第7話 数字が嘘をつかない理由
領館の執務室は、朝から静かだった。
机の上には、いくつもの帳簿が積まれている。
私はその一冊を開き、指先で紙をなぞった。
「……おかしい」
数値そのものは、整っている。
収穫量、人口、納税額――どれも一見すると問題はない。
けれど、胸の奥に引っかかるものがあった。
私は魔力をわずかに流し、記録の“歪み”に意識を向ける。
帳簿に残る魔法の痕跡が、淡く浮かび上がった。
「これは……」
記録魔法そのものが、途中で“触られている”。
単なる転記ミスではない。
誰かが、意図的に数字を整え直した形跡だった。
「オルヴァンさん」
隣の机で書類を整理していた文官に声をかける。
「この区域の税収、三年分ほど見せていただけますか」
「え? ああ、構わないが……何かありましたか?」
「まだ確証はありません。ただ、確認したくて」
差し出された帳簿を並べ、同じ魔法をかける。
すると、同様の歪みが、規則正しく現れた。
「……毎年、同じ割合で削られていますね」
私の言葉に、オルヴァンは眉をひそめた。
「偶然では、ない?」
「ええ。偶然なら、もっとばらつきます」
帳簿は嘘をつかない。
正確に整えれば整えるほど、“不自然さ”が際立つ。
「辺境伯に、報告すべきだと思います」
そう言うと、オルヴァンは一拍置いて頷いた。
「……私も同意見だ」
アルト=リュード辺境伯は、報告を聞いても表情を変えなかった。
「確証は?」
「あります」
私は、整えた帳簿を差し出す。
「改竄された数字と、元の数値。その差分です」
アルトは黙って目を通し、しばらく考え込んだ。
「……金額は小さいな」
「はい。ただし、十年以上続いています」
「積もれば、無視できない」
彼は即断しなかった。
代わりに、短く指示を出す。
「追加調査だ。表に出すのは、そのあとでいい」
「分かりました」
感情論に流れない判断に、胸の奥が少し安堵する。
調査は静かに進んだ。
関係書類を洗い、流通記録を照合し、現場の聞き取りを行う。
私の魔法は、そこでも役に立った。
言葉を濁した証言。
不自然に途切れた記録。
それらを“整える”ことで、事実だけが浮かび上がる。
数日後、結果は揃った。
「……下級役人による横領。長期、少額ずつ」
オルヴァンが、重く息を吐く。
「気づかなかったのではなく……見ようとしなかった、か」
アルトは、淡々と告げた。
「処分は法に従う。ただ――」
そこで言葉を切り、私を見る。
「再発防止策は?」
一瞬、戸惑った。
“処罰”ではなく、“次”を求められたのだ。
「……記録魔法の二重化と、定期的な第三者確認を」
「可能か?」
「はい。仕組みさえ整えば」
アルトは短く頷いた。
「やろう」
その一言で、すべてが決まった。
その日の夕方、私は一人で帳簿を片付けていた。
誰かを告発したつもりはない。
ただ、事実を整えただけだ。
それでも――
数字が、領地を守った。
「……嘘をつくのは、人だけね」
小さく呟く。
魔法は正直だ。
整えれば、隠したものも、歪めたものも、等しく表に出る。
王都では、それが「扱いづらい力」だと言われた。
都合の悪い真実を、隠せないから。
けれど、ここでは違う。
「必要な力だ」
背後から聞こえた声に、振り返る。
アルトが、静かに立っていた。
「今日の件だ。感謝する」
「……私は、当然のことをしただけです」
「それが、できない人間は多い」
彼はそう言って、視線を帳簿に向けた。
「君の魔法は、剣よりも厄介だな」
一瞬、冗談かと思ったが、すぐに違うと分かる。
「誤魔化しが、きかない」
その言葉に、私は小さく息を吐いた。
「……王都では、それが理由で嫌われました」
「だろうな」
即答だった。
「だが、この領地では――必要だ」
その断定に、胸の奥が静かに満たされる。
評価されるとは、こういうことなのだろうか。
褒め言葉ではなく、役割として認められること。
私は帳簿を閉じ、アルトを見る。
「これからも、同じことをします。それでも、よろしいですか」
都合の悪い事実も、隠さずに。
アルトは、少しだけ口角を上げた。
「だから、任せている」
それ以上の言葉は、なかった。
けれど、それで十分だった。
私は窓の外を見る。
夕暮れの領地は、今日も静かだ。
数字は嘘をつかない。
そして、正しく扱われた力は、居場所を得る。
そのことを、私はこの場所で、初めて知った。
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