ある日、昼休みに夢を買った。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
それは、いつもより暑い日のことだった。
「なんだそれは?」
鞄から取り出した『それ』に、皇帝さまの目は吸い寄せられる。
その様子に私は思わず、にやり、と笑った。
自分でも悪い顔をしていると思う。
だが、それも仕方がない。
そう、これは。
「『夢』です」
「…夢?」
…私は思った。
私は皇帝さまが好きだ。
かといって特別何かをするつもりもない。
ただ、遊びに行ったり、美味しいものを食べたり、楽しく過ごしたいのだ。
…しかし、それにも元手が必要だ。
私の収入は決して高いとは言えず、この世界では無収入の皇帝さまの分まで都度出していれば、いずれは生活が困窮してしまうだろう。
けれど、皇帝さまには色々な所へ連れていって、色々なものを見せてあげたい。
…だから、今の私に出来ることはもうこれしかないのだ。
小さな封筒のようなそれを机の上に置き、見下ろす。
そう、これは『宝くじ』だ。
宝くじにも様々なタイプがあるが、買ってきたのはその場で当たりがわかるスクラッチ。
とりあえず10枚程、昼休みに給料が入ったばかりの緩い財布から買い上げた。
頻繁に買っているわけではない。たまにこうして気が向いたときだけだ。
なんだか当たる気がしたのだ。今日は特に。
いや、これは当たるに違いない。
「さあ、ハルバードさんもご一緒に」
そう言って財布から10円玉を取り出し、皇帝さまへと手渡す。
彼はそれを不思議そうな顔で受け取った。
「…?これで何をするんだ?」
「ひとり5枚ずつ削りましょうか」
「おい、話を聞け」
「まあまあ、ご説明しますから」
封筒を開け、国民的アニメのキャラクターが印刷されているスクラッチカードを取り出す。
最近はキャラクターものをよく見るようになった気がする。
3x3の枠内をすべて削るタイプのようだ。
タテヨコナナメいずれかに数字が揃えば当たり。
揃った数字で当選金が決まるらしい。
カードの説明をさっと読み、机の上に置いて皇帝さまへと見せた。
「これは宝くじと言います。中でもこれはスクラッチタイプのものですね。この赤枠の部分を先程お渡しした硬貨で削ると、数字が出てきます」
「ほう」
「数字が揃うと当たりです」
「…して、何が当たるのだ」
「夢です」
「夢…」
夢を何と解釈しているのだろうか。
押し黙って考え込む皇帝さまに思わず笑ってしまう。
「すみません、実は『お金』が当たるんです。遊んで暮らせる…って程ではないのですが、庶民にとってはそれなりの大金なので、ささやかな夢なら叶えられるんです」
確率は低いんですけどね、と言えば皇帝さまは訝って言った。
「…金が?本当に当たるのか?」
「一応地方自治体がやってて、国に認可された事業なんですよ」
その辺りで説明を切り上げ、早速10円玉で赤枠の部分を削り出す。
皇帝さまも興味深そうに私の手元を眺め始めた。
「この部分を全部こうやって削ります。それで同じ数字が揃えば当たりです」
「なるほど。表面だけを削ぎ落とすのだな」
見よう見まねで、皇帝さまもスクラッチカードを削り出す。
…ちまちまとスクラッチを削る皇帝さま。
ベッドに腰かけたままでは削りづらかったのか、とうとう私と同じようにちゃぶ台の前へ座った。
きらびやかな出で立ちにはとても似合わないその体勢と行為。
それがなんだか可愛く見えるのは、変なフィルターが掛かっているからだろうか。
「あ、ゴミが出るので下に落とさないように気を付けてください。捨てるときはゴミ箱に」
「うむ」
ひたすらゴリゴリと削り、ようやく一枚目を削り終えたがこれはハズレだった。
おかしいな。今日は当たる気がしたんだけれど。
「そちらはどうでしたか?」
「駄目だな。これはハズレだろう?」
ぺらりと見せられたスクラッチカードには、見事にバラバラな数字が並んでいる。
分かっていたこととはいえ少し落胆する。
「…ハズレですね」
「あと8枚か」
そうだ、あと8枚もあるのだ。
きっと当たりはこの中なのだ。
気を取り直して、各々2枚目を削りだす。
「楽しみですね。当たったら何しましょうか」
「まだ当たるかどうかはわからないだろう」
「仮定の話ですよ。当たるかもしれないじゃないですか」
「…余は今までもお前に負担をかけているからな。お前の好きに使うと良い」
…なんだ、もっと色々欲しがってくれるかと思ったのに。
目を輝かせてあれも欲しいこれも欲しいと言うのではないかと予想していたので、なんだか拍子抜けだ。
「んー…じゃあ、ハルバードさんの服を買いに行きたいです」
皇帝さまの服は、この前ネットショップで注文した間に合わせの1着しかない。
折角良い素材を持っているのだから、もっと格好いい服を着せてみたいのだ。
「…余の服をか?自分のために使えば良いものを」
それを聞いて皇帝さまは呆れたように笑う。
自分の目の保養のためでもあるのだが、流石に口には出せず皇帝さまに合わせて笑った。
「美味しいものも食べに行きたいですね。ちょっと良い焼肉とか」
「肉?そうだな…肉は好きだ」
「あ、そうなんですね。じゃあ行きましょうか。…当たったらですけど」
皇帝さまはお肉が好きなのか。覚えておこう。
好みを知れたことについ嬉しくなって、スクラッチを削るペースも自然と上がった。
「水族館とかも行ってみたいですね。凄く大きい水槽で泳いでる魚が見られるんですよ」
「ほう、それは見てみたいな」
「あ、遊園地も良いですねえ。ええと、電動の遊具が沢山ある…」
「そうか…ふ」
お出かけ先を色々と提案していれば、皇帝さまが声を出して笑った。
いや、これはもしかして笑われているのか?
仮定の話で盛り上がった自分が急に恥ずかしくなり、思わず手を止めて皇帝さまを見る。
その視線を受けた彼は、手を横に軽く振った。
「ああ、いや…嘲った訳ではない。そう睨むな」
「別に、睨んでは…」
自分の恥ずかしさを誤魔化すためか、つい責めるような視線になってしまっていたらしい。
その罪悪感から口ごもる。
幸いなことに皇帝さまは気分を害した様子もなく、楽しそうに言葉を続けた。
「なに、ただ嬉しかったのだ。…お前の『夢』には、常に余が在るのだな」
そもそも皇帝さまと遊ぶための軍資金目当てで買った『夢』だ。
だからその使い道に皇帝さまが居るのは大前提なのだが…。
「…当たり前でしょう。一緒に削った人に還元しないほど私は薄情ではありません」
事実やましい気持ちしかないせいで、ついつい冷たく返したのだった。
「…あ」
そうして2枚目を上から順に削っていると、丁度真ん中の列に5が3つ並んだ。
5等だ。
「当たったのか?」
「はい。でもこれ10枚買ったら必ず当たるようになっている賞なんです」
「なんだ、そうなのか」
購入金額の1/10が返ってくるだけだが、これがあるのとないのでは大違いだ。
全部外れても少しだけ慰められる。
皇帝さまを見れば今回も駄目だったらしく、早々に3枚目に手を付けていた。
それでも少し楽しそうだ。気に入ってもらえたようで良かった。
5等のスクラッチカードを外れたカードとは分けて置き、私も3枚目を削り始める。
そうしてお互いもくもくと削った。
…スクラッチカードは個性が出るなあ。
皇帝さまは少しの残りも許さずに綺麗に削っている。
一方私は数字さえ見えればそれでいいので、枠の真ん中を削るだけでそのカードを完了する。
削るのも楽しいのだが、それは1枚目で堪能した。
3枚目ともなるとついつい結果を早く知りたくなってしまうのだ。
そのせいであっという間に5枚を削り終えてしまった。
皇帝さまはまだ4枚目を必死に削っている。
それならばと私も手慰みに外れたカードを綺麗に削り直しにかかった。
…それから暫くして。
「…駄目だな」
「あー…残念です」
10枚すべてを削り終えた結果、5等が1枚という悲しい末路に辿り着いた。
何故だ。今日は当たる気がしたのに。
せめて4等…いや3等くらいは当たっていて欲しかった。
「しかしこれは楽しいな。結果がわかるまでの期待と高揚は賭け事に通ずるものがある」
「楽しんでもらえたようで何よりです…」
満足そうな皇帝さまを見ながら、肩を落として机の上を片付ける。
外れたカードで削りカスを集め、ゴミ箱に捨てていった。
「…焼肉食べたかった」
「…余の国に来るか?いくらでも食べさせてやるぞ?」
ポツリと呟いたその言葉が余程未練がましく聞こえたらしい。
皇帝さまが少し控えめに、気遣わしげに声をかけてくれる。可愛いなクソ。
「いえ、大丈夫です。今度安いお肉でも買って…」
そう言って目線を落とした瞬間。
「…ん?」
「ん?」
手元にあるスクラッチカードに目が奪われた。
1が、並んでいる。
「えっ…えっ?」
「どうした」
「いえ、あの、これ、1が並んでるように見えるんですが」
カードをちゃぶ台の上に置いて、皇帝さまにも見せた。
目を凝らして、何度見直しても1が並んでいる。
私の目がおかしいのかもしれない。きっとそうなのだ。
確かめるように皇帝さまを見つめると、彼は言った。
「なんだ、斜めに並んでも当たりだったのか」
後日、本当に私の銀行口座に1等の当選金が振り込まれた。
皇帝さまは何故喜ばないのかと不思議がっていたが、いざ当たってみると驚きと戸惑いの方が大きいのだ。
本当に使って良いのだろうか。こんな大金を。働いて稼いだ訳でもないのに。
自分のために、とはとてもじゃないが使う気が起きない。
…とりあえず当初の予定通り、今度皇帝さまの服を買いに行こうと思った。
※恐らく今の時期にこのタイプのスクラッチカードは売られてません。