一章 神さま
私は嘘を吐いてある村人に嫌われた。今からずっとずっと昔の話だ。
今日は少しだけ、その時の話を君だけに話してあげるよ。
――
無駄に大きなお賽銭箱の上で寝そべり、果ての見えない青い空を眺めていた。今日もまた雲一つない青空が広がっている。
「ん……?」
朱色の鳥居を潜る人間の影が視界に入る。
石畳を数人の人間が草履をペタペタと音を鳴らしながら、お賽銭箱に近づいてきた。その表情は緊張と不安で強張っていた。
視線を多くの人間の気配漂う鳥居の前に移す。
案の定、鳥居の前には沢山の人間が列をなして、不安そうな表情を浮かべているのが見える。
どうやら選ばれた人間が私の前まで来るらしい。
男が数人、そして中心に一人の女が囲まれて護られている。
「何の用だ、人間」
ちょっとした悪戯心が湧いた私は、目の前で足を震わせている人間を睨み付けて、低めの声音で尋ねた。
案の定、人間たちは目の色が変わった。不安は恐怖に上書きされ、人間たちの中には腰を抜かす奴も出た。
愉快な気持ちが私の胸をいっぱいに満たす。
それでも人間の中にも勇敢な奴もいるようで、おずおずと私の前に歩み寄ってくる村人が一人、米を手に持って差し出してきた。
その瞬間、私は全てを察した。いや、まあ、最初からある程度察しはしていたのだが。
そうかそうか、コイツらは私に奉納するのか。
ニヤッとイヤらしい笑みを浮かべる。小さな舌で唇を舐める。
「望みを叶えてやろう」
さあ言え、と続けて言うと村人たちはお互いの顔を見合わせる。一様に喜びに満ちた表情だ。
だが本来はこんな安い対価じゃあ望みは叶えない。今日はたまたま暇だったから、こんな安っぽい米で我慢してやったのだ。
それに私とて、頼られるのも悪い気にはならない。こうして奉納するということは、同時に村人たちは私を信仰しているということにも繋がる。
それに私の存在は村人の信仰心に左右される。彼らが私に対して信仰心を捨てれば、私という存在は消えてしまうのだ。
まあ、村人からしたら私も「神さま」だし、滅多なことがなければ信仰心も消えはしないのだが。
――
村人たちの消え去った神社は酷く寂しい所だったのだなと、私に再確認させた。
お賽銭箱の上に胡座をかきながら私は思うのと同時に村人からの望みを思い出す。
昼の青空の下、私は村人に奉納を貰い望みを叶えることになった。
奉納されたモノは米。そして肝心の望みは、雨乞い。
村人たちの話によると今年は近年稀に見る不作らしい。その原因は雨が降らなかったことによるもので、村人たちは悩みに悩んだ末に「神さま」である私に奉納をした。
「はぁ……。面倒だ」
ため息が洩れる。別に私を頼るのはいい。いいのだが、 なにせ奉納されたモノがモノだ。これでは割りに合わない。
雨乞いをしたとして私の身体が米俵一つだけで耐えきれるのかどうか、それだけが私の不安だったのだ。
正直、もう少し奉納が欲しいところだが村も不作だ。我が儘は言っていられない、私も久々に頑張ってみるか。
そう考えを纏め、黄金色の光を地上に降らす満月を見上げながら私はフッと、小さな笑みをうかべたのだ。
――
満月の夜が三日過ぎ去り、雲一つない晴天が空に広がっていた。大地には燦々と太陽が村人にとってありがた迷惑でしかない温かな光が乾いた大地に注がれている。
まだ、望みを叶えてやるには祈りが足りないのか。私はやや辟易としながら虚空のその先に煌々としながら世を見渡す太陽を睨む。
「……だれじゃ?」
草木繁る森の奥に視線を移す。目には深緑だけが広がっていたが、獣でも人外でもない確かな人間の気配があった。
暫く奥を睨んでいるとガサッと草木があからさまな音を立てて揺れた。
明らかに何者かが隠れている。これでまだ黙っているというのなら、私にも考えがある。
「出てこい。喰い殺してやろう」
適当な脅しだ。少しだけ殺気を滲ませ、人外のモノが持つ紅い眼を煌々とギラつかせる。
心の奥ではクスクスと我慢の短い笑いがこだましている。
大体、喰い殺してやろう、とは言ったものの私には人間を喰らう趣味などない。あったとしても村人の信仰心によって存在を許されている私には、人間を喰らうことは自殺行為と同じなのだ。
まあ、その前に人間なんて不味そうなモノを誰が好んで食べるのだろうか。
人食について考えていると、先程揺れた草木に人影が勢いよく出てきた。
「!?」
不覚にも少しだけ驚いてしまった。まさかこの瞬間に姿を現すとは思いもしなかったのだ。
だがすぐにも落ち着きを取り戻し、私は草木から出てきた人間をまじまじと見る。
年は大体十代半ば辺り、背はそこまで大きくなく、まだ幼い雰囲気が残った顔立ちが不思議と眼を引く、そんな少年が私のすぐ近くに立っていた。
私は暫し少年を睨むようにして凝視していた。頭の上から草履の先に見える爪先まで不躾に見つめる。
おや? 少年の童顔が赤みを帯びてきた。
――ふふ……なんだ可愛らしいものじゃあないか。
私が珍しく微笑みを浮かべていると、少年は呆気をとられたような間向けな顔になる。
うむ、やはり可愛らしいな。そしてまた私は微笑む。
それを好機だと判断したのか、目の前の少年はいきなり声を張り上げる。
「……あ、あの!」
顔を真っ赤にしながら少年は叫ぶようにして私を呼ぶ。急用なのか少年は先程から少しだけ、息が上がっている。それが緊張からなのか、それとも本当に急ぎなのか私には到底分かる筈もない。
「か、神さま! 僕の……僕の望みを叶えてください!」
少年は上体を折り曲げながら、両手一杯に積まれた米を前に出している。
村人が奉納した米よりも上質で若々しい米だ。これがあれば、明日にでも雨を降らすことができるだろう。それほど少年の持ってきた米は質がいい。
だが、これは目の前にいる少年の奉納だ。村人であっても、これは彼自身が買ったか作った米だ。ならば、私がやるべきことは一つだ。村人にも言った通り、私は少年に意地悪そうに目を細め、口角を吊り上げ、
「よろしい。お前の望みを叶えてやろう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、私は嘘を吐かない。で? お前の望みとやらはなんだ?」
尋ねると少年はもじもじと視線をふらつかせながら、ごもごもと言い始めた。
「え、えっと……あの……」
「早く言え」
焦れったくなって、微量の怒気を込めて急かす。
すると少年も意を決したのか、望みを言い放つ。
「ぼ、ぼく……と、友達が欲しいんです!」
――
「ふう……面倒なことになったな……」
何日目かの夜空を見上げながら私はため息を洩らす。今晩の空には異様な存在感を出す月がいなかった。寂しいような、虚しいような、どっち付かずの思いが私の中を遠慮もなく蠢き出す。
少年の欲に満ちた叫びのような願い。本来この類いの望みは私のような低級の神さまではなく、縁結びの中級以上の神さまに望みを叶えてもらうのが普通なのだが……。
まったく、少年は随分と難しい望みを私に求めたものだ。
「ふぅ……」
もう一つため息を洩らす。何十年ぶりだろうなこの「悩み」と言うのは。
「……友達、か…………」
思い返してみれば私には友達がいないし、作り方も分からない。友達を欲しいと思ったことも無いし、必要性も感じられない。
「案外、難題かもしれんな……」
月のいない夜空を見上げながら、ふと少年の顔を思い出す。
フフッと笑いが込み上げる。明日も少年はこの神社の鳥居を潜って来て、私に頬を蒸気させた顔を見せてくれるのだろうか。
来てくれると嬉しいな。最近はずっと退屈していたし、案外人間も可愛いことが分かったしな。
「明日がたのしみだな」
そして星が散りばめられた天蓋を見つめ、私は今夜もまた、お賽銭箱の上に寝そべり瞼を下ろすのだ。
――