縫い目しか取り柄のない伯爵令嬢ですが、避難用の天幕を救ったら無口な染物師に求婚されました
「縁談より針がお好きなのね?」
挨拶を失敗してから、まだ十秒も経っていなかった。
「はい。針は、こちらが黙っていても機嫌を損ねませんので」
しまった。
伯爵令嬢として正しい返答は、たぶんそれではない。奉仕婦人たちの口元が、揃って妙な形にゆがんだ。笑うべきか気遣うべきか、決めかねている顔だ。
夜会の愛想笑いなら、とっくに糸が切れて床へ落ちている。布のほうは、まだ救えた。
私は長机の端に置いた裁縫箱を開いた。
教会へ寄付された外套は、右脇の縫い糸が三寸ほど切れていた。裂けてはいない。表布と裏地をずらして力を逃がし、古い針穴を拾えば、傷は増やさずに済む。
「ヴェロニカ。お返事が少し率直すぎたのではなくて?」
母のアンリエットが、扇を閉じるより速い口調で言った。
「でも、嘘ではありません」
「嘘をつけとは言っていません。角を丸くなさいという話です。あなたは縁談の席でも、お相手の襟のほつれを見ていたでしょう。指にもまた傷が増えて。そんな手では——」
「お母様、布にも聞こえます」
「布は縁談を断りません!」
とうとう奉仕婦人たちが吹き出した。
私の会話は本日も見事に裂けたが、外套の脇は閉じた。こちらは上出来だ。
「表よりこっちを皆に見せたいね」
世話役のマグダが、仕上がった外套を裏返して笑った。
「裏を見せて歩く外套は、少々寒いと思います」
「そういうところだよ、お嬢様」
何がそうなのか尋ねる前に、教会の扉が開いた。
巻いた防水布を肩に担いだ青年が入ってくる。濃い藍色の袖を肘までまくり、片腕で布を支えたまま、もう片方の手で扉を閉めた。荷を床へ落とさない。濡れた靴のまま寄付品へ近づかない。運び方に無駄がなかった。
「染物師さん、こちらへ。冬の避難用よ」
マグダに呼ばれた彼は、防水布を指定された棚へ置いた。表の色を確かめるより先に、私の手元の外套を裏返して見る。
令嬢の顔より縫い目を先に見る人は、初めてだった。
「そこ、二重ですか」
「力がかかる場所なので」
「糸は麻?」
「蝋引きです。濡れても緩みにくいですから」
彼は一度だけうなずいた。
「ジュリアンです。染物工房を継いでいます」
「ヴェロニカです。外套を継いでいます」
母が額を押さえた。
ジュリアンさんは笑わなかった。ただ、もう一度だけ、縫い目を見た。
* * *
「これは洗えば裂けます」
翌週、私は寄付された敷布の端を両手で引いた。
表から見れば、白糸で美しく閉じてある。けれど裏では裂け目の両側がそのまま突き合わされ、細い糸だけが全責任を負わされていた。夜会で私一人に会話を任せた時と同じだ。負担の配分に無理がある。
「まあ、こんなにきれいなのに?」
「きれいに破れ直します」
奉仕婦人の一人が敷布を引き、ぷつ、と糸を一本切った。
「お嬢様の予言が早い」
「布は人より素直ですから」
「また縁談に刺さりそうなことを」
私は聞かなかったことにして、二度目の裁縫箱を開いた。
残り糸を指にかけ、敷布の布目と太さを比べる。補強布は同じ麻でも、少しだけ薄いものがいい。厚すぎれば境目へ力が集まり、そこから新しく裂ける。
傷の両側へ橋を渡す幅で布を当て、角を丸く切った。まず裏から粗く留める。次に裂け目と平行ではなく、斜めへ針を運ぶ。引かれる力を一列に集めないためだ。
ひと区画を縫い終え、両端をマグダに持ってもらった。
「遠慮なく引いてください」
「令嬢に言われる台詞とは思えないね」
「私も令嬢に言う台詞とは思っていません」
二人で引いても、布は平らなままだった。
「乾かした後の縮みまで見ていますね」
いつからいたのか、ジュリアンさんが私の斜め後ろに立っていた。驚いて針を落としかける。会話は落としても拾わないが、針は拾う。危ないので。
「補強布の縦糸を、敷布と同じ向きに揃えてある。水を吸った後、別々の方向へ縮まない。縫い幅も、麻糸が膨らむ分だけ空けています」
褒められたのは私ではない。縫い目だ。
では、どうして耳まで熱いのだろう。縫い目に聞いても返事はなかった。
「濡れたまま縫えば、だめですか」
奉仕婦人が尋ねた。
「乾いた時に布が縮みます」
ジュリアンさんが短く答え、補強した部分をもう一度引いた。
「糸だけ縮み方が違えば、縁から裂け直す。この縫い方なら持ちます」
短い評価が、胸の奥へ妙に深く刺さった。針なら抜き方を知っているのに、これはわからない。
「残りも同じように直せますか」
「はい。一人なら今日中に十二枚」
「一人で?」
彼の眉間に、細いしわが寄った。
「針は機嫌を損ねませんので」
「手は損ねます」
会話なのに、正面から返事が来た。
困る。非常に困る。嬉しいではない。たぶん。おそらく。裁定は保留にして、私は新しい糸を針へ通した。
* * *
それから数週間、私は教会へ通った。
寄付された毛布の端をかがり、外套の留め具を付け直し、避難用の天幕四張りへ補強布を当てた。ジュリアンさんは染め上がった布の乾燥を終えると教会へ来て、織り方向を確かめ、私が選んだ糸へ遠慮なく異論を述べた。
「その糸は水を吸いすぎます」
「では、こちらは?」
「細い」
「二本取りなら?」
「針穴が大きくなる」
「蝋を薄く引きます」
「それなら」
彼との会話には、私が苦手とする美しい余白がなかった。布、糸、針、用途。必要なことを言えば返事が来る。夜会なら三曲分かけても到着しない理解へ、私たちは十秒で着いた。
奉仕婦人たちは、いつしか私を見ると敷布を裏返すようになった。
「お嬢様、裏を見てください」
「ここは持ちますか」
「これは洗ったら離婚しますか」
「その縫い合わせは婚姻関係ではありません」
「でも別れそうでしょう?」
「別れますね」
作業中だけ、皆から遠慮が消えた。たいへん居心地がいい。社交界にも全員で針を持って参加すればよいのではないか。危険物の持ち込みで入口から断られそうだが。
暴風が来たのは、冬支度が終わる三日前だった。
昼を過ぎた頃から教会の窓が鳴り、夕刻には鐘楼の鐘まで風に引かれて勝手に鳴った。街道沿いで荷馬車が立ち往生し、避難者がこちらへ向かっていると知らせが来た直後、外から何かが裂ける音がした。
布の悲鳴を、私は聞き違えない。
「天幕!」
マグダが扉を開けた。風が雪混じりの雨を投げ込み、燭台の火が一斉に伏せる。
教会裏へ駆けると、四張りのうち二張りが倒れ、残る二張りも風下側が大きく裂けていた。杭は抜けていない。濡れた幕だけが綱に引かれ、補強箇所の外側から裂けている。
私は裾をたくし上げ、泥へ膝をついた。
「お嬢様、縫える?」
奉仕婦人の声が風にちぎれた。
「今は無理です!」
濡れた布は重い。針を通しても穴が広がる。しかも、この風の中で幕を起こしたまま直せば、縫ったそばから裂ける。
避難者は街道から二十七人。教会内の空きは、詰めても十五人分。残り十二人を入れるには、少なくとも二張り。できれば四張りすべて必要だ。
頭の中で数字が整列した。こういう時だけは、私の思考は夜会へ迷い込まない。
「綱を外します。先に風上、次に風下! 幕を地面へ下ろして、四隅を押さえてください!」
「この重さをどうするの!」
「持ち上げません。端から巻きます。水を外へ押しながら!」
私が風上の綱を外し、マグダが柱を支えた。三人が幕の端を踏み、一人が泥を払う。濡れた布を腕力で抱えれば腰を傷める。半幅ずつ折り、丸太のように転がす。
だが教会の中で広げれば、床も毛布も濡れる。暖炉の前へ置けば表だけが急に乾き、布目がゆがむ。
「工房へ運びます」
背後からジュリアンさんの声がした。
荷車を引いてきた彼は、泥へ降りるなり裂け目ではなく幕全体へ目を走らせた。
「乾燥架が空いている。幅は足ります」
「四張りです」
「二往復する。最初に傷の浅い二張りを」
「いいえ。深い二張りからです。浅いほうは、教会の回廊へ仮張りできます」
彼が私を見る。
異論が来る。私は待った。
「運搬中に裂け目が広がります」
「裂け目の両端を巻き込んでください。綱を芯にして三周。引きずらなければ持ちます」
「わかりました」
それだけで彼は動いた。
私たちは破れの大きい幕を長辺から巻き、裂け目が外へ露出しないよう内側へ折った。ジュリアンさんが中央を肩へ担ぎ、私と奉仕婦人二人が両端を持つ。持ち上げるのは一度。荷車まで七歩。声を揃え、泥に足を取られた人が出たら即座に下ろす。
「一、二、三!」
布の重さが腕へ食い込んだ。七歩目で荷台へ滑らせ、綱を対角にかける。もう一張りも同じ手順で載せた。
「マグダ、こちらはお願いできますか」
「誰に物を言ってるんだい。十二人、全員使うよ!」
彼女が鐘楼の綱を三度引いた。
散っていた奉仕婦人たちが集まる。顔ぶれを数え、私は作業台の中央へ三度目の裁縫箱を置いた。
「必要なのは、乾燥に四人、補強布の裁断に二人、仮留めに二人、本縫いに四人です。最初の一か所だけ私が縫います。残りは皆さんにお願いします」
口にしてから、自分で驚いた。
お願いします。人へ渡す言葉だ。
「指示を!」
十二人の声が重なった。
「四人はジュリアンさんと工房へ。布を乾燥架へ広げて、表面の水を布目に沿って押し出してください。火へ近づけすぎないで。二人は補強布を取りに倉庫へ。麻の厚手、腕二本分の幅。二人は回廊へ縄を張って、傷の浅い幕を干す。残る四人は針へ蝋引き糸を通して待機!」
三度目には、誰も聞き返さなかった。
十二人が別々の持ち場へ走った。
「もう裏側だけじゃない。働いた十二人ごと自慢したいよ!」
マグダが私の肩を一度叩き、自分も回廊へ駆けた。
私はジュリアンさんの荷車へ飛び乗った。
「お嬢様を荷台へ乗せてよかったんですか!」
誰かが叫ぶ。
「今は針仕事の者です!」
「その身分、便利!」
荷車が動いた。車輪が泥を跳ね上げ、教会の壁が後ろへ流れる。私は荷台で幕を押さえた。ジュリアンさんは前を向いたまま、片手だけを後ろへ伸ばし、私の腰帯をつかんだ。
「落ちません」
「確認できません」
「見ていないからでしょう!」
「だからつかんでいます」
反論が強い。物理的にも強い。私は荷台から落ちなかったが、心臓の位置は少しおかしくなった。
工房の乾燥場では、天井近くに太い横木が三列通り、滑車付きの架が吊られていた。染め布を広げて乾かすための設備だ。火床から距離を取り、風の通り道だけを使える。
「南側の架を下ろします」
ジュリアンさんが滑車の綱を引く。私たちは巻いた幕を床でほどき、裂け目を支えながら架へ載せた。
「水を押します! こすらないで、手のひらで布目に沿って!」
四人が二人ずつ交代し、中央から端へ水を送る。床へ落ちた水は、待機する二人が布で吸う。片面を終えたら架を半回転させ、裏面も同じように押した。
「火床を一段下げます」
「乾きませんよ?」
「急げば縮む」
ジュリアンさんの一言で、薪を足そうとしていた手が止まる。
裂け目の縦糸は伸び、横糸は詰まっていた。私は指の腹で触れ、湿り気を比べる。表だけ温かくても中が冷たいなら、針を入れてはいけない。
「次の幕を運んできます」
「私も」
「あなたは布目を見て」
「運ぶ人が足りません」
「マグダさんが増やします」
言い終える前に扉が開いた。
「増やしたよ! 教会の男手を六人、荷車をもう一台!」
マグダは暴風まで叱りつけそうな顔で入ってきた。
「お嬢様はそこ。染物師さんは荷車。ほら、分業ってのは口だけじゃないよ」
私は反射的に「でも」と言いかけた。
乾燥架の周りで、奉仕婦人たちが私を見ていた。指示を待っている。私が幕を運びに行けば、この場の判断が止まる。
「……お願いします」
「はいよ!」
マグダとジュリアンさんが出ていく。
私は残った二人に補強布を広げてもらった。裂け目より上下左右に一掌ずつ大きく取る。角は丸く。布目は幕と同じ方向。四張り分を一度に切るが、裂け方が違うので寸法は揃えない。
「こちらは長く。そちらは二枚へ分けてください」
「一枚ではだめ?」
「裂け目が曲がっています。一枚で覆うと、曲がり角に力が集まります」
「夜会の会話みたいに?」
「無理につなげると、どこかが破れます」
婦人たちが笑った。
笑いながら、手は止めない。ありがたい。私の会話の失敗が、とうとう作業指示として役に立った。人生は何を補強布にしてくるかわからない。
二張り目が届く頃、一張り目の表面から冷たさが消えた。
私は一番長い裂け目の前へ座った。裏へ補強布を当て、中心から外へ仮留めする。最初から端を固定すれば、余った布が最後に波打つ。
「針の間隔は指一本。糸を引き切らず、布が平らになったところで止めてください。きつく締めると——」
「令嬢の愛想笑いになる!」
四人が合唱した。
「そこまで教えていません!」
「でも切れるんでしょう?」
「切れます!」
最初の一か所を縫い終え、私は針を隣の婦人へ渡した。
手が空いた。
落ち着かない。自分の仕事を誰かへ預けると、胸の前が無防備になる。針を握っていなければ、私は何をすればいいのだろう。
「次を見てください」
戻ってきたジュリアンさんが、二張り目を私の前へ広げた。
「あなたにしか決められない順序があります」
私は裂け目へ触れた。
そうだ。全部を縫うことだけが仕事ではない。どこから直せば十二人の手が無駄にならないか、それを決める人間が要る。
「こちらを先に。横糸が切れています。補強を二枚、十字に重ねます」
「乾燥は?」
「あと四半刻。北側の架へ移して、風だけ当ててください」
ジュリアンさんが架を動かす。私は三張り目、四張り目の状態を確認した。乾いたものから仮留めへ渡し、本縫いの列を増やす。針の不足は交代制で補った。糸の残量を一張りごとに分け、途中で足りなくならないよう短い裂け目には細い糸を回す。
やがて、一張り目の本縫いが終わった。
「持ちますか」
婦人たちが息を詰める。
「まだです。張って確かめます」
外は暗くなり、風は弱まるどころか工房の戸を叩き続けていた。私たちは完成した幕を乾いた布で包み、荷車へ載せた。
教会裏で、柱を二本ずつ起こす。幕の四隅を仮留めし、風上側の綱から張る。一気に引かない。右を一尺、左を一尺。布のしわを中央から外へ逃がす。
「右、もう半尺!」
「こちらは?」
「待って! 先に奥を張ります!」
柱が立ち、幕が風を受けた。
裂け目の跡へ力が走る。私は補強部分に手を当てた。布が震え、その震えが掌から腕へ上がってくる。縫い糸は沈み込んだが、切れない。補強布の縁も浮いていない。
「持っています!」
誰かが叫んだ。
「まだ二張り目!」
喜ぶのは後だ。私は次の綱へ走った。
二張り目。三張り目。四張り目。
最後の幕を起こす時、右手の人差し指が滑った。濡れた綱が、針で裂けていた皮膚をこすった。
熱い。
手袋の内側へ血がにじむ。
私は手袋を握り込み、反対の手で綱をつかんだ。
「右を張ってください。あと半尺」
「ヴェロニカさん」
「半尺です!」
ジュリアンさんが私の手首をつかんだ。
「手を見せて」
「これが終わってから」
「私が張ります」
「張力を見なければ」
「口で言ってください」
私は振りほどこうとした。彼の手は強かったが、痛む指へは触れなかった。
「私がやらないと」
「もう、あなたがやっています」
背後からマグダが私の腰を抱え、綱から引きはがした。
「お嬢様は見る。あたしたちが引く。染物師さんが柱。ほら、残りは一尺かい、半尺かい?」
奉仕婦人たちがそれぞれの綱を握っている。
誰も私の針を奪っていない。仕事を受け取って、続きをしている。
「……右、半尺。左はそのまま。奥の綱を指二本分だけ緩めてください」
「右、半尺!」
「左、そのまま!」
「奥、指二本!」
指示が合唱になり、四張り目のしわが消えた。
風が幕を膨らませる。
縫い目は持った。
街道から到着した人々が、一張りずつ天幕へ入っていく。濡れた外套の子ども、足を痛めた老人、荷を抱えた夫婦。二十七人全員が、風の外へ収まった。
奉仕婦人の一人が、補強箇所の裏側を避難者へ見せていた。
「ここ、お嬢様が考えたんですよ。私たちが縫ったんですけどね!」
「そこは両方言ってください!」
「だから両方言いました!」
笑い声が幕の内側へ広がった。
私は返事をしようとして、歯が鳴った。
寒さだけではないらしい。立っている地面が、急に頼りなくなった。ジュリアンさんが肩を支え、私を教会の作業室へ連れていく。
「座ってください」
「片づけが」
「十二人います」
「糸の残りを」
「マグダさんが数えています」
「私は——」
「手を」
低い声だった。
私は手袋の留め具へ指をかけた。うまく外せない。ジュリアンさんが私の前に膝をつき、片方ずつ解いた。
布が裂けた時なら、傷の長さも深さも見られる。自分の指だけは、どうしても見たくなかった。
それでも私は、握り込まずに差し出した。
人差し指の腹が割れ、親指の付け根も赤く擦れている。中指には針傷が重なっていた。
ジュリアンさんの眉間が狭くなる。
「縁談に不利な手でしょう」
母に言われた言葉を、なぜ今ここで使ってしまったのだろう。
彼は返事をせず、ぬるい湯で汚れを落とした。清潔な布を細く裂き、指先へ薬を塗る。染め布を扱う人の手は大きく、節が硬い。その手が、私の傷へ触れる時だけ震えていた。
「痛みますか」
「少し」
「嘘ですね」
「角を丸くしました」
「丸くなっていません」
包帯が一周、二周と巻かれる。
作業室の外では、まだ人の足音が続いている。けれど誰も扉を開けなかった。
「あなたの仕事を尊敬しています」
ジュリアンさんは私の手を支えたまま言った。
「布の裏を見て、裂ける前に力の行き先を見つける。今日も、四張りを自分で縫ったから救えたのではありません。十二人へ正しく仕事を渡したから間に合った」
胸の奥へ、一本ずつ糸を通されているようだった。
「でも、今は縫えません」
「はい」
否定してくれない。
包帯に包まれた指は、針を持てない。糸も結べない。明日になっても、おそらく無理だ。
「縫えない私は、ここにいる理由がありません」
声に出した途端、それはあまりにも小さく、みじめな形をしていた。二十二年かけて隠してきたものが、たった一文だった。
「夜会では話せません。人が笑った時に一緒に笑うのも遅れます。誰かの妻になっても、客を楽しませることも、気の利いた返事をすることもできない。縫える時だけです。私が役に立てるのは」
ジュリアンさんが顔を上げた。
「私は、工房の働き手を探しているのではありません」
「では、何を」
「妻です」
聞き間違えたのかと思った。
だが彼は目をそらさなかった。私の手を握る指だけが、包帯より細かく震えている。
「工房には職人がいます。注文を管理する者も、染料を買い付ける者もいる。住居は二階です。南の部屋を空け、作業台を窓際へ置けるよう床も見てもらいました。あなたが来ると決まる前から、そうしたかった」
いつから、と尋ねそうになった。
彼は確認できないことを言わない人だ。だから私は、尋ねずに聞いた。
「なぜ、私ですか」
「失敗した挨拶の後、何も言えなくなって外套を縫っていたあなたを見ました。敷布を褒められて、耳を赤くしながら針へ糸を通し直したのも。自分の指が傷んでも、役に立てないと言われるほうを怖がるのも知っています」
包帯の端を留め、彼は私の両手を掌へ載せた。
「補修の腕を尊敬しています。それとは別に、私はあなたを愛しています。縫い目が整っている日だけではありません。挨拶を失敗して黙り込む日も、何も縫えずに休む日も、あなたに隣にいてほしい」
目の前がにじんだ。
うつむくと、包帯の上へ雫が落ちた。一つで止まるつもりだったのに、次が落ち、その次は彼の指へ落ちた。
「何もできない日は、怖いです」
「怖いと言ってください」
「何度も言うかもしれません」
「何度でも聞きます」
「面倒では」
「確認が必要です」
ジュリアンさんは、そこで一度息を止めた。
「ヴェロニカさん。爵位を離れる手続きも、教区への登録も、あなたの家の同意が要ることも調べました。工房と住居は私の名義で、借財はありません。あなたに無理をさせず暮らせるだけの蓄えもあります」
求婚に生活基盤の説明が付いてくる。私には、どんな詩より効いた。
「それでも、今の立場を捨てさせることになります。私が望むだけでは決められない。あなたが選んでください」
彼の手が震えている。
「私の妻になってくれますか」
天幕はもう立っている。避難者は守られた。私の仕事は終わった。
それなのにこの人は、仕事を終えた私を帰そうとしない。
どうしよう。何も縫えない手なのに、人生でいちばん欲しかったものを受け取れてしまう。
「私も」
喉が詰まり、最初の言葉がほどけた。
ジュリアンさんは急かさなかった。
「私も、あなたと暮らしたいです。妻にしてください。縫える日も、縫えない日も」
「はい」
彼の返事が崩れた。
次の瞬間、肩を抱かれた。傷ついた手を挟まないよう、背と後頭部だけを支える、不器用で慎重な抱擁だった。
私は彼の胸元へ額を押しつけた。声を隠そうとしても、息が何度も引っかかる。彼の服をつかめない代わりに、包帯の手を胸へ置いた。
その下で、彼の鼓動が暴風より騒がしかった。
「ジュリアンさんも、怖いのですか」
「非常に」
「無口な人は、もっと落ち着いて求婚するものだと思っていました」
「確認できないことを言わなかっただけです」
「今は確認できましたか」
腕が少しだけ強くなる。
「できました。もう離しません」
無口な人の求婚は、最後だけたいへん物騒だった。
* * *
母は私たちの話を聞く間、三度口を開き、三度とも閉じた。
四度目に尋ねたのは、私の指でも縁談でもなかった。
「工房と住居はあなたの所有ですね?」
「はい」
「借財は?」
「ありません」
「教区への婚姻登録には保証人が二名必要です。伯爵家から一名出します。娘の身分離脱の届出は、受理まで二十日ほどかかりますが」
「待ちます」
「そう。では、ヴェロニカ」
母は早口を止めた。
「あなたが決めたのね?」
「はい」
「なら、書類を整えましょう」
それだけだった。
爵位上の進路を閉じる届出、伯爵家の同意、教区への登録。二十日と署名四つと受領印二つ。人生の大変更は、紙の上では驚くほど場所を取らなかった。
代わりに場所を取ったのは、奉仕婦人たちである。
「結婚衣装を一人で縫ったら承知しませんよ!」
「十二人で分担です!」
「お嬢様は最初の一か所だけ!」
「それでは誰の衣装かわかりません」
「皆の友情が裏にびっしりですよ」
「重そうですね」
工房の作業台を囲んだ十二人が、一斉に笑った。
窓際には私の席がある。今日は糸の仕分けをする予定だった。ところが椅子へ座って三秒後、向かいにいた婚約者が私の右手を見た。
「赤いですね」
「どこがですか」
「人差し指」
「昨日、紙で少し切っただけです」
「今日は休んでください」
「糸を色別に分けるだけです」
「触らないで」
「この程度で仕事を止めていたら——」
ジュリアンさんは糸籠を抱え、私の手が届かない棚の上へ置いた。
高い。非常に高い。背伸びをしても無理だ。婚約者の身長を利用した職権濫用である。
「座っていてください」
「座って何をすれば?」
「隣にいてください」
奉仕婦人たちから、十二人分の含み笑いが聞こえた。
私は包帯の取れた指を膝へ置いた。何もしない手は、まだ少し落ち着かない。
けれど、隣の席は空けられたままだ。
「では、見ています」
「はい」
「布ではなく、あなたを」
ジュリアンさんの耳が赤くなった。
これはなかなか楽しい。縫い目を褒められた時の仕返しとしては、上出来だろう。
婚約者は私の指先を三秒見ただけで作業台から追い出す。無口な人の過保護は、たいへん手際がよかった。




