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和太郎とシラガシ

作者: 澄宙


 つづら折りになった山道の向こうに少女がいた。

 少女はこちらをじっと見つめては、時折吹くつむじ風にその長い髪を揺らしていた。

 松風和太郎は首を傾げた。

「お前は何をしているのか」

 少女は答えた。

「愛する人を、待っているのです」

 和太郎は、やはり首を傾げた。


 和太郎は木具職人であった。木具職人とは、文字通り木を扱う職業のことである。

 木具職人は主に折箱や木具製品の製造を行う地味な仕事ではあるが、前職人の技術を継承し、製法を守り通してきた伝統的な職業でもある。

 和太郎は今日、折箱に丁度良いシラガシの樹を探しに山に来ていた。その山は地元でも有名な大変険しい山で、登りきることはおろか、山の周りに広がる樹海でさえも抜けることが困難とされていた。

 だが、和太郎は何も恐れてはいなかった。なぜならば、和太郎はシラガシの樹が気に入っていて、この山にシラガシの樹の原生林があると聞いた時から何度もこの山を訪れていたのである。今までに和太郎がこの山を訪れた回数は幾数十回にも及ぶ。

 そのため、最初こそは言い伝えを鵜呑みにしていたものの、今では近所に散歩に行く感覚で材木集めへと向かっている。

 初期の頃は遭難した時のための備えをきちんと荷造りし登山していたが、最近では何も持ち合わせなくなっていた。今和太郎が身に着けている背負い袋に入っているのも、昼食にと師匠に手渡された押し寿司と、申し訳程度の少量の水、そして木を切り倒すための工具のみだった。

 すっかり樹海の道にも慣れてしまった和太郎は、一寸の迷いも匂わせずして登山口へと辿り着いた。そして、長く険しく続く山道を延々と歩いていき、もう間もなくお目当てであるシラガシの原生林へとたどり着く直前のつづら折りの道で、少女に出会ったのだ。

 和太郎は道の先に少女がいたことにまず驚いた。何しろこの山を登れるのは自分と、山登りに卓越した数人の賢者だと思っていたからだ。

「お前の“愛する人”が、この山の頂上にいるとでもいうのか」

 和太郎はやはり不思議そうに問いかけた。

 少女はゆっくりと首を横に振る。

 和太郎が疑問の声を上げる前に、少女がその口を開いた。

「私の愛する人は、貴方によって殺められました」

 和太郎は目を丸くした。

 人を殺める? とんでもない。

 和太郎は確かに酒を飲むと羽目を外すが、日常生活においては真面目で素直な青年だと高く評価される人間であった。

 和太郎は極めて普通の人間であり、極めて普通の木具職人である。他人に暴力をふるう意志も、ましてや人を殺める意志など、素朴で純情な和太郎の心には微塵もよぎったことはなかった。

 和太郎は反論した。

「俺がお前の恋人を殺めた、だと? 冗談じゃない。俺は成人してから今まで、他人に干渉したことはない。木材に命を捧げてきたようなもんだ。俺がお前の恋人の顔など知るものか。俺は成人してから俗世を離れてきたんだ。男の顔など、師匠の顔くらいしか知らないぞ」

 和太郎の言葉に偽りはなかった。

 和太郎は成人する少し前、木具職人を志したと同時に、父母に厚く礼を述べ故郷を離れた。そして、はるか千里の道を辿り山奥の有名な木具職人の元に弟子入りすると、師匠の命に従い酒以外の娯楽はその時点で棄てた。

 松太郎は成人してからこの方、ずっと職にだけ情熱を注いできたのだ。

 少女は言う。

「それは貴方の思い込みです。私の恋人は間違いなく貴方によって殺められました」

 松太郎はまじまじとその少女の顔を見てみた。

 少女は大変端正な顔立ちをしていた。白い肌に映える漆黒の髪はとても艶やかで、この鬱蒼とした空気を漂わせる山中にはかえって不似合だ。しかし、その顔に浮かぶ表情はどこか愁いを帯びている。



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