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影の怪

作者: エンドウ

十年前――

 僕は、ボンヤリとその影の塊を見ていた。

 雨の中だったと思う。左頬に打ちつける雨の雫とアスファルトで擦りむいて泥だらけの右頬の痛みは覚えている。

 視界には、京ちゃんがいた。上下逆さ(つまり僕も彼女も倒れていたわけだ)の彼女以外には誰も人は見えない。・・・・・・誰も人は見えない。じゃあ、あそこで蠢いている影の塊は何だ?

 影は、もぞもぞと京ちゃんの近くで何かをしていたが、動きを止めた。

「・・・・・・誰か・・・・・・」

 僕は、祈るように目を瞑った。誰か、誰か京ちゃんを、それと僕を助けてください!そう祈っていた。

 どれだけ祈ったのだろう。必死の願いの結果か、影の蠢く音が遠ざかる。

 頬を打つ雨の感触も消えた。

 僕は目を開けた。

「あと十年間待ってやる」

 目の前で黒い影が、そう笑った。僕は気を失った。

 

 俺、石神亮太はそんな昔のことを思い出していた。

 山道で雨の中を自転車を飛ばして、大怪我をして俺と木下京は酷く怒られた。

 それから、色々とあり、田舎を出て今に至る。

 アパートの一人暮らし、散らかりながらも俺の城か。

 弄っていた携帯を置き、夕飯を片付けた後のちゃぶ台に頬杖をつきながらため息をつく。

 立ち上がるために肩膝を――

「十年間待ってやったぞ」

 ――あの時と同じ声。それは明確に俺の耳に響いた。




 石があるとする。何処にでもある普通の石、片手で持てる一つの石を想像していただきたい。

 たとえば、この石で獣を殺せるだろうか。

 無理だろう。石は石で、武器ではない。

 では、この石を砕いたら?その鋭い断面は獣の皮膚を抉るだろう。

 さらに砕いた石を磨いたら?その穂先は刃となって獣の内臓にすら届くかもしれない。

 石は獣を殺せる刃を手に入れ、獣を殺す武具となる。ゆえに――


 ――ゆえに届く。

 俺の拳が、蠢いた影の顔にめり込んだ。不快な叫び声が俺の耳に届いた。

「ギ、ギャアアアア!」

 影は体をバネの用にしならせて飛びのいた。

 俺は追撃はしない。

 俺が手に取るのは、一本の筆、何年も前から想起していたイメージ、一本の筆で、散らかし放題の床に線を引く。

「!」

 影は顔を上げて俺を睨んだ。

 まるでタールのような液体の塊の体、その中に能面のように張り付いた顔。

 体が沸騰するように泡立ち、黒色の枯れ木の様な腕が現れる。

 能面の顔が一瞬で怒りの表情に入れ替わる。

「待ってたよ十年。この日をよ」

 俺は上着を脱いだ。ポルシェ。俺のポルシェのような機能美を誇る肉体が露になる。

 そして、この影はこれからポルシェのような肉体の俺と戦わねばならない。退路は、

今の一筆で完成させた床に張り巡らされたお経の結界で・・・・・・封じた。

「ここが俺とお前の天王山だ」




「貴様!貴様貴様貴様!」

 影は涎をたらしながら目を爛々と光らせた。

「殺す!殺す殺す殺す!」

 威嚇であれば効果的だな。

 ポルシェのような肉体を持つ俺であっても竦まざるを得ない。

 俺、石神亮太は自嘲した。

 健全な精神は健全な肉体に宿るか?少なくとも勇壮な精神は勇壮な肉体には宿らない。

 それでも、

「来いよ。俺の十年を見せてやる」

 俺は左手を影に向けた。

「殺す!殺す殺す殺す!殺す殺す殺す!」

 影が弾けるように動いた。

 踏み込み、ですらない。全身を撓ませた槍のようなタックル。半身をずらしていなければ、全身が、今、掠ったわき腹のようになっていたか。

 わき腹から血と痛みが噴き出す。

「ギャハ!」

 能面は笑顔を作った。

「ギャハハハハハハハ!」

 笑いながら体を撓ませる。

 俺は深く息を吐いて腰を落とした。

「ハハハ!」

 影の体は槍のように伸びる。

 避ける自信は無い。白刃取りを試みても伸び来る影には無意味だ。

 俺は、意識を尖らせた。

 迎撃する。槍の穂先に真っ直ぐに右拳を。いや、真っ直ぐだと刺さっちゃうから少しずらした場所に右拳を。いや、少しずらした場所だとそらした槍が体に刺さるから内側だ。

 よし、内側だ。

「ッ!」

 俺の右拳には深々と影の穂先が刺さっていた。

 だが、無論カウンター。影の体もまともでは済まずへし折れた穂先以外はお経の結界に叩き付けられていた。

 右腕が、痛い。俺の体中の神経に激痛が走る。

 俺は歯を食いしばった。

 痛みはアドレナリンで相殺する。

 アドレナリンは闘争本能で搾り出す。

 闘争本能の源は目の前にいる。

 俺は血だらけの右手を振り被った。

 ドン!

 トラックで人をはねるような音。だがトラックは俺の肉体で、人は人ではなく違うものだ。

 ドン!

 二撃目。影はその前に体を捩った。だがそこは結界の壁だ。ゆえに直撃する。

「――怯えたな」

 俺の声に頭を上げた影は、能面の表情を変えてはいない。

 違う、『俺の声に怯えて頭を上げた影は、能面の表情を変えてはいない。』だ。

「ウオオオオオオオ!!」

 三撃目!四撃目!五撃目!

「ウオオオオオオオ!!」

 六撃目!七撃目!八撃目!

 影の体に変化が訪れた。能面が皹割れる。

「ウオオオオオオオ!!」

 九撃目!十撃目!十一撃目!

 能面が割れた。影の素顔が曝される。

「ウオオオオオオオ!!」

 十二撃目!十三撃目!十四撃目!

「ウオオオオオオオ!!」

 十五撃目!十六撃目!十七撃目!

 そこで手を止めた。その顔は・・・無残に変形を遂げていたが俺にはわかった。

「・・・・・・京ちゃん」




 俺は拳を止めた。止めざるを得なかった。

「・・・・・・京ちゃん」

 影はの能面の奥には、木下京の顔が入っていた。

 彼女はここに居るはずは無い。偽者だ。

 京ちゃんの顔が、嘲る様に歪む。

 影まるで捕食するタコの触手のように一瞬で体を広げた。触手が、まるでプレス機のように、鰐の口のように、俺の上下左右を囲った。まるで蚊や蝿を仕留める様に俺を潰そうとしている。

 偽者の木下京の顔はどろどろと溶け、ただ嘲りの表情だけが残った。

「・・・・・・だぞ」

 俺は・・・・・・肺から声を絞り出した。

「十年だぞ!?俺が!十年の間にそんなチャチイ真似を想定して無いと思ったのか!十年だぞ!」

 拳を止めざるを得なかったのは、最大の一撃を叩き込むためだ。

 俺の体をパワー的なものが貫く。大地から足へ、足から腰へ、腰から胸へ、胸から肩へ、肩から肘へ。

 影の表情は、叫ぶように歪んだ。上下左右の影は、逆回しのように動く。恐らくは盾にするためだが、遅い。

「期待はずれだよォ!お前はァ!」

 ――ゴプッ

 まるで水面に拳を叩き込むような、味気ない感触だった。ゆえに、『通った』と確信する。影はまるで風船のように跡形もなくはじけた。

 弾けた影の破片が頬を叩く。その感触は水面のような感触はあの雨の感触を思い出させた。もう思い出す必要も無いが。

 俺は、勝った。

「俺は、勝った」

 確かめるようにつぶやいて、俺は拳を上げた。

 ピンポーン!

 音。玄関チャイムの音だ。

「あ」

 マズい。時間だ。今は夜だ。

 俺は青ざめながら玄関に走り寄る。

 こんな夜中にここまで暴れたんだ、近所から苦情が、クソッ!

 ・・・・・・一瞬だった。

 一瞬、黒い影が視界に写った。

 それは槍の形を現し――

「まだ生きて・・・・・・」

 俺は完全に油断をしていた。

 槍のような影が俺の胸元に迫る。

「・・・・・・」

 俺は槍の穂先をいなして影の中枢を蹴り込んだ。

「生きてたとしても、お前はもう俺には勝てない。永遠に」

 影の四散を確認して、俺はひとりでに呟いていた。

「十年。あっけないもんだ」

 十年の修行の日々が胸に去来する。この影の塊を倒すために費やした十年。

 ゲロを吐きながら得たこのポルシェの如き肉体も最早活かされることは無いのか。腰に挿した魔双剣も、編み出した業破真空撃刃斬も。業破真空撃刃斬は階段を下りる時とかに使えるが。

「あっけないもんだな」

 俺の胸の中で去来した日々は、ノスタリズムへと替わり消えるだろう。

「あっけない」

 ピンポーン

 音。玄関チャイムの音だ。

「あ」

 忘れていた。

「はーい」

 最悪の予感、たとえばこのアパートを追い出されるとか、そんなことを考えながらドアを開いた。

 夜。

 一瞬、街灯も無い故郷の田舎道を思い起こした。それほどに暗い。ここは東京なのに?

 暗いのではない。影だ。影が多いのだ。

 影の一つから能面が浮き出る。隣の影からも。その隣の影からも。合計で、8はくだらない。 

「我らの弟を倒した報い受けてもらう」

「弟は我ら兄弟の中で最も標準。奴を倒したとなると大した奴よ」

「フフフ」

「ハハハハハ」

 全ての能面が嘲笑の笑みを作った。

 俺の体が震える。だが、恐怖ではない。

 俺のポルシェの中を、血流と闘志がまるでガソリン代わりにニトロを叩き込まれたかのように駆け巡る。

「ウオオオオオ!来い!」


 完



 

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