第10話 欠けた歯車の音
王都中央政務院の執務室は、今日も滞りなく動いている――
はずだった。
「……おかしいな」
王太子エドワルドは、机に広げた報告書から目を上げた。
数字が、合わない。
いや、正確には――
合わなすぎるのだ。
「補助金を増やしたのに、改善が見られない……?」
農業区画、物流、徴税。
どの報告も、“問題は想定内”と記されている。
だが、実態は違う。
遅延。
不足。
現場からの不満。
「……以前は、こんなことはなかったはずだ」
記憶を辿る。
自分が細部まで把握していたかと言われれば、そうではない。
だが、少なくとも「回っていた」。
今は、回っていない。
「殿下」
執務補佐官が、慎重な声で告げる。
「辺境伯領から、定期報告が届いております」
「また赤字か?」
「いえ……逆です」
差し出された書類に、エドワルドは眉をひそめた。
「改善……?」
ページを捲るごとに、表情が変わる。
収支の安定。
不正の是正。
用水路補修による生産性向上。
「……同じ王国の中とは思えないな」
隣にいた官僚が、苦々しく言った。
「作成者は?」
何気なく尋ねた問いに、返ってきた答えが、空気を変えた。
「……元殿下婚約者殿です」
一瞬、理解できなかった。
「……誰だ?」
官僚は、言い直す。
「婚約破棄された、あの令嬢です」
エドワルドの手が、止まった。
胸の奥で、何かが音を立てた気がした。
「あり得ない」
それが、最初の言葉だった。
「あの女は、実務に向かない。だから、切った」
それは、事実のはずだった。
派手な魔法もない。
戦力にもならない。
王都で評価される要素が、何一つなかった。
「……だが」
官僚が、言葉を濁す。
「数字は、正確です。誤魔化しようがない」
エドワルドは、報告書を睨みつける。
感情が入っていない。
言い訳も、誇張もない。
ただ――
回っている現実が書かれている。
「……なぜ、辺境で」
誰に向けた言葉でもなかった。
彼女を追いやったのは、自分だ。
不要だと判断したのも、自分。
それなのに。
「殿下」
補佐官が、さらに一枚の書類を差し出す。
「こちらは、今月の王都側の遅延報告です」
物流の停滞。
徴税のズレ。
調査中、の文字。
「……原因は?」
「特定できておりません」
エドワルドは、ゆっくりと背もたれに身を預けた。
胸の奥で、嫌な予感が広がる。
――もしかして。
彼女が整えていたのは、
「目立たないが、止まれば困る部分」だったのではないか。
それを、
価値がないと切り捨てたのではないか。
「聖女殿は?」
話題を変えるように、彼は尋ねた。
「神殿にて、祈祷中です」
「成果は?」
「……儀式は成功しております」
曖昧な答え。
奇跡は起きている。
だが、現場は改善していない。
それは、違う分野の話だからだ。
エドワルドは、気づいてしまった。
王国を動かすのは、
奇跡だけではない。
数字。
仕組み。
積み重ね。
それを、彼女は担っていた。
気づいたときには、
歯車は、すでに欠けていた。
その夜、エドワルドは一人、書斎に残った。
ふと、昔の記憶が蘇る。
「……この記録、少しおかしいと思います」
淡々と、そう告げた彼女の声。
当時は、
「細かすぎる」
「些末なこと」
と、聞き流した。
今なら分かる。
それは、警告だった。
「……判断を、誤ったか」
その言葉は、独り言だった。
後悔ではない。
まだ、そう呼ぶには早い。
だが――
違和感は、確かに芽吹いていた。
失ったものの正体に、
ようやく、触れ始めただけ。
王都の歯車は、今日も回っている。
だが、その音は――
どこか、不揃いだった。
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