第七話『亡き者の想い』
第七話『亡き者の想い』
鋭い雨が、降り注いでいる。
身体の熱を容赦なく奪う、葬送の雑音。
動かない片腕を、澱んだ灰の空へ伸ばしても虚しいだけで。
帰らないと、あの場所に。
そう、強く願った。
…
……
………
デサレッタの山村での生活も、幾らか慣れてきた。
獣害は一応の解決を得たので、クライの仕事は夜から日中へと変わっている。
畑や大工仕事といった身体労働は、火番よりも疲れるものであったが、住民との快い交流も経験できた。
彼と同世代の男手は本当に居らず、週末に顔を出す出稼ぎ組に会う程度で。
だからか、彼の丁寧な人当たりも手伝って何かとちやほやされるのだ。
「口調だけでも随分違うモノね、あなたの印象。
飾らない方が、私は好きだけれど。」とは、月蝕の談。
悪魔は悪魔で、井戸端会議に普通に混じって談笑している様をクライは何度か見掛け、どう見ても馴染めない外見の癖に、と感想を抱かせた。
ある日、村長の息子であるガウの手伝いで、山を降りることになったのだが、これが中々に重労働。
村の収入源である山菜や木材を荷車に積めて、麓まで運ぶ。
そこで街の商人と売買を行い、荷を載せてまた村へ戻るのだ。
「いやー、助かるよクライさん。 いつもは三人がかりなんだけど、流石だね。」
いつからかガウは、クライに素で接するようになっていた。
打ち解けたのが嬉しい反面、彼の心境は中々に複雑だ。
「まぁ、若いですから…
しかし大変だ、商売の為とはいえ。」
曇り空、荷車を後ろから押すクライは結構な力を使っている。
帰りも荷物を載せるらしいので、今から気が重い。
「はは、麓までで済んでると思うことにしてるんだ。
息子も同じような愚痴を言いながら、手伝ってくれていたよ。」
「アップシンの方で働いているのでしたっけ、息子さん。
…ガウさんは、どう思っているんですか?」
「残念な気持ちはあるけど、あいつの人生はあいつのものだからね。
止めることはできなかったさ。」
「立派ですね。」
「その齢で冒険者やっている君と比べたら、まだまだひよっ子さ。」
彼を指して立派だと言った台詞は、彼の息子への台詞だと取られたようだ。
クライは認識の違いを指摘せずに、曖昧に笑うだけだった。
胸がきゅっと絞まる感覚を抱きながら。
彼らに褒められることに、何処か苦痛も感じている。
そしてそんな日々の中、ある出来事が起こった。
朝からの薪割仕事を終え、クライは宿泊する小屋の前で剣を振っている。
その様子を、黒傘を差す月蝕が屋根から見下ろしていた。
剣術書を齧った程度の知識での鍛錬は、お世辞にも様にはなっていない。
振りは荒く、堅く、ただただ若さを込めただけの剣。
永い年月を生き、多くの英雄を見届けた、人ならざる領域にいる悪魔からすれば、余りにも幼稚に映った。
「身体に力を入れ過ぎよ、クライ。」
「………ん?」
振り降ろした一撃を、力だけで押し止める。
額に薄らと汗を浮かばせて見上げれば、ドレスから覗く白い脚が艶めかしい。
剣に集中していた彼は、そこに意識を奪われることはなかったが。
「そんなに力入ってたか? 抜いてるつもりだったんだが。」
「呆れた、自覚無かったのね。」
「悪かったな、自己流なんで。」
それは彼の環境上、仕方のないことではあった。
師になれるべき人間が、周囲にいなかったのだ。
「なら、悪魔の助言よ。
腕肩の力は抜いて、振ってみなさい。
体重は前に掛けては駄目、樹のようにまっすぐに。」
「……………」
無言で彼女の言葉に従い、剣を構える。
深呼吸を二回して、ぶんと振り降ろした。
振った実感は、ない。
「これで良いのか。」
「さっきよりは、ずっとね。」
「振れた感覚は、ないがなぁ。」
「千。」
「?」
「千、振ってみなさいな、全身全霊で。
次第と、振る為以外の力は抜けていくわ。
そうでないと、振れないもの。」
「…成程な、剣じゃそんな経験ない。」
「仕事があったものね、今でもそうだろうけど。
機会があれば、試してみると良いわ。」
「分かった。」
月蝕の言う通り、筋肉痛で満足に仕事が出来ない状況をクライは嫌う。
肉体労働が多かった彼は、剣で身体を潰した経験はない。
冒険者としてこれから生きていくなら、そういう機会は一層減るだろう。
(やってみたい気もあるが、どうしてもんかな。)
その自覚がある彼は、物足りない素振りを繰り返す、そんな時に。
「クライさん、良かった、ここに居てくれて。
厄介な話があるんだ。」
シリアスな表情のガウが訪ねて来て、切り上げることになった。
村長宅までの道で汗を拭い、クライと月蝕は机を挟んで村長親子と対面した。
既に悪魔の存在は村全体に知られていたが、それは彼女曰く霧のような存在で、ここを離れてしまえば十日経たず忘れ去ってしまうものらしい。
そう簡単に忘れるものなのかと疑問はあったが。
「で、どうしたんですか?」
「山の方で、村人が"亡者"と遭遇したんだ。
幸い、無事だったんだけど。」
獣は魔に魅入られると魔物と化す、それは人にも当てはまることだ。
亡者とは、魔に魅入られた人の一種であり、生を亡くした者、所謂ゾンビを指す。
起こりは様々で、老いる中でなる者もいれば、死後骸からなる者もいると言う。
飢えた獣と同じく凶暴ではあるが、肉体が腐蝕しているので危険度は低いとされる。
「遭難者の成れ果てでしょうか。
何にせよ、放ってはおけませんね。」
「最近、山で行方知れずになった話は聞かんのだがのぉ。
しかし言う通り、放ってはおけん。」
「村人には既に外出を控えるように言ってある。
…魔物退治は契約にはないけれど、頼めるかい?」
「大丈夫ですよ、冒険者なのだから亡者程度狩れないと。」
「ありがとう、目撃場所は………」
机に拡げた地形図に、厚皮の太い指が動いた。
「体の良い職業よね、冒険者って。」
木漏れ日の深緑、村人が山菜採りの最中に亡者と遭遇したらしい場所に着き散策するものの、付近に影は見当たらない。
「なんだよ、藪から棒に。」
「亡者の一人や二人、村のモノでも手に余ることはないでしょう?
厄介事だからと、あなたに押し付けてるの。」
亡者化は、伝染する病が原因であると言われている。
近年、それは迷信であると学者たちは言うが、未だ偏見は根強い。
腐蝕した死人の様は、獣のそれよりも生きる人に強烈な負の印象を与えるのだろう。
「まぁ、仕方ねぇかな。
ガウさんたちの気持ちも分かる。」
クライ自身気乗りはしないが、冒険者である以上は醜悪な姿の魔物を狩る能力は必須。
遅かれ早かれ経験することなら、経験しとくに越したことはない。
「あら、不安?
安心して、いざとなったら私がいるわ。」
「不安って訳じゃない。
死体とはいえ人殺しはちょっとな。」
今こうして俺に付き添う月蝕は、普段意識してないが悪魔だ。
本来悪魔とは神話で神々と争い、童話で英雄が倒すべき諸悪の根源として、生物とは一線を画す存在である。
明確に殺す方法はなく、個々が狂気に満ちた異世界に棲むとされる。
つまりはこの世界にいる時点で悪魔失格な気がしないでもないが、それらを指摘しても。
「私は弱いから。」で一瞥される。
現在進行形で人ならざる魔の力を目の当たりにしているのだが、どうにも彼女に恐怖は抱けなかった。
馴れ馴れしさが不気味に感じることもあるが、それは酷く優しいだけなのではないかと最近思う。
「ふふ、クライって冷たいけれど優しいのね。
あの子たちも、殺さずに見届けてくれた。」
「…お前が変なだけだ。
俺一人なら殺してた。」
本当、変な奴。
探索すること小一時間、腐臭を辿り、クライは木影から表れたそれと遭遇した。
「………っ!」
反射的に剣を抜く。
全身が腐り、汚く黒ずんだ外見。
グロテクスに映る筈の剥き出しの筋、泥と皮膚が混ざった表皮。
衣服らしきものは、もはや元の色を判別できない。
資料絵をリアルに映した、醜い有様。
「酷いな、これは一日二日前の死体じゃない。」
「そうね、随分と泥だらけ。
…可哀想に。」
亡者は鼾を不快にした声を漏らし、機能しているか怪しい目玉をあらぬ方へ向けている。
クライにも月蝕にも、気付いている様子はない。
「…俺らが、見えてないのか?」
「いいえ、眼中にないだけよ。」
悪魔が警戒する彼を余所に亡者を遮ると、緩慢な動作で向きを変えた。
見えているのは、確かのようだ。
「なら、どうして襲ってこない?」
理性無き亡者は、攻撃衝動の塊、或いは極限の飢餓状態であると言われている。
魔物と呼ばれる化物と、行動原理は変わらない。
「言ったでしょ、眼中にないと。
今彼を動かしているのは死の淵で抱いた強い想い、所謂残留思念。
それを果てせない限り、彷徨い続けるわ。」
「………分かるのか、もしかして。」
「ええ、でも時間が経ち過ぎてる。
もう、仄かな感覚しか追えない。」
月蝕は亡者の腐った肩に手を添え、瞳を閉じた。
「帰りたい、ただ帰りたい。
懐かしい場所、魂の居場所へ。
それが、彼の想い。」
月蝕が瞳を開き、その言の葉を語れば。
クライは両の手で握る剣を、降ろす。
「虚ろな、朧気な景色だけれど。
それは、あの村。」
「…元村人だったってことか、まいったな。」
「でしょうね、クライ。」
「村に連れて行ってやりたい、か?」
「当たり、でも彼が想いを果たせば、あなたの識る凶暴な亡者と成るわ。
村人は、それを快くは想わないでしょう。
クライに迷惑が掛かってしまうなら、私は。」
「………はぁ。」
剣を鞘に戻して、溜息を一つ。
その表情は、面倒そうで嫌ではない顔。
「ラウさんたちに話してくる、多分大丈夫だ。
月蝕はそいつを見張っててくれ。」
「良いの?」
「OKが出たらの話だ。」
「分かったわ、お願いね。」
駆け出した青年の背を、悪魔は見詰めていた。
村に戻ったクライは、村長親子に事情を歪曲して説明した。
亡者が元村人の可能性が高いこと、帰りたいという残留思念で動いていること。
そして、それを叶えてやりたいという気持ちを、その危険性と月蝕の存在を暈して。
二人共返答は渋っていたのだが、彼の懸命な弁に、村長であるラウが折れた。
畑の方、村人の視界に入らない場所でならと許可を得て、悪魔の元へ急ぐ。
………
……
…
「どれだけ帰りたくても、彼はこの村に帰れなかったんです。
それでも、亡者になってまでも帰ろうとしている。
せめて、せめてそれだけは叶えることはできませんか?
俺が責任もって、倒しますから。」
「…そか、ええよ。
ガウ、皆に話してきなさい。」
「父さん。」
「お前も知ってよう、行方知れずのモンは毎年のようにおる。
そんな中の一人が亡者になって戻って来ても、不思議はないのお。
…クライさん、頼む。」
「…私からも、お願いするよ。」
「…はい!」
…
……
………
(なんで、俺はこんなに必死になってるのか。)
走りながら考えても、答えは出ない。
当人が死んでいる以上、救われる者はいないのに。
理屈では無駄に近い行為であるのに。
ただ、あの亡者が本当に望郷の念だけで彷徨っているなら。
それを踏み潰すのは、嫌だ。
早る足取りは合流場所に近づくにつれ緩やかになり、徒歩になった。
息を切らしてなんて、らしくない。
「月蝕、待たせた。」
「おかえり、どうだった?」
亡者が徘徊する樹の枝に腰掛けた悪魔が、彼を見下ろす。
「上手くいった、畑の方にある荒地へ連れて行こう。」
「ありがとう、クライ。
誘導は任せて。」
悪魔は重量を感じさせない着地をして、ついついと指先を宙に泳がせる。
すると亡者の腹から漆黒の紐が、村の方向へ伸び、それをなぞり亡者は進む出した。
「悪魔の道標よ、行きましょう。」
時刻は昼前、成長期は腹が空いてくる頃。
「あなたを待っていた間に、彼を深く読んでみたの、聴きたい?」
「読む?」
「調べるってこと。」
「あぁ、成程…聞きたい。」
月蝕の道標である黒紐を辿る亡者と、その背を追う悪魔と人間。
彼女はこくり頷いて、言の葉を紡ぐ。
「雨、土砂降りの雨。
遠くなる音に、雷鳴も聴こえた。
崩れ落ちる泥、埋もれる手足、身体…割れた頭、どくどくって。」
幼子に朗読するような口調にも、その場面が鮮明に想起されて。
クライは後頭部に悪寒を抱く。
「すべてが遠くに、静かに、ゆっくりに。
最期に、心が手を伸ばす…逢いたい、帰りたいって。
そして、彼の物語は閉じた。」
「………」
月蝕が話し終えれば、彼は態とらしく冷めた呼吸をして。
「そういうのは、小説の中だけで充分なんだがな。」とぼやく。
「そうね…でも現実はもっと残酷だから。
死は唐突に、理不尽に人を襲う。
でもそれはある意味必然。」
ふと覗いた悪魔の端正な横顔は、心なしか悲しげに見えた。
「心を、命を亡くしても消えない想いが、ここにあるの。」
「………」
クライは、何も話すことができなかった。
眼前の亡者に感じることはあっても、響くものはない。
それは月蝕が望んだからであって、仮に彼自身が亡者の境遇を知るに至れても同じ行動は取らないだろう。
亡者の想いを弔うことに価値を見出してはおらず。
弔いを望む悪魔の意志を叶えることに、価値があった。
そんなことを、意識してはいなかったが。
山林を下り抜けた先は、中腹の村地。
村長曰くかつて斜面を拓いてまで広げた村の土地も、今は雑草が疎らに茂る荒地である。
まだ距離がある畑や家畜小屋を仕切る柵は、数年前はここにあったのだろう。
「………」
その光景が見える筈の亡者は、まだのろのろと彷徨っていた。
「月蝕、大丈夫なのか?」
具体的な対処法を一切知らないクライは、今の状況が順調かどうか分からない。
ただ村の敷居を跨がせることはできない、上手くいかないのではという焦燥が、言葉に籠っている。
「もう、道標は解いたわ。
後は、彼の想い次第。」
「…村には入れられない。
その時は悪いが。」
「ええ、構わないわ。
元々私の我儘だから。」
村長らが手回ししたのだろう、まだ昼過ぎにも関わらず村には人影が見当たらない。
なんとなく足取りが重くなった亡者を、人間と悪魔が見ているだけ。
心地よい追い風が吹き抜けた瞬間、亡者と悪魔は、共に脚を止めた。
二歩遅れて、クライは立ち止まった。
「月蝕…?」
様子を伺う彼に、月蝕の微かな表情の変化を察することはできなかったが。
すっと瞳を閉じた少女の姿に、予感を感じることはできた。
「クライ、構えて。」
はっと亡者に視線を注ぐ、まだ背は向けたまま。
だが、さっきまでとは違う唸り声が漏れだした。
人ではなく、獣のそれが。
「想いは遂げられ、彼の残滓は消え去った。
今、あなたの眼の前にいるのは…」
「…っ!」
鞘に手を掛け、剣を抜くのと。
薄汚れた唾液を垂らした醜悪な顔を振り向かせたのは、ほぼ同時に。
「魔に理性を奪われた、忌々しい亡者よ。」
化物が、月蝕の悪魔に牙を剥いた。
「…ちぃ!」
無防備に黒傘を指す少女に向かう亡者を止める為、駆けて振り被った剣を叩きこむ。
柔い腐肉の肩から腕を深々と裂くが、亡者は止まらない。
刹那、ぞくりと背を奔る悪寒。
そんな不安を笑う様に、悪魔はくるりと身を躱した。
「あら、亡者は四肢を削ぐのが定石だけど、知らなかった?」
「…知ってたよ、間に合わなかっただけだ。」
両の手で鞘を握り、正眼に構え直すクライ。
だが亡者は彼に眼もくれず、打って変わった機敏さで悪魔へ乱暴に腕を振りかざす。
悪魔はそれをふわりとした動作で避けていく、まるで舞踏の様に。
「なんでそいつはお前ばっか狙うんだ。」
「単純よ、クライより私の方が美味しそうに見えるから。
色々な意味で。」
「…悪かったな不味い男で!」
確かに、食糧として選ぶなら悪魔の方が圧倒的に綺麗であるし、柔らかく見えるだろう。
だが、何処か愉しんでいる雰囲気すらある亡者と悪魔の戯れに、自分のシリアスを返せとも思ってしまった。
「―っ!」
月蝕に気を取られている亡者の背後から、容赦なく剣を振り降ろす。
腐食した肉にはあっさりと刃が通り、脆くなった骨に喰い込み、圧し折った感触。
亡者の左腕が、切り落とされた。
苦悶の唸りと共に、傷口から黒々とした体液が吹き出す。
「―ぉぉお!」
亡者含む不死性の強い化物は、急所を潰しても終わらない。
追撃の手は休めず、再度振り上げた剣を右肩から袈裟に切りつける。
身体を裂いていく刃は、腹の辺りで動かなくなった。
腐臭と腐液が、剣を伝う。
「―でぇや!」
無理矢理剣を引き抜いて、締めは逆袈裟切り。
合計三つに分かれた身体が、ぼとりと雑草の上に転がった。
「はぁ、はぁ、酷い臭いだ。」
剣を徐に振り払えば、付着した液が荒地を汚す。
ここまでやれば充分だが、肉体はまだ痙攣している。
ここまでしてもまだ動くという事実に、恐怖すら覚えた。
「お疲れ様、クライ。
初魔物退治かしら、おめでとう。」
始終を見守っていた月蝕が穏やかな声を掛ける。
何もない処から出した漆黒の布を肉片に被せると、きつい臭いは和らいだ。
「そう、なるかな。
後は焼いて終わりだが…月蝕。」
「なぁに?」
しゃがんで、隠された亡者を見詰める悪魔。
人間は、ボロ布で剣を拭っていた。
「この亡者が死んだ時期とかは、分かるか?」
「私の推測になるけれど。」
「それでも大丈夫だ。
もう一仕事しなきゃな。」
「手伝うわ、クライ。」
「何するか、言ってない気がするが。」
「ふふ、当てましょうか。」
骸を四角く包んだ黒布を抱えて、月蝕は立ち上がる。
憂いを帯びた色は、クライに向いた時には妖艶な小悪魔の色に。
「彼の人の身元を、探るのでしょう?
一二年前よ、きっと。」
「あぁ、大雨の日、死因は恐らく土砂崩れ。
一二年前となれば、相当絞り込める筈だ。」
それに応えるクライの表情に、狼狽はなかった。
…
……
………
村長宅に報告と願いをしに言ったクライと月蝕は、そのまま亡者の身元探りを始めた。
書斎に籠り、行方不明者と当時の天候を洗う慣れない作業だが、村長ラウの協力もあって順調に進む。
何より、ページをぱらぱらと捲っただけで内容を把握する悪魔がいたので、あっさりと見つけることができた。
「嬢さんは若いのに凄いのお。」なんて言っていたが、そういうことじゃない。
亡者の名はアドリー、享年二十七歳、狩猟が生業。
二年と三か月前、当時雨天が続いていた山の状態を確認する為に登り、帰って来なかった。
その日は、山では珍しくない激しいにわか雨があった。
彼にはナジュという妻が居た、同年代が村を離れてゆく中で、この村に残ると言い張る変わり者同士で。
夫婦になったのは、ごく自然な流れだったという。
………
……
…
空の色が怪しくなってすぐ、突き刺さるような雨が降り出した。
どうしても足取りが重くなる帰路、雷鳴も聞こえ始めた。
今日はついてない、帰ったらナジュに温かいスープを作って貰おう。
そんな、矢先のこと、最初は、雷の音かと思った。
気付いた時にはもう遅い、見上げた空は、土砂と巻き込まれた木々に覆われていた。
そこで全部がもみくちゃにされ。
止まったのは、澱んだ灰の空から雨水が注がれる景色。
痛い、寒い、痛い、寒い、死ぬ、死にたくない。
帰ろう、帰りたい。
あの場所へ、彼女が待っている、あの場所へ。
帰らないと、あの場所へ。
そう、強く願っても。
…
……
………
アドリーの葬式は、村人総出で行われた。
それはラウとガウの願いであり、ここからはクライも、月蝕も傍観者となった。
当事者として感謝はされたものの、火葬の煙を見送る彼らの涙も、会話も、アドリーを知らない二人が入り込む余地がなかったのだ。
妻であるナジュと話す機会を得たのは、埋葬も済んでお開きになった夜のこと。
独り住むには大きい、一軒家だった。
「すいません、クライさん。
本当は真っ先に、お礼を言わなければならないのに。」
「良いですよ、そんなの。
…大丈夫ですか?」
褐色肌に短髪の女性は、泣き疲れたであろう真っ赤な眼をしていた。
彼は、ありきたりな言葉しかかけれない。
「はい、大丈夫です。
…本当は、笑ってあげなきゃいけなかったのに。」
「無理は、しない方が。」
「大丈夫、これでやっと私も、彼も、歩き出せるのだと思います。」
弱々しく笑って見せる女性に、ただ強いなと、クライはそう感じていた。
「…ありがとうございました、クライさん。
主人を、連れ帰ってきて下さって。
何もお返しできませんが、良ければ夕飯でも。」
「いえいえ、俺は何もしてませんよ!
それに、礼なら彼女に言って下さい…」
焦りながら振り向いた横にも、後ろにも、悪魔の姿はない。
家に入るまでは、一緒だった筈なのだが。
「?」
「?」
居た様な記憶があるナジュと共に、首を傾げた。
村の墓地に、村人と同じ様に埋葬されたアドリーの亡者。
一見何も変わらないが、供えの酒は魔除けの品で、埋められた土は亡者を焼く聖水を混ぜたモノ。
遺骨代わりの灰は蝋に溶かされている、普通そこまではしない。
村人のアドリーへの愛と、亡者への恐怖が混ざった歪な墓。
それは仕方ないことだと、悪魔は想う。
墓前、膝を付いてドレスを汚す、月蝕の悪魔。
両の手を胸元で結び、見るモノを魅了する少女の形、顔、その瞳を閉じて。
クライがその姿を見つけるまで、ずっと祈りを捧げていた。
悲劇よ、どうか安らかに。
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