第32話 会議後の沈黙
会議室を出た廊下は、驚くほど静かだった。
あれほどの人数が集まっていたとは思えないほど、
足音も、話し声もない。
人は皆、それぞれの思惑を抱えたまま、
別々の方向へ散っていった。
私は、アルトと並んで歩きながら、
その静けさを肌で感じていた。
「……誰も、声をかけてきませんね」
小さくそう言うと、アルトが低く息を吐く。
「かけられないんだ」
「はい」
私も頷いた。
意見を求めるには、
こちらが“下”でなければならない。
説得するには、
感情を揺さぶる余地が必要だ。
だが今の私は、
どちらでもない。
だから、沈黙だけが残る。
回廊を曲がった先で、
私はふと足を止めた。
少し離れた柱の陰に、
元婚約者の姿があった。
彼は、誰かに声をかけるでもなく、
ただ立ち尽くしている。
かつて、
王都で最も多くの人に囲まれていた男。
今は、
誰も近づかない。
視線が合う。
彼は、何か言いかけたように口を開き、
そして閉じた。
そのまま、目を逸らす。
私は、会釈だけをして歩き出した。
それ以上の動作は、
必要なかった。
「……冷たいと思われるかもしれないな」
しばらく歩いたあと、アルトが言った。
「思われても、構いません」
私は、即答した。
「説明しないと決めましたから」
会議の場でも、
廊下でも、
私は一度も過去を口にしなかった。
あの夜会のことも、
婚約破棄の理由も。
それを語れば、
彼らは“物語”として消費する。
私は、
消費されるために戻ってきたのではない。
別棟に移動したあと、
簡単な打ち合わせが行われた。
改革の進行確認。
次回協議の日程。
事務的な連絡事項。
どれも、淡々としている。
「……本当に、
中心には置かれないのですね」
文官の一人が、思わず漏らした。
「はい」
私は、穏やかに答える。
「それで、うまく回っています」
誰も、否定しなかった。
それが、答えだった。
その夜、宿舎に戻ると、
私は窓辺に立った。
王都の灯りは、相変わらず明るい。
人の営みが、絶えず続いている証だ。
「……変わりましたね」
ぽつりと呟く。
この街は、
私を追い出した。
だが今は、
扱いに迷っている。
追い出す理由もなく、
引き留める資格もない。
それが、
一番居心地の悪い状態なのだろう。
別の建物では、
別の沈黙が流れていた。
「……何も、言えなかった」
元婚約者は、
一人きりの執務室で呟く。
反論しようとすれば、
理屈が足りない。
感情を持ち出せば、
場違いになる。
かつて、
自分が“切った側”だった時には、
考えたこともなかった立場。
「……戻ると思っていた」
そう、信じていた。
役に立つから。
必要だから。
だが、
彼女は戻らなかった。
それだけで、
全てが終わっている。
宿舎の廊下で、
私はアルトと別れた。
「明日以降、
水面下で動きが出る」
彼は言う。
「ええ」
「元婚約者も、
黙ってはいないだろう」
私は、一瞬だけ考え、答えた。
「……それでも、
私は何もしません」
逃げるのではない。
無視するのでもない。
手を出す必要が、もうない。
アルトは、その答えに満足したように頷いた。
部屋に戻り、
私は椅子に腰を下ろす。
疲労はある。
だが、後悔はない。
会議は終わった。
だが、物語はまだ続く。
ただ一つ、確かなことがある。
私はもう、
この沈黙に耐えられる。
かつては、
沈黙こそが恐怖だった。
今は――
沈黙こそが、答えだ。
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