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【短編】殿下、私も幸せになっていいですか?~幸薄聖女は年下王子の傍に居たい~

 《1》


 家族を、故郷を失った。

 私も死ぬはずだったけれど、加護が強くて一人だけ生き残ってしまったから、新しい家族を、第二の故郷を望んだ。


 でも私の得た加護は強すぎて、大聖女と見合う身分の人でなければ、他の聖女たちの仕事を根こそぎ奪ってしまう。つくづく私は誰かと縁を結ぶのが難しい星の下に生まれてしまったらしい。


 それでも、なにかを望むのなら。

 願いを聞き届けて貰えるのなら、私は誰かに大切にして貰いたい。そして私もその人を大切にして、手を繋いで生きたい。幸せになりたい。

 そう願って、祈って、動いて──空回りを繰り返す。


「メリッサ・アルトナー。役にも立たない貴様のエスコートにも飽きたな。私が王家に貢献する名目で此度の契約婚に踏み切ったが、ここまで使えない、美しくない、愚かな【秋の聖女】が来るとは、思わなかったぞ」


 パーティー会場で唐突に叫んだのは、冬の国ミツキの公爵家当主バイロン・ソーンダイク様だ。見目麗しいお姿に背中から二対の翼を持つ天使族の若君で、白銀の長い髪を一つにまとめ、貴族服に身を包んだ姿は王族にも劣らない気品を備えていた。

 ただこの方は、自分の感覚に沿った美醜基準で態度が変わる最悪な男だったが。


「藁のような醜い色、ボサボサな髪、平凡な顔、どんくさい、言い訳ばかりで本当に聖女なのか」


 秋の法国は豊穣を司る聖女が多くおり、収穫の恵みを与える役割を担っている。【秋の聖女】は何人もいて、聖女の長期派遣という名の【白い結婚(契約結婚)】を行うことで、初めて他国でも【季節豊穣魔法】の使用許可が下りる。

 最長で三年。それ以上の継続を望む場合は、婚儀によって永住することが可能だ。ただその場合、【季節豊穣魔法】の力が多少弱まってしまうが、自国民が協力的であれば十分補える。

 そう自国民が協力的なら、ここが重要なのだ。


「……け、契約時の仕事は果たしています。それ以上の成果を求めるのでしたら、畑仕事をする人を増やして頂かなければ、加護は付与されません。この地に感謝を込めて、この地の者が行うことが術式の条件だともお伝えしましたし、契約にもあります」

「黙れ! 全てお前が醜く、使えないのが悪い! もう良い! お前の代わりの聖女と婚姻を結ぶ。貴様はさっさとこの国から出ていけ!」

「──っ」



 ***



 その一件があってミツキ国から追い出されたのが、二カ月前だ。

 パーティー会場から追い出され、屋敷に戻ったらトランク一つ置いて門前払い。仮にも派遣聖女を頼んでおいて、なんという扱いなのかしら。

 ぜぇっったいに許さないんだから。聖女をなんだと思っているのよ。


 そんな最低なことをした元依頼主(元夫)バイロン様が、早朝から秋の法国の神殿に現れた。しかも私の面会希望と言うのだから、呆れてしまった。最初は会う気にもなれず、一週間ほど断り続けたが、「国の一大事だ!」と喚き散らして手が付けられないと、神官たちに泣きつかれたため、神官と護衛騎士数名の同席することを条件に面会を許可した。

 我ながら甘い。でもハッキリ断れば諦めるだろう。こちらには一切非がないことを見せるためにも、一度会うのは悪くないはず。


 最初、同席者がいることに不満を持っていたが、「条件を聞けないのならお帰りください」と伝えたら渋々受け入れた。そうして広々とした客間で再会を果たす。できればもう二度と会いたくなかったのだけれど。


「メリッサ・アルトナー! 貴様が、どぉーーーうしても言うのなら、婚姻契約の継続を認めてやってもいい! どうだ! 嬉しいだろう!」


 どうしたらそんな脳内変換できるのかしら?

 バイロン様は室内に響き渡る声で叫ぶ。だが彼は、ここが秋の法国フィールの大神殿だということを忘れているようだ。

 一方的な契約破棄、罵詈雑言、嫌がらせに、最低限の衣食住。契約期間中、感謝されたことはないし、婚姻契約とは名ばかりの派遣召使い、いえ奴隷のような扱いだった。それが突然の契約継続の申し込みというのだから、唖然としか言い様がない。


「私は不要だと追い出したのに……どうしてでしょうか?」

「そんなことはしていない。まったく私に断りも無しに、自国に戻るとは酷いものだ。……まあいい、さっさと手続きを済ませて帰るぞ」

「ですから」

「黙れ」


 鋭く睨んだ目に言葉を噤む。どうあっても自分都合で話を進める気のようだ。それが他国でも通じると思っているのが怖い。神官は呆れ、聖騎士は今にも斬り殺しそうな勢いだ。話が拗れるので、それは止めてほしい。


「藁のような髪に醜いその瞳でも、美しいこの私のため、国のために役に立てて光栄だと思うが良い。他の聖女では、お前の半分の成果だった。私たちは労働が嫌いだ。労働したら美しい羽根が汚れてしまう。だが貴様の【季節豊穣魔法】なら私たちが働かなくとも、収穫できる。その有能さに免じて私の伴侶にしてやろう。いやあ、収穫祭前に分かったのは幸いだ。作物が減って、冬を越すことも難しいと国王陛下から苦言を呈され、他の貴族からも冷ややかな目で見られた屈辱! それらを甘んじで受けて、貴様を迎えに来てやったのだ。少しは感謝したらどうだ?」

「お言葉ですが──」

「ちょっと待ったぁああああ! 婚姻契約を破棄したのなら、次は我がシクルの国だ!」


 割り込んできたのは、冬の大国の一つシクル国の第三王子だ。三年前に婚姻契約は終了しているのに、何故ここにいるのだろう。というか、どうして通したのですか!?


 冬の大国では【冬の女神】の加護が強く、他の季節魔法を使う者は一族の身内でなければならなかった。それゆえに秋の法国では、長期派遣として【白い結婚】を前提とした婚姻契約を冬の国に提案し、シクル国は私が担当した派遣先だった。エルフ族の国は階級至上主義国で、人族は最下層の存在という認識が強い。天使族のミツキ国と同様、絶対に戻りたくない国の一つだ。


 シクル国とミツキ国は「人族は奴隷扱いしてもいい」と本気で思っている。自国を救済する相手に、ここまで高圧的な態度ができるのだろうか。理解できない。

 後ろで神官が「申し訳ない!」とジェスチャーしていた。奮闘したのだけれど、押し切られたのね……。


「我を待たせるとは罪深い女だ。だが我は寛大なので許してやろう!」

「クラーク王子(また面倒くさいのが来た……)」


 詩を読むような美声だが、かなり高圧的な方だ。クラーク・コニックフォード第三王子。紫色の短い髪に長身の美男子で、既に妃が四人も居る。そもそも私以外に秋の季節魔法使い手を抱えているというに、なぜ今になって婚姻契約を望むのか。おそらく身分か美醜優先で選んだので、実力が足りないのだわ。


 秋の法国は聖女の素養を持つ者が多く、聖女認定を受けるのは難しくない。また嫁ぎ先も冬の大国の中で国交に力を入れている四カ国(ロッカ、ナナミ、ツイナ、ルールル国)の評価がとても高いので、聖女たちの派遣争い率も高いらしい。

 私も行ってみたいけれど、無理ね。私一人で一国を覆うほどの魔法が使えるから、そうなると他の聖女の派遣先が消えちゃうもの。


 特に四ヵ国は国単位ではなく、各領地の主人からの依頼が多い。国に聖女申請を出して受理されれば、補助金も出るので、領地の収穫量や土地の大きさによって依頼も異なる。

 観光地なら「秋の情景期間を再現したい」という理由で駆り出されることもあるとか。

 旅行……美味しいもの……。

 私が普通の聖女だったら、話は簡単だったのにな……。


 大聖女を派遣する意味はもう一つある。「最高位の聖女相手に契約、誓約違反があった場合、今後貴国に聖女派遣は受け付けない」という意思表示でもある。その意図に気づけば良いのだが、それでも今回のように喚き散らしてくる馬鹿がここの二人……。


「クラーク王子、無理やり入られるのは困ります!」

「ええい、黙れ! 我はメリッサに個人的に用があるだけだ!」

「なんだ、貴様は……。たかがエルフの分際で天使族の私に対して無礼千万身。礼儀というものはなっていないのだな」


 それはこの方も同じだけれど、同族嫌悪なのか互いに目障りらしい。


「契約が終了しているのなら、貴公にその権限はないはずだ。我に選ぶ権利がある!!」

「どちらも選びませんよ」

「貴様ではなく、この美しい私こそ選ぶ権利があるのだ。貴様は三年前に彼女が無能だと言って追い出したのだろう」

「ふん。あれは側室たちの行いであり、我が望んだことではない」

「だ・か・ら! どちらの国にも行きませんし、選びませんよ」


 人の話を聞かない人たちだ。なんで私の意見を無視して、自分勝手に話を進めるのかしら。ああ、頭が痛い。

 言い合いは徐々にヒートアップしていき、神官が仲裁に入り、護衛騎士たちも二人を引き剥がす。これ以上は話にならないわね。大聖女で話が通じないのなら、後は──。


「残念だけれどメリッサ・アルトナーは、すでに次の婚姻契約の申し込みが入っているわ」


 シャン。

 錫杖を鳴らした刹那、その場の空気が変わった。

 金髪の美しい髪に、アメジスト色の美しい瞳、白い艶やかな肌、可憐で美しい少女は白い修道服姿で、現れた。


「【秋の女神(フィーラ)】様……!」

「メリッサちゃん、ごめん! ごめんね!! 毎回、私が確認して、三年間の衣食住と安全の確保。大事におもてなしをするように言い含めて、誓約までさせているのに……この結果!! 冬の国だと私に権限も薄いし、次はもうないって散々確認して、今度こそメリッサに良い場所を……って思っていたのに! あんなの詐欺じゃない。それと【冬の女神(オリーブ)】が謝っていたわ!」


 【秋の女神(フィーラ)】様は少女の姿だけれど、すでに千年以上生きている。出会ってからずっと元気溌剌で、明るく表情豊かな方だ。特に私に話しかけてくる時は、出会った時の少女と同じテンションで話しかけてくる。

 しかし今回は登場からして、かなりお怒りのご様子。


「女神様! 今回の件は悲しい行き違いがありまして……」

「そうです、お聞いてください!」

「黙りなさい。散々警告し誓約まで交わしたというのに、愚かにも約束を違えた者たちには然るべき報いを受けるのは当然でしょう」


 急に女神モードに入った。声音も雰囲気も少女のそれとは異なり、すさまじい圧迫感がある。さしもの二人も怯んだ。


「しかし、我ら冬の国に住むことができるのは上位種であり、高貴な存在のみなのです。人族を客人で迎え入れるなど……」

「そう。では今後、シクル国との契約交渉は打ち切ることにしよう。ミツキ国も度重なる誓約違反で聖女派遣は禁止。これは決定事項よ」


 クラーク王子とバイロン様は、一瞬で顔を青ざめた。女神様、私と喋る時とのギャップがすごいわ。


「そ……そのようなことをすれば、貿易は止まり、そちらの国が困るのでは?」

「そうだ。我ら天使族の美しさを見ることができる貴重な機会をみすみす捨てるとは愚かな……!」


 この方がたは、本当に何も見えていないのね。


「残念ながらミツキ国は、シクル国ともに氷の販売と、伝統工芸等が特産物になりますので、流通がストップしても生活に何ら問題はありません。氷は残る四カ国に頼めば良いですし、今は魔導具の発展により、夏の国でも維持管理していますよ。ご存知なかったのですか?」

「ハッ! であれば、我がエルフのシクル国は観光名所だ。旅行することもできなくなる」

「それもここ五年から十年に掛けて、観光客が減っているのはご存知ないのですか? 景色は良いけれど、住民の態度が最悪。高級ホテルをとってもサービスはマイナス星5、料理も観光客より地元民が優先、料理の値段が高い割にまずい……とワースト1位、2位を連覇してます」


 ガイドブック特集でも近年では四ヵ国が10ページに対して、シクル、ミツキ国は見開き1ページのみで最後のページだ。


「バカな!?」

「そんなわけあるか!」

「事実です」

「これは全て捏造、隠蔽だ! 我らの【冬の女神(オリーブ)】様が黙っているとでも、お思いなのでしょうか!?」

『この、愚か共が! 妾が許可したに決まっているであろう!』

「そ、そのお声は……!」

「【冬の女神(オリーブ)】様!?」


 唐突に小烏が姿を見せたと思ったら、麗しい女性の声に変わった。話から察するに、この方が【冬の女神(オリーブ)】様なのだろう。クラーク王子とバイロン様は身を震わせて小刻みに震えていた。


『お前たちの慢心、傲慢さはあまりにも酷い。共存共栄もできぬ愚かな種族は減らすことにする。こんな害悪が増えれば妾の品性を疑われるではないか』


 傲岸不遜だった王子と公爵は茹でた菜葉のように、しおしおになっている。効果絶大!


『時に、そこな愛らしい大聖女よ。そなたに派遣してもたいたのだが、頼めるだろうか』


 可愛らしい小烏は私の肩に、ちょいと止まった。恐れ多くて固まってしまったが、なんとか頷いた。私に【冬の女神(オリーブ)】様が直々に依頼を?


「私のお力が必要なら……」

『助かる。おそらく妾では細かな調整が難しくてのう。非常事態故、加護を強めたが解決には至らぬ。なんとかしてほしいのだ』

「行き先は?」

『ロッカだ』


 ロッカ。白銀の四足獣、聖獣族のいる穏やかな国だったはず。そこで何が?

 ここで考えても始まらない。それでも私に託してくださったのだ。その期待に応えたい。


「【冬の女神(オリーブ)】様、訂正させてください。貴女様のお役に立ってみせます」

『ありがとう、可愛らしい大聖女』


 聖女の力は信仰によるところも大きい。故に他国でも大切にされないと力が発揮しにくい。

 私の場合は、【秋の息吹】という加護のせいでスペックがおかしいらしい。そんなんだから、私が大聖女になっているのだけれど。だから私に直接頼むということは、私がこれから向かう先が適任だからだろう。


 【秋の女神(フィーラ)】様は錫杖で床を三回叩くと、青白い魔法陣が私の立っている場所に出現した。


『彼の地まで私も力を貸しましょう。そのほうが早いわ』

「【秋の女神(フィーラ)】様」

『無事に問題の解決と、今度こそメリッサの願いが叶うことを祈っているわ』

「……はい、行ってきます」


 白亜の光に包まれ、転移魔法が発動する。

 あの場から逃がしてくれたことに感謝しつつ、何が待ち受けているのか。少しだけ身が竦んだけれど、虚勢を張って足を踏み出す。



 《2》



「メリッサ・アルトナー嬢、お待ちしていました。私は冬の国の一つロッカの()()()ヴォルフ・エーベルハルトです。今回は急な派遣依頼(白い結婚)となって申し訳ない」


 この方が――冬の大国の一つロッカの……。私と契約結婚する方。

 転移魔法の入り口となる大聖堂で、好青年が出迎えてくれた。聖獣族特有の露草色の艶やかな髪に垂れたウサギの耳、彫刻のような美しい顔をしている。

 なんて綺麗な色の髪なのかしら。まるで秋空のようだわ。

 青白い毛皮のコートを羽織った彼は、王族らしい所作で胸にて当てて一礼する。その姿に数秒見惚れてしまい、慌てて両手でスカートの裾を軽く摘まんで会釈を返した。


「お初にお目にかかります。秋の法国フォールから参りましたメリッサ──」

「メリッサ。来て頂いて早々にすまない。先に婚姻を済ませてもよいだろうか?」

「は、はい」


 切迫した状況に困惑しながらも、彼に手を引かれて城の中へと向かう。今回は転移魔法によって城の大聖堂に移動したので、長旅の必要はなかった。

 私の祖国、秋の聖法国フィールの他に、春の竜王国リスピア、夏の幼獣国ザライト、冬の国は大きく六つに分かれる。その中でロッカ国は貿易国家の一つだ。


 閉ざされた冬の大国の入国可能な時期は、秋の終わりか春の始まりだけ。だから今回の依頼は異例中の異例。【冬の女神(オリーブ)】様が危惧していたように、想像以上に状況が深刻なのかもしれない。

 それにしても朝早いとはいえ、静かすぎるような?

 城の中だというのに、衛兵はもちろん侍女の姿も見られない。


「本当にすまない……。《戻り蝶》がいる間でないと、他国出身の者との婚姻が認められないのだ」

「(そういえば冬の大国では独特な作法があったような? シクルとミツキでは到着してすぐに教会まで連れて行かれて契約書にしただけだったから、すっかり失念していたわ)そうだったのですね、勉強不足で申し訳ないです」


 謝罪したら、ヴォルフ様のほうが何故か気まずそうに視線を逸らした。何かまた失礼なことをしてしまった? 初対面から厚かましい、あるいは耳障りだと感じたとか?


「あ、ううん。……いや、君を悪くいうつもりもなくて……すまない。時間がないと言い訳ばかりをして……」

「いえ。貴方様は私のことを馬鹿にしないのですね」

「と、当然だろう。……こんな綺麗で可愛い人に……」

「え?」

「なんでもない……」


 聞き返そうとしたら、誤魔化されてしまった。悪口……ではなさそうなので、少しホッとした。

 シクルとミツキの二国だけが、おかしいのよ。うん、そういうことにしておきましょう。



 ***



 朝日の光を浴びて輝くステンドグラスが目に飛び込んできた。素敵な青白を基調とした礼拝堂は、静謐な空気がする。

 天色(あまいろ)の美しい蝶が、大聖堂の周囲を舞う。【冬の女神(オリーブ)】様が婚姻を祝福する時のみに現れる蝶は、幻想的でとても美しい。今までは控え室で婚姻契約にサインをしただけだったのに、なんだかちょっと得をした気分だわ。


「結婚式は日を改めてさせていただくが、先に伴侶の誓いを立ててもらう」

白い結婚(契約婚)なのに結婚式なんて、聖獣族の方々は紳士的なのですね」

「わざわざこの国まで来てくれるのだ、当然だろう」


 今までの常識が端から崩れ落ちていくようだわ。今、私はうまく笑えているでしょうか。

 静寂の訪れた祭壇で私とヴォルフ様は誓いの言葉を口にして、口付けのフリをする。それが冬の国の婚姻契約であり、他国の令嬢かつ大聖女を派遣する決まりごとだった──はずだが「三回目で初めて儀式をするなんて」と自嘲してしまう。

 今のところ違和感があるのは人の気配がないこと。それが【冬の女神(オリーブ)】様の危惧していた何か? でも私の力がどう必要なのかしら?


「――ここ冬の国の一つロッカの地において、万物の神々と四大四季女神、【冬の女神(オリーブ)】に告げる。ヴォルフ・エーベルハルトはメリッサを我が妻として、生涯でただ一人愛することを誓う」


 よく通る声と熱にこもった声にドキリとする。形式だけの誓いだというのに、ここまで真摯敵に口にする人を初めて見た。


「(ああ、この人は私に敬意を払ってくれるのね)……メリッサ・アルトナーはヴォルフ・エーベルハルト様を夫とし、生涯の愛を誓います」

「メリッサ」


 名を呼ばれて顔を上げるとヴォルフ様はすぐ傍にいて、甘い香りに気を取られていた隙に彼の唇が触れた。


「え……?」

「あっ、──っ!」


 ボフン、という音と共に視界が真っ白になる。床に降り立ったのは、十二、三歳ぐらいの少年だった。


「!?」

「ヴォルフ様が……縮んだ?」

「──っ」


 小さくて可愛らしい姿のヴォルフ様は私と目が合った瞬間、青い四足獣に姿を変えた。「キュウウ!」と愛くるしい声を上げる。


「え。(ええええええええ!?)」


 垂れ耳の露草色の四足獣だった。子ウサギほどの大きさだったか。青年だったヴォルフ様が子供になって、そのあと途端に獣になるというのは――これも何かの儀式魔法なのだろうか。


「あ、これは……その……」

「聖獣族の方は、モフモフで素敵な聖獣様にもなるのですね」

「こ、怖くないの? 気持ち悪いとか?」

「何故? モフモフでとっても素晴らしい触り心地で、愛くるしいと思っています」

「あい――っ!?」


 膝をついて四足獣と向き合う。

 露草色の美しい毛並みに、宝石のようなキラキラしたサファイアの瞳は、見ていて癒される。思わず頭と顎を撫でるとモフモフと愛くるしさが増した。


「とっても綺麗な毛並みです。それに可愛らしい」

「わ、私は可愛くなんてない!!」

「あ」


 わああん、と脱兎の如く走り去ってしまった。やってしまったと思ったが、もう遅かった。


「ハッ、王太子に対してなんてことを……。事実とはいえ、不敬で何らかの罰を受けるんじゃ……」


 しかしいくら待っても、衛兵や大臣らしき文官がやってくる気配はない。いやそれ以前にこの国は、何かが可笑しい。


 急な結婚式。

 参列者のいない大聖堂。

 生活音のない静かすぎる国。

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 《3》


「これは……」


 王城と隣接している通路には、衛兵や侍女たちがいたのだが、全員が氷漬けの氷結魔法がかかっている。どれも【冬の女神(オリーブ)】様の使う冬の季節魔法の一つだ。クリスタルのように美しい氷の棺で、仮死状態になっている。

 静寂すぎる国。

 自分以外は誰もいない。


「──っ」


 脳裏に過去の映像(トラウマ)が浮かび上がる。誰も彼もが倒れる中、自分だけ生き残った地獄の日々。

 知識も、経験も魔法すら使えなかった幼い過去。

 幼なじみが病に罹って、救えなかった日々。

 大好きだった人が次々死に絶えていく間、私は──。


「はぁ……はぁ……」


 心臓がバクバクと音を立てて煩い。

 体がこわばって上手く動けず、呼吸も浅くなる。過去の記憶に押し潰されかけた瞬間、ヴォルフ様の姿を思い出し、一人じゃないと気持ちを無理やり切り替える。


「──っ」


 だ、大丈夫。……私の故郷と同じにはならない。あの悪夢とこの国は違う。あの時のように、取り返しの付かない事態じゃないはず。まだなんとかできるかもしれない。

 大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、氷漬けにされた人たちを観察する。


「やっぱりこれは仮死状態の魔法。でもどうして? 【冬の女神(オリーブ)】様はご自身ではうまくできないと言っていた。応急処置が仮死状態だとして、この国の人たちが大罪を犯した? それとも……?)


 ふと氷漬けされている人たちを見て周り、その体に橙色の斑点がいくつか発見した。最初は黄色、次に橙、それから色が紫に変色して、全身に痣のようなものが広がる。


「これって……!」


 そうだ、このままなんの対処もしなければ死に至る、夏の幻獣国で栽培禁止となった【夏宵蔓毒】だわ。秋の法国では夏の幻獣国とは隣同士なので柑橘系の輸入は多く、その時に中毒や毒による被害など耳にしたことがあった。


「檸檬に似た形をしていて、果実を口にすると病にかかるというけれど……。どこから入手した?(……ううん、それよりもこの国で情報が集まる場所、……執務室に行けば何か分かるかもしれない)」


 それから王城の中を歩き回って、執務室に辿り着く。ヴォルフ様の姿はない。執務室には、武官らしき人たちが氷漬けになっている。


「あら?」


 中央の机に座って判子を押そうとしている青年に気付く。ヴォルフ様とそっくりの露草色の髪に、垂れたウサギの耳で、外見は二十代前半だろうか。服装はどう見ても他の文官と異なり上質なものだ。

 ヴォルフ様のご親族の方かしら?

 執務室の書類に目を通すが【夏宵蔓毒】に関しての記述はない。ただ「国境付近の村から氷漬けになる者が出た」という報告書がいくつか届いているのを見つけた。

 【夏宵蔓毒】の解毒は秋の薬草で作れるし、季節氷結魔法も解除はできる。あとはヴォルフ様に協力して貰えれば……。


 王城を探し回ってもヴォルフ様の姿はなく、雪がしんしんと降り積もっていく。

 城下町に降りた可能性も考えたが、足跡などはない。

 あと探していないのは……。


 カーン、カーン。


「!?」


 唐突に大聖堂から鐘の音が響いた。鐘は国の祝福と加護を与えるので毎日ならす必要がある。心地よい響きの鐘は国の加護を促す。

 時計の針は、お昼の時刻だった。


「(自動式の魔法で鐘を鳴らしている? それとも手動なら──)あ、そっか!」


 慌てて大聖堂の階段を駆け上がる。螺旋階段の先には七つの鐘を吊した場所に出た。そこにヴォルフ様の姿を見つけた。

 彼は一人で鐘を鳴らすことで国の加護を維持しようとしていたのだ。愚直なまでに一生懸命で、その姿は幼い頃の自分の姿と重なった。 

 誰も助けに来ない絶望の中で、私の故郷は間に合わなかったけれど、この国の人たちは……絶対に助けたい!


「ヴォルフ様!」

「め、メリッサ」


 ビクリと体を震わせたヴォルフ様の耳は、なんだか更に垂れて凹んでいるように見えた。服装は青年だった時と変わらないが、年齢は十二歳ぐらいだろうか。

 同じ目線になろうと腰を屈めた。


「この国で何が起こっているのか、おおよそのことは把握しました。ご安心ください、必ずこの国をお救いいたします。元々そのように【冬の女神(オリーブ)】様から依頼を受けているのです」

「──っ」

「ただ……他国出身である私だけではできないことがあります。殿下のお力をお借りできませんか?」


 ヴォルフ様はギュッと拳を握りながら、私の顔を見返す。その瞳からは涙が溢れつつあった。


「き、君は怒ってないのか? いや私に失望してはいないと? こんな危機的状況で巻き込んで……姿を偽って、挙げ句の果てに中途半端に逃げ出してしまう……こんな駄目な王子なのに……!」


 自分を責めるヴォルフ様の姿に、私はできるだけ口元を緩めて微笑んだ。


「ヴォルフ様」


 困惑するヴォルフ様の手を両手で包んだ。彼の指先は凍てついたように冷たい。ずっとこの場所に居たのだろう。

 よく見れば手が荒れているし、顔色も良くない。ずっと一人で無理をしてきたのがわかった。グッと唇を噛みしめて、できるだけ明るくヴォルフ様に声をかける。


白い結婚(婚姻契約)の依頼は今までもありましたし、今よりも複雑かつ政治絡みや土地の魔素(マナ)が淀んで魔法が使えないなどもありましたし、そもそも人族というだけで目の敵にする、奴隷扱いする地域も……」

「え」

「それに私は流行病で故郷を失いました」

「メリッサ……」

「だからこそ、【冬の女神(オリーブ)】様に選ばれたのでしょう。それに私は、ヴォルフ様のいる、この国を助けたい。氷漬けされているのは、【夏宵蔓毒】の症状を緩和するためですし、薬だってすぐに作れます!」

「毒!?」

「はい」


 ヴォルフ様は声を荒げた。もしかしたら氷漬けになっている原因も、分かっていなかったのかもしれない。


「【冬の女神(オリーブ)】様は【夏宵蔓毒】に掛かった者たちを救うために、仮死状態にすることで毒の進行を防ごうとしたのだと思います」

「では……【冬の女神(オリーブ)】様の怒りや、呪いでもないと?」


 ヴォルフ様の声は震えていた。そうよね、みんな凍っていったら、【冬の女神(オリーブ)】様の怒りを買ったと勘違いしてもおかしくないわ。


「他国では女神様の怒りを買ったと噂が飛び交っていたので、もしやと……」


 あー、それは完全に私が関わった案件です。そう言いかけて言葉を呑み込んだ。できるだけ怖がらせないようにしなくては。


「それはシクル国とミツキ国で、派遣された聖女を奴隷のように扱ったからですわ」

「そんな酷いことを!?」

「はい。誓約書も取り交わして、客人待遇だと【秋の女神(フィーラ)】様に再三注意されたのにも関わらず、自国に着いた途端、好き放題だったとか」

「なんて酷い。……聖女は女神の加護を得ている特別な方だというのに」

「自分の種族が上位だから、何でも許されると思っていると思っているのでしょう。でも聖獣族の方は違うでしょう。その証拠に私は【冬の女神(オリーブ)】様から直々に依頼を受けて、ここに来ています」

「見捨てられた訳でも、怒りを買ったわけでも無かった……」


 泣きそうになるヴォルフ様が可愛らしくて、思わずギュッと抱きしめてしまった。大丈夫ですと、背中を摩る。緊張が解けたのか、「うぅっ」とヴォルフ様は大きな声を上げて泣いた。ずっと気を張っていたのだからしょうがないわ。

 それから体が冷えてしまうから、と部屋でチャイを入れた。シナモンとスパイスが効いたこのお茶は、体の芯から温まる。


「……初めて飲んだけれど、とても……美味しい」

「それは良かった。飲んだから体がポカポカするんですよ」

「うん。あったかい」


 昔、お母様が作ってくれた秘伝のチャイだ。自分以外に作るのは【秋の女神(フィーラ)】様以来だろうか。美味しいと言ってくれたのも。

 私もヴォルフ様の泣き虫が移ったのか、涙腺が緩みそうになったけれど今、涙を見せたらヴォルフ様が不安になってしまうと思って、堪えた。


「……話の途中でしたが【夏宵蔓毒】という毒は、そもそも夏の幻獣国にしか生息しません。また栽培禁止になっているのです。行商が知らずに冬の国に売ったのか、あるいは事故だったのかは不明ですが、私の【四季豊穣魔法】であれば、薬草を生み出して薬を作ることは可能です。問題は……」

「何だ?」

「その、ご存じかもしれませんが【四季豊穣魔法】は、その土地の魔素(マナ)を使い影響をおよぼします。そのため【冬の女神(オリーブ)】様の怒りを買わぬように、その国の者と協力して、術式を作り上げる必要があるのです」


 緊急事態なのでできるだけ協力して欲しいと思ったのだが、私の掴んだ両手をヴォルフ様は強く握り返す。


「ヴォルフ様?」

「もちろん、何でも協力する。【四季魔法】は女神様に連なる者だけが使えると聞いている。それで私は何をすればいい?」

「まず秋の薬草を生成する広い土地が欲しいです」

「うん。問題ない」

「それと……私が魔法陣を描き上げるまで、傍に居て貰えますか?」

「メリッサの傍から離れなければいいのか? ほかは?」

「ないです。ああ、半径十メートル以内に居ていただければ助かりますが」


 反応が怖いけれど、勇気を出して提案したら快諾してくれた。手を繋いでいるとか、ギュッと抱きついているとか、四足獣になってマフラー代わりにすることだって構わないと言い出してきた。

 想定外の反応に驚くも、否定されなかったことに安堵する。


「次に氷結を解除する順番ですが、薬のストックができてから、【季節豊穣魔法】が使えそうな方、あるいは薬師の方を数名ほど教えてください。その方たちから優先して起こしたいのです」

「わかった!」


 ヴォルフ様の決断力と実行力は素晴らしかった。

 王城の裏にある畑だった場所を提供してくれて、【季節豊穣魔法】を使える王宮魔道士と薬師のリストアップも素早く行われたのだ。


「ではこの畑を一時的に【秋の女神(フィーラ)】様の恩恵を得るための場所にします」

「ああ、わかった。よろしく頼む」



 《4》



 それからは時間との勝負だった。魔法陣を描くのもヴォルフ様に手伝ってもらい、複雑な幾何学模様を描いていく。初めて誰かと一緒に作る魔法陣は、何だかキラキラと輝いて見える。一人ではない。たったその事実が胸を温かくする。

 いつもよりも筆の進みが早い。描き進める術式もいつも以上に精緻で芸術的にすら思えた。休憩を挟みつつ、描き終えた頃には日が暮れつつあった。

 夜になる前に描き終えて本当に良かったわ。雪の中でも手がかじかまずにすんだのは、ヴォルフ様の竃の加護で体をくっつけている対象者の体も、温かくしてくれるという。ぬくぬくだし、モフモフ。

 ヴォルフ様は四足獣から人に戻ると、私の手を当然のように掴んでくれた。気遣ってくれているのが、とても嬉しい。


「描き終えたあとはどうすれば良い?」

「私からできるだけ離れず、傍に居てくれれば嬉しいです」

「わかった!」

「!?」


 そう言うなりヴォルフ様は私に抱きつく。年下とは言え思い切り抱きつかれたことに危うく詠唱呪文を間違いそうになった。

 少年に抱きしめられている女性――という構図は、第三者が見たら眉を顰めるに違いないわ。次に魔法を使う時は手を繋いでもらったほうが健全よね?

 もっとも手を繋いで貰えるか分からないけれど。


「秋麗の満たす大いなる杯に収穫と豊穣を形と成して、この土地の者たちの助けとならん。古き時の霊脈と魔素の恩恵により、我らに僅かばかりの慈悲を――錦秋(オロ・オータム)の豊穣(マイア)


 金色の光によって雪が溶けて、大地から青葉が芽吹き、植物はあっという間に実りを付ける。その成長速度は凄まじく、過去最高の仕上がりだった。

 秋特有の薬草、食料となる木の実やら果実が一瞬で収穫できるまで成長したのだから驚きだ。


「こんな……」

「メリッサはすごいのだな!」

「え、あ……いえ、私もこんな早く実るなんて今までありませんでした。ヴォルフ様が一緒に作業をしてくださったからかもしれません」

「であれば、嬉しい」


 一緒に、それだけでこんなにも成果が違うなんて。

 私の言葉にヴォルフ様は嬉しそうに笑った。笑顔を向けられたのも、よく考えれば久しぶりだわ。秋の法国の人たちはみんな優しいけれど、派遣で入れ違いや婚姻で居なくなることが多い。

 笑顔が私に向けられるだけで、こんなにも胸がいっぱいになるものだったのね。昔はそれが当たり前だったのに、いつの間に変わってしまったのかしら。


「私はメリッサの夫なのだから、夫として妻を労って、大切にするのは当然だ」

「夫!」

「あ、……急に身内面されるのは……嫌だったか」


 しゅん、と尻尾まで垂れ下がって凹んでいた。何だか可愛らしくて頭を撫でてしまう。これでは夫どころか子供扱いなのだが、ヴォルフ様は思いのほか嬉しそうに頬を染めた。


「妻に頭を撫でられるのは、存外良いものだな」

「そ、そうですか?」

「ああ。聖獣族は番を大事にする。触れ合うことや、食事を食べさせ合うことも愛情表現だ。……しかし、私は君より、その、今はまだ背は低いが……あと二、三年すれば追いついて追い越す。だから、ちゃんと私だけを見て居てくれ」

「ひゅっ」


 唐突に男の人の顔になるので、呼吸がおかしくなりそうになった。あれ? ヴォルフ様って本当に年下なのでしょうか。……二、三年後。この方はあっさりと三年後も私が隣に居ることを望んでくださるのね。


 一時でもそう言ってくれるヴォルフ様の思いやりに胸が温かくなった。陽だまりのような明るくて優しい王太子。

 この幸福が一秒でも長く続くことを柄にも無く願ってしまった。



 ***



 日が沈んでも、魔鉱石の街灯が畑を照らしてくれるので真昼のように明るい。寒さもヴォルフ様のおかげでかなり楽だ。今までシクルやミツキ国では、寒さの中でも薄手の外套だけで手伝ってもくれなかったし、ノルマ達成までは屋敷に入ることを許可してくれなかった。


「ここは天国かしら」

「メリッサ」

「はい。さぼってませんよ? ちょっと色々思い返しだけで」

「君がさぼっているなんて、露ほども思っていないよ。それよりも今日の収穫は、ここまでにしよう」

「え。でも薬を少しでも作ったほうが……」


 すぐにでも薬をできるだけたくさん作るべきだというのに、どうしてヴォルフ様は私の身を案じてくれるだろう。聖女になってからは加護が強いので風邪や病などにはそうそうならない。頑丈なのだ。悲しいことに。


「それも大事だけれど、私たちが倒れるわけには行かないだろう。今日はメリッサもこの国に来たばかりで大変だっただろうし、食事の準備や寝る場所の案内もしたい」


 私の手を掴んでヴォルフ様は有無を言わさず、王城の生活区域に向かった。ちょっと強引だったけれど、そこには私のことを大切にしたいという気持ちが伝わってくる。部屋の掃除などは魔導具を使っているらしく、埃っぽい感じはない。


「あのヴォルフ様、私の部屋は……」

「ここだが。もちろん隣の部屋は、私の寝室に繋がっている」

「と、隣の!? 寝室!?」


 私が驚愕の声を上げると、ヴォルフ様はムッとした様子で眉をつり上げた。


「私がいくら子供だったとしても、すでに婚姻は終わっているのだ。妻として扱うのは当然だし、……そ、それに添い寝ぐらいはしてもいいだろう!」


 この方は本当に私を妻として扱ってくださるのね。それが契約だったしても、大切にしてくださるなんて夢みたいだわ。【白い結婚】だから、と今までの扱いのせいで私の感覚が麻痺していたのだと痛感する。【白い結婚】とはいえ、夫婦なのだ。

 対等であるべきだとヴォルフ様の意見に大賛成だし、嬉しい。


「それともメリッサは、こんな子供では嫌か?」


 垂れ耳が更にへにゃりと項垂れているように見えて、慌てて首を横に振る。


「そ、そんなことありません。ヴォルフ様にそこまで言って頂けるなんて嬉しいですわ。私にそんな風な言葉を掛けてくださる方は今まで居ませんでしたから」

「見る目がない奴らだ。メリッサはこんなにも綺麗で、聡明で、とても素敵なのに」

「ヴォルフ様……」

「これからは私がメリッサを大切にする。……メリッサ、今回のことが終わっても、ずっと傍に居てほしい」


 どこまでも真っ直ぐに私を見て、率直な気持ちを口にしてくださる。ヴォルフ様の優しさは強張った私の心を優しく解きほぐしてくれる。


「光栄ですわ」

「メリッサ、いなくならないと約束してほしい」


 ヴォルフ様は鋭い。私が言葉を濁したのに気づいたのだ。私もできればヴォルフ様の傍に居たい。でも……今は非常事態で、他に頼る人がいないから。ヴォルフ様がいくら素晴らしい人でも、彼は王族なのだ。彼が私を優遇することで、他の側室や妃の座を狙うご令嬢はいるのだから。そんな人たちに目を付けられたら、後ろ盾のない私なんてあっという間に居場所を奪われる──可能性だってある。

 心を通わせなかったから、仕事だと割り切ってシクルやミツキ国の待遇に耐えられた。でも今回はそうじゃない。だから喜んだ後で、話が変わってくるのが怖い。


「メリッサは、私のことが嫌いなのか?」

「そんなことないです。むしろこれからもずっと一緒にいたいです」

「本当か!」

「本当です。……こんなに優しくして貰えて、ここに派遣されて嬉しくて、これ以上を望んだからバチが当たるんじゃ無いかって」


 ヴォルフ様は私に抱きついて「そんなことは絶対に無い」と安心させてくれた。これではどちらが年上だか分からないわ。でもヴォルフ様の温もりが心地よくて、ほんのちょっぴっとだけ、涙が零れた。


「ヴォルフ様の傍にずっといます(貴方が私を必要としてくれる限り、傍にいます)」


 シクル国と同じような状況にならないように。嬉しいという思いを抱きながらも、心の中では裏切られるかもしれない。また捨てられるかもしれない。そんな未来を捨てきれないでいた。

 ヴォルフ様が素敵な方でも周囲がそうとは……限らないかもしれないもの。



 ***



 それからヴォルフ様と収穫を行い、解毒薬を作る日々が続いた。食事も二人で作り、作業効率を上げるためにも役割分担をして、薬のストックと充分な食料を用意する。幸いにも仮死状態のままだと毒の影響ごと凍結させているものだと判明し、少しだけ気持ちが落ち着いた。

 それでも仮死状態が長く続くのは良くないと思い、できる範囲で解毒薬を作っていく。


「薬は魔法を使わなくても作れるのだな」

「魔法でも出来ないことはないですけれど、今は魔法陣に魔力を使っているので効率的に手作業で作ったほうが早いのです」

「なるほど。……秋空ギンモクセイと七星のヒシの実、夕暮れのオミナイシ、竜香のナツメ、七草のクズ……どれも秋の薬草ばかり使うのだな」

「私は【秋の聖女】だから、というのもありますが……」


 ヴォルフ様は珍しそうに秋の薬草を眺めている。ふさふさの尻尾が揺れているのがまた可愛らしい。ギュッと抱きしめると垂れ耳がピクッとするし、尻尾も更に揺れるのよね。


「メリッサ?」

「あ、いえ。ええっと……【夏宵蔓毒】は夏の毒果実ですから、癒すのは秋に収穫される薬草が良く効くのです。春や冬の薬草でもいいですが、効き目などを考えると、春の毒は夏、夏の毒は秋、秋の毒は冬、冬の毒は春と覚えておくといいかもしれません。ただ秋の季節の薬草は育てる者の熟練度で、どの四季でも素晴らしい効果が得られると言われています」

「メリッサのように?」

「わ、私などまだまだですよ」

「そんなことない。解毒薬を作るメリッサは生き生きしていたし、真剣で……とても凜々しい」

「り、わ、私が!?」


 ヴォルフ様の賛辞にドギマギしてしまう。しかしヴォルフ様は天然の褒め上手なのか、私への称賛は続く。


「それに昨日のクリームシチューは、とても美味しかった。パンも表面はサクサク、中はもちっとしていて、今まで食べていたどの料理よりも美味しかったぞ」

「そ、そうですか? その王宮ではもっと素晴らしい料理がでるのでは?」

「妻が作る料理が世界一美味しいに決まっているだろう。それに素朴かつ優しい味わいで私はメリッサの味がいい」

「そ、それは……光栄です」


 ヴォルフ様はしきりに私が妻であることを口にする。それが何だかこそばゆい。

 一週間分の薬のストックも増えて来たところで、薬師や秋の季節魔法を使える人たちの氷結魔法を解除していく。

 秋の【季節魔法】の使い手なら、今ある魔法陣に魔力提供してくれるだけで作物の成長も早くなる。そうすれば薬を作る量も増えるからだ。


 一人一人順々に氷結魔法を解除して、薬を飲んで貰う。その際に、ヴォルフ様から事情説明を行って貰った。よそ者の私が出しゃばるよりもスムーズに運ぶからだ。

 症状の軽い人なら一日か二日で復調するだろうと思っていたが、聖獣族は頑丈なのか初日で完治する人たちが出てきた。


「助かりました、メリッサ様」

「メリッサ殿と殿下の声は仮死状態でも聞こえておりまして、勇気づけられました!」

「あ、その……いえ……」


 まさか色んな人から感謝されるなんて……!

 それに皆さん、並んだからみんな長身なのね。


「メリッサは私の妻だからな」

「ヴォルフ様!?」


 ぐい、っと私の腕を掴んで抱きついてきた。どうしてその台詞が出るのか分からずに反応に困っていると、周囲の聖獣族の人たちは優しい眼差しで私とヴォルフ様を見返す。


「分かっております、殿下」

「よき方を妃に選ばれたようで、嬉しいです」


 こ、この国の人たちはみんな褒め上手だわ。

 今まで感謝されたことが殆ど無かったので握手を求められることや、お礼と言って菓子や花を貰うことなんてなかった。驚くことに私に侍女が付き、リースが日常生活のサポートをしてくれた。


 リースのおかげで自分の仕事に集中もできるようになり、料理も私とヴォルフ様が一緒に作ることはなくなった。少しだけ寂しかったが、今までが非常事態だったのだと理解する。本来なら王族である彼が料理すること自体あり得ないのに、そんなことにも気づけないでいたなんて……。

 それでもヴォルフ様は私との食事を楽しみにしてくれていて、食べ合いっこは続いた。もしかして妻というよりも、母親的な好かれようなのかしら?

 だとしたら勘違いして恥ずかしいわ。


「メリッサ?」

「そ、そういえばヴォルフ様のお母様との食事はよいのですか?」

「なぜ母上が出てくるのだ? 私は自分の妻と食事する時間が楽しみだというのに……」


 子供扱いされたと察したのか途端に不機嫌になる。青く美しい尻尾が逆立っているので、怒っているのだろう。


「ごめんなさい」

「謝るぐらいなら、後で私と中庭の散歩をしてくれ。雪薔薇が綺麗に咲いたんだ」


 可愛らしい要求に私は「喜んで」と答えた。


 《5》


 ロッカ国で暮らしてあっという間に一年が経った。

 侍女のリース、料理長のロハス、騎士団の面々も復帰を果たしてからは、氷結魔法を解除して国民たちの救護が急ピッチに行われるようになった。

 国王、王妃の復調したのも大きいだろう。


 本来なら国王と王妃に挨拶をすべきなのだが、薬のストックを作るため連日忙しく働く私とヴォルフ様を鑑みて、改めて場を設けるということに。私の仕事を見て判断してくれる国王と王妃の気配りが嬉しかった。他国では自分たちの都合で何度も呼び出しを受けて、作業が滞ることがあったのが懐かしい。

 本当に劣悪な環境だったと思う。当時の契約者だった王子、あるいは公爵は本当に酷い人たちだと思ったけれど、同時に私はもっと自分のことを大切して行動すべきだったと反省する。私が頑張りすぎたことで彼らを増長させたのだ。あんな無茶振りを一人でなんとかせずに、私はそのままトランクを持って秋の法国に帰るべきだった。


 今更ながら、自分の失態を思い出すと凹んだ。

 ため息を吐くと、ヴォルフ様が飛ぶようにやってきて、私をギュッとしてくれた。構ってほしいと思われたのだとしたら、気遣わせてしまって申し訳ないわ。でも、ヴォルフ様が隣にいるのは胸が温かくなる。


 食事を終えてヴォルフ様と一緒にソファでまったりする。薬作りも落ち着きつつある中、いつの間にか私の隣に座るのが当たり前のようになっていた。


「仮死状態になっている国民はあと少し……。これも全部メリッサのおかげだ」

「あと少し?」

「ああ」


 ふと執務室にいた青年のことを思い出す。国王陛下、王妃を含めた大臣たちは仮死状態を解除するときに見ている。でもその中にあの青年はいなかったわ。


「メリッサ?」

「執務室で氷漬けになっていた方……。ヴォルフ様とよく似た髪の色をしていたと思うのですが、あの方も?」

「――っ」


 その話をした途端、ヴォルフ様は動揺を見せた。目が泳いでいたし、尻尾もいつも以上に逆立っている。王族の継承者問題はどの国でもいろいろあるのだろう。センシティブな話題だっただろうか。


「……メリッサは、あの者に惹かれているのか?」

「え? あ、いえ……。そう言うわけでは……」

「本当に? 私よりも優れているからとか、見た目が良いからとかで、気になった訳ではないと?」

「違います。単にリスト漏れがあったら怖いと思ってただけで……」

「じゃあ、メリッサの夫は私のまま。そういうことだな」

「え? ええ、それははい」


 ヴォルフ様はいつになく焦った顔で聞いてくるので、その勢いに驚きつつも頷いた。その後も何度も確認してきたが、「夫はヴォルフ様でしょう」と言ったらピタッと止まる。もしかして私が誰かに取られると思ったの?

 まさか、ね。


「そうか。よかった。……んん、メリッサ。色々と落ち着いたら今回のことも含めて話がしたい。それまで待っていてくれないだろうか」


 ヴォルフ様は私の手の甲に手を重ねる。指先は温かくて、彼の言葉はいつも優しい。


「ええ。今は薬の生産スピードも順調だから、あと二ヵ月から半年で国民全員の病も完治すると思うの。そうしたら少しはのんびりできるはず」

「それとは別に、結婚式もちゃんとあげなければな」

「――っ!?」


 夢のような話だ。

 今は【季節豊穣魔法】の拡張と、収穫、薬作りがメインで動き回っているが、ヴォルフ様はできるだけ私と一緒の時間を作って作業を手伝ってくれる。

 王族が率先して動く姿は目に付き、周囲はもちろん国民からもヴォルフ様の人気が高まっていった。


 その忙しさも【夏宵蔓毒】の薬が不要になったことで、わずか三ヵ月で終止符が打たれた。目まぐるしくも走り回っていたのが嘘のように、王城には活気に溢れた声が満ちていた。国を挙げての祝いもするという。

 この一年は毒の件もあるため一時的な鎖国状態だった。誰が毒を持ち込んだかは騎士たちが調べているのだろうけれど、私の耳には入ってこない。【白い結婚】をしているとはいえ、余所者なのだからしょうがないわよね。


 この国の人たちは優しいままなのは変わらない。私は王ヴォルフ様の妻として王族の居住区域で暮らしている。以前のように気軽に城下町には行けないので、たまに王城の窓から国を眺めていた。

 ああ、あの静けさが嘘のよう。……今まで二つ国を訪れたけれど、この国が一番雪や町並みが綺麗だわ。人も、景色も、雰囲気も、すごく、すごく好きになった。


 毛皮のコートを羽織りながら、この国の町並みを眺める。最初に来たとき、街灯の明かり以外、明かりが灯っていなかったわ。活気も人の息づかいも感じられないほど雪が音を呑み込んだかのようだった。

 それが今では夜でもオレンジ色の家の明かりが目に付く。


「この国を救えてよかった……」


 私の故郷は助からなかったけれど、今度は救えたことがただ嬉しい。あの時は何の役にも立たなかったけれど、今回は違う。

 思えば私が無理をしようとするのは、故郷を救えなかった負い目があるからなのよね。だからシクルやミツキ国でもそうならないように、って頑張り過ぎちゃった。

 頑張って、無理をして、自分の心をすり減らして、切り崩して……何も見えていなかったのだわ。


 私は自分一人でも状況を覆したかった。なんとかしたことで、過去の、故郷のどうしようもなかった贖罪にしたかったのだ。生き残ってしまったから背負うべきだと、勝手に思い込んで……。なまじ加護が強かったから、無理をしてもなんとかしてしまって、もっと早く気づいていたら、もっと早くにマシな人間になれていたのだろうか。


 今回はヴォルフ様が尽力してくれたからに限る。私一人ではもっと時間が掛かっただろう。いや私一人では誰一人救えなかった。

 結局、私は一人でできることなんて、たかがしれている。でもそれでいいとこの国の人たちは言ってくれたし、ヴォルフ様はいつだって私の隣で、私を支えてくれた。だから、一人よがりでなんとかすることもなくなって、代わりにヴォルフ様に相談することが増えた。

 少しは夫婦らしくなって来ただろうか。周りの人たちも私に対して好意的だし、ヴォルフ様との仲を悪く思う人はいなかった。


 でもそれは私が出会っていなかっただけで、知らなかっただけ。それを思い知らされる日が来た。



 ***



 私は今までの功績を称え、休養する時間を得た――だが、どうにも落ち着かなくて気付けば王城の図書館に足を運んでいた。

 図書館内は静かなのだが、その通り道には温室の庭園があり、貴族令嬢たちの賑やかな声が聞こえてくる。お茶会も復活したようだ。

 もっとも私がお茶会に出るのは結婚式の後だとか。正式に周知させるためだとヴォルフ様が言っていたのだ。どうして結婚式の後なのか、その理由を私は愚かにも深く考えていなかった。


「ヴォルフ様、本日はお茶会にご参加ありがとうございます」

「いや。……それよりもメリッサ、私の妻の姿がないのだが?」

「ああ、あのお方は、私どもと話すよりも本を読むのに集中したいと参加を断ったのです」

「何度お声がけをしても、色よい返事をいただけなくて……。もしかして私たち、嫌われているのでしょうか」


 初耳だ。

 彼女たちの声は丸聞こえで、図書館の入り口まで聞こえていた。

 ああ、【秋の聖女】として役目が終わった頃から陰口が増えるのは、いつものことだわ。だって私はよそ者だもの。そして誰も庇ってはくれなかった。


 前回は気にせず、無反応でことを荒立てずにいた。悪い噂というのはその日のうちに国中に駆け巡る。下手に反論すればさらに傷は深まるし、王子や公爵も取り合ってはくれなかった。ヴォルフ様は、片方だけではなく話を聞いてくれると思いたいけれど……ここで私が出張るのは良くないわよね。

 離れようとしたその時だった。


「そうか。メリッサにそのような手紙が届いた記憶は無かったが、私の勘違いだったか」

「なっ」

「そ、そんなことありませんわ。ちゃんと――」

「メリッサへの贈物や手紙は全て私が管理している。変な虫が付いても困るからな」


 その場が一瞬で凍り付いた。


「メリッサは私の妻、つまりは王族の一員でもある。その彼女に対して嘘をついたのなら不敬罪が適用されるが、君たちが正しいというのなら調べても問題ないな」

「い、いえ……殿下」

「あ、ああ。思い出しましたわ。私としたことがうっかり手紙を送り忘れていたようです」

「ああ、そうか。間違いなら致し方ない。…………だが、次はない。今回の件は各家にそれぞれ抗議文を出させて貰おう」

「そ、そんな」

「それはあまりにも一方的すぎませんか? 彼女は王族ですが所詮はよそも──」


 ヴォルフ様はだん、とテーブルを激しく叩き令嬢たちを黙らせた。


「彼女は国を救った大恩人だ。その顔に泥を塗り、私の妻を貶めようとしたのだから、一族もろとも覚悟しておくのだな。そして彼女は【秋の女神(フィーラ)】様の加護を強く得た大聖女の一人であり【冬の女神(オリーブ)】様から直接今回の依頼を受けた、お前たちのような王族にこびるだけの存在と同列に考えないでくれないか」


 低く冷たい声音だった。

 けれど私にはヴォルフ様の言葉が嬉しくて、浮かれていた。

 初めて私を守ろうと動いてくれた――それだけではなく、心から夫婦であろうとしてくれるのが嬉しくて堪らない。できることならこのまま、ヴォルフ様の傍にいたいわ。


 けれど、その願いは、脆くも崩れ去る。



 ***



 春先の国交を再開した途端、ミツキ国の公爵家嫡男バイロン・ソーンダイク様と、シクル国の第三王子クラーク・コニックフォード様が王城に乗り込んで来たのだ。かの国は既に【冬の女神(オリーブ)】様から見放され、作物は実らず、大地は雪で覆われその数を減らしていった。そんな過酷な状況でも、生き残るだけの悪運はあったらしい。


 表向きは復興支援要請を求める使者だが、先触れもなくほぼ強引な形での入国だったらしい。聖獣族は温厚で義理堅い種族だったのもあり、自国の立て直しが忙しいにも関わらず、使者たちを歓迎した。

 数日後、パーティーを開く――と言う話を、ヴォルフ様は不満気に語った。


「あれはメリッサを讃えるための祝賀会であり、私の妻として公表する名目だったのに……。彼らの話と周辺諸国にいた情報屋からのネタはずいぶんと乖離しているようだ」


 そう寝室でプリプリと怒るのは、四足獣の姿をした愛くるしいヴォルフ様だ。

 お風呂上がりでハーブの香りが鼻孔をくすぐる。サラサラの毛並みをブラッシングするのが最近の日課だったりする。

 一年も経つとヴォルフ様の背丈はぐぐっと伸びて、あと一年もしたら身長は抜かれてしまうだろう。大人びて来て声変わりも始まろうとしている。


「毛繕いするのも、夫婦と家族だけの特権なのだ」

「ふふっ、光栄です。モフモフでヴォルフ様はいつも良い匂いがしますし、温かい。誰かと一緒に寝るって、とても心地よくて安心できるって、最近すごく思うのです」


 ピクリとヴォルフ様の耳が大きく揺らいだ。尻尾も逆立っているのだが、これは怒っているのではなく、驚いているのだろう。それが分かるぐらい一緒に居たのだと思うと、嬉しくなる。


「メリッサ、その、私以外に誰と……? き、君が婚姻契約で、その他国でも派遣しているのは……聞いたのだが……」

「一緒に寝ていたのは両親ですよ」

「りょうしん」

「はい。あ、ミツキ国の公爵様、シクル国の第三王子とも婚姻契約は結びましたが、契約者としてで、夫婦らしいことは何一つありませんでした。今思えば契約書にサインをしただけで【冬の女神(オリーブ)】様の前で誓ってもないので、あんなのは無効です」

「そ、そうか。……両親。……メリッサはこんなに可愛らしいのに、見る目がない。いやそのおかげで私の妻になって居るのだから、喜ぶべきなのか?」


 途端に元気に尻尾を振るので、その姿も愛くるしい。

 そんな彼が持って来た資料に目を落とすと、報告書は思った以上に酷かった。表向きは歓迎だが、実際は他国と軋轢を生まないため、また問題を起こす前に屋敷まるごと貸し切ってもてなしをしている、という部分に目が留まった。


「ヴォルフ様。いくら他国と軋轢を生まないためとはいえ、使用人たちは大丈夫かしら?」

「ああ、その対策はすでにしてある。使用人から近衛騎士まで戦闘に特化した人たちで固めていてね、この国は法治国家だから他国の王侯貴族だろうと関わらず、この国のルールが適用される。入国手続きの際にしっかりサインしてあるから、そのあたりは抜かりない」

「法律……だからロッカ国は治安が良くて、町並みや観光スポットとして評判が良いのですね」


 ヴォルフ様はロッカ国のことを褒められて、自分のことのように喜んでいた。尻尾が大きく揺れて、愛くるしいわ。


「ああ。話が通じない、法律を守らない連中もいる。今回のバイロンやクラークはその中でもとびきりだね」


 報告書には、ここに来るまでの経緯が書かれていた。秋の法国の聖女を虐げた罪で、バイロン様一族それぞれから財産は没収し没落。クラーク第三王子は口減らしのため国外追放となった。そこで彼らは秋の大聖女()がロッカ国にいると思い出し、祖国に戻って地位を確立するための道具として私を連れ戻すつもりなのだろう。


「えっと……それ、本人たちから聞いたのですか?」

「我が国に来るまでの間に、喚いていたそうだ。秋の大聖女は元々自分の所有物だから、当然だと。……私は入国させずに凍死させてもよかったのだが」

「ヴォルフ様!?」

「私の妻を取り返そうなどと、愚かなことを言っている連中をなぜ歓迎しなければならない。メリッサは私の妻なのに!」

「ヴォルフ様」


 その後の報告書の内容も酷かった。

 ロッカ国に来る前、彼らはいがみ合いながら他の三つの国に滞在して来たそうだが、あちらこちらで問題を起こして無銭飲食、窃盗、追い剥ぎ、ホテルなどの支払いをせずに夜逃げと、そのたびに捕まっては強制労働を強いられた。

 現在、シクル国とミツキ国は、大飢饉と疫病と【冬の女神(オリーブ)】様の眷族によって、数を減らされているとも書かれていた。

 どちらの国も酷い状態だわ。もしこの状態を打開する者を連れて帰ったとしたら──。


 ゾッと背筋が凍った。つまり私を取り戻したいのは、自分たちの地位や名誉の回復だけ。それ以外の何物でも無いのだ。なんて人たちなのかしら。絶対に会いたくないわ。


「──っ」

「大丈夫。どんなことがあってもメリッサは、私が君を守る」


 ヴォルフ様は私の手をギュッと握った。あどけなさが残った顔立ちだけれど、なんて頼もしいのかしら。


「ええ、そうね。私には頼りになる夫……、旦那様がいるのだから何も心配していないわ」

「うん」


 ヴォルフ様は額をコツンと合わせて、幸せそうに微笑んだ。以前は私にギュッと抱きつくだけだったのに、いつの間にかキスが増えて……ドキドキする。聖獣族は一夫一婦で、愛妻家らしい。一途で、愛情深い。

 前回お茶会の時にいた令嬢たちは、この国に移住してきた他の種族らしい。冬の国は聖獣以外にも幻獣種、亜人種の集落があるのだが、人に対して見下すようなところがあるとか。


「他の種族には、次のパーティーの時に見せつけければ令嬢のほうは落ち着く」

「それは助かるかも」

「メリッサは絶対に独りにならないように。私もずっと傍にいるし、ダンスを五、六回すれば他の者も察するだろう」


 ダンスをたくさん踊ると、どうして牽制になるのかしら。

 一応秋の法国では元男爵令嬢という肩書きはあるが、テーブルマナーとカーテシぐらいしかしらない。ヴォルフ様の隣に居続けるのなら、そういった知識や教養も必要になってくる。


「私、貴族らしい作法とか不安なのだけれど」

「ゆっくり覚えていけば良いし、難しいのなら最低限で良いと思っている」

「いいの?」

「うん。私は王位を──ううん、この話はもう少しだけ待ってほしい」

「?」


 そういえば何か大事な話があると言っていた。おそらくは国家絡みでの機密事項なのでしょうね。話してくれないのは信用されていないからとは思いたくないし、どちかというと話したくても話せない誓約でもあるのかもしれない。

 ヴォルフ様がいずれ話すというのなら、それを待とう。


「わかりました」

「メリッサ、ありがとう」

「どういたしまして」

「メリッサ、愛してる。あと一、二年すれば私も成人するから、どうか他の男に目移りしないで、私だけを見ていてほしい」

「ふふっ、目移りなんてしないわ。それよりも年上の女でいいの?」

「メリッサがいい。メリッサじゃないとダメだ」


 ギュッと私を抱きしめるのは、昔と変わらない。

 欲張りだと分かっていたけれど、ヴォルフ様とこのまま一緒にいたい。この国を第二の故郷にさせてほしい。

 ヴォルフ様が何か隠しているのは何となく分かっているけれど、それは私を貶めるようなものではないし、この国の人たちはお日様のように温かい。

 私が人族でも、よそ者でも、同じ輪にいれてくれる。


「私も愛していますわ、ヴォルフ様」


 今度のパーティーで色んなことがわかる。

 そう、思っていたのにダンスやエスコートさえ、何一つ叶わなかった。


 《6》



 パーティー当日、私は吐きそうなほど緊張していた。大聖女として戴冠式や儀式などで人前に出ることはあるけれど、王侯貴族のパーティーとは縁が無かった。他国で歓迎されることがなかったもの。


「メリッサ様、お似合いですわ」


 そうリースの言葉に、姿見を見返すと「誰?」と思うような美女が佇んでいた。

 白と淡い青のドレスに、ヴォルフ様の瞳の色のティアラに、耳飾り、首飾りなんて瞳と同じくらい大きなサファイアと真珠で作られた一級品だという。リースを含めた侍女の人たちが美しく着飾って、魔法が掛かっているようだわ。


「ふふ、愛されていますね。これだけ旦那様の色を身に纏うというのは、ロッカ国では愛情の形としております」

「愛情の……」


 息苦しいほどの愛情表現。それでも自分の自己肯定感が低かった私には、ちょうど良い息苦しさなのかもしれない。言葉で、態度で、何度でも愛していると。ひび割れて心がズタボロになっていた自分の心をこの一年、温かく見守って大切にしてくれた。傍に居てほしいと、言ってくれた。大切な人。

 早くヴォルフ様に会いたい。逸る気持ちを抑えて、立ち上がった直後。


 がしゃん、と窓硝子が唐突に割れて、猛吹雪が部屋を襲った。


「──っ!?」

「メリッサ様!?」


 とっさにリースたち使用人と自分に防御魔法を掛けたけれど、ここは冬の国で秋魔法よりも、冬魔法のほうが属性的に強い。あっという間に私の防御魔法は凍り付き、意識はそこで途切れた。



 ***



 凍てつくような寒さの中で、声だけは鮮明に聞こえる。

 上も下も分からなくて、目も開けられない。


『まったく、()()()であられる()()()()()・エーベルハルトと婚約するのは、【冬の女神(オリーブ)】様の一番弟子である私アナベルだというのに、お前のせいで何もかもがめちゃくちゃよ! 女神様が留守の間を狙ってサガライア様との婚約を果たそうとしたのに、【秋の女神(フィーラ)】め、あんな藁のよう小娘を派遣しちゃって!』


 藁色の髪……私の……こと?

 ここは?

 私、どうしたのだっけ? まぶたが重くて目が開かない。聞こえてくるのは癇癪を起こした女性の声。私、どうなってしまったの?


『そう言わないでください、尊き魔女様。メリッサは女としては魅力に欠けますが、【季節豊穣魔法】に関しては、他の者よりも抜きん出た才を持っているのです、是非我がシクル国に頂けないだろうか』


 その声に、ゾッとした。

 シクル国……、まさか第三王子? 


『いいや、ミツキ国に来ることが幸せに違いない。これは国王陛下もお望みになっていることだ』


 間違いない。クラーク王子とバイロン様の声。でも国王陛下が望まれているというのは、国家絡みで私を狙っていると?

 すでに【冬の女神(オリーブ)】様から警告を受けているのに、気づいていない? それとも女神様の言葉をクラーク王子とバイロン様が各国に伝えていないとか。そんなことあり得るだろうか。

 それに先ほど、魔女と呼ばれていた女性が意味深なことを言っていたような?


『どっちでもいいわ。サガライア様の前から居なくなってくれるのなら』


 ()()()()() ヴォルフ様ではなく?

 ヴォルフ様は自分で王太子だと名乗った。彼が王太子ではないのか。記憶を遡ってみるが、周りもみなヴォルフ様あるいは殿下呼びで『王太子』とは読んでいなかった。それでも彼は王族の部屋を使っているし、誰も何も言わない。

 名前や身分を偽って婚姻契約はできない。悪用を防ぐために術式が施されている。

 婚姻契約を結んだ時だって――。


『――ここ冬の国の一つロッカの地において、万物の神々と四大魔女の一人、【冬の女神(オリーブ)】に告げる。ヴォルフ・エーベルハルトはメリッサを我が妻として生涯でただ一人愛することを誓う』


 ふとヴォルフ様が王太子だと名乗ったのは、私を出迎えた時だけだ。

 どうして、隠していたの?

 私が犯人かもしれないと思っていたから? それとも他に理由がある?


『なるほど。俺と婚姻を結ぶために【夏宵蔓毒】を国にバラ撒き、困ったところを助けるという自作自演行為を行う予定だったのか』


 ヴォルフ様よりも低い声だわ。姿は見えないけれど、凄く怒っているのが伝わってくる。誰?


『……ッ、サガライア様!? そんなどうしてここに!』


 その場の空気が一変した。

 見えはしないけれど、騎士の甲冑音が複数聞こえる。この場所を取り囲んでいるのだろう。一気に物々しい空気が漂う。


『残念だったな、魔女アナベル。【冬の女神(オリーブ)】様が氷結魔法によって先手を打たれたことで、同系統の冬魔法を使うことを封じた。何せ使えば即座に【冬の女神(オリーブ)】様に勘づかれるからな』

『サガライア様。まさか……』

『そう、俺は秋の法国に助けを求め、婚姻契約を申請した。後のことを弟のヴォルフに頼み、敵を炙り出すため王太子としての役どころもしっかりと果たしてくれた』


 ヴォルフ様は、サガライア様の弟。

 敵を炙り出すため――()()()()()()()()()()()

 ああ……そうか。()()()()()()()()()。今回の一連の事件の犯人を捕まえるため、私に話さなかったのは相手を油断させるためだった。


 ズキンと、胸が痛んだ。


 仲睦まじい夫婦を演じて、ヴォルフ様はお兄様のために王太子を演じて国を救う。ずっと感じていた違和感や、周りの皆が私を大切にしてくれる理由も解けた。全ては真犯人を捕まえるためにも、私という都合の良い囮が必要だった。

 真相を話すのは、犯人を捕らえたあと。誓約があったから……話せなかった?

 だからこそ本当に愛しているかのように振る舞うしかなかった? そう考えれば色んな辻褄が合ってしまう。


 お茶会やパーティーに私を連れて行かなかった理由も、国王陛下、王妃との正式な謁見を延期していたのも、私とヴォルフ様のお披露目は、相手を動かせるための作戦だった。そうとも知らず、浮かれて偽りの幸せを、本物だと勘違いしていた?


『魔女アナベル、お前を魔女協会から破門し冬魔法の使用を禁止。さらに冬の国から国外追放とする』

『お、お師匠様! そんな』


 【冬の女神(オリーブ)】様が自らの加護を持つ者たちを【魔女】として呼んでいた。それは賢き者という意味から取ったのと、四女神全員が聖女と言う名称は面白くないという、【冬の女神(オリーブ)】様の気まぐれだったとか。

 聖女も魔女も女神様の加護によって魔法が行使できる。それ故、加護を失えば、ただの人になるのだ。


 それからは様々な声が聞こえてきた。シクル国の第三王子やミツキ国のバイロン公爵が、私に話しかけてきたが、急な眠気に抗えない。


 今、眠ったら……戻れない気がする。

 でも次に目を覚ましたら、全部終わっていて……ヴォルフ様との生活も終わる……。


 最初は計画通りだったけれど、ヴォルフ様は私を本当に愛してくれていたのかもしれない。そんな都合の良い考えが脳裏をかすめる。

 でも現実はいつだって残酷だ。今までは耐えられた。


 いつか家族を持ちたいと思った。

 いつか故郷がほしいと願った。

 幸せになりたい、愛されたいし、愛したい。

 私が望んだのは、これだけだった。でも私の持つ加護の力は強すぎるから、環境によって私の魔法効果範囲は他の聖女の仕事を、役目を奪ってしまう。今までは緊急事態だったけど、病もなったのなら……。

 どうしてこんな当たり前のことを、忘れていたのかしら。


『メリッサ』


 そう呼ぶヴォルフ様の声が耳に届く。そうだ。ヴォルフ様が望んでくれたから、だから──まだ、あの人が私を求めてくれるのなら……戻らなきゃ。

 そう手を伸ばした瞬間、黒い柊の棘が肌に食い込む。


「──っ」

『お前だけ幸せになるのは許さない』


 何度も同じ声が、私を闇へと引きずり込む。これは冬魔法の禁術、魔女の呪い。秋魔法では回避が間に合わな──っ、それにこの呪いの効果は……っ、意識が……。


「ヴォルフ様……」



 ***



 私が幼い頃、《銀竜乃毒》によって土地は腐り、大切な人たちもろとも故郷を失った。私だけ生き残ったのは、【秋の女神(フィーラ)】様の加護が強かったから。


『それが、それこそが悪夢だったとしたら?』

「え」


 懐かしい秋葉の香りが鼻腔をくすぐった。

 緑豊かな小さな領地。

 若葉色の葉や、翡翠色の川、紺碧の空。悠々と流れる雲。緑色の森は一年に三ヵ月のみで、すぐに秋の季節となる。山吹色や、紅葉色が世界を彩る。

 《夢叶銀杏》の木々が見事で、私と両親は紅葉が近づくと楽しみにしていた。


「メリッサ? ぼんやりしてどうしたんだ?」

「ええっと……?」

「あ、これは《夢叶銀杏》だな。食用、薬などにも使えるから便利だぞ」

「ほら、メリッサ。これが秋の七草よ。覚えておくといつか役に立つわ」

「はい。お父様、お母様」


 秋の七草。誰かに教えたとき、目を輝かせていたような? 

 でも誰に?

 男爵領では当たり前の知識だし……。 


 穏やかに流れる時間。

 繰り返される季節を愛でながら、ふと何かが引っかかった。

 何か忘れかけた記憶が蓋を掛けかけていたが、すぐに霧散してしまう。故郷が滅んで、大聖女になって、他の国で酷いことをされた。それこそ男爵令嬢の私には夢のまた夢の壮大なお話だわ。

 ずっと悪夢を見ていた。

 ここが私の居場所だもの。ずっとここに居るの。

 だから、誰も起こさないで。


 ふと美しい青空から青い雪が降り注ぐ。この土地に青い雪なんて珍しい。雪に触れると声が溢れた。


「え?」


『嘘をついてすまない』

『ずっと本当のことを言えなくて、騙して本当にすまない』

『いいや、今回の計画立案は王太子である俺が計画したこと。お前には誓約もあったのだ』

『兄上、ですが……もっとやり方はあったはずなのだ。私が……』

『……メリッサ嬢、申し訳ない。本当にすまない』


 誰の声だろう。

 なぜ私の名前を知っているのか。彼の声が、胸をえぐる。


『メリッサ様、戻ってきてくださいませ!』

『そうです、まだメリッサ様に恩返ししていませんわ!』

『メリッサ様、負けないで』

『わたしたち、紙でたくさんの花を作ったの! 春のお花。春のお花が咲いたら眠りから醒めるって……』

『メリッサ様!』

『メリッサ様ぁ』

『大聖女様』


 私の名前を呼ぶ声が止まらない。老若男女、小さな子どもの声もある。温かい声、気遣う優しい声、声、声……。どうして、こんなに私を呼ぶ声が溢れているの?


『メリッサ、戻ってきて。一緒にいろいろなことをしようと約束しただろう。私にその約束を守らせてほしい』

『メリッサ嬢。もしそなたが望んでくれるのなら、息子との婚姻契約を永続してくれないだろうか』

『ようやく娘ができてお話しするのを楽しみにしていたのですから、どうか戻ってきて』

『メリッサ様! 目を覚ましてください』

『メリッサ、一人で眠る日が続いて、君がいないだけで私はどうにかなってしまいそうだよ』


 声が何処までも降り注ぐ。

 私のことを思ってくれる声。

 視界が歪んで、周りの紅葉や銀杏の木々がぼやけて見える。


『メリッサ……っ』


 ああ、誰かが泣いている。泣かないでほしい。そんな風に一人で泣かないで。

 悲しい時に一緒にいると、約束したのだから。

 感情豊かな垂れたウサギの耳と尻尾。いつも私の手を引いてくれた人。

 空色の美しい瞳。

 大好きだと、何度でも伝えてくれた甘い声。

 ずっと年下だと思っていたのに、あっという間に大人になって、私を守ると約束してくれた。

 私の大切な人。大好きな人、一緒に幸せになりたいと思った彼の名前は──。


「ヴォルフ様……」


 私の周りに青い雪が降り積もる。

 それは小さな花の雨にも見えて幻想的だ。


 ヴォルフ様。

 私がロッカ国で出会った方。私の言葉を信じてくれて、居場所と暖かさと大事なことを取り戻してくれた──大切な人。

 大好きで、この先もずっと一緒にいたいと望んだ愛しい人だわ。


 ヴォルフ様から「もう必要ない」と言われるのが怖くて、私は──自分から囚われた。迎えがなければ、現実を忘れて夢の中で浸っていけばいい。私には帰る家も、居場所も、故郷もないのだから。あまりにも幼稚で、ヴォルフ様を試すようなことをしてしまった。


 迎えに来てほしい。一緒に帰ろうって、もう大丈夫だよって、本当はずっと言って欲しかった。もう一度、ヴォルフ様に言って欲しかったの。

 本当に厄介な性格だわ。

 こんな私でもヴォルフ様は、まだ傍に居ても良いと言ってくれるかしら。


「メリッサ」


 ネガティブなことを止めるように、声がすぐ傍で聞こえた。振り返ると両親の姿が半透明になって消えかけていた。

 ああ、現実に戻ろうと思った途端、夢は崩壊していくのね。


「お父様、お母様……。私は」

「ようやく羽根を休めることができる場所ができたのに、それを自ら捨てては駄目だよ」

「私たちの可愛い子、行ってあげて。ほんの少しだけれど、あなたと一緒に居られて嬉しかったわ」


 これは夢だ。私がそう思って、そう願ったから。

 大好きだった両親の記憶を再現しているだけ。

 両親に背中を押されて私は歩き出すも、すぐに引き返して両親に抱きついた。私の心残りは……。


「お父様、お母様。あの時、助けられなくてごめんなさい。領地のみんなも、幼なじみのあの子も……誰一人救えなくてごめんなさい」

「私たちこそ、お前を置いていってすまなかった」

「メリッサ、あれは貴女のせいなんかじゃないわ。だから自分を大事にしないのは、今日で終わりにしなさい」

「──っ、はい」


 たくさん泣いて、それから今度こそ本当にサヨナラする。ずっと向き合えなかった過去。ふと幼なじみだった子が行き先を指さし「ちゃんと幸せになれよ」と笑って消えていった。


 幼かった子供から、大人の姿に戻る。

 ずっと帰りたいと思っていた場所は、もう見つけていたのに。

 手を伸ばしても良いのだろうか。

 それでも不安になる。本当に私は臆病だ。

 まだヴォルフ様の傍に居ることが許されるのなら、私は――。


「ヴォルフ様と一緒に、生きていきたい」

「メリッサ」


 その声はすぐ傍から聞こえて――、目映い光と共に、氷が砕けた。



 *ヴォルフ視点*



 あの日、私だけ氷漬けにはならなかった。だから最初は兄サガライアの計画に沿って、犯人を炙り出すつもりだった。【白い結婚(婚姻契約)】も兄の名サガライアで行うつもりでいた。

 でもメリッサと出会った瞬間、心臓がバクバクと煩くて、自分でもよくわからない感情でいっぱいになった。

 この人と一緒に居たい。離れたくない!


 本能でそう思ったのだ。だから婚姻契約は自分の名前にして、伴侶にしかみせない獣姿も見せた。外堀をせっせと埋めて、逃げられないようにする。メリッサはほわほわしているけれど、誰よりも一生懸命で、責任感が強い。薬草や珍しい物が好きで、宝石やドレスなどには興味もない。貴族令嬢らしくないけれど、そんなメリッサも好きだ。


 いつも「自分なんて」と自分を大切にしない……いや、違うな。今まで大事にされなかったから、感覚がおかしくなってしまっている。こんなに一生懸命で、頑張り屋なメリッサを誰が傷つけたのか。どうすればメリッサは、自分を大切にしてくれるだろう?

 私がたくさん好きだと言って、抱きしめて、大切にしたら、気づいてくれるだろうか。君は優しくされて、大事にされて良い存在なのだと。 


 三日間、寝室で添い寝することで「きせいじじつ」も完璧だ。大好きだって気持ちをたくさん伝えて言った。好きな気持ちが膨れ上がると同時に、罪悪感も増す。

 みな今回の計画を知っているから、色々と配慮してくれた。

 メリッサに本当のことを……。でも誓約で詳しいことは言えないし、初対面の時から失態ばかりして、その上、私が第二王子で、計画に利用しようとしていたと知ったら、失望どころか嫌われてしまうのではないか?

 そんなのは嫌だ。


 怖かった。

 でももっと怖かったのは、氷漬けになっているメリッサを見た時だった。

「メリッサを寄越せ」と言ってきた他国の王子と公爵は、サガライア兄上が手を打ってくれて、メリッサの氷結魔法の解除は【冬の女神(オリーブ)】様が小鳥の姿で駆けつけてくださった。


『妾の魔女がかけた氷結魔法は【忘却乃氷夢】と禁術である【黒柊乃呪縛】。夢に囚われてしまったら最後、肉体は呪いで蝕まれ、死ぬまで幸福な夢を見続けて目覚めることはない──したらどうする?』


 【冬の女神(オリーブ)】様の言葉を聞いても諦めなかった。メリッサならそうするだろう。


「それでも目覚める方法を探します」

『諦めないのなら、妾の加護の一つ【冬明けの目覚め】を貸してやろう。その術式を編むのは困難を極める。春の女神の助力も借りられるか聞いてみるが、あまり期待がするな』

「はい。ありがとうございます」


 その日から、ロッカ国でメリッサの氷と溶かす術式と、解呪を同時に行うことになった。今度は自分たちが、と国民全員で自分たちにできることをするため一丸となって動いた。


「メリッサ。今の光景を君に見せてあげたいな」


 もう君はとっくの昔にこの国に受け入れられて、私の、みなにとっても大切な存在になっていると。



 ***



 術式を編んでいる間、シクル国とミツキ国は自滅した。今は小さな集落として生き残りが百人前後だとかで、自給自足できる者だけが生き残ったとか。

 メリッサを連れ戻そうとした二人は他国の鉱山労働者として、百年以上働くように罰が下った。これでメリッサと関わることも、もう会うこともないだろう。


 あれから何度目かの冬が訪れ、去って季節が巡る。氷は解呪に合わせてゆっくりと解除していった。呪いは消え、あとは目覚めを待つだけ。

 だから毎日、みなでメリッサに声を掛けることにした。夢の世界ではなくても、君の望んだ居場所ならあると、伝えたい。


「メリッサ……。嫌われてもいい、怒られて離縁されても文句はない。それでもいいから、目を覚まして……お願いだ」


 その願いは五年目の冬に、叶う。【冬の女神(オリーブ)】様が春の女神から【桜の春風】の加護を借りてきたのだ。


「難しいと言っていたのに……どうやって……」

『あれは嘘だ。春の女神(アヤツ)は恋愛脳でな、五年間諦めずにいるなら加護を貸すと言った』


 それならどうして、五年と言わなかったのか。いや……それが女神様の見たかった対価なのだろう。一時的とはいえ加護を与えるに相応しいかどうか。その判定を下すための試練だった。


『これで秋と冬、春の魔法術式が結ぶ。そうすれば、この娘の加護そのものも他の聖女と同じになるだろう』

「それは……どういう?」

『かの大聖女は秋の加護が強すぎるゆえ、居場所を作るのが難しいと秋の女神が嘆いていたからのう』


 それは全てを見越していたかのような強かな笑みだった。



 ***



「ヴォルフ様と一緒に、生きていきたい」

「メリッサ」


 声が返ってきた。

 薄らと人影が見える。目が覚めるような天色の長い髪、宝石のような瞳、目鼻立ちの整った青年が私を見返す。垂れた長いウサギの耳は何処か覚えがある。

 けれど少年ではない。

 彼は――。


「……ヴォルフ様?」

「メリッサ。()()()、真相を話せなくてごめん。……私を疎んで、嫌っても正直しょうがないと思っている。でも、もし、少しでもやり直しても良いと思うのなら、どうか、私にチャンスをくれないだろうか」

「ヴォルフ様……」


 低い声。大人びた容姿。

 ヴォルフ様は最初に出会った頃と同じように、ポロポロと涙をこぼす。美しく成長を遂げたヴォルフ様に息が詰まりそうになる。色っぽさが増していた。

 私の中ではさほど長くない時間だったのだけれど、現実世界では五年が経っていたという。


 結果的にだけれど、ヴォルフ様が迎えに来てくれるか試そうとしたのだ。本当に好いているのか知りたくて、幼稚な選択をした。

 自分が傷つきたくなくて、嫌な思いをヴォルフ様にさせてしまった。


「謝るのは私のほうです。私は……ヴォルフ様が迎えに来るか試したのですから」

「不安なら何度でも試してほしい。そのたびに何度でも迎えに行くよ。君が必要だと、傍に居てほしいと。君は私の寂しがり屋なのを知っているだろう」


 飽きられると思った。くだらない、大人げない、なにをウジウジと。でもヴォルフ様は笑いもしなかったし、何度でも迎えに行くと言ってくれた。


「ヴォルフ様が……私の帰る場所になってもいいですか?」

「もちろん」

「家族になっても?」

「もうなっているだろう? 離縁はしないし、したくない」

「私もです」


 涙が止まらない。でもこれは悲しい涙じゃなくて、もっと別の感情から溢れてくるものだ。


「ヴォルフ様、私も幸せになって良いですか?」

「もちろん。一緒に幸せになろう」

「はい」


 ギュッと抱きしめたら、抱きしめ返してくれる。それが飛び上がるほど嬉しい。

 まじまじとヴォルフ様を見ると精悍な顔立ちに頬が熱くなる。美少年だったけれど、こんなに素敵な殿方になるなんて……。


「め、メリッサ?」

「五年……。それじゃあ、もう私よりも大人なのですね」

「そうだよ。ようやく君を包み込んであげられる」

「はい」


 ボロボロと泣き崩れるヴォルフ様は可愛らしくて、そっと唇にキスをする。

 温かくて、心臓が脈打つ。

 私の見つけた居場所はここだと、微笑む。


「ヴォルフ様、ただいま戻りました」

「お帰り、メリッサ」





 END

楽しんでいただけたのなら幸いです。

下記にある【☆☆☆☆☆】の評価・ブクマもありがとうございます。

感想・レビューも励みになります。ありがとうございます(ノ*>∀<)ノ♡


[日間] 異世界〔恋愛〕ランキング - 短編69位にランクインしました!

12/14 短編39位

ありがとうございます♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪


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― 新着の感想 ―
すごい面白かったです。 えぇと結局、メリッサとヴォルフは最終的に何歳なんですか? メリッサはロッカに来る前に都合6年間結婚してる期間あるんですよね?てことは最低でも20歳越えてるんですよね? 最初出…
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