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雪花織りの魔女

魔女は魔法をかき混ぜる

作者: 紫よか
掲載日:2026/03/27

 町の外から歩いて、森の入り口にたどり着くところの小道に、小さな薬屋『スノウベル』はある。朝の光がまだ淡いころ、店の奥の作業部屋では、すでにひとつの釜がゆっくりと息づいていた。

 

 木べらでとろりとした金色の液を混ぜるのは、淡い雪色の髪を束ねた幼い少女、魔女のリリィだ。薬草を煮詰める甘い匂いが部屋に満ち、蒸気がふわりと頬をなでる。

「うん……いい感じ」

 リリィはひとりごとのように優しくつぶやき、火加減をまた少し弱めた。町の人から頼まれた“咳止めの薬”は、朝のうちに仕上げなければならない。気忙しさはあるのに、釜を混ぜる手つきだけは不思議なほど落ち着いている。

 扉の影で、それをじっと見守る影がひとつあった。黒い大きな狼の姿で床に伏せる彼女の使い魔、ローウェルだ。リリィが釜を混ぜる音は、彼にとっては風が枝を揺らす音と同じ───ささやかだが、確かに世界を形づくる音だった。

 

(昨日も今日も混ぜているな……薬も、スープも、おかゆも……まったく、あの子の一日は、混ぜることでできている)

 

 森の奥で泣いていた小さな包みを拾った日から、ずっとだ。

 

 ローウェルは目を細めた。鼻先をくすぐる薬草の香りは嫌いではない。むしろ、リリィの生きている証のようで、胸の奥がふっと温かくなる。

 少女は振り向き、にこりと笑った。

「ローウェル、おはよう。……お薬、もう少しでできるよ」

 その笑顔に、狼は小さく尻尾を揺らした。


 ふたりの朝食はパンにチーズとリンゴを挟んだサンドイッチだった。食べながら、リリィは出来上がった金色の飲み薬を瓶に詰め、蓋に緑色のリボンを結んでいた。それを見たローウェルは眉をひそめ口を開く。先ほどまで狼の姿をしていた彼は、リリィとは真逆の黒髪の青年の姿に変化していた。

「リリィ、食べるか作業をするかどっちかにしろ」

「だって、アデルおばあさまの咳、早く良くなってほしいって……ヨハンおじいさまも言ってたもの」

「だとしても、だ。はしたないぞ」

「今はローウェルしか見てないもん」

「まったく……」

 こうなってしまったリリィには敵わない、とローウェルは肩をすくめる。お人好しでその上強情ばりの魔女、それが彼女だ。口の端にパンくずが付いているとローウェルが指でリリィの唇の端を拭うと、リボン結びを邪魔されたリリィは小さく口を開けてローウェルの指を甘噛みした。

「こら、リリィ!」

「うふふ。ローウェルこそ、チーズが落ちちゃいそう」

「あ……っと、危ない危ない」

 ローウェルがパンから跳ねたチーズをもう片方の手で受け止めるのを見たリリィは、悲しげに目を伏せた。

「きっとアデルおばあさま、今は喉が痛くてスープしか飲めないよ。ヨハンおじいさまとこうしてサンドイッチも食べられない。わたしそんなのイヤ。だから早く届けてあげないと」

「お前は本当に……お人好しだな」

「ふつうだよ?」

「普通じゃ……ああ、もう良い。身支度してすぐ行こう」

「うん!」

 ぱたぱたと足音を立てて皿を台所へ片付けに行くリリィの後ろ姿の、エプロンドレスのリボンが翻るのをローウェルは静かに見ていた。


これはとある世界の話。妖精や自然への信仰が深く根付いていた時代。

 世界の中の小さな国の隅っこで森と共に暮らす、薬屋の魔女と使い魔の物語のひとひら。春の出来事。


 小さな魔女はその白髪に青いリボンを着け、薄水色のワンピースにエプロンドレスを重ねていた。手に持ったバスケットにはリボンで飾った気遣いを入れて、はやくはやく! と使い魔の青年を呼べば、スカートの下の真っ白なペチコートがふわふわと揺れた。

 使い魔の青年はというと、黒いベストの上にショールを重ね、未だ少年とも言える身長のその背中をほんの少し猫背にしていた。ベストの下のシャツには赤い宝石でできたループタイが飾られているが、それが外に出ることはない。魔女が使い魔に贈ったものを、彼は後生大事に身につけて離さないのだ。狼の姿ではないのは、町の人がその大きな姿を怖がるから。それだけである。

「忘れ物は無いか? 財布は持ったか?」

「大丈夫! これでお勘定もばっちりだよ」

「そっか。なら良い……遊び用の財布は?」

「それもばっちり! マリアンヌお姉さんのパンとお菓子、買えるね!」

「よしよし」

 使い魔───ローウェルが魔女───リリィの頭をぽんぽんと撫でると、彼女はくすぐったそうにえへへとはにかんだ。おたがいに空いた手を繋いで、町へ向かう。



 魔法とは、妖精や精霊……自然が具現化した存在から力を借りて、この世の理を釜や鍋に入れた木べらのように混ぜてしまうものだ。使える存在は魔法使い、魔女などと呼ばれる。彼らを恐ろしいと疎む者もいれば、ありがたがる者もいる。

 この森の近くの町の人たちは、どうやら後者に近く、リリィとローウェルの力を借り、その交換にふたりの生活の手助けをしながらも、恐る恐る安全な位置から見ているような具合だ。



「アラ! リリィに森狼じゃない!」

「今日は町まで行くの? 何かご用事? ねえねえ、そんなのよりアタシたちと遊びましょうよ!」

「シルフィ。わたしたち大事な用事があるの。今日はダメだよ」

「えーっ。ぶーぶー」

 リリィとローウェルの周りに光の粒子が涼やかな春の風と共にまとわりつく。風の妖精、シルフィたちだ。羽の生えた子どものような姿をした彼らは、ローウェルにとっては時にわずらわしい羽虫のようであったが、リリィにとってはハーブたちに風を送る協力者であった。このように、リリィのような存在は妖精たちに懐かれる。隣人だと。友人だと。

「うるさいな、羽虫ども。噛み砕いて飲み込んでやろうか」

「おお怖い。そんな怖い顔しなくても、リリィに手出しなんてしないわよ」

「お前もあたしたちと同じ、森の者なのにね? リリィが来てからリリィのことばっかり!」

「シルフィもローウェルも! ケンカしないで!」

「やーだ、かわいいリリィったら。ケンカなんてしてないわ」

「本当……?」

「……本当だ」

 くすくす、きらきら。

 風妖精たちはふたりの頭に光をこぼし、森の方へ飛んでいく。「また今度ね!」「次は遊んでちょうだいよ?」と無邪気に言いながら去っていく彼らは、まさしく気まぐれな風のようだった。手を振ってシルフィたちを見送るリリィを見て、ローウェルはふんと鼻を鳴らした。

「もう。ローウェルったら、ローウェルだって森の妖精でしょ? それも、とっても古くて立派な。ちっちゃいシルフィたちに大人げないよ?」

「……あいつらと俺に大差は無い。風と木が共に生きてきたようにな」

「そうなの?」

「そうだ」

 今度はわしわしと、ローウェルはリリィの髪を撫でた。するとリリィはそのからかいに拗ねたように「あっ! もーっ!」と声を上げる。

「ローウェル!」

「さ、アデルとヨハンのところに行くんだろ? 早くしないと日が暮れる」

「そうだけど! ……ローウェルったら!」

 リリィが持っていたバスケットをひょいと持ち上げ、すたすたとリリィの幼い歩幅も気にせず歩くローウェルに、彼女は空いてしまった手で彼と繋いである方の手を叩くことで抗議の意を示すだけ示した。そんなことも気にしないローウェルの足元で、たんぽぽの花が彼が巻き起こした歩みの風によって揺れた。


 

「おや、魔女の子だ……」

「スノウベルが来たぞ……」

「お兄さんも一緒だわ」

 

 珍しいものを見るように、興味とほんの少しの怯えと共に、町の人たちはリリィとローウェルの歩みを見ていた。いつものことである。ローウェルは、自分がリリィの兄だと思われていることには悪い気はしなかったが、リリィが好奇の目で見られるのは我慢ならなかった。はあ、と息を吐きリリィを見下ろすと、ぱちんと彼女と目が合う。

「お兄ちゃんは怒らないんだよ?」

「お前、俺がいつも怒ってるやつだと思ってるのか?」

「だってまゆげ、きゅってなってるもん。町に来るといつもそう」

「なってない」

「なってるもん。……あ、着いたよ」

 軽い言い合いという名のじゃれ合いをしていると、いつのまにか目的の場所に着いていた。ヨハンとアデルの老夫婦の家だ。若い頃は町一番の美男美女であったふたりは、今はこうして静かに暮らしている。こんこんとリリィがノックをすると、がちゃりと音を立てて、歳のわりにすっとした背筋の老爺が出てきた。ヨハンだ。

「リリィにローウェルか。待っていたよ、スノウベルさん」

「おはよう、ヨハンおじいさま」

「……おはようございます」

「春とはいえまだ風は冷えるだろう。中へお入り」

「ありがとう」

 中に入ると、ヨハンの後ろには白い絹のドレスを着た女性が控えていた。お辞儀をする貴婦人然とした彼女に返事を返そうとしてしまいそうになるのをリリィは口を手で押さえ、ヨハンの案内に従って横をすれ違っていく。こういう妖精もいる。旧家に現れる、普通の人間には姿の見えない彼女たちは、こっそりと家事の手伝いをしてくれるのだ。気づいて仕事を取ってしまうと、逆に散らかしてしまう天邪鬼な顔を持つ存在でもある。なので、ヨハンが察しないようにリリィは口を押さえたのだ。

「さあ、こっちだ。アデル、スノウベルさんが来たよ」

 ヨハンが扉を開けると、三人の背後に控えていた白い女性はさらさらとドレスの裾をなびかせる音を立てて去っていった。

 部屋の中にはベッドがあり、たっぷりとした髪を三つ編みで一つに結んだ老婆がいた。彼女がアデル、ヨハンの妻である。彼女は編み物の手を止めると、小さな魔女たちに微笑んだ。

「おはよう。良い朝ね、小さな魔女さんとそのお兄さん」

「アデルおばあさま、おはよう。お薬、持ってきたよ」

 はずむ声でそう言って、リリィはローウェルから返されたバスケットの中に入った薬の瓶を取り出す。金色のそれは、アデルの髪の色によく似ていた。リボンの緑色なんてアデルの目の色そっくりだ。

「まあ、きれいな色。まるではちみつみたい。それにリボンまで着けてくれたのね」

「ふふ、ホラエーの花の蜜と葉っぱを使ったの。すっごくおいしい……とまではいかなかったけれど、甘くて飲みやすいと思うな。これを一日、朝と夜に一回ずつお湯に入れて飲んでね。ミルクや紅茶でもいいかも。とろとろしてるから、余ったらパンケーキのシロップの代わりにでもしてね」

「ええ、ええ、わかったわ。うふふ……ローウェル、あなたの妹さん、とっても偉大な薬屋さんね」

「……。……まあ、魔女ですから」

 そっぽを向くローウェルに、アデルはくすくすと笑った。

「お勘定をしないとね」

「ああ、そうだな。さあリリィ、約束通り大銀貨を二枚だ」

「はい! 受け取りましたっ」

「あとは……そうね、ヨハン。あれを」

「わかっているよ、アデル」

「……?」

 部屋を出ていくヨハンに首をかしげるリリィを見て、アデルはまたいたずらっぽく笑い、ローウェルはリリィの肩に手を乗せた。

 しばらくすると、ヨハンは部屋に戻ってくる。リリィたちが持ってきたような硝子の瓶を抱えて。けれど、その中に入っているのは金色ではなく紫色だった。

「……あ! ベリーのジャムだ!」

「この前、ジャムは紫のベリーが一番好きって言ってたでしょう? 作ってみたの。受け取ってくれるかしら?」

 リリィは目をまたたかせた。彼女の瞳の色もまた、ジャムと同じ色をしていた。リリィの瞳は紫色なのだ。

「ローウェル、帰りにマリアンヌお姉さんのところでパン買って帰ろう?」

「ああ、良いな。……ありがとうございます、ふたりとも」

「礼ならアデルに言ってくれ。ローウェル、いつか君もリリィとジャムを作るといい」

 古い古い仲良し夫婦は、にっこりと笑った。

「はあ、はい」

「それ、とってもすてき!」

 赤いベリー色の瞳のローウェルを見上げるアデルのジャム色の瞳を、ローウェルは困ったように見つめた。

「……それにね、これはヨハンには内緒なのだけれど」

 アデルはベッドから半身をほんの少し乗り出し、リリィの耳に口を寄せた。ヨハンとローウェルが次の依頼の話をしている後ろで、彼女たちは内緒話をする。

「鍋の火加減を見るのを手伝ってもらったの、"彼女"に」

「……。……すてき」

 小さな魔女はこの老婆と白い貴婦人がジャムを木べらでかき混ぜていた光景を想像し、紫色の瓶と瞳をきらめかせた。さらり、さらりと、白いドレスのひらめく音もきらめいた。



 見た目の年齢はローウェルとそう変わらない人間の少女、マリアンヌが看板娘を務めるパン屋『ひばり』は、上等な麦を使った丁寧な味が魅力の店であった。

 老夫婦と別れ、時刻は昼。からんからんと扉にかけられたベルを鳴らし、リリィとローウェルは店に入った。するとすぐにマリアンヌがやってくる。亜麻色の髪をお団子にまとめた彼女は、同じ色の目で親しげにふたりを見た。

「リリィ! ローウェル! いらっしゃいませ!」

「こんにちはマリアンヌ! あのね、バタールを二つ持ち帰りでいただきたいの。あとお昼ごはんにクッキーもふたり分!」

「わかったわ、少し待っていてね? バスケット、預かるわよ」

「うん!」

 誰もが釣られて笑顔になってしまうような、花咲くような笑顔を見せて、マリアンヌは店の奥へ引っ込んでいった。

 ローウェルはというと、黙って店内をきょろきょろと見回していた。

「ローウェル? どうかしたの?」

「……この店は、相変わらず良い匂いがする」

「ふふっ! ね! わかるよ。ひばりのパンはみんないい匂い。きっと店主のおじさまの手がお日様のようだからなんだわ。わたし、ここのパンをいつか全種類食べてみるのが夢なの」

「食いしん坊め」

「もう! どれも美味しそうでしょう?」

「まあ……そうだな」

 生きるための食事を必要としない妖精であるローウェルにとっても、ひばりのパンは良いものであった。と、いうより、リリィとの食事の時間がローウェルは好きであった。そういえば、今はとっくに覚えた木べらで釜や鍋を煮詰めるあの動きを教えたのは自分だった。とローウェルは昔に思いを馳せ……ようとしたが、ぱたぱたとした忙しない足音にそれはかき消された。マリアンヌが戻ってきたのだ。

「おまたせ! 全部で銅貨三枚で、それと、その……あのね……今日はおまけ付きよ」

「はい、ぴったりどうぞ。……おまけ?」

 マリアンヌはこくりと頷く。その目は、リリィから見るとローウェルをふるえたまつ毛で見つめているように感じた。バスケットを受け取ったリリィが中を見てみると、白い砂糖をまぶした揚げたパンの耳のお菓子が昼食兼おやつのクッキーの隣に座り込み、砂糖をクッキーの肩に振りかけている。

「わあ! おいしそう!」

「ええと……ローウェル、あたしが作ったの。美味しかったら今度感想聞かせてね?」

「俺……? ああ」

「……ふふっ。ありがとうマリアンヌ、またね! 行こうローウェル!」

「ああ、リリィ。じゃあまた」

「え、ええ! ふたりともまた!」

 マリアンヌの言葉にわけがわからないといった様子で眉をひそめたローウェルをぐいぐいと押し、リリィは店の外に出た。からんからんと、ベルがまた鳴った。

「ローウェルったら、もう。マリアンヌに失礼だよ」

「何だ? 俺……彼女に何かしたか?」

「だって彼女、きっとあなたのことが好きなのよ!」

「俺のことが? ……そうか……」

「……いや? 美人で人気者のマリアンヌよ?」

 そう言いながら、リリィはバスケットに目を落とす。ローウェルはそんな彼女を見て、バスケットに入った揚げパンの耳をひょいとつまみ、食べた。そしてもう片方の手でショールに隠されていたループタイの赤い宝石をいじる。

「……俺には、これは甘いな」

「?」

「何でもないよ、リリィ」

 今度はリリィの方がわけがわからないと言いたげにきょとんと首を傾げる。ローウェルはまるで遠くを見ているかのような目でリリィだけを見て、彼女の頭を優しく撫でるのだ。



 パン屋を出ると、昼の陽射しが町を金色に照らしていた。 リリィは手に持ったバスケットを胸に抱え、春の軽い風に頬を緩ませる。

「ローウェル、広場を通って帰ってもいい?」

「……また誰かに捕まるぞ」

「だいじょうぶ。ちょっとだけ、見るだけだよ」

 見るだけ───その言葉をローウェルは何度聞いたことだろう。 だが、リリィがそう言うときは決まって……。

「あ、リリィだ!」

「魔女っ子! 魔女っ子リリィ!」

「一緒にあそぼ!」

 ほら見たことか、とローウェルはため息を吐く。集まってきたのは三人の子ども。リリィの“人間”の友人たちだ。彼女より数歳ほど年下の小さな子たちは、リリィを姉のように慕う。だが、少々暴れん坊なのがたまに傷だ。

「いいよ! 遊ぼう!」

「良いのかよ……」

「ローウェル、ちょっとだけだから」

「……皆、俺の目の届くところで遊べよ」

「やった! ありがとローウェル兄ちゃん!」

「クッキー、先に食ってるからな」

「うん。わかった」

 やり取りを交わしながらもリリィは広場に引っ張られていく。リリィ自身、まだ幼い少女だというのに彼らといるとまるで大人の女性のようだ。と、ローウェルはぼんやりと思いながら、日なたに座り込んでクッキーを口にする。素朴な味わいのそれは先程の揚げパン菓子に比べたらずいぶんと甘さは控えめであったが、ローウェルの舌には慣れ親しんだこちらの方が合っていた。


 (リリィが立派な大人の魔女になるまで、俺はリリィを守る)


 そう彼は考えていた。ローウェルにとっては華やかなレディであるマリアンヌよりも妹のような娘のような存在である拾い子のリリィを育てることの方が、ずっとずっと重要なのである。

 

「で、みんなで何して遊ぶの?」

「縄のひっぱりあいっこ!」

「ぼくとエドがこっち、リリィとサラがあっち!」

「リリィは力持ち? あたしたち勝てるかなあ……」

「よ、よーし! 勝つよ! サラ!」

 むん! と力み、リリィは縄の片端を掴む。子どもたちも続いて縄を持ち、勝負が始まった。子どもたちもリリィも全力だ。ローウェルは小さくあくびをかき、彼らのきゃいきゃいとした歓声を聞いていた。転んで多少すり傷ができても、子どもたちの家にはリリィが作った傷薬があるのだ。

 だから大丈夫、大丈夫なのだが……この単純な勝負は予想以上に白熱した。子どもの体力とは底無しで、何度も勝負を繰り返し、結果は引き分けに終わった。

「ひきわけだー!」

「リリィだいじょうぶ? 立てる?」

「立てないよー! 疲れちゃった……」

「わわ、ローウェル兄ちゃん呼んでこよ!」

「ローウェル! ローウェル兄ちゃん!」

 ぺたんと地面にスカートを広げたリリィが、その裾をぱたぱたと揺らすと、ローウェルが大股な足取りでやって来る。呆れたように彼女を見下ろした後、ふっとリリィの前に背中を向けて跪いた。

「ほら、乗れよ。帰るぞ」

「ローウェル……ありがとう……」

 へにゃりとリリィはローウェルの背に身をゆだねる。ひょいとリリィを持ち上げて、ローウェルは子どもたちにも呆れた視線を送った。

「加減してくれよ」

「ごめんなさい……」

「でも、楽しかった! ありがとうリリィ!」

「リリィがよかったら、また遊ぼう……?」

 しゅんとした顔の彼らに、リリィは微笑む。

「もちろん。また遊ぼうね。でも今日はばいばい」

 子どもたちは町の入り口まで、リリィとローウェルを見送りに歩いた。その間も会話に花を咲かせていたが、やがてリリィの返事がぽつりぽつりと途絶えがちになったあたりで、子どもたちは互いを見て人差し指を口に当てた。


 今日の日はさようなら。


 ひと仕事終えたローウェルは、リリィを背負って家まで歩いた。この町の人たちは騒がしくも、優しい。

 できることなら、これからもリリィと自分の───薬屋スノウベルの周りの客はこうあってほしいと思いながら、彼は小さく微笑んで町を後にした。



「……ん……」

 少女が、リリィが目覚めた頃には日はとっぷりと暮れていた。エプロンドレスを脱いだ青いワンピース姿で、ベッドの上で毛布にくるまっていた彼女の目を覚まさせたのは、バターとスパイスのおいしそうな香りであった。

「……ふわ……ぁ……ローウェル……どこ……?」

 寝室のどこにも使い魔の黒狼はいなかった。大きな大きなあくびをして、リリィは部屋を出て階段を降りる。居間にたどり着くと、彼女がまずはじめに見たのは、青年ローウェルの後ろ姿だった。そして、鼻を強くくすぐるいい香り。今日の夕食作りはリリィが当番だったことに、リリィは気がつき肩が跳ねた。


「ローウェル! わたし、寝ちゃってた!」

「ん? ああ、いいんだよ。町まで行って疲れただろ」

「でも、今日のごはん当番はわたしなのに……」

「だから良いって。ほら、皿とマリアンヌのところのパン、出してくれよ。今日は牛乳のシチューにしてみたんだ。春とはいえ、まだ夜は冷えるしな」

「うん……あのねローウェル」

「何だよ」

 木べらでシチューの入った鍋の世話をしていたローウェルが振り返り、リリィを見る。リリィの顔はやわらかく綻んでいた。

「ありがとう」

 そして、ぺこりと一礼。ローウェルは首の後ろを掻きながら、目を鍋に向けた。

「こんなの、今さらだろ」


 (あ、照れてる)


 リリィはそう思い、ますますくすぐったい気持ちになるのであった。平たい皿を手にして、パンをナイフで切り並べる。深めの皿はシチュー用。どちらも、とても優しい香りだった。

 まるで今日一日、彼らを包んだ空気のようであった。


「明日は一日ゆっくりするか?」

「うーん。テミス草の新芽がそろそろ生え始める頃だから、摘みに行きたいな」

「わかった。かごを用意しよう」

「あまり摘みすぎても森が泣いちゃうから、必要な分だけね」

「俺が教えたことじゃないか」

「ふふっ」

 森の草木へ祈りを捧げ、明日のことを話しながら、あたたかい糧を口に運ぶ。それが、ふたりの日常であった。信仰すら変わりつつあるこの世界で、いつからいたのか、どこから来たのか、わからないものを信仰し、力を借りる。薬屋スノウベルとは、そんな旧い旧いふたりだ。

 

「ローウェル、今日は一緒のベッドで寝ない?」

「何だ? この前はもうそんな歳じゃないって言ってたくせに」

「さ、寒いからだもん。ローウェルはいつも床で寝るでしょ、心配なだけ」

「冗談だよ。ふたりでくっついていれば、何があってもあたたかいな」

「うん、うん!」

 明日も彼女たちは釜に火をかけ、木べらでゆっくりと薬をかき回す。それは、誰かの優しさへとつながる、特別な愛の魔法だ。

 

 そんな愛の魔法に願いを込めて、旧い旧いふたりは明日という新しい出来事に、想いを灯す。


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