第34話 祈りの届かない場所
聖女は、祈りの場に一人きりで立っていた。
白い石で造られた小さな礼拝堂。
朝の光が差し込み、静けさだけが満ちている。
いつもなら、ここは人で溢れていた。
祈りを求める声。
奇跡を期待する眼差し。
だが今日は――誰もいない。
「……静かですね」
自分の声が、やけに大きく響いた。
聖女の力が衰えたわけではない。
祈りも、奇跡も、これまでと変わらない。
それなのに、
人々は以前ほど、ここを訪れなくなった。
理由は、分かっている。
祈りの前に、判断する場所が増えたからだ。
少し前まで、王都は彼女を中心に回っていた。
問題が起きれば、祈り。
迷いがあれば、神託。
失敗が許されない世界で、
彼女は“最後の答え”だった。
だが今は違う。
会議では、数字が先に出る。
判断記録が、机に並ぶ。
祈りは、
確認のための一つに過ぎない。
「……私の役割が、
小さくなったのですね」
そう口にした瞬間、
胸の奥がひりついた。
役割が小さくなるということは、
必要とされなくなる可能性だ。
それは、
聖女である以前に、
一人の人として恐ろしい。
彼女は、思い出す。
あの会議室でのやり取り。
「祈りは、人を支える力です。
ですが、仕組みを動かすものではありません」
あの言葉は、
否定ではなかった。
それが、余計に苦しかった。
否定されていれば、
反発できた。
だが、
置き場所を変えられただけだ。
「……私は、
何のために祈っているの?」
問いは、答えを持たない。
昼、中央政務院からの呼び出しがあった。
内容は、丁寧だ。
「今後の聖女の役割について、
再定義を行いたい」
再定義。
それは、
役割を失う前触れにも、
新しい役割を得る兆しにもなる。
「……怖いですね」
付き添いの侍女が、ぽつりと呟いた。
「ええ」
聖女は、正直に答えた。
怖い。
だが、
逃げることはできない。
その夜、聖女は一通の書簡を読んでいた。
差出人は、あの人。
辺境にいる、
改革を進める女性。
直接の宛名はない。
共有資料の一部として回された文だ。
奇跡は、
判断を代替するものではない。
だが、
人が折れないための支えにはなる。
聖女は、その一文を何度も読み返した。
そこに、
見下しはなかった。
奪おうとする意思もない。
あるのは――
線引きだけだ。
「……私は、
必要とされなくなったのではない」
ゆっくりと、理解が降りてくる。
「必要とされる“場所”が、
変わっただけ」
それは、
救いでもあり、
同時に試練でもある。
象徴として、
高い場所に立ち続けるか。
それとも、
別の形で、人を支えるか。
選択は、
聖女自身に委ねられていた。
翌朝、彼女は礼拝堂を出た。
白衣の裾が、
石畳をなぞる。
足取りは、
まだ迷いを含んでいる。
だが、
止まってはいない。
「……祈りは、
まだ終わっていない」
それは、
自分自身に言い聞かせる言葉だった。
奇跡の価値が下がったのではない。
世界が、
奇跡だけに頼らなくなったのだ。
それなら――
祈りの意味も、
変わるべきなのかもしれない。
聖女は、初めて思った。
祈りのない場所で、
誰かを支える自分を。
その想像は、
まだぼんやりとしている。
だが、
恐怖だけではなかった。
小さな、
希望のようなものが、
胸の奥で灯っていた。
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