賢者の行為
昔、誰よりも賢く、誰よりも長く生きている男がいた。
人々は彼を賢者と呼び、彼の持つ知識の恩恵を受けようとした。毎日誰かが彼の元を訪れ、あれこれと質問しては帰っていく。
人々は彼の元に金を持ってくるが、彼はそんなものが欲しいのではなかった。
日々の生活に嫌気がさした彼は、旅に出た。誰も彼のことを知らない地へ行き、自分の時間を欲したのだ。
ある日、彼は小さな砂漠の村へとたどり着いた。誰も彼のことを知らない。そこは閉ざされた村だった。久しぶりの旅人に、村の人々は珍しがって話しかけ、そして彼もまた、それを楽しむことができた。
次の日、まだ薄暗いうちに目を覚ました彼は、子供達が大きなつぼを持って出かけていくのを目にした。
「水を、汲みにいくのかい?」
そう尋ねる彼に、十五人の子供のうちの一人が答えた。まん丸な目は幼さを漂わせており、しっかりと日に焼けたその肌は、砂漠の民である証だ。
「そうさ。こどものしごとだよ」
白い歯をみせて笑う子供に、彼は続けて質問した。
「こんな薄暗いうちから? 君みたいな小さい子が?」
子供はこくりと頷く。
「この村じゃあふつうだよ。男は七歳から水をくみにいくのさ。畑の分も、みんなが使う水も、ぜんぶ僕たちこどもがくんでくるんだ。太陽が頭の上にくるまでにはかえってこれるよ」
賢者は考え込み、そして言葉を出した。
「つらくないかい?」
子供は首を横に振った。
「僕は誇りに思ってる。みんなの命を、支えてる仕事だから」
そういうと、他の子たちと共に村を発っていった。
賢者はその日に村の中を歩き回った。二百人程度が住む村であり、大人達は日中畑仕事や家事を行ない、子供達は水を汲みにいく。それは陽の動きのように規則正しく、そして変わらない生活だった。毎日どれだけ必死に働いても、生活は一向によくならない。そんな日々を、誰も疑問に思わずに過ごしている。
彼は村の中でアリを目にした。別名水アリと呼ばれるアリである。水場の傍に巣を作る習性を持つそのアリは、近くに水が湧き出るという証拠でもある。
彼は七日の間寝ずに土を掘り起こし、井戸を作った。
村人達は皆彼に言葉にならない程に感謝した。
そして彼らの生活は変わった。
子供達は水を汲みにいく必要がなくなり、賢者から少しずつ勉強を教えてもらうようになった。作物の育ちもよくなり、大人達の生活も変わった。
賢者がその村を訪れてから三年が過ぎた。
村人の数は増え続け、水の権利を巡って小競り合いが起こるようになっていた。
そしてある日、カッとなった青年が、同じ村人の一人の腹を刃物で刺してしまった。あの日賢者が話しかけた少年によるものだった。
争いはそこから激化し、小競り合いではなくなった。もはや怪我では済まず、死者も出るようになってきた。
賢者は頭を悩ませていたが、ふと思い立ち、こっそりと井戸に痺れ薬を入れた。
その日以降、水が飲めなくなったと分かると、村人達は怒りの標的を変えた。その井戸を作った、賢者に対してである。人々は彼に向かって毎日口々に罵声を浴びせた。
別段怒りは感じなかった。数日の後、賢者はその村を発った。
そしてまた数年後、賢者は村を訪れた。念のため誰にも会わないようにした。村人の数は減っており、明け方には子供達が水を汲みに出かけるのを見かけた。そしてその子供達を笑顔で見送る大人達の姿があった。
賢者は薄く微笑むと、その村に背を向けた。