その日は、皇帝と家を出た。4
時間管理難しい…。
昼食を終え店を出た。
今度は地上から、駅の方向へと歩く。
少し早いが、今日はもう家の方へ戻ろうと思う。
皇帝さまも夜になる前にはあちらへ戻りたいとのことで、あとは家の近くで買い物に付き合ってもらうことにした。
まあ、初めてのお出かけならこんなものだろう。
いきなり詰め込んだって疲れてしまう。主に私が。
ただ、帰る前に一か所だけ寄りたい場所がある。
なので駅へは少しだけ迂回して向かうことにした。
駅に近付くにつれ、景色はビル群から賑やかな繁華街へと姿を変えた。
それでも後ろを振り向けばあの高いビルたちは目に入るのだけれど。
「少し歩いただけで結構雰囲気が変わるんだな」
「そうですね。この辺りは一般向けの生活用品店や飲み屋が多いです」
方々からのアクセスが便利な駅の近くということもあり、チェーンの居酒屋が軒を連ねている。
今の時間は営業はしていないようだが、もう暫くすれば沢山の人で賑わうだろう。
そして、ここには有名な家電量販店が複数の店を構えている。
全て同じ家電量販店なのだが、『ケータイアクセサリー館』や『時計館』といった具合に、用途に分かれているのだ。
私は、総合的に幅広く商品を扱っている一番大きな建物以外入ったことがないけれど。
そして、記憶が確かであればその横に目的のものがあるはずなのだ。
「マユミ!あれは…」
「まあ一旦!一旦こっち来てください」
あれはなんだ、これはなんだと店頭に並ぶ商品を指差す皇帝さまを強引に引っ張り目的の場所へと向かう。
あそこは駄目だ。中に入ってしまえば一生出て来られない気がする。
出来ることなら見せてあげたいが、いかんせん彼の興味を惹くであろう物が多すぎるのだ。
この世界のあらゆる技術がこれでもかと詰まっているのだから。
恐らく私の脳と喉は死んでしまうだろう。
せめてもう少しこちらの世界に慣れるまでは遠慮したい。
「この店には入らないのか?」
「今日は止めておきましょう。また今度で」
「…今度?」
「…ええと、もう少し時間がある時に」
私が疲れるから嫌なのだ、とは言えない。
なんとかそれらしい理由を述べてみるが、皇帝さまは何故か驚いた表情を浮かべた。
「また来てもいいのか?」
「え、来ないんですか?」
新宿は気に入らなかったのだろうか?
喜んでくれてはいたが、人が多く、空気も悪い街はファンタジー育ちの皇帝さまには合わなかったのかもしれない。
「じゃあ次は違うところにしましょうか」
「いや…そういうことでは…」
歯切れが悪い返答に首を傾げた。
何を言いたいのかわからない。
困って皇帝さまを見つめれば、向こうもちらりと目線を寄越した。
当然目が合う。
そうすれば皇帝さまはふっと口元を緩め、腕に乗せていた手に彼の手がそっと添えられた。
「今日は色々と迷惑を掛けた。だが、それでもお前は『今度』を考えてくれるのだな」
ありがとう、と皇帝さまは嬉しそうに笑う。
それはとても優しくて、柔らかくて、誰もが見惚れるような微笑みだった。
…なるほど、お妃争いも起こるわけだ。
これほどの男性に権力が付いてくるなんてお買い得にも程がある。
私が皇帝さまの国の貴族の娘だったらきっとトライしていただろう。
残念ながら身分どころか世界が違うけれど。
「確かに先程の魔法…は困りましたけど、迷惑だとは思っていませんよ。そもそもお誘いしたのは私ですし、ハルバードさんと出掛けるのは楽しいです」
「何?楽しんでいたのか?」
「え、はい」
そう答えれば、皇帝さまはまじまじと私の顔を観察した。
「…お前は、そういった態度をあまり表に出さんな」
「そうですか?」
「ああ。考えていることが分かり難い」
多少無愛想な自覚はあるが、そこまで分かり難い人間のつもりはないのだが。
かといって皇帝さまのように全力ではしゃぐことはできないけれど。
「まるで皇帝だな」
そう言って皇帝さまが鼻で笑った。
…まるで子どもみたいな皇帝さまにそんなことを言われるなんて。
皇帝ジョーク?笑った方が良いんだろうか。反応に困る。
「…あ、あれですよ、あの機械。すみません、遠回りさせてしまいましたね」
そのとき丁度、家電量販店の横にひっそりと置かれている機械を見つけ、皇帝さまの腕を引く。
どうやら無駄にぐるりと遠回りをしてしまったようだった。
そういうところだ、と小さく呟かれた言葉は聞かなかったことにした。
私が目的としていたのは、スマートフォンから画像をプリントできる機械だ。
無人なので怪しまれることもなく、混んでいなければゆっくりと操作することができる。
珍し気に眺める皇帝さまを横目に、画面の案内に従って操作を進めた。
写真は大体データで満足してしまうのでこうしたプリント機はあまり利用したことがない。
戸惑いながらもなんとか皇帝さまと一緒に写った写真を選択した。
…本当ならあまり目にしたくはないのだが、印刷すると約束してしまった。
それを忘れてはくれないだろうし、先ほど約束のことで怒ってしまった立場としては反故にすることもできない。
あとは最後の注文ボタンを押してお金を投入すれば完了、というところで皇帝さまが待ったをかけた。
「待てマユミ。余にもやらせろ」
もう最後のボタンだけなんですが。
「じゃあここ押してください」
「ここか?」
「そうです」
「…よし、押したぞ」
「はい、じゃあお金をいれますね。…これであとは待てば写真が出てきます」
「何?こんなに簡単なのか」
「はい」
実際にはその前に色々操作をしたのだが、細かいことは良いだろう。
セルフで出来るんだから十分簡単だ。
プリントを待つ間、皇帝さまの質問に答える。
「このように便利な機械が店外に置いてあるとは…盗まれたりはしないのか?」
「うーん、この国は結構治安が良いですし、この機械自体が相当重いので人の手では無理じゃないですかね」
「そうなのか」
「それに盗んでも使えないと思うんですよね。部品とかなら売れるかもしれませんが」
接続とか設定とか色々と必要なんじゃないだろうか。
詳しいことは知らないけれど。
そうしている間にプリントは終了したらしい。
画面に完了の案内が表示され、足元の取り出し口の蓋を開ければ写真が出ていた。
「はい、どうぞ。指の跡がつくので表面は触らないように気を付けてください」
「おお…随分小さいが、実に細かいな!色もとても鮮やかだ。先ほどの絵とも寸分違わず描かれている」
「これが一般的な写真のサイズですね。はい、このビニールに入れてください」
まじまじと写真を眺めている皇帝さまに、備え付けられていたビニールを渡す。
恥ずかしいので早くしまってほしい。
「今の余はこんな格好をしているのか」
そう言われ、そういえば皇帝さまには鏡を見せていなかったことに気付く。
似合い過ぎていて確認させる必要すら感じていなかった。
「…見慣れぬ所為で違和感があるな」
本人はそうではなかったらしい。
写真に写る自分の姿を眉を顰めて眺めている。
私もその横から写真を覗き込んだ。
別段変なところはないし、とても似合っていると思う。
違和感といえば私の方が見劣りしているということくらいだ。
「私は格好いいと思いますけど」
「…そう、か」
その瞬間、ぽわ、と周りが光った。
皇帝さまの周りが柔らかい光で輝いて見える。
いやそんなまさか…と瞬きを繰り返したが消えない。
…またか!
「ハルバードさん、出てる!魔法出てる!」
周囲を警戒しながら小声で伝えれば、皇帝さまはハッとした様子を見せて魔法を消した。
近くを歩いていた人が怪訝な表情でこちらを見ていたが、そのまま通り過ぎたので大きな問題にはならなそうだ。
ほっとして小さく息を吐いた。
とりあえずこの場からは離れたほうが良いかもしれない。
「…今のはお前が悪い!」
「ええ…」
思わぬ責任転嫁に困惑する。
まさか照れているのだろうか。
「皇帝陛下なら褒められることくらい慣れてるんじゃないんですか?」
「そういった者の態度はわかりやすい故に心構えができる。…お前は、分かり難いのだ」
私はそんなに分かり難い人間だろうか。
そう何度も言われると少し腹立たしい。
ぐいっと強めに腕を引っ張り駅の方へと歩き出す。
「いつも格好いいと思ってますよ」
「……」
ぐっと何かを堪える様子の皇帝さま。魔法は出なかった。
皇帝さまには見えないようにそっと笑う。
なるほど。人をからかうのは結構楽しいかもしれない。
新宿駅始発の電車に乗り込めば、座席には大分余裕があった。
時間的にも中途半端だからかもしれない。
流石に疲れていたので、帰りは皇帝さまと2人隣合わせで座ることにした。
「…近いな」
「まあ、公共の乗り物なので…。あ、足閉じてくださいね」
乗り始めた時はその距離の近さに落ち着かなかったようだが、暫く乗っていればそれにも慣れたらしい。
その上、電車の揺れに眠気を誘われたようで、頻繁に目頭を揉んでいる。
この揺れは異世界人にも通用するらしい。
「まだもう少しかかるので、寝てもいいですよ」
「いや、このような場所で寝顔を晒すのは…」
「周り見てください。結構いるでしょう?大丈夫です、着いたら起こしますから」
「しかし…」
最初は渋っていたが、結局抗えなかったらしくその5分後には私の肩にもたれて寝息を立てていた。
慣れない異世界に来て気疲れしていたのだろう。
無理をさせずに早めに帰ってきて良かった。
楽しかったなあ。
実質都庁しか行っていないけれど、こんなにも充実感があるなんて。
皇帝さまのおかげだ。
今度はどこに行こうかな。
日程も決めていないのに、今から楽しみだ。
心地好い電車の揺れと肩の重みを感じながら、私も瞼を閉じた。
「今日はありがとうございました」
「いや、礼を言うのは余の方だ」
最寄りの駅に着いて、ドラッグストアでさっと日用品の買い物を済ませ帰宅した。
少し寝たことで元気になった皇帝さまは積極的に荷物を持ってくれた。
紳士である。
皇帝さまが脱いだ服をまとめて洗濯機に入れて戻ってくれば、既に皇帝服へと着替え終えた皇帝さまが私の手を取った。
「今度は余の国へと招待しよう。盛大にもてなすぞ」
「本当ですか?是非行ってみたいです」
ファンタジーの世界なんて皆憧れるに決まっている。当然行ってみたい。
あまり目立つようなことはしたくないが、素性の知れない人間を盛大にもてなすなんていくら皇帝さまでも無理だろう。
精々お忍びでちょっと観光ができればいい。
そんなことを考えていると皇帝さまは意地の悪そうな顔でニヤリと笑った。
「覚悟…いや、楽しみにしていろ」
…楽しみにしようとしていたのに、その言葉で一気に不安が生まれた。
まさか、流石に本気じゃない筈だ。そうやってからかうのが目的に違いない。
「ではな」
いつもの通り、皇帝さまは額にキスを落としてクローゼットへと入っていった。
…その懐にしっかりと写真を入れて。
そんなに大事そうにされると、こちらも大事にしないといけない気になる。
なんとなくスマートフォンをノートPCに繋ぎ、写真をバックアップした。
あとは…待ち受け…は流石にやりすぎだ。
いかん。なに考えてるんだ私。
汗とふざけた考えを洗い流すためにシャワーを浴びなければ。
そそくさと着替えを用意してぬるめのシャワーを浴びる。
そうして私の今までにないくらい濃い週末は終わったのだった。
これにてお出かけ編終了です。
急ぎ足になっちゃった感…。
次回は向こうの人視点か日常になるかと思いますー。