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8/14

ある日、家に帰るとエアコンがいた。

現実では8月も終わりますが、これは夏の入りのお話です。


「あっつ…」


仕事が終わり、いつも通りの駅からの帰り道。

その暑さに思わず小さく呟いた。


昨日までは日が落ちてしまえば涼しかったのに、もうすっかり夏だ。

熱風と湿気で張り付く服が気持ち悪い。


これまでは扇風機で凌げていたが、これはダメだ。

家に帰ったらエアコンを付けよう。


ふと、今日も家で帰りを待っているであろう友人のことを思い出した。

…あの幾重にも重なった服は、暑くはないのだろうか。

思い返せば意匠は違えど、いつも似た雰囲気の重そうな服ばかりを着ている。


向こうの世界の気候は知らないが、こちらではかなり暑いのではないだろうか。

冷房の付け方も知らないだろうし、今ごろ蒸し焼きにされているかもしれない。


熱中症で死なれては困る。


思わず嫌な想像をしてしまう。流石にないとは思うけれど。

なんとなく不安になり、普段よりも足早に家を目指した。




ディンプルキーを差し込み回せば、ガチャン!と音を立てて扉は解錠された。


取っ手を掴んで手前に引く。と、同時に体も滑り込ませた。

手探りで玄関の電気をつける。

既に奥の部屋の明かりもついており、TVの音も聞こえていた。


やはり、今日も皇帝さまが来ている。


大丈夫だろうか。

急く心のままに、靴を手早く脱いで奥の部屋への扉を開けた。


「ああ、帰ったか」


ヒヤリと頬を撫でる冷たい風。

先程までのうだるような暑さから一転、心地の好い清涼感に包まれた。


これはまさに、エアコンの冷風だ。


皇帝さまを見ればいつも通りの皇帝服に身を包み、ベッドに腰掛けている。


「…あの、エアコン付けました?」

「エアコン?」


首を傾げる皇帝さま。


そりゃそうだ。

皇帝さまといえど教えてもいないエアコンの使い方がわかる筈がない。


もしかして私が朝、無意識に入れて消し忘れた?

そんなまさか。


エアコンをじっと見つめて確認する。

…やっぱり動いていない。

良かった。電気代で死ぬところだった。


しかし、それならば何故こんなにも部屋が涼しいのだろうか。


「それにしても今日、この国は暑いな」

「あ、はい…」

「日が落ちてもこの暑さとは…皆暑さに強いのか?」

「いえ…特にそう言ったことは。南方に住む人は強いかもしれませんが」


そう話している内にも、段々と汗が引いていく。

涼しい。

恐らく普通にしていれば寒いくらいだが、外から帰ってきた体には丁度良い。


「涼しいか?」

「え?あ、はい」

「そうか」


口角を上げて得意げに笑う皇帝さま。


その姿を見て、あ、と思いついた。


「もしかして、魔法ですか?」

「ああ」


なるほど、この涼しさは皇帝さまが作ってくれていたのか。


「こんなこともできるんですか…凄いですね」

「この部屋程度、造作もない」


魔法を使うには魔力が必要らしい。

そしてその魔力は自然回復か、魔素を多く含む食べ物を食べたりすることで摂取できるのだと以前聞いた。

しかし皇帝さまに至っては体内で作られる魔力がとても多く、保有できる量も膨大なので余程の大魔法でない限り枯渇しないのだとも。


聞けばこの水魔法の応用らしい冷房は、皇帝さまからすれば微々たるコストで実現できるのだそうだ。


…便利だ!


「寒いようなら言え。少し弱めてやろう」


…エアコンだ!


「ありがとうございます…すごく助かります…」


主に電気代が。


この家のエアコンは入居前から備え付けられていたもので、とても古い。

油断していると夏の電気代は恐ろしく膨れ上がるのだ。


なので夏の入りはなるべく窓を開け、扇風機で耐える。

一度エアコンを付けてしまえば、タガが外れてすぐに頼るようになってしまうのだが。


「うわー…涼しい…」


ベッドに近寄って皇帝さまの足下に座り、彼から出ている冷風を浴びる。


…ああ、涼しい。

これがほとんどノーコスト?一家に一台欲しい。


「…そんなに気に入ったか。普段はどうしている?室温調整するものは『扇風機』しかないのか?」

「ええと、一応そこにある機械で調整できるんですが…電気を沢山使うのであまり動かせないんです」


と言ってベッドの上にあるエアコンを指差す。

当然のように仕組みまで聞かれてしまったので、室内の空気から電気の力で熱を除いているのだとざっくり説明した。

実際詳しい仕組みは知らないが、あんなに電気を使うのだ。電気が頑張っているに違いない。

皇帝さまもエアコンを見上げて、なるほど、と頷いた。


「あ、これコーラです」

「ああ」


コンビニの袋をガサガサと漁って缶のコーラを取り出し、皇帝さまに手渡す。

今日は何故か無性にコーラが飲みたくなったので、自分の分も買ってきてしまった。

炭酸はあまり得意ではないが、暑い日のコーラは不思議と美味しく感じるものだ。


缶を開けようとして、そういえば、と思い出す。

これは風呂上がりに飲もうと思っていたんだった。


いくら涼んでも、汗でべたついた肌はシャワーで洗い流さない限りすっきりとしない。

折角なら、さっぱりしてからキンキンに冷やしたコーラを飲みたい。


しかし今は部屋に皇帝さまがいる。


流石にこの状況でシャワー浴びるのはなあ。

いや確かに風呂上がりにこの涼しさはきっと気持ちいいとは思うけれど。


うーん、と悩んでいればコーラを飲んでいる皇帝さまが声を掛けてきた。


「飲まないのか?」

「あー…ええと…」


素直に風呂に入りたいと伝えれば、言外に邪魔だと聞こえてしまうかもしれない。

やっぱりここは堪えて、皇帝さまが帰ってから飲むのが一番無難かなあ。


「…後で飲むことにします」

「何故だ?」

「まあ、そういう気分なので」


そう言って立ち上がる。

このコーラは冷蔵庫に入れてさらに冷やしておこう。


それから一歩踏み出すか否かのところで腕を掴まれ、後ろへと引かれた。

振り返れば、何やら皇帝さまが不満げな顔をしている。


「…余に付き合うのは嫌なのか」

「いえ、まさか。そういうわけでは」

「では付き合え」

「ええ…」


コーラがまるで酒のような扱いをされている。


しかしそこまで言うのであれば仕方がない。

大人しく皇帝さまの足元に座り直し、缶のプルタブを引いて開けた。


「乾杯」

「…かんぱーい」


皇帝さまはそう言って缶を軽く上に掲げ、口をつけた。

彼が飲むと缶のコーラもまるで高貴なワインのように見えてくる。オーラのせいだろうか。


それをぼうっと眺めながら、久々のコーラを口にする。


「っ、ゴホッ!」

「おい!大丈夫か?」


思ったよりも炭酸がきつかった。

大丈夫、とジェスチャーで伝えるも、勢いで変なところに入ってしまったようだ。


何度か死にそうなくらい大きな咳を吐いた。

皇帝さまは驚いて何かしようとしていたが、それを手で制す。


そのうち落ち着くだろう。苦しいけど。死にそうなくらい苦しいけど。


そう思いながらも、なんとか徐々に呼吸を整えていった。


コーラってこんなにきつかったっけ?

涙まで出てきた。


「はー…びっくりした」

「こちらの台詞だ…」


落ち着いた頃にそう呟けば、皇帝さまもため息を吐く。

驚かせて申し訳ない。


「久々に飲むもので…」


と言いつつ自分を見れば、服にコーラが掛かってしまっていた。

むせた時に缶の口から零れたものだ。やってしまった。


…これはもう着替えよう。

ついでにやっぱりシャワーも浴びよう。

これは早く浴びろと神が言っているに違いない。


「あの…すみませんが、服も汚れてしまったのでお風呂入ってきます」

「そうか。行ってくるが良い」

「ええと…その、結構時間が掛かるので…」


帰って貰えますか、と面と向かっては言いづらい。

そこで言葉を濁していると、流石皇帝さまは意図を察して頷いてくれた。


「余は一度戻ろう。このコーラは冷蔵庫に入れておけ」

「あ、はい…」


また後で来るのか。


飲みかけのコーラ缶を受け取る。重さ的にはもう半分近く減っていそうだ。

冷やしておいても炭酸は少し抜けてしまうだろうなあ、と思いながら二つの缶を冷蔵庫にしまった。


「終わったら呼べ。こちらへ来ても構わん」

「はあ…でも、お待たせするのは申し訳ないです」

「良い。…お前が珍しくコーラを飲むのだ。たまには共に杯を交わそう」


そう笑う皇帝さまに、思わず反射的に頷く。

彼はそれを満足そうに見届け、クローゼットへと入っていった。


…やはり、彼にとってコーラはヴィンテージもののワインなのかもしれない。






30分程シャワーを浴びて、髪を乾かしに掛かった。


折角洗い流したというのに、ドライヤーの熱でまた汗が吹き出す。

その上この家はユニットバスなので、鏡の前でも熱気と湿気が凄まじい。


まだ乾ききっていない状態だったが、暑さに耐えきれずバスルームから逃げ出した。


そうして逃げた先の部屋も、バスルームと比べるとマシではあるがとても暑い。

皇帝さまはいないし、エアコンもつけていないのだから当然だ。


エアコンのリモコンをちらりと見る。

暑い。付けたい。


…いや、折角皇帝さまが戻ってきてくれると言ってくれたのだから、ここは我慢しよう。


衝動をなんとか抑えて扇風機のスイッチを押す。

この暑さだと、ないよりはマシ、といった程度の風しか送られてこない。


「暑い…」


思わず一人呟いた。


早く皇帝さまを呼び戻してしまいたいが、せめてもう少し髪は整えたい。

Tシャツと短パンという部屋着に着替えてしまった時点で身だしなみとか気にしても仕方がない気もするけれど。


あと少し、あと少しだけ風に当たったらもう一度髪を乾かしに戻ろう。






「マユミ?もう出たか?」


コンコン、とクローゼットのドアを小突く音と、皇帝さまの声がした。


そこでハッと意識が覚醒する。

なんてことだ。いつの間にか体が横になっていた。

…仕事疲れだろうか。確かに今の案件の納期が近くて忙しいけれど。


「あっ、えっと、はい!」


時計を確認しながら、慌てて返事を返す。


幸いあれから15分程しか経っていない。

居眠りしたのは短時間だったようで、ホッと胸を撫で下ろした。


「…どうしたんだ一体」

「え?」


いつの間にか近くに皇帝さまが立っている。

そうか、返事をしたから戻ってきたのか。


ぼんやりとそう考えて、皇帝さまを見つめる。

彼は驚いたような、呆れたような表情を浮かべていた。


「髪が随分乱れているが…」

「…あっ」


そういえば髪を乾かしている途中に離脱したのだった。

そのまま居眠りをしてしまったのだから、相当ぼさぼさに違いない。


確かめるために自分の頭を触ってみれば予想通りぼさぼさで、まだ少し濡れている。


やってしまった。恥ずかしい。

こんな状態をイケメンに見られてしまうだなんて。


「…えっと、すみません。今すぐ整えてきますので」


そそくさとバスルームへと行こうとすると、がしっと腕を掴まれた。

振り向けば、口の端を上げて悪人面で笑う皇帝さまがそこにいた。


「余がやってやろう」


言葉を失う。

思わず皇帝さまの顔を呆けたまま見つめてしまった。


「そこに座って後ろを向け」


私は返事を返してもいないのに、皇帝さまはさっさとベッドに座って自分の目の前の床を指さした。


「いえ、そんな。いいです、大丈夫です、自分でやりますから」

「遠慮するな。ほら」


遠慮じゃない。羞恥だ。

ただでさえだらしない姿を見せてしまっているのに、それを整えてもらうだなんて。

シャワーを浴びたとはいえ、結局汗もかいてしまった。

耐えられない。恥ずかしさで死んでしまう。


「本当に大丈夫なので!」

「良い、良い。余に任せておけ」

「皇帝ともあろう方が人のお世話だなんてしちゃ駄目でしょう!」

「お前は臣下ではないし、ここは余の国ではない」


全力で断っているのに、皇帝さまは私の腕を放さない。

というよりも、さっきより更に楽し気に見える。


またからかっているのか。

いやでも流石にここは譲れない。


「さあここに座れ。好きなだけ涼しくしてやるぞ?」

「……」






「どうだ?痛くはないか?」

「……はい」


皇帝さまが魔法で風を起こしながら、髪に櫛を通していく。

その手付きは決して慣れたものではないが、不快ではない。


…結局私は皇帝さまの足元に収まって、大人しく髪を弄られていた。

涼しいままに髪が整えられていく。


私は皇帝さまに負けたのではない。日本の夏に負けたのだ。


「お前の髪は綺麗だな。触り心地も良い」

「…それは、ありがとうございます」


こちらは批評されているようで居心地が悪い。

落ち着かなくてソワソワしてしまう。

どこをみていれば良いのかもわからず、ただじっとテーブルを見つめた。


「それに、良い香りがする」

「うわっ、ちょ、やめてください」


皇帝さまが頭に顔を近づける気配がしたので、反射的に前へ逃げた。

それが気に入らなかったようで、皇帝さまはムッとした表情を見せる。


思わず咄嗟に弁明した。


「ええと、汗をかいてるので…」

「気にならん。良い香りだと言っているだろう」

「私が気にするんですよ…」

「余は気にならん」


そう言いきった皇帝さまに、頭を抱えて引き戻される。

すると後頭部に何かが当たった。


ちゅ、と軽い音をたててそれは離れていく。


「…ああ。花のような香りがするな」


柔らかい声でそう言う皇帝さまに、じわりと体温が上がった。


挨拶でもなんでもないタイミングで髪にキス、だなんてまるで恋人にするような行為じゃないか。


その上、優しい手付きで撫でられれば、口説かれている気分になる。


…勘違いしそうになる。


「どうだ?そろそろ整ったか」

「…もう少し、お願いできますか」

「なんだ、気に入ったか?仕方のない奴だ」


皇帝さまは嬉しそうな声で了承する。

どうやら調子に乗らせてしまったようだ。


けれど今の私は余りに情けない顔をしているので、顔を見られたくない。



…この熱が治まるまでは、もう少しこうしていようか。


幸い、便利なエアコンがいる。

きっとすぐに冷ましてくれるに違いない。



※コーラは後で2人が美味しく頂きました

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