その日は、会社の納涼会だった。
9月来るの早すぎませんかね…。
「皆さん今週もお疲れ様でした!お盆はしっかり休んで、また頑張りましょう!乾杯!」
取締役の掛け声に合わせ、かんぱーい!と皆口々に声を上げてジョッキをぶつけ合う。
今日は会社の納涼会だ。
納涼会、と言ってもこの会社の場合はただの飲み会と変わりない。
大手チェーンの居酒屋で適当なコース料理をつつくだけ。
参加は任意だが、こういった会は年に数度しかない上に費用は会社持ち、ということもあり社員の参加率は高い。
まだ若い会社なので平均年齢が低く、堅苦しくないのも理由のひとつだろう。
例に漏れず私も参加した。こういった交流は社会人であればある程度必要だと思う。
「あ、仲村さん。さっき言ってた奴見せて下さいよ」
「ん、ああ、はいはい」
お酒にはあまり強くないので、まずは空腹を満たそうとサラダに手を付けていると隣に座った後輩から話し掛けられた。
後輩、と言っても私に役職が付いていないので、上下関係なんてものはほとんどない。
この明るくて社交的な後輩は、いつもランチを一緒に取るくらいには親しい友人だ。
「ええと…あ、あった。どうぞ」
「ありがとうございます…おおー!カッコいい!」
探し当てた画像を開いてスマートフォンの画面を後輩へと差し出せば、彼女は黄色い声を上げた。
彼女の好きな俳優の巨大ポスターが、新宿駅構内に期間限定で貼ってあったのだ。
聞くところによると新宿駅限定らしい。
彼女の出勤ルートでは新宿駅を利用しない。
見に行きたくてもなかなか行けない、貼り出し期間が終わってしまう、と嘆いていたので、代わりに写真を撮ってきたのだ。
「これ後で送って貰って良いですか!?」
「うん、後で送っておきます」
こんなに喜んでくれるなら、撮ってきて良かったなあ。
たった数枚の写真をみてはしゃぐ彼女が、何気なく次の画像を表示させた時だった。
「…ん?」
「あ」
巨大ポスターではない、男女が少し逆光で写っている写真が現れる。
…それはこの前の休日に、皇帝さまと都庁で撮ったものだった。
「えー!!誰ですかこのイケメン!!」
「あー…ええと…」
「外国人!しかもめっちゃ美形!!」
「あーあはは…」
しまった。まさか見られてしまうとは思わなかった。
さりげなくスマートフォンを取り返そうとするも、彼女はそれを持ち上げて私から遠ざけた。
「えー!凄い!手足長いし顔も小さい!仲村さんも凄いお洒落してる!!綺麗!!」
それからまじまじと画面を覗き込み始めたので、流石に恥ずかしくなってなんとか奪い返す。
隠すように鞄へと仕舞ったが、後輩の勢いは止まらなかった。
「今の誰ですか!?仲村さん彼氏いないって言ってましたよね!?」
「彼氏ではないです」
「でもすごく親しげでしたよ!腰まで抱いちゃって!」
…あの一瞬で良く見てるなあ。
彼女の観察眼に思わず感心してしまう。
そうして輝かんばかりの期待に満ちた目を向けられたものだから、さっと目を逸らした。
彼女の勢いは止まらず、興奮した様子で、どんな関係か、どこで知り合ったのか、どんな人なのか、を色々と聞き出そうとしてくる。
私にはどの解答も濁すことしかできない。
何しろ普通の友人ではないのだから。
「私の話はいつでもできますし…あ、ほら、木村さんとかに挨拶しに行かなくて良いんですか?」
「…後で行きます!今はもっと恋バナ聞きたいです」
「恋バナ…」
恋バナではないのだが。
女性は皆そう言った話が好きだなあと苦く笑った。
私も今の案件担当者に挨拶しに行きたかったのだが、後輩は満足するまで離してくれそうにない。
…私は話を捏造する事にした。
そうして色々と作り上げた末に、皇帝さまは隣の部屋に越してきた当日に鍵をなくし、私の部屋経由でベランダから帰っていってから何故か今でもベランダ経由で遊びに来る外国人になっていた。
…咄嗟に考えたにしてはなかなか良い出来ではないだろうか。
その話を聞いた後輩はまんまと信じてくれ、きゃあきゃあと楽しそうに騒いだ。
「えー!もうそれ絶対仲村さんに気があるじゃないですかあ!」
「それはないですよ。庶民が珍しいんじゃないですかね」
「え?同じアパートに住んでるんですよね?まさか実家がお金持ち?」
「あー…らしいですよ…よく知らないですけど…」
「えええ!イケメンでお金持ちなんて最高じゃないですか!絶対捕まえた方が良いですよ!」
お酒も進み、もの凄い剣幕で後輩が詰め寄ってくる。
思わず後ろへ下がった。
「いやー…ちょっと高嶺の花過ぎます」
「いけますって!気持ちが大事です!仲村さんが好きなら国籍とかお金なんて関係ないですって!」
さっきはイケメンで金持ちだから捕まえろと言っていなかっただろうか。
その変わり身の早さに笑ってしまう。
そもそも、私は別に皇帝さまのことを好きというわけでは…。
「ん?」
その考えにはなんだか違和感がある。
ジョッキを傾けながら、内心首を傾げた。
いや、皇帝さまのことは好きだ。
それは恋愛感情ではなく、友人として、人としてのことだ。
けれど男として見ていないか、と言われるとそれは違う。
彼は非常に素敵な男性だ。
もちろん容姿だけではなく、その尊大な態度も、好奇心も、人をからかってくるところも、子どものようにはしゃぐ姿も、全てが彼の魅力だ。
一緒に居ると楽しいし、楽しませたいと思っている。
もし何の障害もなければ…。
そこまで考えてハッとする。
障害がなければ?
『世界』や『身分』という障害がなければ、私は…?
「…とにかく、逃がしちゃ駄目ですよ!」
後輩の声に、考え込んでいた思考が引き戻される。
どうやら彼女は少し離れた席の社員から呼ばれ、席を立つようだ。
「そんなにいい人、滅多にいないんですからね!」
何故か会ったこともない皇帝さまを力強くお勧めして、彼女は呼ばれた席へと向かっていった。
まるで親戚のおばさんのようだ。
苦く笑いながらその後ろ姿にひらひらと手を振った。
ふう、と一つ溜め息を吐く。
…気づいてしまった。
今まで無意識に考えることを避けていた自分の気持ちに。
『もし、何の障害もなければ、私は彼に恋をしていたのに』
もしも…なんて願望、そもそも願っていなければ浮かびもしないだろう。
障害があろうがなかろうが、そんな考えが浮かんだ時点でもう手遅れなのだ。
ぐいっとジョッキを傾け、残っていたビールを一気に煽る。
ああ、そうだ。
私は皇帝さまが好きなのだ。
口に残るその味は、何故かいつもより苦く感じた。
「遅い」
玄関を開けると、目の前には皇帝さまが仁王立ちをしていた。
その顔は、今までに無いくらいとても不機嫌そうに見える。
「…遅くなるって昨日お伝えしたじゃないですか」
平静を装って靴を脱ぎ、皇帝さまの横をすり抜けて中へと上がった。
…今日は会わないと思っていた。その事に安心もしていた。
変に自覚してしまったせいで、まともに目が見れない。
そそくさと部屋に入れば、遅れて皇帝さまもその後に続く。
「それにしても遅いだろう。…臭うな」
「あー…すみません、煙草とお酒ですね」
煙草は吸わないが、居酒屋に行けばどうしても臭いがついてしまう。
鞄を投げるように置いて、さっさと上着を脱ぎ捨てた。
「ああ、そうだ。今日はコーラを買って来ていないんです。すみません」
「いやそれより、こんな夜更けに一人で駅から歩いてきたのか?危ないだろう」
「え、でも、10分くらいですし…」
「何かあってからでは遅いのだ。お前は女性なのだから、もっと自分を大切にしろ」
「あー…はい…気を付けます…」
心配させてしまったようだが、うちの父親ですらそこまで言わないだろう。
何を気を付けるかも特に考えないまま曖昧に笑って誤魔化した。
…うまく笑えているだろうか。
自分の気持ちに気付いたところで、どうこうするつもりは私にはなかった。
今まで通り、このまま過ごしていければそれで良い。
…いつかは終わるかもしれないけれど、その日まで。
そのためにはまず、変に皇帝さまのことを意識をしないようにしないと。
「今日はもう遅いから戻るが…明日詳しい話を聞くからな」
「ええ…」
明日までには忘れておいてくれると嬉しい。
…私も、明日までには落ち着いていると良いけれど。
「では…」
そう言って皇帝さまが近づいて手を伸ばしてくるので、思わず避けるように後ろへ下がってしまった。
皇帝さまは形の良い眉を器用に片方上げ、怪訝そうな表情を浮かべる。
「あっ…急だったので、驚いて」
動揺を悟られないように、慌てて言い訳をした。
そうか、このイベントが残っていたか。
「…ええと、すみません」
「……」
いつものことだというのに、過剰に反応してしまった。
拒否したわけではないのだが、なんとなく気まずい雰囲気になる。
しまった。恥ずかしい。
「…どうぞ」
その空気に耐え切れず、促してみた。
皇帝さまを近くで見上げると、その眉間には未だにしわが刻まれている。
その険しい表情のまま皇帝さまが手を伸ばし、そっと私の顎に添えられた。
もはや慣例と化した筈の額へのキスが、何故か今更胸を高鳴らせる。
…今まで私はどんな顔をして受け入れていたのだろうか。
目は閉じていた?開けていた?
手はどうすればいい?いつもどうしていたっけ?
考えのまとまらない頭のまま皇帝さまを見つめていれば、その顔がどんどんと近づいてくる。
透き通るような緑の瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
どうしよう、いやどうもしなくていいのか?
ぐるぐると思考が巡る中で、頭が真っ白になりそうだった。
不意に、皇帝さまがふっと笑う。
…あ、格好良い。
その笑顔に、すとん、と思考が落ち着いた。
ちゅ、と軽いリップ音が響いて皇帝さまが離れていく。
「また明日に」
呆ける私を置いて、皇帝さまはクローゼットへと戻っていった。
…柔らかな感触を、頬に残して。
ぶわっと込みあがる気持ちを抑えきれず、ベッドへと飛び込んだ。
なんだあれ。なんだあれ!
枕を力強く抱きしめる。
私の気持ちも知らずに、なんてことをしてくれるのだ。
唇に程近い場所へと落ちた柔らかな感覚が消えない。
触れた場所から熱が広がっていくような気さえする。
ああ、くそ、もう。
こんなの好きになるなって方が無理じゃないか!
かといって事態が急転することもなく、次回も多分日常回です。