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第一章 道化師が奏でる陰謀の序曲


 嘗て人々は、未知なる大海原に漕ぎ出して行ったと云う。新たな交易ルートの確保、強力な権力を持つ王の出現、そして航海技術の発展、海外進出の機会がされたことで、列強諸国は競い合って海に乗り出して行った。世に云う、大航海時代である。

 だが現今の海は、海賊(ピラータ)の出没、隣国エトルリアとの対立、交易船も命懸けである。

 そんな中で中央大陸にあるこの国は、建国数百年経った現在(いま)でも海洋国家として栄え、迫りつつある危機など知らぬ貴族達の晩餐が、週に数回は開かれていた。

 「いやぁ、よく来てくれた。ラインハルト」

 「お招きありがとうございます、ギスカール伯爵。私のような者がこの場にいても宜しいのでしょうか」

 「ははは、何を云う。今や我がイベリアには欠かせぬ存在だよ。見ると云い。御夫人方も君に注目されている。若き海軍提督閣下に」

 人の良さそうな笑みを湛え、宴の主催者は去って行く。

 「これは、プリメーラ伯爵夫人。今宵は一段とお美しい」

 「あの男も来ていてよ。いくら無礼講とは言え、海賊まで呼ぶなんて」

 差し出した手にキスをする海軍士官士官に、伯爵夫人は微笑んみながら皮肉を漏らした。 誰のことを言っているのラインハルトは直ぐに理解ったが、彼は敢えて口にする男ではなかった。

 彼が招かれた宴は、貴族はもちろん詩人や音楽家、道化師など様々な客がいたがその裏は、上流階級者にパトロンになって貰おうと言う思惑が潜んでいたり、腹の探り合いだったりと、笑顔の下にあるものは結構ドロドロだったりする。

 イベリアは、貴族社会である。繁栄を誇った時代の栄華に、今も酔う彼らに海事の事は理解らないだろう。

 ラインハルト・ミカリスは平民階級の出ながら海軍士官となり、二十六の若さで提督になった男である。黒藍の髪に紫の双眸、凛々しい彼の周りには女性は絶えない。

 誰が言ったか、―――沈み行く王国と。

 無数に走る運河から成り立つイベリア王都は、大潮になると一部が水没する。毎年数ミリ間隔で沈んでいると言われているが、この国が完全に沈むのは遥か未来の事。先の事など、神でもない限り理解らないのだ。だが、この国は沈み始めている。この贅沢な暮らしが、国を蝕んでいることを彼らはまだ気づかない。

 この国を心から憂いているのは、その日のパンを買うために汗を流して働いている一般民衆かも知れない。

 伯爵夫人が皮肉った《あの男》は、直ぐに見つかった。

 公爵と云う地位にある割には質素な姿で、貴族達とは違う群れの中に溶け込んでいたからだ。腰までの金髪を煩そうにかき揚げながら、眉を寄せつつグラスを口に運んでいる。

 「―――フォンティーラ公爵、貴方が来ているとは意外ですね」

 ラインハルトの登場に、男に群がっていた数名が気まずそうに去って行く。彼らは、革命派と呼ばれ民衆相手に声を上げている者たちだ。そんな人間を引き寄せてしまうが故に、仲間じゃないかと疑われ男の評価を下げている要因の一つだ。

 「俺といると、お前の出世にケチが付くんじゃないか」

 「そんなもの、私は気にしませんよ。また海賊船を駆逐されたとか」

 「上が働けば、大人しくしているんだがな。こんな泥船、降りたいんだが」

 「泥船ですか…」

 ラインハルトは、否定しない。沈み行く王国と言ったのは、この男だったからだ。

 ジェフリー・ラ・リカルド・フォンティーラ―――、公爵位に甘んじず相手が国王であろうとはっきりものを言う男は、貴族達には嫌われている。腹に一物ある人間には彼の皮肉は相当堪えるようで、ついた渾名が海賊公爵。海賊討伐から商船の護衛、危険な海にでも平気で出掛けていく一族ソルヴェールの血も引いていると云う。

 「上が戦争しようなど考えているなら、止めさせる事だな。実際に外洋まで出て行けるかどうか。特に現今の海軍は航海経験がない者ばかりだ。贅沢に慣れすぎて威張り散らしている奴は特にな」

 「相変わらず、痛いことを言う。私が海軍の人間だと忘れていませんか?」

 「その海軍が当てにならないから、ここの国王はうちに海賊討伐を依頼するじゃないか?最近は金で位を買う時代だからな」

 「私は違いますよ、公爵」

 「お前だとは、云っていないさ。腐った上の人間だ」

 遠慮のない言葉は、確かに権力に座する上層部には嫌われる。海賊がイベリア周辺海域に姿を見せるようになったのはその数年の事。駆逐に向かったイベリア軍船だったが、自由に小回りが利く海賊船に翻弄され沈めたのは一隻、それが何度もとなれば国王でなかろうと気づく。恐らく立ち去った革命派たちも、同じとまでいかなくとも似たような事を言っているのだろう。

 「この国が、本気で国を護ろうと考えて来なかった結果さ、ラインハルト・ミカリス。過去の栄光など、今の世じゃ何の役にも立たん」

 ここまで言われて腹が立たないのは、ラインハルトもそうだと思っていたからだ。海軍士官と言う立場上、ジェフリーのように口にはしないが、イベリアは軍備を整えるのが遅すぎた。

 近隣諸国は着々と新しい船、新しい技術を取り入れ、王も臣下もイベリアより積極的だ。海を渡り歩いているジェフリーだからこそ、見えた故国の現実である。

 軍備を整えようと思ったイベリア国王はそこで漸くきづいたのだ。浪費に浪費を重ねる上流階級者が自分の国を危うくさせていたのだから皮肉な話である。まさに―――、沈み行く王国である。

 だが、そんなジェフリーでも物陰から伺っている二人の男に気づいてはいなかった。

 「あの男か?邪魔に入ったと言う―――」

 「はい」

 「噂には聞いていたが、まさかあの事を知られてはおらぬであろうな?」

 「それは間違いなく。ですが、あの男は我々とは違います」

 「例の子供から何か聞いている可能性が高いな」

 「では、あの男も?」

 「くれぐれも慎重にな、ギスカール伯爵」

 主らしき男は、そういうと踵を返した。

 ジェフリーは、貴族が開く晩餐にいつもなら行くことはなかった。それがこの日に限って姿を出したのには理由があった。

 彼を招待したのは、フィリップ・ギスカール伯爵だが、つい数日前まで気にとめる事のなかった人物だった。普段は王宮で擦れ違っても無視する伯爵が、半ば強引にジェフリーを宴に呼んだ。

 結局は行っても放っておかれた訳だが、人間普段と慣れない事をするものではない。ジェフリーは、ギスカール伯爵が用があるのはこれからだと察していた。

 もし数日前、ベイリー商会若き会長ウォルトから、彼の名前が出なければ、ジェフリーはここにいなかった。

 この一ヶ月半前、一人の交易商人アロー・ダルトンが消えた。彼はフィリップ・ギスカール伯爵の何らかの秘密を知ってしまった。商館主ウォルト・ベイリーはそう言う。それを裏付けるように、刺客がアロー・ダルトンの息子の命を狙い、その場にジェフリーも居合わせた。次に何をしてくるか、ジェフリーには予想がついた。

 焦ると余計な事をしてしまうのも、人間である。必ず襲ってくる―――、天性の危機感

は陸の上でも発揮する。

 運河の船着場では、道化師姿のゴンドラ漕ぎが客待ちをしていた。収穫祭を祝うこの時期、仮面などで仮装した者がいてもおかしくはない。滑るように動き出したゴンドラの上で、鞘から剣を抜く音を背後で感じた時、ジェフリーは躯を反転させていた。

 「やはり、な。俺まで殺すよう命じられたか?ここなら、逃げ場はなく、足許を取られやすい。だが、俺が、ソルヴェールだと知らなかったようだな」

 「くっ…」

 道化師は、構わずジェフリーを狙ってきた。

 ―――カン!

 「甘い!」

 「くっ…そ…っ」

苦戦を強いられたのは、道化師の方だった。ジェフリーは揺れる船で、海賊と何度も剣を交えた経験がある。

 「―――キャプテン」

 不意にかかった声にジェフリーが顔が上げた瞬間、道化師の剣は腕を掠めた。


 ベイリー商会商館―――、若き会長ウォルトは消えた父を探す依頼を断るか聞いてきた。

 「…ベイリー会長」

 「逃げても何も変わらないよ。真相は残酷かも知れない。でも、得られるのは悔いだけだと私は思うよ。でも彼は、そうじゃない。誰が何と云おうと突き進む。悔いなどないとはっきり断言するからね、彼は」

 海賊公爵ジェフリー、彼の生き方をウォルトは羨ましく思う。今でも船に乗っていたら、最大の好敵手となっていただろう男。



 ジェフリーは、屋敷から港に来ていた。じっとしていられない男は、一日の大半は自分が駆るサン・ディスカバリー号にいた。

 動かぬ船の上では、乗組員の半分は陸の上を満喫している。いつも賑やかな砲術長マックスがいないだけで船内は静かだ。

 「―――本当に驚きました。大抵のことは慣れているので驚かないんですが」

 優雅にティーカップに茶を注ぎながら、銀髪の青年が口を綻ばせた。歳はジェフリーより三つ下、長い銀髪を瞳の色と同じ紫のリボンで緩く束ね、元貴族と云う経歴をもつサン・ディスカバリー号の副長、エルドアン。

 「道化師相手に、格闘している人間はいないからな」

 昨夜、運河で刺客と斬り合いをしているジェフリーを、偶然エルドアンが目撃した。

 「何者なんです?」

 「さぁな。何せ、心当たりが嫌と言うほどあり過ぎるんでな。お前と違って、口はいい方ではない」

 「キャプテンは、正直な男ですから」

 「中には、一言多いと云う者もいるが」

 ジェフリーは、口数が多い方ではない。サン・ディスカバリー号の仲間の間ではそんな事はないが、どうも貴族たちの前では毒を吐いて敵を増やす。

 「今回ばかりは、複雑だ。覚悟しておけよ」

 「覚悟なら、とうの昔にしてますよ。貴方と出会って、この船に乗った時に」

 「―――キャプテン!」

 珈琲に口を付けようとしたジェフリーの背後で、扉が勢いよく開いた。

 「いきなり何だ?マックス。酒場で酒盛りするんじゃなかったのか?」

 「変な餓鬼が、うちで働きたいって言ってるぜ」

 「おや」

 「おや、じゃねぇぞ!エルドアン。うちをそこらの船と勘違いしてるぞ、あの餓鬼」

 「―――そいつ、カインって言う名前じゃなかったか?マックス」

 「知り合いですか?キャプテン」

 「今回の依頼人さ」

 正確には、依頼人にはベイリー商会の会長ウォルトだが。


その日、カインは、ある決意を胸に港に来ていた。彼の前には、ガレオン式帆船がある。

 船の名は、サン・ディスカバリー号。海を自由に駆ける、ソルヴェールの主力船。

 消えた父親を探す為、彼はここに来た。

 父親に特に変わった様子はなかった。いつものように身支度をし、食事を済ませ、運河から港に向かった。男の名は、アロー・ダルトン。ベイリー商会に雇われた交易商人。

 仕事は、往復三日で終わるものだと言う。だがその三日が過ぎ、一月経ってもアロー・ダルトンは帰ってこなかった。

 「坊や、この船に何か用か?」

 プレサワールの港でカインに声を掛けてきたのは、船乗りらしい男だった。

 「この船、サン・ディスカバリー号ですよね?」

 「そうだが?」

 「僕を…、雇ってください!」

 「―――は?」

 マックスが船長室に飛び込む切欠となったカインは、ジェフリーに会うなりマックスに行ったことをもう一度云った。

 「マックスから聞いたと思うが、うちは普通の船とは違う。危険な海を平気で行く。海賊とも遭遇する。この船では、自分の身は自分で護れなければやっていけない。刺客から逃げたいのなら他を当たれ」

 「逃げません。父が何故消えたのか、真実をこの目で確かめたいんです。キャプテン・リカルド、貴方は今回の依頼引き受けたと聞きました。僕に出来るのは掃除や洗濯、軽い料理しか出来ませんが、僕は逃げません」

 「どんな結果になっても、か?」

 「―――はい」

 「決まりですね?キャプテン」

 「おい…餓鬼だぜ?」

 「歳は関係ありませんよ、マックス。ねぇ?キャプテン」

 「ああ」

 それは、サン・ディスカバリー号十八人目の乗組員誕生であった。 


 収穫祭が終わり、王都には冷たい風が吹く。窓越しに枯れ葉が舞うのを眺めていたイベリア国王ジョアン二世は、硬い顔で告げる侍従を振り返った。

 「今日は、謁見の予定はない筈だが?」

 「それが…」

 二人きりで会いたいそうだと告げられて、国王には思い当たる人物はいなかった。

 それほど、意外な男が彼の前にいた。

 「今―――…、何と云ったのだ?」

 イベリア国王ジョアン二世は、呼んでも滅多に来ない男が訪ねて来たのにも驚いたが、その驚きは更に上回った。

 「暫く留守にする」

 「それは聞いた。その暫くとはどれくらいかと聞いているのだ」

 「さぁな」

 「…本気で言っているのか?」

 「一国の主相手に、冗談を言ってどうする。ここに煩いあの男がいなくて幸いだが」

 「その国主に、そこまで云えば十分だと余は思うぞ?フォンティーラ公爵」

 ジョアン二世は、性格は気弱な所がある。政治の実権は叔父であるディ・オルレアン公爵が握り、重臣たちは公爵の息が掛かった者が多い。貴族政治に反感を持つ革命派は、偽王の傀儡政治と呼ぶ。偽王とは、もちろんオルレアン公爵の事である。

 当然、ディ・オルレアン公爵がその報に眉を寄せた。嫌な、予感と供に。

 「―――何をしに来たのだ…?」

 「陛下に、暫く戻れぬと申しておりました。殿下」

 「いつもそんな事を云って来ぬあの男が、か?」

 《殿下》と云う呼び名に満足しながらも、その表情は直ぐに曇った。前イベリア国王を異母兄に持ち、現国王の補佐となった男は国王が成人しても政治の要にいた。自分の敵になりそうな人間は監視を置き、反抗すれば迷わず粛正した。ジェフリーが海賊公爵なら、ディ・オルレアンは血塗れ公爵である。

 「それで、陛下は承諾したのか?」

 「いえ。少し考えると」

 「ふふ、それでよい」

 それは、まさに血塗れ公爵たる残酷な笑い声であった。

 ジョアン二世の許可は、三日経っても降りなかった。

 元々、ソルヴェールは国王の許可など必要しなかった。ジェフリーは半分はイベリア人の血を引いているが、エルドアンもマックスも他のサン・ディスカバリー号乗組員もイベリア国民ではない。それそれ故国を捨て、海で生きる事を選んだ十六名である。確かに、イベリアに依頼されて海賊討伐を行い、商船の護衛もしたが海に出る際は国王を通してはいない。ジェフリーが、筆頭公爵家当主なのが問題なのである。

 「…大丈夫でしょうか?エルドアン副長」

 「何がです?カイン」

 「海に出られないんですよ?」

 「そうなりますねぇ。でも、大丈夫ですよ」

 何が大丈夫なのか、さっぱり理解らないカインである。しかしこれで、理解った事が字エフリーにはある。今回だけ国王に許可を求めた理由、ある男を引っ張り出す為だが当の本人は気づいていないだろう。

 ジェフリーを、海に行かせたくない人間がいるのだ。彼が公爵と云うのではなく、当然こちらを心配しているのでもない。こんな事が出来るのは、一人しかいない。

 (さぁ、次はどうする?オルレアン公)

 水平線を見つめながら、ジェフリーは不敵に嗤った。

 そのディ・オルレアン公爵は、一人の海軍提督を王宮に呼んでいた。

 「それならば、プリウスがよいかと。公爵殿下」

 「プリウス?」

 「我々の間で、牢獄と呼んでおります」

 「ほぅ…」

 オルレアン公爵は、ニヤッと嗤った。

 彼が何を企んだのか、それは数日後サン・ディスカバリー号に届いた。 

 「キャプテン…」

 オルレアン公爵の挑戦に、ジェフリーは余裕の笑みで嗤っていた。

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