悪魔が来りて部下笑う
「なんだ……、悪魔なのに、弱そうなんだね」
突然だが、あなたは初対面の人間にいきなり失礼な一言を吐かれたことがあるだろうか。私は今まさに、初対面の若造に、この上無い失礼な言葉を吐かれたところだ。
おっと失礼。私は悪魔大王をやっている、サタンという者だ。基本的に私は、この魔界にそびえる大きな城で、手下の悪魔とともに、この魔界を統べている。近頃は世界平和を謳う気持ちの悪いエゴを振りかざした異民族の侵入に悩まされている。我々魔界民族は、災いや戦を好まず、独自の魔法や文化を研究していたいと考える者が多いので、何とかして撃退したいと思っていたのだ。
しかし今朝方、異民族が城内に侵入してきたとかいう報せが届き、私は何とかして止めなければと思い、魔王直々に出向いた次第だ。侵入者共は大広間にいた。聞けば、部下たちの交渉にも応じず、魔王を出せだの魔王と戦わせろだのとしか言わないという。侵入者共は全員若く、男二人とと女が一人。たった三人でこの城に乗り込んだという。なぜこいつらを通したのかと部下の一人に聞くと、「武器をちらつかせたと思えば、シャロンを人質に取った」というのだ。あ、シャロンとは、私の飼い猫のことだ。茶色の斑模様があるのだが、これがまたたまらなく可愛いのである。これは許せない。
「私が魔王だが」
私は怒りを抑えて、侵入者らにこう言った。
すると奴等がああいったのだ。「なんだ……、悪魔なのに、弱そうなんだね」と。私は即座にこの無礼者達をこの魔界の闇夜に浮かぶ星片にしてやりたかったが、ぐっとこらえた。
「シャロンを返せ」
あくまでも威厳を保って、落ち着いた口調で話しかけた。悪魔だけに。
「シャロン? この猫ですか?」
侵入者の一人が、猫を抱きかかえていた。茶色の斑模様、間違いない。我が愛しのシャロンだ。私は即座に奴の腕からシャロンを引き離した。
「シャロン〜、魔王ね〜シャロンがいなくなって超焦った〜シャロン大丈夫〜?」
侵入者共と、そして部下の目線が鋭く私に刺さっているのに気がついた。
「やっぱ弱そう」
「覇気ゼロだな」
「ひねり潰すぞ」
慌てて威厳を保とうとしたが、部下の笑いをこらえる姿が目に留まり、私は堪え切れない恥ずかしさを覚えた。
*
侵入者達は、なぜ魔界を攻め入ったのかという私達の問いに対して、勇者として冒険してみたはいいが、旅の目標が特に無いので、悪そうなこの国の魔王である私を倒そうとしたのだそうだ。なめてやがる……。
「でもこの国の民の皆さん、毎日楽しそうですね。街は整備されてるし、立ち寄った酒場は賑やかで楽しそうだし、僕が酒場に財布忘れてしまっても、お店の方がわざわざ僕を探してくれて、中身もちゃんと揃えて返してくれて。村の方でも生活に困るほど貧しい方もそんなにいないし」
「魔王様のご尽力の賜物だ」
部下のうちの一人がこういった。彼は私の秘書で、ベンジーという。彼の実家はピザ屋だった。
「まあなんにしても、いまここで貴方達を捕虜にするとか、生きて返さないとか、そういう事をするつもりは無いんだ」
私がこういうと、勇者達は申し訳なさそうな顔をしながら話を聞いていたが、そのうちの一人の少女がこう言った。
「では、私達はもうこれで失礼してよろしいのかしら」
言われっぱなしでこいつらを帰すのが、魔王として少し悔しかった私は、すぐに頷けなかった。
「いいだろう。ただし一つ教えて欲しいことがある」
「え? 何ですか?」
「私の何が、弱そうに見えたのか?」
*
私は、勇者達を王の間に通した。ついでにベンジーも入れて、有事に備えることにした。
「で、私の何が弱そうに見えた?」
なぜこんな事を、魔王のくせに気にするのか? 実は薄々気が付いていたからだ。部下が私に、同僚と間違えてタメ語で話しかけてくるような事がわりとあったからだ。確かに小さくはあるが、一国の長としての威厳が足り無いという事なのだろう。
「登場してきた時から思ってたんですけど〜、威圧感が無いですね」
少女が髪をいじりながらこういった。私が、「威圧感?」と聞き返すと、少女は「そう、威圧感が全然足り無いですよ〜。魔王って肩書きの割には〜……立ってるだけでビビり上がっちゃうような怖さが無いですよね〜、弱そう」
なるほど、と私は思った。確かに威圧感がなければ強そうにも見えない。しかし強そうに見られないだけで、弱そうという印象には果たしてなるのか?
「身なりも大事ですよね。マントもヨレヨレの雑巾みたいだし」
「これは二十歳の時に妻が作ってくれた物だからな」
私のマントは、結婚当初に妻が作ってくれたものだ。以来何十年と使い続けている。それを雑巾みたいとは、まったく無礼にも程がある。
「え?! 魔王様っておいくつなの?!」
「はて、いくつだったかな……面倒だから五百を越えたあたりから数えるのをやめたんだよ……。ベンジー、私の年齢などは……分からぬかな」
「えーっと……七百と二十でしたかと」
勇者御一行が口をポカンと開けていた。散々失礼な言葉を発してきたその口にハエでも入ればいいのに、と私はふと思った。
「七百年も使っていたならそりゃヨレますよね〜、これを機に新しい黒いマント作ってもらうと〜いい感じだと思います〜」
「ほう……ベンジー、妻にこっそり、今度マントを新調するようそれとなく伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
私はベンジーに耳打ちし、そしてまた勇者の方へ向き直って質問をした。
「他には何がある?」
すると、リーダー格の男が「威厳を身に付けたいなら、威厳あるものから学ぶのがよろしいかと」と言った。
「ライオンとかどうですか、百獣の王とか言われてるくらいだし」
男はこう付け足すと、残り二人の勇者も「あーそれだ」「それですね〜」と言った。
「ライオンか…ふむ」
すると目立たない感じの少年が「そういや道中でライオンハントして毛皮とか剥いで来たんだっけ、ちょっとコートとか作って着せてみたら?」と言い出すので、私はそれが気にならずにはいられなかった。
「毛皮のコート? ほう、面白い」
「見た目も大事ですが、中身も大事ですよ」
「ライオンって〜超ワイルドなんですよ〜」
*
それから、勇者達は、街で一泊してから地元へ帰ったという。一方の私はというと、勇者達のアドバイス通りに、次の王国会議で『威厳のある振る舞い』をすることにした。
会議の日の朝、ベンジーが王室に参上してきた時に、「本当にあの者たちの持ってきたお召し物で……会議に参加されるのですか?」と怪訝そうにこちらを見て言うので、思わず私も「でも魔王〜、このほうがまだ威厳がありそうだとは思う〜……」と、弱気な発言を漏らしてしまった。
「もう会議が始まります。魔王様、とにかく急ぎましょう」
会議室は、王室から歩いて三分程のところにある。会議が始まるまではまだ五分程余裕があるので、別段急ぐようなことはせず、威厳たっぷり、ライオンのように歩いた。四本足で。
忘れもしない、ベンジーの私を見る目が王ではなく、ゴミを見るような目をしていたことを。
「魔王様……流石にそれは……」
「やっぱだめだよね〜」
どういう訳か、ベンジーと居ると口調が変わるそうだ。今更どうでも良いことだが。
私は立ち上がって、手の汚れを払いつつ、ベンジー開けさせたドアを通り、部屋の中央にある最上級者の席に着いた。
「ガルルルル……」
ライオンのように威嚇すると多分みんな黙る、というギャル勇者のアドバイスを実践してみたが、部屋中の悪魔が凍りついてしまった。
「ゲホゲホ……では六月の定例魔界会議を始める」
咳払いを装ったのだが、あれはどう聞いても動物の威嚇であった。お疲れ私。部下がヒソヒソとこちらを見ながら何か話をしている。毛皮という単語が飛んできたのを察するに、いつものヨレヨレマントではなく、無駄に豪壮な毛皮のコートを身につけている事に関する話だろう。
「魔王様……」
ベンジーが私にこっそり耳打ちをした。
「魔王様……とにかく今日は時間もないですから、私が代わりに議会を進めます。魔王様はとにかくその……目立たないようにしてください」
「分かった…………」
*
会議が終わるまでのおよそ一時間、私は一切の行動を起こさなかった。恥を捨ててしまって野性味と威厳たっぷりな振る舞いを続けていくだけの勇気は私には無かった。
「なあ、ベンジー」
私より、遥かにカリスマ性のあるベンジーは、なぜ私の部下になろうと思ったのだろうか。いつか私の寝首をかいて、ベンジーが魔王になろうという腹だったりして。
「はい、魔王様」
私がそんな事を考えている事を知らないベンジーは、まっすぐな瞳でこちらを振り返る。ベンジーは先ほど私が考えていたような狡猾な手段を取るような男ではない。そんな事は、私がよく知っていたはずなのだが……な。自信喪失は人を疑心暗鬼に駆り立てるという話は本当なのだろう。私はあくまでも悪魔だが。一瞬でも部下を疑った自分が恥ずかしい。
「強さって、何だっけ……」
私は、窓から見える魔界の街を眺めながら、問いかける。ベンジーは「何であろうと、魔王様は魔界一の強い方ですよ」と返すと、私を見て微笑んだ。私はまるで、グレッチでぶたれたかのような心地だった。
「私……とりあえず、もっと上手にライオンの鳴き声ができるようになることにしたよ」
「そういうことではないです」
部屋の窓際で、シャロンが欠伸をした。