第4話 役に立たない魔法の、正しい使い道
翌朝、私はまだ慣れない領館の廊下を歩いていた。
窓から差し込む光は柔らかく、王都の朝よりもずっと静かだ。
「こちらです」
案内されたのは、書庫と執務室を兼ねた一室だった。
机の上には、積み重なった書類と、ところどころ文字が掠れた帳簿。
「記録魔法の補助をお願いしたくてですね」
昨日の白髪交じりの文官――オルヴァンが、少し申し訳なさそうに言う。
「人手不足で、過去十年分の領地管理記録がこの有様でして」
私は帳簿を一冊手に取った。
インクが滲み、数値は不揃い。魔力の痕跡も混線している。
「……かなり、無理をして使われていますね」
「ええ。応急処置ばかりで」
私は深く息を吸い、指先に意識を集中させた。
私の魔法は、派手な光も音もない。
“魔力の流れを整え、情報を正確な形に戻す”――ただそれだけ。
王都では、それを「地味で戦えない」「貴族向きではない」と笑われた。
淡い光が、帳簿を包む。
乱れていた魔力が、静かに揃っていく。
「……!」
オルヴァンが、目を見開いた。
滲んでいた文字が、くっきりと浮かび上がる。
消えかけていた数字も、元の形を取り戻していた。
「これは……復元、いや、再構築に近い……?」
「完全ではありませんが、元の情報を損なわずに整えることはできます」
そう答えると、彼はゆっくりと息を吐いた。
「……十分すぎます。いえ、正直に言えば、これほどとは思っていませんでした」
その言葉に、胸が小さく跳ねる。
午前中いっぱい、私は帳簿の整理を続けた。
作業は地味で、単調だ。
それでも、不思議と苦ではなかった。
書類が整うたび、領地の収支や問題点が、少しずつ見えてくる。
「この年、作物の収穫量が急に落ちていますね」
「……確か、その頃に用水路が一部崩れたはずです」
「こちらの補修記録、魔力干渉で読めなくなっています。復元しますね」
気づけば、自然と会話が生まれていた。
昼過ぎ、別の文官が駆け込んでくる。
「オルヴァン! 倉庫の在庫数が合わない!」
「またか……」
私は、帳簿を覗き込んだ。
「……この部分、記録魔法が途中で途切れています。誤差ではなく、転記ミスですね」
「分かるのかい?」
「はい。ここを整えれば――」
魔法を使い、情報を修復する。
数値は、ぴたりと一致した。
部屋の空気が、一瞬止まった。
「……すごいな」
誰かが、ぽつりと呟いた。
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
午後、オルヴァンは真剣な顔で頭を下げた。
「失礼ながら……王都では、この力を評価されなかったのですか?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……“王国の役に立たない”と」
そう答えると、彼は眉をひそめた。
「それは、王都が狭すぎるだけです」
はっきりとした声音だった。
「この領地では、あなたの魔法は喉から手が出るほど必要だ」
否定ではなく、断定。
その瞬間、胸の奥で何かが、確かに形を持った。
夕方、部屋に戻る途中、私は立ち止まった。
窓の外では、人々が忙しなく働いている。
誰も、私を見ていない。
それなのに、私は――ここに、いる。
「……役に立った」
それは、とても小さな事実だった。
けれど、婚約破棄の夜から初めて、はっきりと感じた“肯定”だった。
私は、もう一度、自分の手を見る。
戦えなくてもいい。
目立たなくてもいい。
この手は、確かに何かを支えている。
その夜、私は久しぶりに、穏やかな眠りに落ちた。
知らなかった。
この静かな成功が、やがて――
辺境伯本人の目に留まることになるなど。
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