6、処刑場
コンラート・クハジークは帝都を歩き、目的地へと辿り着いた。
ボウレⅡたちは高い壁で囲まれた基地への門を開け、少年を招き入れる。
そこに広がるのは、彼にとっては懐かしい演習場だ。固められた茶色い土の広場は、一辺が三ユミルほどもある。
その中央には、ヴィート・シュタクがいた。
黒いEA『テンペストⅡ・ディアブロ』の前面を開け兜を背中に倒し、中身を露わにしていた。
フードを降ろしたコンラートは、ゆっくりとその男の元に近づいていく。
以前は奥に見える士官用の宿舎で寝泊まりし、EA開発局の建物にはレクターの調整のために何度も足を運んだ。
戦地に飛び立つときは、この演習場に停泊していた飛行船『ルドグヴィンスト』に乗っていった。今はその姿も見えない。
だだっ広い空間には今、ヴィート・シュタクのみが待ち構えているだけだ。EAの前面を開けて生身を晒している。
「久しぶりだな、コンラート」
もはや懐かしくもある余裕ぶった口振りを聞いて、どこか安心した自分がいた。
「相変わらず怪しいマスク姿だな、隊長」
「逃げずに来たことは誉めてやりたいが、どうせ行く宛もないだろ、コンラート」
その男は妙な風貌の割に、親しみのある口調が多かった。どちらかといえば、町中にいる普通の青年のようだった。
事実、コンラートが失敗しようが不敬な態度を取ろうが、簡単に許している。
「弱い者イジメが趣味のヴィート・シュタクが、こんな場所にオレを呼び出して何の用だ?」
強がりにしか見えない態度で、彼は相手を嘲笑しようとした。だが鼻で笑われて終わる。
「仕方ないだろ、コンラート。オレはEAをまとえば、どうやら世界でも有数の強さらしいからな。誰と戦っても、弱い者イジメだ」
「それで、今度はオレをいじめてくれるのかよ、この哀れなコンラート・クハジークをよ」
数歩だけ足を進める。これで彼我の距離は二十ユルほどだ。
「お前が何に変わろうとしているかに興味はないし、解き明かすつもりはない」
黒いEAの胴が閉じられ兜が落ちる。そこにあるのは、嘲笑う悪魔の顔だ。
「んじゃ、オレと戦ってくれるのかよ」
コンラートは腰を落とした。
今の自分なら、爪でEAを傷つけることができる。
それが聖龍という称号のせいなのかはわからない。それでも、武器として使えるなら充分だった。
「戦い?」
「あん?」
「勘違いするなよ、反逆者」
ディアブロと名付けられたEAは、腰から下げていた長剣を横に構えた。
それはヴィート・シュタクが、バルヴレヴォに乗っていたときから変わらない形だ。
黒い装甲の中で、魔法刻印が甲高い唸り声を上げる。
滑り込むような形と目で追うこともできない速度で、黒いEAはコンラートの前へと現れた。
「今から行われるのは、処刑だ、バカが!」
彼が部下だったときよりもさらに速度の増した一撃に、コンラートは咄嗟に魔力障壁を張って防ごうとした。
なぜ戦いに来たのだろうか、と自問する。
ヴィート・シュタクの刃はすでに眼前、魔力障壁を打ち砕いて、首を断ち切らんと迫っている。
咄嗟に左腕を盾代わりにしながら体をよじった。
振り切られた長剣の一撃で、コンラート・クハジークの手首は飛んでいった。
吹き出す血をそのままに、彼は大きく後ろに飛ぶ。それが悪手だと気づいたのは、黒いEAの笑う兜が、再び接近していたからだ。
自らの顔に向けて突き出される切っ先が見える。
もう死ぬのか。
――なぜ、戦いに来たのだろうか。
さらにもう一度、問い掛ける。
逃げれば良かった。
あの屋敷で会った、クハジーク家の元侍女たち。
恨まれていた。
当たり前だ。自分の軽挙妄動により主が処刑され職を失ったのだ。住み込みであったなら住処も失っているかもしれない。
――なぜ、戦いに来たんだ、オレは。
逃げれば良かった。
向かい合う必要などなかった。
挑発されたから?
そういうわけではない。ただ自然と、もう一人の自分がここに向かえと判断した気がした。
死にに来たわけじゃない。
コンラートは、ヴィート・シュタクを殺しに来たのだ。
――受け止めろ。我が身はすでに龍と成り始めているのだから。
自らの喉元を狙って突き出された刃を、『聖龍』の称号を持つ少年は、尖り始めた歯で挟み込んだ。
「なに?」
もはや竜と変わらぬ硬さの牙は、黒いEAが突き出した攻撃を受け止めた。その力全てを殺しきることはできずに、コンラートは後ろに吹き飛ばされる。
地面に叩き付けられ、何度か跳ねた後、彼はくるっと回って綺麗に着地する。
その後、地面に何かを吐き捨てた。ヴィート・シュタクの刃の欠片だった。
「ははははっ」
鋭く伸びた牙を剥き出しにして、大声を上げて笑う。
「チッ」
舌打ちをした黒いEAの切っ先は、歯形の跡がついていた。
「少しわかったぜ、この体の使い方が」
「左腕を落とされて、余裕こいている場合か」
相手は剣を肩に担いで、小馬鹿にしたような言葉を投げる。
言われて初めて自らの左腕を見下ろした。赤い血が絶え間なく地面へと垂れている。
「あー、そうだったな。あんまり痛みがないから、忘れかけてた」
「頭の悪さはレナーテ譲りか、コンラート」
「並列思考」
「ほう?」
「オレは確かにバカだけどなぁ、二人いればさすがに隊長一人分ぐらいにはなるかもしんねえだろ」
コンラートが左腕を軽く振う。
手が生えてきたりはしなかったが、わずかに肉が盛り上がり血が止まった。
その様子を見たヴィート・シュタクは兜の中で不快げに眉をしかめた。
「さっさと殺すか」
「今度は、こっちの番だぜ、隊長! うらああああああ!!!」
コンラートが駆け出す。声を張り上げなら、敵を目指した。
生身のままで並みのEAの動きを上回る速度を出し、悪魔と呼ばれるEAに飛びかかる。
振り下ろされた右の爪を、ヴィート・シュタクの剣が下から撃ち返す。
そのまま両者ともが弾かれて体勢を崩し、たたらを踏んだ。
「さすが隊長だな」
金色に染まった竜の目を輝かせ、牙を剥き出しにしてコンラートが笑う。右腕をだらりと垂らしてぶらぶらと振っていた。
「お前なんぞに誉められても、何にも嬉しくないがな」
剣を構え直し、黒いEAの男がせせら笑う。
だが聖龍へと変わり始めた青年は、気に止めた様子もなく、
「思えばアンタは強すぎた。力があった。だから正義だった」
と不敵な顔で頬を歪ませる。
「何を言うかと思えば。リダリアの諺で言うところの『力こそ光なり』か」
「さすが隊長、物知りだな。アンタは不思議なヤツだ。妙な格好してるわりには気さくだし、仲間には甘いと言えるぐらいだ」
「当たり前だ。オレは敵に容赦しないだけで、必要以上に厳しくするつもりはない。復讐とは、相手を完膚なきまで叩きつぶしてこそだ。どうした? 今更、オレを分析してどういうつもりだ?」
「アンタが自分の正義を貫けるのも強えからだ。違うかよ?」
「力なき正義に意味はない、正義なき力に意味は見出せない。暗殺者ルドグヴィンストの言葉だな」
「なあ隊長、さっきから疼くんだよ」
右腕を上げて自らの頭に触れる。痛みでも覚えているのか、唇が震えていた。
「世界の安寧とやらを守るために、アンタを殺せってなあ!!」
コンラートの体がかき消えるように見える速度で飛び出した。鋭く伸びた爪の長さはすでに、短剣ほどにまで伸びている。
ヴィート・シュタクのEAはそれを正面から受け止めた。
そのまま爪と刃の押し合いになる。
「面白いことを言うな、コンラート!」
「がっ!?」
黒いEAが頭突きを食らわせ、強引に距離を取る。
血を流したコンラートが、頭を抑えながら三歩ほど下がった。
すぐさまヴィート・シュタクを睨もうと顔を上げる。
だがその隙を逃す男ではない。そのまま心臓に向けて剣を鋭く突き出す。
しかしコンラートも上半身を思いっ切り反らして、刃をやり過ごした。強化された下半身によって支えられた動作だ。
攻撃を避けきった聖龍は、伸びきったヴィート・シュタクの右腕を掴もうとした。
そこで只ならぬ気配を感じ、身を投げ出すように横に転がった。すぐに立ち上がり、少しでも距離を取ろうと大きく背後に飛ぶ。
「なかなかカンが良くなったじゃないか」
黒いEAは左手に真っ黒な刃を持っていた。右手に持つ長剣とは明らかに違う、よくわからない何かであった。
「……なんだよ、その剣は」
頬に冷や汗が落ちて行く。
コンラートという少年は、恐怖に鈍感な方だ。レクターで勇者に挑もうとも、海上で砲撃の乱打の中を進もうとも、怖いと思ったことはなかった。
だというのに、突如現れたその黒い剣にだけは、心臓を直接掴み上げられるような感情を抱いてしまう。
「言う必要があると思うか?」
バカにしたように手を開くと、黒い刃が地面に向けて落ち、途中で霧散して消えた。
「並列思考がそれだけは食らうとヤバイって判断した」
「並列思考ねえ。リリアナもそんな能力があるとか言ってたな」
長剣で肩の装甲を軽く数回叩き、小さくため息を吐く。
「足りない脳みそでもいくつか並べば、それなりにゃなるんだよ」
「そうかい。だが残念だ。お前たちには絶対的に足りない要素がある」
肩に剣を担いだまま、黒いEAは歩き出す。
隕鉄によって編まれた装甲は鋭く、隙間に走る赤い線は不気味に光る。兜に付けられた面には三日月を三つ並べた、悪魔の笑みを携えていた。
『聖龍』コンラート・クハジークは右手の爪を揃えて、腰を下ろす。
「……へっ、何が必要だってんだ?」
牙を剥きだしにした、かつて人だった者は、青い髪の中に小さな角を生やしていた。それは数多の樹齢を重ねた古木の枝のような形だった。
「お前たちに絶対的に足りないもの。それは」
ゆっくり歩いていた黒いEAが加速し始め、剣を横に構えて駆け出す。
コンラートの身体能力はすでに並のEA兵よりも上であり、硬い鉱石で削り出された牢獄の壁さえ破壊する。
しかし黒いEAは歌うように、
「強さだよ、コンラート」
と、かつて部下だった少年を嘲笑った。
右腕から振られた横薙ぎを、コンラートは受け止めようとした。
だが今度のディアブロの攻撃は、石すら容易に貫く爪を容易く破壊した。
そのまま振り切られる刃が、上半身を反らそうとしたコンラートの右目に当たる。
血を撒き散らしながら、人外と化していく青年は大きく吹き飛んだ。
斬りつけられた右目を押さえながら、すぐに立ち上がろうとする。
「くそっ! まだ勝てないってのかよ!」
自分の弱さに悪態を吐きながら、コンラートはヴィート・シュタクを左目で視界に納めようと顔を動かした。
――後ろだ!
自分の心が自分の体へと緊急警告を送る。
風切り音を聞いて上半身をよじろうとした。
しかし回避行動は間に合わない。
背後から突き立てられた長い剣の持ち主が、紅蓮のEAをまとった帝国の剣聖だったからだ。
「さようなら、コンラート」
「み……れ……ナ」
コンラートの心臓を貫いたのは、いつのまにか背後に現れていたミレナ・ビーノヴァーだった。
地面が横に傾いていく。
自分の体が倒れていくせいだと彼は理解した。
人の形の龍が倒れていく。
右目と左胸から流した血が、帝国右軍演習場の冷たい土を濡らしていった。
「処刑だと言っただろう?」
ヴィート・シュタクの冷たい声がコンラートの耳に降ってくる。
――ああ……、やっぱり甘くねえか。
なぜ戦いに来たのだろう。
コンラート・クハジークは自問を続ける。
逃げれば良かったのだ、生きたいのなら。
だが、生きてどうなる、という思いも強い。
空を見上げた。
太陽が中天を目指して登り始めていた。
速さではない




