第60話(最終話) それでも、満ちている
朝の光は、いつも通りだった。
特別な色でも、
劇的な輝きでもない。
それでも、
窓辺に立った私は、
その光を少し長く眺めていた。
城は、もう目覚めている。
誰かが指示を待つこともなく、
誰かが前に立つこともなく。
それぞれが、
それぞれの場所で動いている。
私は、
その流れの中にいる。
中心ではない。
外でもない。
ただ、ここにいる。
指輪を嵌めた左手を、
軽く握る。
それは、
私を縛るものではない。
選択を思い出させるものだ。
今日も、
ここにいると決めた。
それだけのこと。
廊下で、
アルトとすれ違う。
「……早いな」
「ええ」
短いやり取り。
だが、
足並みは揃っている。
歩く方向も、
速度も。
未来の話は、
しない。
話す必要がないからだ。
午前中の仕事を終え、
私は中庭に出た。
小さな木が、
少しずつ枝を伸ばしている。
植えたのは、
ずっと前だ。
急がなかった。
手を出しすぎなかった。
だから、
根が張った。
婚約破棄の日、
私は空っぽだった。
選ばれなかった自分に、
価値がないと思った。
未来が、
閉ざされたと感じた。
だが今なら、
分かる。
あれは、
空白ではなかった。
余白だった。
余白があったから、
選び直せた。
場所を。
生き方を。
並ぶ人を。
誰かの人生に組み込まれるのではなく、
自分の人生を生きることを。
夕方。
城壁の上で、
風に吹かれる。
遠く、
人々の声が聞こえる。
笑い声。
言い争い。
生活の音。
世界は、
完成していない。
だが、
続いている。
アルトが、
隣に立つ。
「……満足か」
不意に、そう聞かれた。
私は、少し考えた。
「はい」
即答ではない。
だが、迷いもない。
「満ちています」
すべてを持っているわけではない。
何も失わないわけでもない。
それでも、
足りている。
日が沈む。
空が、
ゆっくりと色を変える。
劇的な終わりは、ない。
祝福の声も、
幕引きの宣言もない。
ただ、
一日が終わる。
そして、
明日が来る。
選ばれなかった人生は、
終わっていない。
別の形で、続いている。
私は、
それを歩いている。
誰かに選ばれなくても。
証明しなくても。
それでも――
満ちている。
― 完 ―
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は「婚約破棄」から始まりましたが、
描きたかったのは復讐でも逆転でもなく、
選ばれなかったその先の人生でした。
誰かに選ばれなかったことは、
価値を失うことではありません。
それは、選び直すための余白なのだと思います。
主人公は特別な勝利を手にしたわけではありません。
ただ、自分で選び続けました。
場所を、生き方を、隣に立つ人を。
もしこの物語が、
何かを失った経験のある方の心に、
少しでも静かな灯りを残せたなら幸いです。
本編はここで一区切りとなりますが、
この世界にはまだ語られていない物語がいくつか残っています。
あと数話の番外編や外伝も用意しておりますし、
『婚約破棄された令嬢ですが、国の仕組みを直したら評価が逆転しました 続編『選ばれなかった国』 ―強国に査定された日―』にて、
すでに続編を書いております。
そちらも楽しみにしていただければ嬉しいです。
最後までお付き合いくださり、
本当にありがとうございました。




