ポストアポかったらパンダが蔓延した~人類はパンちゃん可愛いでチュねになった件~
この世界には、昔、とても大きな文明があったらしい。
空を飛ぶ鉄の鳥。
夜でも昼のように明るくする機械。
遠く離れた人と話せる道具。
人間を遠くまで運ぶ巨大な乗り物。
今の私たちには、どれも昔話だ。
古代文明がどうして滅びたのかも、よく分かっていない。
戦争だったとも言われている。
病気だったとも言われている。
大きな災害があったとも言われている。
ただ、一つだけ。
どこの古文書にも共通して書かれていることがある。
――その頃から、パンダが増え始めた。
ものすごく。
とにかく、ものすごく。
増えたらしい。
そして現在。
世界は緑に覆われている。
街と街の間には森があり、森の中には山がある。
人々は畑を耕し、羊を飼い、火付け石で火を起こす。
王様もいる。
貴族もいる。
お金持ちもいる。
もちろん貧しい人もいる。
けれど、戦争はない。
みんな、それなりに平和に暮らしている。
そして――。
山を見る。
パンダがいる。
村を見る。
パンダがいる。
市場を見る。
パンダがいる。
王都に行っても、
パンダがいる。
どうしてこうなったのかは、誰も知らない。
でも、人類はパンダが大好きだった。
ものすごく大好きだった。
「パンちゃん可愛いでチュね~」
怖そうな顔をした騎士も。
「パンちゃん可愛いでチュね~」
お金持ちの貴族も。
「パンちゃん可愛いでチュね~」
王様まで。
みんな、パンダを見ると同じ顔になる。
私はそんな世界で暮らしている。
名前はミナ。
十五歳。
平民。
祖父と二人で、小さな村に住んでいる。
そして私には、一つだけ夢がある。
「いつか王宮のパンダ世話係になる!」
朝食を食べながら宣言すると、向かいに座っていた祖父がパンをかじった。
「そうかい」
「王宮のパンダ世話係はね、すごく人気なんだよ」
「そうじゃな」
「給料もいいんだって」
「そうじゃな」
「それに、王宮には世界中から珍しいパンダが集まるんだよ!」
「そうじゃな」
「おじいちゃん、ちゃんと聞いてる?」
「聞いとるとも」
祖父は笑った。
「お前は昔からパンダが好きじゃったからな」
「うん!」
私は胸を張った。
「だって可愛いもん」
祖父も頷いた。
「そうじゃな」
私たちは顔を見合わせる。
そして二人で、
「パンちゃん可愛いでチュね~」
と言った。
平和な朝だった。
その日の午後。
私は森へ薬草を採りに出かけた。
村の近くの森なら危険はない。
熊も出ない。
狼もほとんどいない。
なぜなら、この辺りではパンダのほうが圧倒的に多いからだ。
ちなみに、パンダは基本的におとなしい。
山に住んでいる野生のパンダを、わざわざ捕まえようとする人もいない。
理由は簡単。
可愛いからだ。
それに、国の法律で野生パンダを勝手に飼うことは禁止されている。
ペットにしたい場合は、国へ届け出が必要なのだ。
「この薬草……あと少し」
私はしゃがんで薬草を摘んだ。
その時だった。
「……ん?」
茂みの向こうから、
がさ。
という音がした。
私は顔を上げた。
「パンダかな?」
普通なら、そこで終わる。
でも。
がさ。
がさがさ。
何かが近づいてくる。
「……大きい?」
茂みが揺れる。
そして――。
ころん。
「…………」
黒と白の小さな生き物が、茂みから転がり出てきた。
「……パンダ?」
私の前にいたのは、普通のパンダよりずっと小さなパンダだった。
まだ子どもなのだろう。
泥だらけで、毛はぼさぼさ。
お腹が空いているのか、細い声で、
「きゅ……」
と鳴いた。
「どうしたの?」
私はしゃがみ込んだ。
パンダは私を見る。
私も見る。
しばらく見つめ合う。
そして。
てく。
一歩。
てく。
もう一歩。
「……?」
パンダが私の足元まで来た。
そして、
ぎゅっ。
私の足に抱きついた。
「え?」
思わず固まる。
「ちょっと……」
パンダは離れない。
「……もしかして、お腹空いてるの?」
「きゅ」
「困ったなあ」
私は持っていたお弁当を見る。
中には朝、祖父が持たせてくれたパンと果物が入っていた。
「……果物なら食べる?」
「きゅ!」
反応が早い。
「ふふっ」
私は笑って果物を差し出した。
パンダは夢中になって食べ始める。
その姿を見ているうちに、胸の奥がぽかぽかしてきた。
「……かわいい」
思わず呟く。
パンダが顔を上げる。
「パンちゃん、可愛いでチュね~」
するとパンダは、
「きゅ~」
と嬉しそうに鳴いた。
その瞬間。
私は決めた。
「うちに来る?」
パンダが止まった。
「……?」
「うちなら、おじいちゃんもいるし」
「……」
「ご飯もあるよ」
パンダが立ち上がる。
てくてく。
私の隣に来る。
そして、また足に抱きついた。
「ふふっ」
私はパンダを抱き上げた。
「じゃあ、一緒に帰ろう」
こうして私は、パンダを拾った。
――ただし。
この時の私は知らなかった。
この小さなパンダが、普通のパンダではなかったことを。
家に帰ると、祖父が目を丸くした。
「……ミナ」
「ただいま」
「その腕に抱いとるものは何じゃ?」
「パンダ」
「それは見れば分かる」
祖父は額を押さえた。
「野生のパンダを拾ってきたのか?」
「うん」
「届け出は?」
「……まだ」
「明日、役所へ行きなさい」
「はーい」
その夜。
パンダは私の布団の隣で丸くなって眠った。
私はその小さな背中を撫でながら、明日のことを考えた。
「名前、どうしようかな」
パンダは眠ったまま、
「きゅ……」
と鳴いた。
「……パンちゃんでいいかな」
我ながら安直だ。
でも、気に入った。
「おやすみ、パンちゃん」
私は目を閉じた。
翌朝。
私と祖父とパンちゃんは、村の役所へ向かった。
「野生のパンダを拾いました」
私がそう言うと、受付のお姉さんはにっこり笑った。
「はい。では、保護した場所を教えてください」
「村の西にある森です」
「なるほど。怪我はありませんか?」
「たぶん大丈夫です」
「では、種類を確認しますね」
お姉さんは慣れた手つきで台帳を開いた。
この辺りでは、パンダを拾った場合、役所に届け出るのは珍しいことではない。
野生のパンダをペットにするには許可が必要だし、怪我をしたパンダなら保護施設へ送られる。
だから私は、特に何も考えていなかった。
「ええと……普通種……」
お姉さんがパンちゃんを見る。
「……?」
ペンが止まった。
「……もう一度、見せてもらってもいいですか?」
「はい?」
「その子のお顔を」
私はパンちゃんを少し持ち上げた。
「はい。どうぞ」
「…………」
お姉さんがじっと見る。
パンちゃんも、お姉さんを見る。
「きゅ」
「………………」
お姉さんの眉が、ぴくりと動いた。
「少々お待ちください」
そう言って、奥へ消えていく。
「?」
私は首を傾げた。
すると祖父が小声で言った。
「……何か変じゃな」
「そう?」
「うむ」
しばらくして、お姉さんが戻ってきた。
その手には、さっきまで見ていた台帳とは違う、ずいぶん古そうな本があった。
表紙は擦り切れている。
金色だったらしい文字は、ほとんど消えていた。
「……こちらを確認します」
「はい」
お姉さんが本を開く。
一枚。
二枚。
三枚。
そして――。
ぴたり。
手が止まった。
「…………」
「どうしました?」
返事がない。
お姉さんは、古い本の中に描かれた絵と、私の腕の中にいるパンちゃんを交互に見ている。
「……まさか」
小さな声だった。
「何か分かりました?」
「いえ……まだです」
お姉さんは立ち上がった。
「少々お待ちください!」
今度は走っていった。
「……?」
私が祖父を見る。
祖父も困った顔をしている。
その時だった。
奥から、
「院長を呼んで!」
という声が聞こえた。
「え?」
「古文書管理官も!」
「は?」
「王都通信を!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
役所の中が急に騒がしくなった。
職員が何人も走り回っている。
「何が起きたんじゃ……」
祖父が呟く。
私も分からない。
分からないけれど。
腕の中のパンちゃんだけは、いつも通りだった。
「もきゅ」
「……」
私はパンちゃんの頭を撫でた。
「大丈夫?」
「もきゅ」
やがて。
奥から、一人の老人が現れた。
この役所で一番偉い人らしい。
白い髭。
立派な服。
胸には王家から与えられた役職章。
その人は、何も言わずに私のところまで歩いてきた。
「その子を……」
老人が言った。
「もう少し近くで見せてもらえますかな」
「はい」
私はパンちゃんを抱き上げた。
老人は目を細める。
右の耳。
左の耳。
目の周りの模様。
鼻。
前足。
そして――尻尾。
「…………」
老人の顔から血の気が引いた。
「そんな……」
誰かが呟いた。
「どうしたんですか?」
私が尋ねる。
老人は答えない。
代わりに、持っていた古文書を開いた。
そこには一枚の絵があった。
黒と白の小さなパンダ。
今よりずっと古い時代に描かれたものらしい。
その絵の下には、古代文字が書かれていた。
老人が震える声で読み上げる。
「……始まりの白黒」
「?」
「世界に最初の緑を呼び……」
老人が、絵とパンちゃんを見比べる。
「……人の時代の終わりと、森の時代の始まりを見届けたもの」
私は黙って聞いていた。
意味がよく分からない。
老人はページをめくった。
そこには、さらに詳しい特徴が描かれている。
「耳の形……一致」
「目の模様……一致」
「爪の数……一致」
「尻尾……」
老人の声が震える。
「……一致」
部屋が静まり返った。
「そんな……」
「生きているはずが……」
「伝説でしょう?」
「だが記録と一致している!」
職員たちがざわめく。
私はますます分からなくなる。
「あの……」
私が声を上げた。
「結局、この子は何なんですか?」
老人が私を見る。
しばらく黙っていた。
そして。
古文書を閉じた。
「……伝説のパンダです」
「伝説?」
「正式な記録が残る中で、最も古い系統のパンダ」
「……」
「この子は、おそらく――」
老人がパンちゃんを見る。
その瞬間だった。
パンちゃんが、
「きゅ」
と鳴いた。
老人の眉間に刻まれていた深い皺が、ふっと緩んだ。
「…………」
そして。
「……可愛いですな」
「え?」
「非常に可愛いですな」
老人がパンちゃんを見つめる。
「パンちゃん可愛いでチュね~~~~」
「…………」
さっきまで張り詰めていた役所の空気が、一瞬で消えた。
「可愛いでチュね~」
「本当に……!」
「伝説のパンダ……!」
「こんなに小さい……!」
「お腹空いてないでチュか~?」
職員たちが次々に集まってくる。
私は慌ててパンちゃんを抱きしめた。
「パンちゃんが可愛いのは当たり前です!」
老人が咳払いをした。
「失礼」
そして真剣な顔に戻る。
「お嬢さん」
「はい」
「そのパンダは、国の歴史に関わるほど貴重な存在です」
「……」
「王都へ報告しなければなりません」
「王都……?」
「はい」
老人は頷いた。
「国王陛下に、直接お知らせします」
「ええっ!?」
私は思わず声を上げた。
腕の中では、当の本人――いや、本パンダが。
「もきゅ」
とのんびり欠伸をしていた。
私はパンちゃんを見る。
パンちゃんも私を見る。
「……王様に会うの?」
「もきゅ」
「怖くないの?」
「もきゅもきゅ」
「……そっか」
私はパンちゃんの頭を撫でた。
「じゃあ……一緒に行こうか」
「きゅ!」
その日。
村の小さな役所から、王都へ向けて一通の緊急文書が届けられた。
そこに記された報告は、たった一行。
――伝説のパンダ、生存を確認。保護者は十五歳の少女。
その報告を受けた王宮では。
国王が椅子から立ち上がり、
「……なに?」
と呟いた。
そして報告書に添えられていた古い絵を見た。
数秒後。
「パンちゃん……可愛いでチュね~~~~」
王宮が、大騒ぎになった。
そして翌朝。
私の家に、王家の馬車がやってきた。
私は知らなかった。
この小さなパンダとの出会いが、
失われた古代文明の秘密を知る旅の始まりになることを。
世界中の人々がどうしてパンダを見ると、
「パンちゃん可愛いでチュね~」
と言ってしまうのか。
その理由を、いつか知ることになるなんて。
「パンちゃん」
「きゅ?」
「王宮、行ってみようか」
「きゅ!」
「ふふっ」
私はパンダを抱き上げた。
「じゃあ行こう」
緑に包まれた世界へ。
パンダが暮らす、平和な世界へ。
私とパンちゃんの物語は、ここから始まった。




