その日は、一段と寒かった。1
生きてました。
…眩しい。
カーテンの隙間から溢れる日の光に、意識がふっと覚醒した。
もぞもぞと手探りで枕元にある筈のスマートフォンを探しあて、時刻を確認する。
ロック画面に表示された時間は10時過ぎ。
…今日は休日だしもう少し寝ても良いだろう。
寝返りを打って、布団を被り直した。
…いや、待てよ。
今日は午後から皇帝さまが来ると言っていたような気がする。
ここのところなにやら忙しいようで、休日はおろか平日の夜もあまり会えていない。
…一応、来る前に掃除をしておこうか。いや、別にサボっていたわけではないけれど。
重たい体に鞭を打って、なんとか布団から抜け出した。
うう、寒い。お布団が恋しい。
熱いシャワーを求めて少し小走りで浴室へと向かう。
服を脱ぎ捨て、蛇口を捻ったところでふと思い付いた。
そうだ、最近は日中も冷えるし、掃除ついでにアレを出そう。
皇帝さまも気に入るかもしれない。
よし、そうと決まれば早く上がって準備をしなければ。
皇帝さまの反応を想像するとワクワクして、いつもは気にならないはずの、なかなかお湯に変わらないシャワーをもどかしく思った。
「…何をしている?」
「あ」
皇帝さまが来たのは、丁度私が机の天板を持ち上げようとしたところだった。
思わず時計を見上げる。
13時。え、嘘、もうこんな時間?
…と驚いてみたものの、敗因はわかっている。
一度掃除し出すと色々なところが気になって、徹底的にやってしまったからだ。
おかげでお風呂とトイレとキッチンがピカピカになった。
…いや、これは必要なことだった。結構汚れていたし。うん。
「すみません、すぐ終わるので少し待って貰えますか」
「これを持ち上げるのか?」
「あっ」
皇帝さまはひょい、と私が持ち上げようとしていた机の天板を奪い取った。
その思わぬ行動に慌ててしまう。
「あの、大丈夫です、すぐ終わりますから」
「で?これはどうすればいい」
「え、あ、一度ベッドの上へ置いていただければ…」
「そうか」
答えを聞くやいなや天板を軽々とベッドの上へと運んだ。
来たばかりで座らせもせず手伝わせてしまっていることに罪悪感が募る。
しかも最近忙しくしていたということは疲れているのではないだろうか。
「ありがとうございます、あの…」
「それで、次は?」
「あ、いえ、もう大丈夫です。この布をここに掛けるだけなので」
「ほう、ならばこちらの端は余が持とう」
大丈夫だと言っているにも関わらず、皇帝さまは何故か次々と積極的に手伝い始めてしまう。
おかしい。皇帝とは偉い人なのではなかったのか。
ああ、高そうな服にホコリがついてしまう。
せめてあとでコロコロをしなければ。
「次はどうする」
「…では、先ほどの板を戻して貰えますか」
「ふむ、戻すのか」
遠慮を諦めて作業をお願いする。
正直な話、天板は一人用のサイズでもそれなりに重たいから、男手は助かるのだ。
「次は…」
「あ、後はこれを内側に差すだけなので、私がやりますね」
布団のなかに手を突っ込み、電源プラグの差し込み口を手探りで探していく。
「ところで、これは何なのだ。テーブルクロスではないな?」
「…ええと、コタツといいます。この国ではポピュラーな防寒具ですね」
「防寒具なのか。机と兼用とは便利だな」
「はい、冬の必需品です」
ここか?…違う、あ、こっちか?
…上手く差さらないな。
あ、こうか。…いや、違うな?
「…まだ差さらんのか?」
「……」
「布をかける前に差しておけばよかったのではないか?」
「…仰る通りです」
…段取りの悪さが露呈してしまった。恥ずかしい。
結局、コタツ布団をめくり挙げてプラグを差し込むことになった。
反対側を壁から伸びている電源タップに差し、電源を入れる。
そしていそいそとコタツ布団に体を滑り込ませた。
「さ、ハルバードさんもどうぞ」
「?ああ」
促せば、皇帝さまは不思議そうにしながらも私にならって座る。
しかしまだまだコタツは温まっていない。
「…なるほど、外気が来ないのか」
「それだけじゃないんですよ。まあ、もう少し待ってください」
暇潰しにとテレビをつける。
昼時ということもあって、下町のグルメを紹介する番組がやっていた。
それをなんとなく二人で眺めていると、コタツは段々と温まってきた。
掃除で冷えた手足がじんわり熱を取り戻していくのを感じる。
「温まってきましたね」
「ほう…内側を温めて、熱を逃さないようにしているのか」
「冬はこれですよねー」
ああ、温かい。幸せだ。
肩まで布団を被ってぬくぬくと温まる。
しかしそれでも背中は冷えたままなので、今度上着を買いに行こう。皇帝さまの分も。
半纏…なんて本格的なものでなくとも、厚手のパーカーとかであれば十分だろう。
そういえば皇帝さまには部屋着もないし、それも一緒に買おうかなあ。
なんて考えていると、TVには美味しそうなハンバーグが映しだされた。
鉄板の上でデミグラスソースがじゅうじゅうと音を立て、実に食欲をそそる。
真ん中で割ると肉汁が溢れだし、デミグラスソースと絡んで…。
ぐう。
割りと大きな音で私のお腹が鳴った。
皇帝さまは口元を抑えて顔を背けた。
…肩が震えている。笑ってるなこれ。
そういえば、起きてから何も口にしていないなあと思い出す。
なにか作るかと冷蔵庫の中身を思い返すが、思い付く限り何もない。
「ハルバードさん、お昼食べました?」
「…いや、食べていない」
「じゃあ何か食べに行きません?」
「ああ、わかった」
何を食べようかな、と考える。
…皇帝さまはお肉が好きと言っていた。
確かそれを聞いたのは、焼肉に行こう、という話の流れだった。
あ、そういえば会社の人がおすすめしていた焼肉屋が国道沿いにあったな。
いわゆるチェーンの焼肉屋よりは少し値
が張るけれど、相応に美味しいらしい。
少し歩くが、散歩がてら行くのも良いかもしれない。
「焼肉なんてどうでしょうか?ちょっと歩くんですけど」
「焼肉…以前言っていたな。構わない」
「じゃあ準備して行きましょうか」
「ああ」
…そう言ったものの、お互い腰をあげようとしない。
「…準備しましょうよ」
「お前こそ」
「ハルバードさんが立てば立ちます」
「それは余とて同じことだ」
なんてことだ。
まさかこの短時間の間に、もうコタツの魔力に囚われてしまったとは。
日本人としては誇らしいけれど、今の私にとっては都合が悪い。
…結局だらだらぬくぬくとしてしまい、準備をし始めたのはそこからさらに15分経ってからだった。
ガチャン、と扉を閉めて鍵を掛ける。
焼肉屋までの道を並んで歩き出すも、吹き抜ける冷たい風にぶるりと体を震わせた。
ひえ、寒い。
それなりの冬装備をしてきたけれど、それでも寒い。
ちらりと横を見上げると、なんと皇帝さまは平然と歩いているではないか。
「寒くないんですか?」
「ああ、寒いな。雪国ほどではないが」
「あ、ですよね」
なんだ、やっぱり寒いのか。
何事もないかのような顔をしているから、寒さに強いのかと思った。
…しかし、アレだ。皇帝さまは冬服もばっちり決まっている。
身長も高くてスタイルが良いと、着膨れしがちなダウンコートも格好良く見えるものだなあ。
現代服にはひとつ少ない腰の飾りが浮いて見えるが、こちらはふと出てしまう魔法を抑えられるものらしいので今日はつけてもらった。
言われてみれば初めて出掛けたときは外していた。
「そういえば、ハルバードさんの国では、お肉ってどういう調理をして食べるんですか?」
「そうだな…焼いたり、煮込んだりすることが多いな」
「へえ…こちらとあまり変わりませんね。生では食べないんですか?」
「生?まさか。魔物じゃあるまいし」
そうか、馬刺のように肉を生で食べる文化はないのか。
そうなると焼肉もよく火を通したほうが良いかもしれない。頭にとどめておこう。
「その中でも何が一番お好きなんですか?」
「…ドラゴン肉のシチューだな。ドラゴンの肉は一度煮込むと冷めても柔らかい」
「え…ドラゴン食べるんですか」
「ああ、余の国では一般的だ」
聞くところによると、家畜と同じく食用に養殖されているらしい。
孤高で荘厳で神聖…という勝手に抱いていた伝説的イメージが一気に崩れ去ってしまった。
「美味いぞ」
「そうなんですか…」
カルチャーショックだ。
そんな話をしていると、十字路に差し掛かったところでまた一段と強い風が吹き込んだ。
あまりの寒さに、思わず手をポケットに突っ込む。
本当は手袋があればよかったのだが、昨年穴が開いたので捨ててしまった。
新しいのを買おうと思っていたことを、今の今まですっかり忘れていたのだ。
それを見た皇帝さまが不思議そうに声をかける。
「そこになにか入っているのか?」
「あ、いえ…寒くて。手袋を忘れてしまったので、つい」
行儀の悪さを見咎められたようで、なんとなく言い訳がましくなってしまった。
そりゃ疑問にも思うか。皇帝ともあろう人がポケットに手をいれて移動することなんてないよなあ。
それを聞いて、皇帝さまも私と同じく上着のポケットに手を入れた。
「なるほど。風も防げる上、自分の体温で温かいな」
「…転ぶと危ないので本当はあまり良くないんですが」
…ああ、行儀の悪いことを教えてしまったようで心が痛む。
今度ちゃんと手袋も買おう。二人分。
「マユミ、ほら」
「ん?」
名前を呼ばれてそちらを見れば、そこにはポケットに隙間を作っている皇帝さまがいた。
「温かいぞ」
「いやいや…わかりますよ」
手を入れてみろと言わんばかりにポケットを見せつけてくる。
いくら私のよりも高級な上着と言えど、その温かさは大体想像がつく。
大体そんな付き合いたてのカップルみたいなことをするなんて、恥ずかしくはないのだろうか。
「良いから貸せ」
遠慮するも、ぐいっと手を取られて一緒に皇帝さまのポケットへと突っ込まれた。
「どうだ」
どうだ、と言われましても。
「…わあ、温かいですね」
半ばヤケになって返す。
これで満足しただろうと引き抜こうとするが、抑えられてびくともしない。
「お前の手は冷たいな」
にぎにぎと弄ぶように握られる。
皇帝さまの言う通り、彼の手は私に比べて随分と温かい。
…その上肌触りが良い。
男の人の手であると言うのに、どうしてこうもすべすべなのか。
女性的、というわけではないのだが、よく手入れをされている感じだ。
あ、爪までつるつる。
「…あまり、撫でられると…こそばゆい」
「あ、すみません」
気づけば皇帝さまの手を弄くり回していたのは私だった。
顔をあげると、皇帝さまが困ったような表情を浮かべている。
しまった、あまりにも無遠慮すぎたか。
「…触り心地が良くて、つい」
「なんだそれは」
言い訳をしてみれば呆れたように笑ってくれたので、本気で困らせた訳ではないようだ。
ほっと胸を撫で下ろした。
流石にこれ以上は、と引き抜こうとする。
が、それはまたも阻止され、今度は指と指を絡ませてきた。
いわゆる、恋人同士が手を繋ぐアレだ。
…なんだこれ、恥ずかしいぞ。
いや、正直私としては嬉しいのだけれど。良いのだろうか。
誰かに見られたら申し訳ないな、という考えが浮かんだが、皇帝さまの知り合いには見つからないだろうからまあ良いか、一瞬で思い直した。
「余が温めてやろう」
「…はは、ありがとうございます」
…うん、寒いし。皇帝さまの手も温かいし。
なんだかんだいって私が離したくなくなってしまっているのだから仕方がない。
そうして、もうほとんど温まっている手には気づかない振りをした。
明日もう1話更新します。




