていた。長い一枚布を巻き付けた衣装に、簡素な錫杖を持っていた。


『神与称号持ちは?』


 優しげな笑みを携えた彼女の問いに、皇女はベッドの縁に座り足を組みため息を零す。


「いずれも東方に」

『わかりました。では彼の洗脳は?』

「予定通りに」

『結構です』

「あのお方は?」

『こちらに向かっています。リリアナと共に』

「わかりましたわ。では待機してくださいな」

『わかったわ』


 彼女の姿が消えるように見えなくなっていく。

 完全に気配がなくなった後、ハナは小さく微笑み、


「所詮は魔力体ということですわね」


 とせせら笑った。







 竜車を止め、今日も荒野にある大きな岩の影で野営をしていた。

 もう帝国領に入ってはいるはずだが、空を見上げれば、まだ極光の元から抜けていない。周囲には濃い魔素が漂っている。

 根菜のスープと干し肉という簡素な食事を終えたヴィルが、焚き火から少し距離を置いて横になっている。今にも寝息を立てそうなほどに、うつらうつらとしていた。

 そんな彼の顔を、抱えた膝の上からじっと見つめていた。


 ――本人であることは間違いない。少なくとも幻影の魔法や魔力体なんかじゃない。


 リリアナは、対峙した数ほどにはヴィート・シュタクの顔を見たことがない。彼と顔を突き合わせるのはほとんどが戦場であり、EAをまとっているときばかりだった。先日のメナリーにヴィレームが来たときに、久しぶりに顔を見たぐらいだ。

 未だに、彼が記憶を失っているという確信が得られない。おそらくそうだろうとは思うが、演技ではないと断定するには、リリアナはその分野に明るくない。


 ――何かを狙ってるのかな?


 気になっているのは一つ。称号の剥奪という話だ。

 ヴィート・シュタクは先日の戦闘で、魔弓の射手と聖龍の力を放った。リリアナは魔素や魔力の動きを感じ取ることができる。ゆえに、間違いなく彼女たちの力であると判別できた。

 ハナ皇女と名乗ったEA使いは、帝都にはそういう罠があると言っていた。

 聖龍レナーテが帝都に一度直接攻め込んだが、手痛い敗北を喫したというのは歴史書にも残っている事実だ。

 色々と考えれば、おそらく帝都を襲撃したソニャ・シンドレルと聖龍コンラートが反撃に遭い、称号をあのEAに吸い取られたのだと推測できる。

 だが、それが目の前のヴィルと何の関係があるのか。


 ――わかんないよ……。


 彼は帝都ではなくヴレヴォに行きたいと言っている。

 ならば無関係なのか。それも判断できない。帝都とヴレヴォは距離も近いからだ。

 ここ最近、並列思考に頼っていたせいか、上手く考えがまとまらない。それも先の戦闘で抜け出るように彼女の中から消えていった。勝手に喋るようなもう一人の自分は、心の中に見当たらない。


 ――殺せば良いの?


 腰の後ろに鞘に入ったナイフもある。冒険者たちから奪った長剣も一振りあるし、魔法だって問題なく使える。

 つまり、彼女はいつだって目の前の男を殺すことができるのだ。

 殺す理由だってもちろんある。


 ――恨んでいる。ヴィート・シュタクを恨んでいるから。


 それだけは間違いない。


 ――何をしても勝てなかった。


 戦術と戦略で先回りされ、一対一で戦っても負けてしまう。

 初めて敵に勝つために必死に考えた。それでも勝てなかった。さらに友人たちまで彼に殺された。

 ある意味、尊敬していた。

 空を見上げる。

 緑光が夜空でマントの裾のように揺れている。

 真竜諸島の最北で見ることができる極光と似ていた。


 ――魔素が濃いな。


 無理矢理に真竜国まで連れて来られた彼女は、幼い頃に旅に出た。

 港で船に乗ろうとして断られた。どうして良いかわからなかった。彼女は世間知らずでもあったし、真竜国が勇者を帝国に帰すことなど有り得なかった。

 結局、ヴレヴォになど帰ることはできなかったのだ。

 だから、大きな荷物を背負った十歳にも満たない幼子が立ち竦み恨んだのは、世界だった。


「うっ……」


 焚き火を挟んだ反対側で、男が苦しそうに呻いた。胸を押さえ、身を縮めている。


「ヴィル!?」


 その異常な様子に、彼女は慌てて駆け寄ってしまった。

 男は起き上がって地面に膝をつくと、盛大に吐血した。


「ヴィル!? 大丈夫? ヴィル!」


 背中を擦り、声をかける。

 その間にも男は苦しそうに咳き込み、何度も赤い血を吐いた。

 弾みで彼のポケットから、一つのアイマスクが零れる。火の側に落ちたのでリリアナは咄嗟に拾い上げ、自分の懐にとりあえず仕舞い込んだ。


「わ、悪い、ごめん……」


 彼は苦しげに涙を浮かべながら何度も嘔吐(えず)く。


「ヴィル、しっかりして!」


 声をかけながらも、彼の吐いた血の塊を見る。


「え? これってソニャちゃんと同じ……」


 そこからわずかに緑色の発光がわずかに見えた。魔力を感じ魔素を操る魔王ならではの能力で察する。

 彼女は突っかかってきたソニャを、魔素をけしかけることで撃退したことがある。彼女が魔素過敏症という病だったと知っていたからだ。

 同じような症状だとわかり、彼女は何も考えず行動に出た。


「待ってて!」


 リリアナは苦しむヴィルを横に倒し、歯で手袋を外し血に濡れた口の中に指を突き入れる。

 喉の奥に固まりのような魔力を感じた。


「これなら魔力操作と魔素の操作で!」


 ゆっくりと男の体内の魔力を感じ取りながら、外へと魔力を流し出すように動かした。それに従い彼の苦しそうな顔が和らいでいく。荒い息も段々と収まってきた。


「周囲の魔素もどうにかした方がいいよね……」


 能力でヴィルの周りから魔素をなくし、近くにあった水筒を手に取った。


「飲める?」

「あ、ああ」

「ゆっくりとね」


 血に濡れるのも構わず体を支え、水筒をヴィルの口につけてゆっくりと傾けてやった。

 少しだけ口に含んだ彼が、軽く口をゆすいで、吐き出す。

 そこでようやく目を開けた。


「……ありが……と……う」


 最初に発したのは、弱々しい声の感謝だった。あのヴィート・シュタクと同じ人物とは思えないほどに。

 リリアナが何も言えないでいると、ヴィルが再び目を閉じて体重を預けてくる。

 身体能力に優れた彼女にとって、男一人の体など大した重荷にならない。寝息が聞こえてきたので、彼の口周りについた血を優しく指で拭ってやる。

 小さく安堵のため息を吐き、リリアナはゆっくりと彼の体を地面へと寝かせた。

 立ち上がり、見下ろして思う。

 自分が何をしているのか、わからない。

 ただ彼を助けなければという目先の気持ちだけで、動いてしまった。

 先ほど懐に入れたヴィート・シュタクのアイマスクを取り出す。それと目を閉じた彼を見比べ、リリアナは自分の腰側にあるバッグに入れ替えた。起きたら返そうかと思ったからだ。


 ――私はバカなんだろうね。


 その晩のリリアナは結局、彼の側で朝まで起きていることになった。







「ありがとう、本当に」


 翌日の早朝、頭を下げるヴィルの後頭部を、リリアナが冷たい眼差しで見下ろす。


「……何でそんな病気を持っているのを、言わなかったの?」

「病気?」

「魔素過敏症」

「まそ……? そうなのか?」


 不思議そうに問い掛け直してくる


「知らなかったの?」

「い、いや知らなかった……悪い」

「そう……」

「こんな魔素の濃い場所に来たの初めてだったんだ。昨日ぐらいからずっと気持ち悪いなとは思ってたんだけど」

「思ってた? つまり気づいてたということ?」


 さらに深く睨みつけるリリアナの瞳に、ヴィルは狼狽しかできない。


「あ、ああ」

「……わかった。でもこれから先は気持ち悪かったら、早く言って」


 腰の後ろにある小物入れには、昨晩拾ったアイマスクが入っている。それ返そうと手を伸ばしたとき、不意に彼が、


「……ありがとう、リアさん。やっぱ優しいな、アンタ」


 と微笑んで礼を言った。

 その言葉に目を見開き何も言葉をできなかった。

 表情を隠すように踵を返して背中を向け、御者台に飛び乗る。

 彼の感想に答えず、先ほどよりもさらに厳しい眼差しで睨み、


「さっさと乗って。今日は宿で寝たいから、町を目指す」


 と冷たい口調で言い放った。言葉が震えていなかったか。そんなことを不安に思う。


「は、はい!」


 ヴィルが慌てた様子で荷台に乗る様子を見て、彼女はクスっと小さく笑う。

 恨み恨まれの関係が、いつのまにか二人旅。

 彼が記憶を取り戻せば終わるし、リリアナが決意をすれば終わる。

 だけど彼女は旅を続ける。







「せーーのっ!」


 翌日、街道沿いで泥にハマっている他人の馬車に出会った。

 今はその車輪を持ち上げる手伝いをしていた。荷台の後ろに手を入れて、馬車の持ち主と一緒に持ち上げる。

 リリアナは馬を引っ張って、歩かせる役だった。


「もうちょっと!」


 彼女が声をかけると、馬車の持ち主とヴィルが踏ん張ってさらに荷台が持ち上がる。同時にリリアナが馬を引っ張ると、泥にはまっていた車輪が脱出した。


「大丈夫!」

「ふぅ」


 少し進ませたところでリリアナが馬車を止めた。馬車の持ち主である商人風の男が汗を袖で拭く。


「ありがとな、軍人さんたち」


 礼を言われたヴィルは、人好きのする笑みを浮かべた。


「いや、礼には及ばねえよ。どうする?」


 ヴィルが問い掛けると、男が首を横に振る。


「荷台の車軸も不安だし、ちょっと様子を見てから行くよ。町はすぐ側だしな」


 街道のすぐ先、視界の端に見える程度には近づいていた。


「わかった。オレたちは先に行くよ」

「こんなときに軍人さんに会えて助かったよ。俺は帝国の商人だけど東側はもうダメだろうな」

「そっか……」

「俺だって帝国臣民だとバレたら殺されるからな。でも、町に行ったら礼をするよ。良かったら酒場かなんかで会おう」

「期待はしてないよ。町で食料や水を買ってこようか?」

「いや、そこまでは迷惑をかけれんさ。アンタもその服は脱いだ方が良いな。帝国兵だとバレたら誰かに殺されるかもしれん。『経験値』目当てにな」

「またそれか……うんざりだ」

「おっと、そういえば」


 何かを思い出した素振りの男が荷台を漁り、二つの布の塊を持って戻る。


「良かったら使ってくれ」

「良いのか? 商品なんじゃ?」

「なに、知人のを預かってたんだけどな。そいつにゃ俺から金を支払っておくよ」

「助かるよ。っと、じゃあオッサン、またな」


 リリアナが無言で自分たちの竜車に戻るのに気づき、ヴィルが慌てて追いかける。


「ありがとな! 軍人さん!」

「良いってことよ!」


 手を振りながら、彼は自分たちの荷台に飛び乗った。


「ありがとな、リアさん、手伝ってくれて」


 御者台に腰掛けるリリアナに、ヴィルが感謝の言葉をかける。


「私が荷台を持った方が早かったのに」


 脱輪している馬車を見つけたとき、リリアナは自分が荷台側を持ち上げようと近づいた。しかしヴィルが商人風の男の横に行き、


「いや、そうかもしれねえけど、アンタも普通じゃないぐらい達人だし、なんか力を隠したいんじゃないのかと思ってさ」

「あれぐらい、気づかれずにできる」


 どこか子供のように不満げな顔を見せる彼女に、彼は苦笑しながら、


「そ、そうか。悪かったよ」


 と謝った。

 それで気が済んだのか、そっぽを向いたリリアナが走竜の手綱を叩いて走らせ始める。

 荷台に戻ったヴィルは、最後方まで行って手を振り、


「またなー」


 と大声を上げた。商人風の男も笑顔で手を振っていた。

 竜車と馬車の距離が開いていく。


「ヴィル、今のうちに着替えておいて。ていうかちょっと臭い、それ」

「え」

「昨日の血の匂いが取れてないんだと思う」

「あ、そういうことか。わかった」


 揺れる荷台でごそごそと動き始め、ズボンと上着を着替える。軍服を丸め、見えないように隅へと置いた。


「なあ、リアさん、オレたちはこれからどうするんだ?」

「……お医者さんに診せようと思ってたけど、あなたの状況じゃそれも無理。言ったでしょ。とにかくあの極光の元から出て考える」

「西に、帝都に行くのか?」

「帝都には、行かない」


 たぶん、そこには罠があるからと、リリアナはハナの言葉を思い出していた。

 帝都でしか使えないという称号剥奪の儀式があるそうだ。

 彼女の硬い声音に遠慮しつつも、ヴィルは怖々と口を開く。


「だったら、ヴレヴォに」

「気が向いたらね」

「……わかった。オレは守って貰ってる身だし、何も言えない。ありがとう」


 軍服から何の特徴もない服装へと変わり、顔を上げて後方を確認したのは、商人の姿も小さくなった頃だった。


「なんだ、アイツら!」


 荷台の最後方で肘をついて後ろを見ていたヴィルが、驚いて声を上げる。


「どうしたの!?」

「あのオッサンが襲われた!」

「わかった!」


 走竜の手綱を引っ張り、反転させて街道を逆走させ始めた。

 彼女たちが近づいたとき、ちょうど襲撃者たちが馬車の荷物を漁っていたところだった。


「貴方たち、やめなさい!」


 御者台から飛び降りたリリアナが、威嚇のために火線の魔法を数発打ち込んだ。


「ま、魔法だ!」

「逃げろ!」


 人影が散らばって逃げていく。そのどれもが小さかった。


「子供?」


 リリアナが驚いている間にも子供たちはあっという間に走り去っていく。


「とりあえず経験値は入った! 逃げるぞ!」


 その中の一人が声を上げ、他の数人もまた街道の周囲へバラバラに消えていった。

 竜車を止めて御者台から飛び降りたリリアナは、一番近くにいた一人の襟首を捕まえる。


「は、離せ、離せ!!」

「……どうして」


 十歳ぐらいの少年が錆びたナイフを後ろのリリアナに向けて振った。しかし軽々と止めた彼女は手を捻って刃物を奪う。


「……また『経験値』目当て?」

「わ、わりいかよ! こいつは帝国のヤツだったんだ!」

「どうして気づいたの?」

「め、女神様が教えてくれた鑑定でわかるんだ!」

「……そう」


 彼女は一つ大きな歯軋りをした後、少年を大きく放り投げた。その先に生い茂った木があり、その先端に引っかかってから枝が折れ、地面に落ちる。

 ヴィルはすでに地面に降りて、先ほどの商人の元に駆け寄っていた。


「……オッサン」


 悲しげに呟いたのは、商人がすでに事切れていたからだ。

 無念に見開いたままの目をヴィルはそっと閉じて、


「ずっとこんなのだ」


 と呟いた。

 彼の小さな言葉に、リリアナは何も言えずに立ち竦んだままだった。

 空を見上げた彼女の視界には、青い空にかかる緑色の極光がはためいていた。






 死体を乗せた馬車を引っ張りながら、ヴィルは町へ向かう。

 冷静に考えれば、馬車と荷物はその場に捨て、死体も埋めてやり遺品を帝国内に持ち帰る程度で良かったはずだった。

 しかしヴィルが何も言わずに死体を馬車の荷台の乗せようとしたので、仕方なしに手伝った。後は好きにさせてやった。彼は御者ができないので、馬を引っ張って歩くしかなかった。

 だからリリアナも付き合った。放っておけば、先ほどの子供たちがヴィルを殺しに来るかもしれないからだ。

 彼と彼女はその間、ずっと無言だった。


「ヴィル」

「なんだ?」

「それは置いていった方が良い」

「……そうかもな」


 嘯きながらも、彼は手綱を引っ張り馬と共に歩いて行く。


「どうして?」

「……リアさんの言うことぐらい、わかってる。だけど、せめてあの町で誰かに売る」

「その人が売っちゃうかも」

「それでもいい。埋葬を頼むからな」

「結局、そうするの?」

「あの人は商人だ。せめて持ってる物を売って金にしてやりたい」


 それはただの自己満足に過ぎない。

 十歳ぐらいの記憶しかないとはいえ、幼い頃から聡かった彼だ。そんなことぐらいわかっているだろうと、リリアナは知っている。


「ドゥシャンが……オレの幼馴染みなんだけどな」


 もちろん、その名前も知っている。幼馴染みたちの中で一番の年上の男だった。彼が年上は年下を守るものとヴィルたちに教え込んだのだ。


「あと一年ぐらいで、結婚するんだ」


 ヴィルが少しだけ頬を緩めて嬉しそうに呟いた。


「……そう」


 もちろんリリアナは知っている。

 目の前の男の記憶が十歳で止まっていて、一年後に結婚するというのなら、ドゥシャンは結婚することもなく死んだということだ。


「相手はシュクロバーントヴァーっていう頑固な鍛冶屋の娘でさ。ドゥシャンはそこの弟子なんだ。まだ修行中だけど、いずれは鍛冶屋を継がせて貰えるらしい」


 一番年上の幼馴染みは、優しく忍耐強い男だった。鍛冶は荒事だ。気性的には向いていないが、きっと一人前になっただろうと、リリアナも思う。


「オレ、家で使ってた鍋を直して貰ってさ。そんときドゥシャンが、最後まで頑張らせて貰えて幸せな鍋だなって言ったんだ。オレもそう思ったから大事にしてる」

「……うん」

「だからせめて、このオッサンが最後まで商人であったと伝えられるように、お金にして帝国まで持って帰ってやりたい」


 そこで二人は無言になり、しばらく無言で街道をゆっくりと進み続ける。

 町の門が見えてきた頃に、ヴィルが、


「……ごめん。迷惑をかけてるよな」


 と零した。

 リリアナは何も返答せず、ただ彼の後ろをついて歩いた。






 幸い、宿屋の主人が伝手があるということで、馬車と荷物を引き取ってくれた。

 おそらく買い叩かれた金額だっただろうが、ヴィルは感謝を告げて部屋に入る。

 リリアナも彼の隣に部屋を取った。

 野宿続きで疲労が貯まっていたせいか、二人とも無言で食事をした後、泥のように朝まで眠った。

 朝方、二人は同じぐらいの時間に起きる。

 大あくびをしながら出てくるヴィル。体こそ大きいままだが、子供のときと変わらない仕草だった。

 対照的にある程度身だしなみを整えたリリアナは、成長して仕草にも幾分か女性らしさを身につけていた。


「お…………朝食を食べたら出る。先に顔洗ってから降りてきて」

「わ、わかった」

「また後で」


 リリアナがヴィルに背中を向け、食堂のある下の階へと向かって降りていこうとした。


「あの、リアさん」

「何?」

「おはよう」


 ごく普通の挨拶に、リリアナは少し驚いたように目を見開いた。しかしすぐにまた背中を向けて歩き出す。

 ただ、聞こえるか聞こえないかわからないほど小さな声で、


「おはよ」


 と短く返した。






 町を出て西へ進む街道を、竜車が進んだ。

 荷台にあるEAには、大きめの布をかけて隠している。余ったスペースにヴィルが腰掛け、縁に肘をついてボーッと風景を見つめていた。

 天空には相変わらず緑色の極光(オーロラ)が浮かんでいる。東からは太陽は昇り始め、西の空には月が一つだけ沈みかけていた。


「……いや、ホント、オレは違う世界に来たんじゃないかと思ってる」


 ヴィルが荷台からそんなことを呟いた。

 御者台にいるリリアナは、聞こえない振りをする。

 彼女が再び空を見上げれば、小さな黒点が見えた。段々と大きくなっているのは、それが下降(・・)してきているからだ。


「あれは……」

「おわっ!? 何だ?」


 リリアナは手綱を引っ張り竜車を止めた。すぐに御者台から荷台へと飛び移り、そこに置いてあった布へと手をかけ、白銀のレクターを露わにした。


「敵が来る」


 飛行船は明らかにリリアナたちに気づいて近づいてきている。

 その船体の色は、黒。

 ヴィート・シュタクが乗船していた『ルドグヴィンスト改』であることは、間違いがなかった。


「て、敵? 冒険者たちか?」

「わかんないけど、あれに乗ってるとしたら、誰であろうと強敵だから」


 そう言って、リリアナはレクターの中へと乗り込んだ。






「おいおいおい、アンタ、ホントに大丈夫なんだろうな!? 勇者にこんなに近づいて!」


 飛行船の艦橋でダリボルが悲鳴にも似た声を上げる。


「大丈夫に決まってるぅ」

「てか他の人らはどうしたっ!? 特に竜騎士! 竜騎士どこ行ったぁ!?」

「だってアイツらウルサイしぃ。それに愛しの大佐を救い出すためなんですものぉ、置いてきたぁ。じゃあ行ってくるわねぇ」


 艦橋からパタパタと走り去って行く青い髪の女を見送る。


「……ホントに大丈夫なのかよ」


 初老の船長は背もたれに体重を預けながら、天を仰いだ。








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