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伊達政斗は、カウンターに頬をつきながら、客席の丸いテーブルを布巾で磨く同級生の姿を見ていた。
彼の名前は、片倉景。眼鏡で無口、あと同じ高校二年生なのにやたらと背が高い、そんな印象だ。
同級生と言ったが、景とはそんなに仲がいいわけではない。面識はあるが、あえて話はしないというありきたりな関係である。しかし、景はしょっちゅう自宅に来るようになった。──政斗の実家は、カフェを経営している。景は数週間前からアルバイトとしてここで働いているのだ。
クラスメイトが我が家でアルバイトしているというのは妙な感覚で、未だ慣れない。基本的には忙しい時にしか手伝わない政斗だが、ここ数週間は、物珍しさからカフェの中で景を観察している。
「こーら、マサ!せっかく来てるんだから手伝いなよ!」
箒の柄で頭をカツンと叩かれる。いってぇ!と頭を押さえ、バッと振り返った。
『カフェDATE』のロゴが入ったエプロンを身につけた伊達成美が箒を脇に抱え、仁王立ちしていた。成美は、一つ年上の従姉妹であるが、ちゃっかり姉気取りである。今年は受験生であるが、たまにこうしてアルバイトに来ている。
「どうせこの時間帯は客来ないし暇なんだからいいだろ?しかも、俺だけただ働きだしな」
父は、自分にはバイト代を出してくれない。「え、当然だろ?」とクモリナキマナコで言われると、こちらもずけずけと文句を言いづらいところである。
「ったく、不親切な息子なんだから」
奥から、皿に綺麗に並べられたサンドイッチを抱えて母が現れた。カウンターに置き、ラップをぴっと被せる。
「これお土産ね、成美ちゃん」
「ありがとうございます!」
成美はニコッと微笑んだ。母も微笑んでいたが、くるりと政斗に向き直り、表情をころりと変えた。冷ややかな目で政斗を見下ろす。
「アンタ、成美ちゃんを家まで送っていきな」
「はぁ?」
政斗が不平の声を上げると、母は容赦なく政斗の髪の毛を掴んだ。「いてててて!」と悲鳴を上げるが、放してくれない。仕方ない……政斗はガクガクと頭を上下に動かした。ようやくパッと手が離れる。
「最近変な事件多いし、夜に女の子を一人で帰らせるなんて心配でしょ?」
──今月……十一月の初めから、今年は街では女子高生を惨殺するという事件が起きていた。殺された女子高生は、鋭い切り傷だらけで、犯人はおろか凶器すらも不明だという。
「片倉くんも今日はもう上がっていいわよ」
「はい」
景は手を止め、客席から帰ってきた。母の前で頭を下げ、控室へと入っていく。
ぱち。
眼鏡の向こうの瞳とふと目が合った。景はすぐに目を逸らしたが、政斗は何故か景の背中をじっと見送っていた。
「マサー、行こう」
帰る支度ができた成美が声を掛けてきた。「あ、うん」と頷き、立ち上がる。
店から出ると、陽はすっかり落ち、真っ暗だった。街灯がなければ完全な闇だ。
「そういえば、センター試験?一月だよな」
歩きながら政斗が尋ねると、成美は苦笑いを浮かべながら頷いた。
「なんで疑問形?アンタ来年受験生なんだからしっかりしなさいよね」
「うっせ。つーか、まだバイトとかしてていいのかよ」
「さすがにバイトは今月いっぱいまで」
ジジッと古びた街灯が錆び付いた音を立て、チカチカ点滅し出した。いい加減、新しいのを設置すればいいのに、とふと思った。
ちらり、と政斗を見上げてくる。寒いのか、頬が朱に染まっていた。
「あ、あのさ。マサは──彼女できた?」
「彼女?……いねぇけど」
欲しいことには欲しいのだが、生憎今はいない。
「……片倉くんってかっこいいよね?」
「片倉?」
政斗は思わず瞬きをした。確かに、やつは愛想はよくないがイケメンではある。しかも、女子が好きな眼鏡だ。
「ナル、片倉が好きなのか?」
「っ!違っ!」
成美の顔が益々赤くなっていく。
「……私が好きなのは……」
ボショボショとした小さな呟きは、政斗には届かなかった。
パリン!
すぐ後ろの街灯が弾けた。
「は──?」
ハッと振り返る。硝子がチラチラと降り注いでいた。
「マサ」
くい、と腕を引っ張られる。成美を見ると、顔が強張っている。成美の視線の先に目をやった。
前から黒いコートを着た男が歩いてきていた。男が街灯の前を通ると、パリン、パリン、パリン!と割れる。
だが、男から目を離せなくなったのは別の理由で──政斗は、男の手の先を凝視していた。
鋭く伸びた、爪。とても人間のものとは思えない。洋画に出てきそうなモンスターのようだった。
男は、ニィ、と笑った。ぞわり、と身の毛がよだつ。男の視線は、成美を捉えた。
コイツ──!
直感で気付いた。コイツが、あの連続殺人犯だと。
ナイフではない傷跡、つまり、鋭利な爪だったのだ。
逃げなければ、と思った時には遅かった。目の前に男がいて、成美に向けて腕を振りかざしている。
「きゃああああ!」
成美の悲鳴。させてたまるか、と政斗は成美を抱き締めた。爪が政斗の背中を抉る──
「……れ?」
いつまで経っても、痛みも衝撃も来ない。政斗はそろーっと振り返った。
ギチギチと音を立てながら、男は腕を上げたまま固まっていた──いや、身動きがとれなくなっていた。
男の全身には、透き通った鎖が巻き付いていた。男はなんとか引きちぎろうと「うぐぐぐっ」と唸っている。
成美は気を失ったのか、力が抜け、ぐったりと政斗にもたれ掛かっている。
「貴様……!陰陽師かぁ!」
男はギラギラ赤く光る目で政斗をギンッと睨み付けた。
「お、陰陽師?」
俺が?
そんなわけはない。第一、自分は何もしていないのだ。
「下がれ、伊達」
低く、しかし透き通るような声。はっと政斗は前を向いた。成美の向こう側にさっきまでカフェで一緒にいた姿が在った。
「片倉……?」
眼鏡に街灯の光が反射し、青く発光している景が立っていた。