第19話 隣に立つという選択
朝の空気は、澄んでいた。
昨夜は久しぶりによく眠れた。
夢も見なかった。
目を覚ました瞬間、胸の奥に残っていたのは、不安ではなく静かな落ち着きだった。
――大丈夫だ。
根拠はない。
けれど、そう思えた。
執務室に向かう途中、廊下の先でアルトの姿が見えた。
彼は既に書類を手にしており、こちらに気づくと軽く頷く。
「おはようございます」
「ああ。体調は?」
「問題ありません」
短いやり取り。
それだけなのに、昨夜までとは何かが違う。
私は、気づいていた。
この人がそばにいるという事実が、
判断を軽くしていることに。
午前の会議では、物流区画・西支所の追加報告が議題に上がった。
「現場判断の速度が、前週比で二割向上しています」
文官の報告に、周囲がざわつく。
「……大きな混乱は?」
「ありません。小さな誤判断はありますが、即座に修正されています」
私は、静かに頷いた。
想定通りだ。
完璧ではない。
だが、止まらない。
「問題は、次の段階です」
私は、皆に向けて言った。
「この方式を、他の区画に広げるかどうか」
会議室が、静まり返る。
それは、責任が増す選択だった。
成功すれば、王都改革の核になる。
失敗すれば、混乱は拡大する。
――ここで、私は気づく。
私は、無意識にアルトを見ていた。
助言を求めているわけではない。
許可でもない。
ただ、隣にいるかどうかを、確認するように。
アルトは、何も言わなかった。
けれど、視線は逸らさなかった。
それで、十分だった。
「……広げます」
私は、はっきりと言った。
「ただし、条件付きで」
文官たちが、身を乗り出す。
「判断権限を委ねる代わりに、
記録と共有を義務化します」
「失敗は、隠さない」
「責任は、個人ではなく、仕組みが負う」
言葉を重ねるごとに、声が安定していく。
怖さは、ある。
けれど、逃げない。
私はもう、一人で決めていない。
会議の後、アルトと並んで執務室を出た。
「……思い切ったな」
彼が、低く言う。
「はい」
私は、正直に答えた。
「怖いです。でも」
一拍、置く。
「一歩引いたままでは、前に進めないと分かりました」
アルトは、少しだけ口角を上げた。
「成長したな」
「……そうでしょうか」
「少なくとも、昨日よりは」
その言葉に、思わず小さく笑ってしまう。
その瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
夕方、報告書を書き終えたあと、私はふとペンを止めた。
これから先のことを考える。
王都は、また動くだろう。
さらに大きな判断を、求めてくる。
そのとき――
私は、どこに立っていたいのだろう。
「……隣、か」
口に出して、少し驚いた。
守られる後ろでも、
命じる前でもない。
同じ景色を見て、
同じ重さを背負う場所。
私は、アルトの背中を思い浮かべる。
昨夜の声。
伸ばされた腕。
逸らされなかった視線。
――失いたくない。
その感情に、名前はまだつけない。
けれど、はっきりしている。
私はもう、
誰かの価値観に選ばれる存在ではない。
自分で立ち位置を選ぶ。
そして――
隣に立つ人も。
窓の外、夕焼けが領地を包んでいた。
私は、静かに決めた。
次に王都が何を言ってこようと。
私は、この場所から動く。
並んで歩ける場所を、
自分で選んだから。
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