第54話 約束のかたち
その話は、予定されていなかった。
だからこそ、
自然に口をついて出たのだと思う。
夕暮れの回廊は、人が少なかった。
一日の仕事を終えた時間。
城全体が、少しだけ緩む。
「……来年のことですが」
私がそう切り出すと、
アルトは歩みを止めた。
「何だ」
「南の集落で、
新しい試みを始めたいと考えています」
説明は、簡単に。
判断権の委譲。
記録の簡素化。
現場主導の小さな実験。
「私が、
ずっと見る必要はありません」
それが、
一番大事な前提だった。
アルトは、しばらく黙って考えた。
「……俺は、
北を見ておく」
「ええ」
それで、十分だった。
許可でも、
承認でもない。
並んだまま、
別の方向を見る。
それができる関係だと、
確かめ合っただけだ。
回廊の先、
窓から夕焼けが見える。
「……長く、
ここにいるつもりか」
アルトが、ふと尋ねた。
私は、すぐには答えなかった。
少しだけ、考える。
「……長さは、
決めていません」
正直な答え。
「ただ、
離れるときは、
黙っていなくならない」
それは、
私なりの約束だった。
アルトは、
小さく息を吐く。
「それでいい」
「あなたは?」
「同じだ」
短い返事。
だが、
意味は重い。
二人で、
しばらく夕焼けを眺める。
触れない。
寄り添いすぎない。
それでも、
距離は近い。
「……形にしなくて、
不安はないのですか」
私が、尋ねる。
「ある」
即答だった。
だが、
続ける。
「だから、
約束は小さい方がいい」
私は、思わず笑った。
確かに、その通りだ。
夜。
それぞれの部屋へ戻る前、
アルトが一言だけ言った。
「……戻る場所は、
ここだな」
私は、頷いた。
「はい」
それだけで、
十分だった。
約束は、
指輪でも、
書面でもない。
未来を縛らない、
戻る場所を共有すること。
それが、
今の私たちにとって、
一番確かな形だった。
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