第13話 祈りの届かない場所
神殿の奥は、いつも冷たい。
白い石壁は清潔で、香の匂いは甘く、蝋燭の火は揺れない。
――けれど、今日の私は、その静けさに息が詰まりそうだった。
「聖女殿、こちらへ」
司祭の声に促され、私は祈祷台の前へ進む。
膝をつき、手を組み、教えられた通りの言葉を紡ぐ。
光が降りる。
確かに、奇跡は起きている。
それなのに。
祈りが終わった瞬間、隣の部屋から聞こえる声が、私の胸を刺した。
「……また、戻ったのか?」
「はい。祈祷直後だけです。三日も持ちません」
数字が戻る。
現場は戻らない。
その言葉が、頭から離れなかった。
私は、立ち上がる。
祭壇の前にある聖紋が、今日も変わらず輝いている。
「私は……間違っていない」
呟いて、自分に言い聞かせる。
私は選ばれた。
“祝福が見えた”と言われ、王都の人々は拍手し、貴族たちは私に微笑んだ。
あの夜会――
婚約破棄の場でさえ、私の光は正しいものだと信じられていた。
だから、私は祈る。
祈り続ければ、王国は救われると。
そう教えられてきた。
「……なのに」
なぜ、祈りが届かないのだろう。
中央政務院へ呼ばれたのは、祈祷の翌日だった。
会議室に入ると、官僚たちの表情が硬い。
以前は、もっと分かりやすい尊敬があったはずなのに。
「聖女殿」
代表格の官僚が、机の上の書類を指差す。
「こちらをご覧ください」
そこには、短い助言書が置かれていた。
簡潔で、冷たく、けれど否定できない文章。
私は、読む前から分かってしまった。
――あの人の文字だ。
王太子の婚約者だった令嬢。
追放されたはずの、地味で、目立たない女。
私が選ばれた瞬間に、消えた存在。
「……これは」
私は、震える指で紙を押さえた。
祈祷を“無意味”とは書いていない。
けれど、はっきり書いてある。
足りない。
仕組みが壊れている。
だから、同じ歪みが生まれる。
それは、正しい。
腹立たしいほど、正しい。
「聖女殿、祈祷の回数を増やすことは可能ですか?」
官僚が尋ねる。
私は、息を吸った。
「……可能、です」
答えながら、胸の奥で何かが沈む。
回数を増やせば、確かに数値は戻る。
でも、それは――追いかけっこだ。
壊れた桶に水を注いでいるようなもの。
私は、司祭に言われた。
「聖女の使命は、王国を救うこと。疑ってはいけない」
でも、疑いは、湧いてしまう。
「……あの人は、何をしているの?」
口から、勝手に言葉が漏れた。
官僚たちが、顔を見合わせる。
「辺境伯領にて、行政記録の整備を」
「用水路補修も成功したとか……」
「……成功?」
私は、思わず聞き返した。
祈っても戻らない現場が、
“整える”だけで動いた?
そんなはずがあるのか。
それとも、私の奇跡は――
最初から、必要とされていなかったのか。
「聖女殿」
官僚の声が、現実へ引き戻す。
「殿下も、この件に関心を示されております」
その言葉が、胸を締めつけた。
殿下は、私を選んだ。
私の光を見て、婚約を結んだ。
それなのに。
今、殿下の関心が向いているのは――
私ではなく、助言書の向こう側だ。
神殿へ戻る馬車の中、私は窓の外を見つめていた。
王都の街は豪奢で、華やかで、整って見える。
けれど、どこかで軋んでいる。
私は、祈ることしかできない。
それが、私の役目だ。
でも、あの助言書は言った。
壊れた仕組みは、必ず同じ歪みを生む。
なら、私の祈りは――
歪みを隠すための布にすぎないのか。
「……嫌だ」
唇が震えた。
私は、ただの飾りにはなりたくない。
選ばれたのなら、意味がほしい。
祈りが届かない場所を、
私も変えたい。
それが、傲慢だと分かっていても。
馬車が神殿の門をくぐる。
白い石壁が、今日も冷たい。
私は、手を握りしめた。
祈りは、続ける。
けれど――
このままでは終われない。
私が“足りない”と言われたなら、
足りるものを、奪いに行く。
そう決めた瞬間、胸の奥で小さな炎が灯った。
それが、破滅への道だとしても。
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