その日は、皇帝と家を出た。
ここから連載版になります。
日曜日。
今日は皇帝さまと出かける約束をした日だ。
昨日決意した通り早起きをして、出かける支度を整える。
自分の持っている中でも良い服を選んで、メイクにも気合いを入れた。
普段は纏めることで誤魔化している寝癖も、櫛とヘアアイロンで入念に直す。
…あのハリウッド俳優のごとき美形に並ぶのだ。
嫌でも人の注目を浴びるに違いない。
顔の造りはどうにもできないが、なんとか装いだけでも取り繕わなければ。
最後に洗面台で鏡を確認し、これならばと一人頷いた。
…残念なのは、2人分の食費を浮かそうと思って作り始めたお弁当だ。
今朝、卵焼きを焼いてからふと思った。
あれ、今から詰めようとしてるのほとんど冷凍食品だぞ、と。
昨日買いこんだ冷凍食品を思い出す。
コロッケ、からあげ、エビグラタン。
どれもお弁当の定番だが、改めて考えてみれば、これではいつもの夕飯と変わらない。
既に完成してしまった、ピーマンと塩昆布の炒め物と卵焼きを見る。
…自力で作ったのはこれだけだ。
うーん、折角だし皇帝さまにはもっと良いものを食べさせてあげたい気がする。
ごはんも炊いてしまっていたけれど、これは今日の朝ごはんと明日以降に食べよう。
明日からの昼食をお弁当にすれば、冷凍食品への出費も無駄にならない。
そう思いなおして、それ以外の準備を始めたのだった。
炊いてしまったご飯を小分けにしてラップにくるんでいると、クローゼットから皇帝さまがやってきた。
「邪魔するぞ」
「あ、いらっしゃいま…」
その声に振り向くが、視界は真っ赤なもので染まっている。
鼻を掠める香りからして、どうやらこれは花のようだ。
…近すぎて焦点が合わない。
「…あの、近いです」
「む、そうか」
そう申告すれば花との距離が開く。
開けた視界には、今日も煌びやかな服装に身を包む皇帝さまの姿が映った。
本日は黒を基調とする落ち着いた配色の服だ。大人っぽくてとても似合っている。
離れたところで改めて見直せば、彼が持っているそれは大きな花束だった。
「ええと、これは?」
「花束だが」
「はあ、そうですね」
そういう意味を聞きたいわけではなかったのだけれど。
くれるのかな?と思いつつ、こちらから言うのは不躾かなと、ただじっと花束を見つめた。
「…そうか、この国にはない文化なのか」
「え?」
「お前にだ。受け取れ」
「あ、そうなんですね。ええと、ありがとうございます」
やはりくれるらしいので両手で花束を受け取る。
薔薇に似ているような気もするが、見たこともない花だ。
私が知らないだけかもしれないが、きっとこの世界にはない花なのだろう。
薔薇ほどきつくはないその花の香りが、ふわりと鼻をくすぐった。
「良い香りですね」
「そうか」
そう感想を告げれば、皇帝さまは笑った。
どこに飾ろう。
家に花瓶なんて洒落たものはないし、本数が多いからペットボトルでは口が小さい。
…見た目は悪いがとりあえず一旦バケツに入れよう。
今日お財布に優しい雑貨店に寄る機会があれば花瓶を買おうと思いつつ、キッチンの棚からバケツを取り出した。
水を溜めている間に、先程皇帝さまが言いかけたことが気になったので聞いてみる。
「この国でもお祝い事などでは花を贈りますが、これはどういった意味があるんですか?」
「ああ…今日はよろしくと言う意味で、主に初めてのデートの際に贈るものだ」
「えっ」
デートという聞かなくなって久しい言葉に、思わず声をあげて振り向いてしまった。
確かに男女二人で出かけるけれど、これはデートだったのか。
…この花束は思ったよりキザな感じのあれか!
「どうした?」
「あ、いえ…ええと、こちらこそよろしくお願いします?」
観光案内気分でいたので、デートという名目になったことにより気合いを入れた自分が無性に恥ずかしい。
まるで初デートに浮かれた女だ。
皇帝さまの顔を真っ直ぐに見れず、視線を水道に戻し背を向けた。
「今日はいつもと雰囲気が違うな?」
「まあ…お出掛けですし」
「ほお」
ここぞとばかりにその話題へとシフトする皇帝さまは鈍いのか鋭いのか。
背中に視線を感じ、なんとも居たたまれない気分になった。
動揺して水を入れすぎたのに気付き、慌てて蛇口を閉める。
勿体無いが、多い分は流した。
「綺麗だな。粧した姿もよく似合う」
「……光栄です」
くそ、今度は流しすぎた。
慣れない社交辞令を言われたせいで時間が掛かってしまったが、なんとか花を生けることに成功した。
バケツに突っ込んだだけなので不格好ではあるが、玄関の靴箱の上へと飾る。
宅配以外の来客なんてほとんどないので、帰ってきたときに良い香りがしたらいいな、という軽い考えからだ。
そこで振り返れば、なんと朝ごはんの残りを皇帝さまが食べているではないか。
そういえばおかずをちゃぶ台に置きっぱなしだったことを思い出す。
「ちょ、何勝手に食べてるんですか」
「ふむ。これは『冷凍食品』ではないな?」
「そうですけど…よくわかりましたね」
「野菜が瑞々しい。それに『電子レンジ』を使用したものより出ている水が少なく、油の量が多い」
それだけでよくわかったものだ、と感心している内に皇帝さまはどんどんと食べ進めている。
盗み食いなど、仮にも皇帝がなんて行儀の悪いことをするのだろう。
更にはいつのまにか自分でフォークまで用意しているだなんて。
「朝ごはん食べてきてないんですか?」
「いや、食べてきた」
「ええ…」
お腹が空いているのかと思えばそうでもないらしい。
だというのにあっという間に平らげてしまった。
なんてことだ。明日のお弁当の具が減ってしまった。
「緑の方は野菜の苦味が良いアクセントだった。油の香りも香ばしい。黄色い方は余の国にもあるな、卵だろう?不思議な味付けだったが」
「はあ…」
「美味かった」
皇帝さまは人の気も知らず、満足そうに感想を述べる。
勝手に全て食べてしまったくせに、全く悪びれた様子がない。
「…お口に合ったようで何よりです」
しかし私は存外ちょろい人間だ。
おかずの数品とられてしまったことなんて、「美味かった」の一言ですっかり許してしまうのだ。
「また作れ」
「…気が向いたら」
そう答えつつも、頭の中では既に次の料理を考え出していた。
それから、皇帝さまが着替えている間に食器を片付けを済ませた。
皇帝さまは一回着ただけで要領を得たらしく、手伝いがなくとも難なく着替えを終えた。
「どうだ?」
「あ、はい、お似合いですよ」
「そうではない。上手く着られるようになっただろう?」
「ああ…そうですね。一度着ただけなのに凄いですね」
「ふ、そうだろう」
皇帝さまは得意げに胸を張る。
まるで子どもが親に褒めて欲しがっているようで、思わず口元が緩んだ。
「それじゃあそろそろ行きましょうか」
「待て、マユミ。あれは付けて行かないのか?」
「はい?」
皇帝さまの指さす先には、初めて会った日に皇帝さまから頂いた飾りがあった。
他の装飾品と一緒にするのは気が引けたので、コルクボードにピンを押して、そこに掛けている。
「いや、ちょっと身に着けて歩くのは…傷つけたりなくしたら怖いですし」
「…そうか」
もっともな理由だと思うのだが、皇帝さまは悲し気に眉を下げる。
なんだか罪悪感に襲われた。大切にしているつもりなのだけれど。
「ええと…折角頂いたものですし、大事にしたいので」
「…大事にか」
「ええ」
「そうか」
フォローを入れたことにより、なんとかご納得いただけたようだ。
笑った皇帝さまに、ホッと胸を撫でおろした。
確かに、金色の石に蔦の銀細工が施されているその飾りは実に美しい。
けれど合うような服も持っていないし、とてもじゃないが身に着けて歩く勇気はない。
綺麗なものは好きだが、こういったものは遠くから眺めているのが一番良いのだ。
「では行くぞ。早く支度をしろ」
「…はあ」
今日はすぐ隣を歩くけれど。
アパートを出て、二人並んで駅までの道のりを歩く。
「靴どうですか?」
「問題ない。整備された道も相まって普段より歩きやすいくらいだ」
「それならよかったです」
昨日は部屋で合わせる位しかできなかった靴について、実際に歩いてみても問題はないようだ。
最も、皇帝さまはキョロキョロと街並みを見るのに忙しいらしく、意識がいっていないだけかもしれないが。
「所々立っている柱はなんだ?」
「電柱ですね。繋がってる紐を通して電気を家まで運びます」
「あれは?」
「あれは標識です」
「ふむ。どういう意味があるのだ?」
「車の速度制限ですね。住宅街なので速度を出さないように注意勧告しています」
「ほう…ではあれは?」
目に映るもの全てが新鮮なようで、なぜなに坊やのごとく質問を繰り出してくる。
まだ家を出たばかりだが、すでにとても楽しそうだ。
テレビである程度の事前学習はしているし、目新しいことはないのではないかと思っていたのだけれど、
「テレビでは『自動車』や『自転車』のような動くものばかりが目についたが、こうして実際に見ると他にも色々気になるものがあるな」
だそうだ。
どうやら駅に着くまで話題が尽きることはなさそうだなあと思う。
駅に着いたらまず飲み物を買おうと心に決めたのだった。
「おお…速い!速いぞ!」
「電車ですからねえ」
電車に乗り込んでからというもの、皇帝さまのテンションはうなぎ登りだった。
乗る前から興味津々で、先程も発着を見たいと言いだしたので、乗らずに3本ほど見送った。
やはり動く大きな鉄の固まりは男心をくすぐるのだろうか。
今は窓に張り付き、流れる景色をひたすらに眺めている。
休日な上に都心へと上る線なので、それなりに人が乗っていた。
皇帝さまは風貌が外国人なこともあり、そこにいるだけで結構目立っている。
本人は全く気にしていないようだけれど。
出かけるにあたっていくつか約束したことがある。
「大声を出さない」
「不審と思われる行動はとらない」
「魔法を使わない」
など、注目を浴びるようなことを避けるものだ。
それを皇帝さまはきっちり守ってくれている。
うん、この程度であれば観光にきた外国人が騒いでいる、という体で許されるだろう。
「ん…?お、おい、向かいからも電車が来てるぞ!ぶつからないのか!?」
「…よく見てください、レールが違うでしょう」
「しかし近すぎるだろう!?」
「ちゃんと計算されてるので…ハルバードさんの国では電車ないですもんねー珍しいですよねー」
電車がすれ違うという時に皇帝さまが焦って声を荒げたので、他の乗客からの視線を感じた。
それ誤魔化すように露骨に外国人アピールをすれば、少し離れたところにいる若い女の子2人組がくすくすと笑っているのが見える。
これはなんとか成功したに違いない。
「観光ですか?」
「…はい、そうなんです」
ここで伏兵が現れた。
近くの席に座っていたお婆さんだ。
しまった。電車に乗っているお婆さんのコミュニケーションスキルは高いのだ。
ボロが出なければ良いけれど。
「日本語がお上手なんですねえ」
「…ええ、彼は日本が好きらしくて」
「どこの国からいらしたの?」
「ええと…ヨーロッパの方です」
思わず適当な回答をしてしまう。地理には弱いのだ。
なんとなくちらりと横目で皇帝さまを見る。
すると丁度皇帝さまもこちらを見ていたようで、ばちりと目が合った。
すぐに逸らされ、我関せずといった態度で窓を見つめている。
…一瞬だけ、確かに口の端を上げて笑ったのが見えた。
何故笑われたのだろうか。
「これからどちらへ向かう予定なんですか?」
「ええと…特にはっきり決めているわけでは…」
それからも質問をされたり、返したりの当たり障りのない会話を続け、結局それが目的地である終点の駅まで続くのだった。
「楽しんでくださいね」
「ありがとうございます」
そう言って手を振るお婆さんに手を振り返す。
お婆さんは良い人だったが、知らない人との会話はとても神経を使う。
電車に乗っただけなのに、ぐったりと疲れてしまった。
「大丈夫か?」
私と違い、会話にはほとんど参加しなかった皇帝さまが楽しそうに言う。
元はといえば貴方が目立つせいなんですが。恨めしい。
「なんでそんなに楽しそうなんですか」
「いや、別に?他の者と話すお前を見るのは初めてだと思っただけだ」
「それは…そうでしょうね」
「お前の態度が、余と初めて会った時のようでな」
「……」
初対面の人間への態度という点では確かに同じだったと思う。
ただ、皇帝さまの場合はこちらもかなり動揺していたけれど。
まだ一ヶ月も経っていないというのに、なんだかとても懐かしい。
「ハルバードさんの態度は最初からあんまり変わらないですね」
「…自分でも結構変わったと思っているが」
「えっ?そうですか?」
「……そうか」
最初から偉そうだったし、何も変わっている気がしない。
そう思ったが、流石に口には出さなかった。
「特別親しい相手として気安く接しているつもりだが?」
「え…それは光栄です」
ほぼ毎日会っていることもあり、もはや私にとっても皇帝さまは特別親しい友人だ。
それにしたって初対面の時から態度が変わったようには見えない。
皇帝さまはその立場から、気軽に愚痴を言えるような人間が周りにいないのだと言っていた。
それは、もしかして他に友人がいないということだろうか。
となれば、友人といえど偉そうな態度が標準だったとしても仕方がない気がする。
「…?なんだ、その目は」
「いえ、なんでもありません」
思わず向けてしまった同情の目を逸らして、これからはもう少し優しくしようかな、と思うのだった。
まだ目的地についてなくて申し訳ない…。
誤字脱字報告とても嬉しいです!ありがとうございます!